5、病室でふたり

文字数 3,758文字

 まるで、脱獄者の気分だった。
 左右を確認しながら用心深く移動する。
 エレベーター横のフロアガイドを見ながら、B棟への行き方を探った。突き当りを右に曲がると渡り廊下があるようだ。
 突然、点滴を引く音がした。
反射的に振り返ると、右手で点滴を押しながらトイレへ向かう老人がひとり。ここまでビクビクする必要はないだろうと自分にツッコミを入れる。
 深呼吸をしてから、突き当たりまで急ぐ。途中、掲示されている院内用ポスターに目が留まった。
フィラリア予防や通話禁止の掲示物の間に、なんと『相沢筆工房』のポスターがズラリ。思わず、相沢が眼鏡の中央を押し上げて自慢の父を語る得気な顔が浮かんできた。
 『筆革命』『奇跡の銀毛筆』の大きな文字の下全面には、様々なサイズの銀毛筆の先端が並んだ写真。認めたくはないが、確かに感動を覚えた。相沢邸で包装用紙に詰め込んだ時、筆の先端に触れた指先が、柔らかなミンクファーで撫でられたような感じがしたのだ。
 さらにポスターの宣伝文句に目を通す。
 『書道筆として使いやすいのは当たり前』
 『メイク一新?! 文字通り、いつまでも“少女”の肌でいられます!』
 『傷口にひとふで?! 擦り傷程度の痛みならばすぐに封じ込めてくれます!』
 実際、どれほどの効果があるのかは試してみなければ評価できない。しかし、銀毛という単語を読むたびに心が揺り動かされるようだった。
 記憶の断片を辿ってみるが、答えは見つからない。入院してから時折、得体の知れない焦りと苛立ちが僕を不安にさせた。
「遅いぞ、少年!」
静かな声で発したつもりなのだろうが、耳元までよく響いた。
 油を売っていた僕に歩み寄る。
「相沢の会社のポスターか」
「うん。やっぱりキミもこの筆を持っていたりするわけ?」
「いや、そんなものが欲しけりゃ、自分で作るな」
 エリカらしい発想に頬が緩んだ。
 腕を組んでニッと口角を吊り上げたエリカを見下ろしながら「行こう」と言った。
 渡り廊下を通って右手にある二番目の広い部屋が彼女の病室だ。
 中に入ると、ベッドの下にブルーシートが敷かれていた。誰が運びこんだのか、折りたたみ式の丸テーブルや資料がぎっしり詰まった段ボール箱まで用意されている。まるで、出張生徒会長室だ。
「まず、去年のしおりを見たまえ。当日の流れを把握することが大事だ」
 渡されたしおりの表紙には愛嬌のあるイラストが描かれていた。
 右上から左下へ伸びた斜線を境に、左側にはハニカムを背に一匹の蜂が羽を広げている芽八中学の校章デザインが、右側には女蜂神社の社に並んでいた幾つかの面が描かれている。
 よく見ると、右下には「画:noel」のサインがあった。彼女の特技は周知の事実のようだ。ページを開くと、芽八中学と女蜂神社の簡単なあゆみが書かれてあった。
 女蜂神社の由来については、以前ネットで検索した時に読んだ内容と相違なかった。
「キミは、この少女が本当に実在していたと思う?」
 丸テーブルの上で、ポテトチップスの袋を開けているエリカに問いかけてみた。
「一度だけ、会ったことがある」
「えっ」
 彼女は八重歯を見せてニッと笑った。
「もっともっと頑張れば、二度目の再会もあるだろうな」
「そうなの、か?」
「ああ」
 綺麗な横顔だった。
 少年っぽい口調さえ直せば化けそうなものを、と心の中でつぶやく。
 さらにページをめくると、毎年行われている夜祭パレードの写真がカラー印刷されていた。その先は、露店の風景や、和太鼓を叩く女性陣の姿が載っていた。
「懐かしいな。夏祭りにはよく弟と行ったよ」
「弟がいるのか?」
 もともと猫っぽい目をしていたが、好奇心をそそられると、獲物に焦点を合わせる猫のようにエリカの瞳もキラキラ光る。
「いたよ。浩司って言う名前で、僕よりちょっとハンサムだな」
「ちょっと? 負け惜しみか? かなりハンサムだったんだろ?」
 僕たちは互いの顔を見ながら一笑した。
「もっと、聞かせてくれよ」
 弟が他界してからは誰にも話したことがなかった。
 だから、まずは心の中で天国の弟に承諾をとることにした。
 会話の中で短所は言わないと約束するなら話しても良い。相手は、ややお転婆だが美形だしな、とのことでOKが出た。むろん、そんなやり取りがあったことは彼女には秘密だ。
「僕が小学六年生の時、浩司は小学三年生で、勉強大嫌いなくせに成績は悪くなくて。運動神経も抜群だった。きっと、スポーツと出会ったから勉強が好きじゃないだけで、本当の勉強嫌いじゃないからなんだろうな」
 エリカに説明することで弟の新たな一面を知る。
 彼女は、話を聞くのが楽しいのか、ポテトチップスが美味しいのか、その両方なのか終始笑顔だ。
「浩司は、クリスマスツリーみたいな性格でさ」
「クリスマスツリー?」
「浩司がいる場所にはいつも人が集まる。特別、面白いことを言わなくても存在感があって、みんな浩司にいろんな言葉をかけるんだ。浩司はそれらをひとつひとつ自分なりに噛み砕いて、共感する」
「言葉を<掛ける>と、ツリーにプレゼントを<掛ける>がかかってるのか。ふむふむ。なかなか、思いやりのある弟だったみたいだな」
 エリカは目を細めて大きくうなづく。
「弟のことを語るおまえの目は……なんて言うか、その、優しくて良いな」
 急に褒められて、どぎまぎした。
 その感情が相手にも伝わってしまったのか素早く目を逸らした。エリカはわざと大きな音を立ててポテトチップスを咀嚼し、場の雰囲気を変えようとした。僕も彼女に倣い、ポテトチップスをごそっとひとつまみにして口の中へと放り込む。
「で、弟との夏祭りにはどんな思い出があるんだ?」
「そうだ、夏祭りの話をしようとしてたんだった。地元の夏祭りは、その間、授業が午前中で終わるんだ。誘う相手を変えて連日行くのが当たり前でさ。僕の場合は、一日目と二日目がクラスメイトと、三日目はひとりで、最終日は弟と行くのが定番だったな」
「ひとりで行く日を設けるところが、おまえらしいな」
 おまえらしい、そう言われて妙にじーんときた。
 まだ出会って日は浅い。共に第一印象もあまり良くなかったはずだ。でも今は、互いの性格を理解している。もう一度、その一言を噛み締めた。
「どうした、急に黙りこんで。女子と行った不埒な五日目でも思い出したか? 男はスケベで困るなー」
「いやいや、スケベが世界を回してるんだぞ?」
「ちょ、おまえ……」
「自滅してどうする」
 エリカの耳が真っ赤になった。
「あ、ポテチなくなったな。次はとんがりコーンにするか」
「あの、気になってたんだけどさ、キミって本当に具合悪くて病院に運ばれたの?」
 嫌味ではなく、心底、疑問に思うほど彼女の食欲は旺盛だった。
「で、話を戻すけど、金魚釣りも型抜きも射的も全部美味しいところ持ってかれてさ。兄のメンツは毎度ダダ潰れなわけ? ただ、最期の年に行った夏祭りでは、ひとつだけ浩司に勝てたことがあったんよ。なんだと思う?」
 エリカは横でとんがりコーンを五本の指に入れ、グーパーグーパー子供のように動かしながら答えを探す。
「くじ運か?」
「くじ運は、ふたりともどっこいどっこいだな」
「じゃあ、ポテトとか入ってた量が弟くんのより多かったとか? リンゴ飴の大きさとか……」
「食べ物ばっかだな。違う違う、なんと! あいつの初恋相手から告白されちゃったんだ」
「うあ! おまえがか?」
「うあ! ってそのリアクションなんだよ」
「うあ! は、文字通り、うあ! だ」
 ケラケラ八重歯を見せて笑っていると、エリカの手元からとんがりコーンが次々とこぼれ落ちた。
「汚いやつだなー」と悪態をつきながらも横から拾うのを手伝う。
 エリカもまたビニールシートの上に散乱したとんがりコーンを拾う。
 ふと顔を上げると、すぐ目の前にエリカの顔があった。近くで見ると、彼女はやはりひとりの女子だった。普段、虚勢を張って男勝りな態度や口調なので、その魅力が隠されていたのだ。形の良い眉毛は長くブラウンを帯びている。びっしり隙間なく生えた自前の睫毛は、同世代の女子たちが羨む量と長さを誇っており、彼女の青い瞳を大きく見せるのに一役買っていた。
 いつもはよく喋るのでゆっくりと見ることができないが、ツルツルの唇はリップクリームか何かで艶めいていた。
 そのすべてが僕の胸の鼓動を速くさせる。
「弟くんがどれほどハンサムだったか知らないが、おまえも……」
「おまえも?」
 意地悪に訊き返すと、突然ひたいを右指で弾いてきた。
「痛ッ」
 自分も、同じことをし返す。
「おまえッ!」
 せっかくの良い雰囲気が台無しに。
 たまりかねてエリカは立ち上がった。
とんがりコーンも僕も置き去りのまま、「飲み物買ってくる」と言って病室を出た。やれやれと思いながら、ビニールシートから汗ばんだ手のひらを離す。
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登場人物紹介

◆鬼月丹司


芽八市に引っ越してきた中学二年生。

PCと散歩が趣味。

大らかで誰とでも打ち解ける性格。


◆美星

(イラスト/ちすお様)


丹司が家の近所で出会った浴衣姿の

ミステリアスな少女。

猫のグージーと暮らしている。

人目を極端に避けようとする。

◆グージー

(イラスト/高橋直樹様)


美星といつもいるキジ白猫。

◆黄賀エリカ

(イラスト/ちすお様)


生徒会長。身長と胸のサイズを気にしている。

昼間は屍のように机に突っ伏しているが、

放課後になると、生徒会の仕事に活発に取り組む。

美麗な容姿に似合わず男っぽい口調。


◆右京ほたる

(イラスト/ちすお様)


本業は巫女。

冷静沈着で、積極的に人とかかわりを持たない。

冷ややかな口調だが、けっして不機嫌なわけでない。


◆工藤乃瑛琉

(イラスト/ちすお様)


童顔の容姿に似合わずグラマラス。

ふわふわとした物言いで、

心を読み取りづらい。

虚弱体質で不登校がちのようだが・・・。

◆兵頭新之助


裏生徒会長。

当初は丹司に対して高圧的な態度で

接していたが、丹司のあっけらかんとした

性格に気圧され、徐々に仲を深めてゆく。

実は、仲間思い。


◆相沢真澄


裏生徒会メンバーのひとり。

理知的で物静かだが、

意見はハッキリと口にする。

親が町一番の金持ち。

◆石井悠善


通称石井ちゃん。

裏生徒会メンバーのひとり。

兵頭を心酔し、腰ぎんちゃくのように

兵頭と行動を共にする。


◆マサヤ伯父さん


市街に住む丹司の伯父。

中学の技術の先生。

仕事にのめり込む丹司の父を心配する。

◆キツネザビ


担任の先生。

口が悪く特に転校生の丹司に

冷たい態度をとる。

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