11、変貌
文字数 3,819文字
銀髪の束。
よく見ると、ツインテールのうち、左側で束ねた髪の半分が短くなっていた。とんだ奇行に走らせてしまったと、自責の念に駆られて何も言えなくなる。
「相沢の家に行く」
乃瑛琉の口から予想だにしない名前が出た。本当に彼女には驚かされっぱなしだ。
何度か訪れたことがあるのだろう。エリカのPCショップ兼実家を横切り、金ぴかの豪邸まで向かう足取りには迷いが見られない。
相沢と乃瑛琉は、いったいどこで繋がっているのか。移動しながら、その不透明な関係性についてあれこれ想像しては勝手に自爆した。
相沢邸の前に来ると、進んで彼女がインターホンを押した。できれば二学期が始まるまで顔を合わせたくない相手だけに身構えてしまう。
「はい」
今回は家政婦ではなく相沢本人が応答。
「乃瑛琉だよ」
物おじせず名乗る彼女を、僕は横目で見る。
「どした?」
やはり、突撃訪問には慣れているのか、声のトーンからはそれほど驚いているようには聞こえない。
「薬と交換して欲しいの」
単刀直入に彼女は用件を口にする。
横でひとり僕はわたわたしていたが、「わかった」の一言でインターホンは素っ気なく切れた。
すぐに相沢が姿を見せる。
「どうも」
渋々挨拶をすると、「付き添い?」と不愛想に訊かれた。カメラで横にいる僕の存在はすでに把握済みだったのだろう。特に変わったリアクションは見せず、すぐに乃瑛琉に向き直った。
「ずいぶん持ってきたね。自分で切ったの?」
「うん」
「色合いも良いね」
相沢は中腰になって乃瑛琉が掴んでいるものをまじまじと見た。それだけならまだしも、今度は髪の毛の手触りを確認しはじめた。
乃瑛琉の身体から切り離されたものとはいえ、その髪に相沢が触れるのを目の当たりにするのは、なかなか苦痛なこと。思わず小さな吐息が漏れる。
「これ全部もらうけど、いい?」
「いいよー」
ふたりは天候の話でもするかのようなテンションで奇妙な取引を成立させたようだ。
相沢はサランラップを持ってくるなり、乃瑛琉の左側の髪半分をそれに包んで大事そうに持って行った。代わりに持ってきた薬を乃瑛琉に手渡す。
「またいつでも来てよ」
一見、紳士ぶっているが、僕にはそれが親切心から出た言葉とは思えなかった。
身体にフィットした、からし色のニットの胸元をチラチラ見ていたことも解せない。いや、本音を言えば直視できない自分を差し置いて、相沢が彼女の豊満な胸を見ていたことに納得いかなかったのかもしれない。しょせん僕も下衆野郎だ。
一方、乃瑛琉は、そんな雄たちの下心を警戒することなく、まるでお祭りで取った金魚でも見るように、自分の髪と引き換えに得た薬を嬉しそうに何度も何度も眺めていた。
「相沢は、乃瑛琉の髪を何に使うんだろうな」
声に出すつもりはなかったが、無意識に呟いていた。
「相沢筆工房、知らなあい?」
小首を傾けながら見上げて言う。
「知ってるよ。でも、それと何が関係……もしかして、あいつ……毛筆フェチなのか?」
「ち-がーうーよー」
ふくれっ面をする乃瑛琉。
可愛い、ではなく、思考を改める。
「材料が足りてないとか? なわけないか」
自分にツッコミを入れる。
「待てよ。大企業に成長した会社が、芽八市では貴重な薬と交換してまでも欲しいと思うキミの毛髪ってことは、むしろ、その毛髪に優れた高い価値があるってことか?」
まさかのまさかで僕の推理は的中したらしく、乃瑛琉の明るい「ピンポーン」が耳に響く。
しかし、なぜ?
矢継ぎ早に疑問は湧いてくる。
「それより、猫ちゃんはどこにいるのー?」
「猫ちゃん? ああ、グージーのことか」
無意識に明かした猫の名前に彼女は目を光らせた。
「グージー知ってるの! グージー! グージー!」
声高にその名を連呼する。
何事かと、通行人が何人かこちらを振り返った。
「有名な猫なの?」
「美星ちゃんの猫だよ」
嬉しそうに頬を弛ませる。
「美星ちゃん?」
その瞬間、記憶の波が押し寄せてきた。
顔は見えない。
でも、銀色に光る瞳には、まぎれもなく自分の顔がうつっていた。
頭上に温かさを感じた。
誰かが僕の頭を優しく撫でる。
僕の背中をも優しく摩る。
なんだろう、この気持ちは。
両端から頭が押し付けられるような痛みを覚えた。
---また悲しくなると思う。その時は、我慢せず、いっぱい泣いて
心の奥から溢れ出しそうな思いが汗となって吹き出てきた。気づくと、顔から滴る大量の汗を乃瑛琉が両手で受け止めていた。
しゃがんで見上げる乃瑛琉は、優しい笑顔をしている。とても愛おしかった。
慌てて僕はTシャツの裾を引っ張って彼女の手を拭いてやった。
「ごめんね。気温も上がってきたし、ジュースでも奢るよ。そこで水貰って薬も飲めば良いし」
僕の提案に乃瑛琉は立ち上がって大きくうなづいた。
早速、目と鼻の先にあるメバチ商店街の中で休憩できそうな場所を探した。
無難にパン屋と併設されたカフェを見つけると、店員に案内されて二階へと移動。
彼女ははちみつ入りのゆず茶を、僕はアイスカフェオレを注文した。向かい合って座ると、これはもう立派なデートと呼べた。
ふと、隣に座っていたカップルが、乃瑛琉の胸を一瞥してコソコソ耳打ちをはじめた。
クラスメイトの中でも、女に生まれ変わったら巨乳になりたいと言う奴は多いが、常に視線を集めてしまう悩みまで知っているのだろうか。かくいう自分も今、学んだわけだが。
僕は隣のカップルを睨み、わざとらしく咳ばらいしてやった。
今思うと、真夏に真冬の格好をしていたことを噂していただけかもしれなかったが、僕の訴えは彼らに伝わったらしかった。軽く女から睨み返されたが、そそくさとレジの方へ移動してくれた。
「さっきの話の続きだけど、美星ちゃんって芽八中の子?」
改まって訊くと、彼女は首を振った。
「とっても神聖な存在だよ」
「神聖?」
「みーんな、彼女の為に生きているんだよぉ」
聞き捨てならない言葉にしばし思考が止まった。
「みんなって、どこのみんな?」
「この町の人たち、みーんなのことだよ」
「じゃあ、みんなその美星ちゃんのことを知ってるの?」
それまで順調に返していた乃瑛琉も、この質問には短めの鼻に指を置くポーズをとったまま考え込んでしまった。
「美星ちゃんは神聖だからー、いろーんな形でみんなの前に姿を現すことはあると思うけどー。うーん。どうだろーね。乃瑛琉たちを通して知ることはあるよーきっと」
彼女のふわふわした物言いのせいか、終始、夢の国のお姫様の話でも聞いているようだった。とは言え、彼女の言葉がすべて作り話だとは思わない。髪の毛を切ったことも、ただの奇行ではなかったのだ。
「変なこと聞くけど、乃瑛琉って日本人?」
「うん、純ジャパー」
無防備に微笑む彼女の瞳をじっと覗き込む。
あまり身体的特徴について質問するのは気がとがめるが、
「その目の銀色って、やっぱりカラコンか何かなの?」
「違うよー。でも乃瑛琉たちは偽女王」
気になる言葉を言いかけたところで、ウェイトレスが飲み物を運んできた。
「ご注文のお品は以上でおそろいでしょうか?」
僕と乃瑛琉はどちらからともなくうなづいた。
きーんと冷えるカフェオレを喉に流し入れる一方で、彼女は左手のひらに湯呑をのせて右手で包むようにして温かいゆず茶をすすった。
「さっき言いかけた偽女王って?」
「ん〜? なんだっけ?」
もはや彼女の眼中には、ゆず茶しかなかった。
質問のタイミングを考えてまたあとで訊いてみることにした。
「店内、結構エアコン効いてるけど寒い?」
ただでさえ猫の件でこれからお世話になるのに、あまり質問攻めにするのも悪いなと思いつつ、あれこれ聞いてしまう自分が恨めしい。
「夏は寒いよね」
ニッコリと笑って彼女はそんな妙なことを口にする。
あっという間にはちみつ入りゆず茶を飲み終えると、彼女は相沢からもらった薬を五つテーブルの上に並べた。ビー玉でも眺めるように、彼女はひとつひとつ愛おしそうに見ていた。
カプセルタイプの薬には、やはり赤い字で配合1007と書かれている。それを彼女は、そ 一気に掴んで水で飲み込む。
三十秒後、急転直下。
「時間がないから、早く行こうね」
あまりにも自然に早口になったので、乃瑛琉の声だとすぐに認識することができなかった。
てきぱきと店員を呼ぶ彼女に促され、僕は二人分のドリンク代を支払った。まだアイスカフェオレを飲み終えていなかったが、一寸前ならともかく、目の前の乃瑛琉に言っても無駄だと思って断念。
「この時間、グージーは慰霊碑の前でごろにゃんしてることが多いの!」
人が変わったように、メバチ商店街を足早に歩きながらテキパキと話す。
「本当に、美星さんとは仲が良いんだね」
ややズレた返事だとは思うが、それほどまでに彼女の変化には度肝を抜かれた。
よく見ると、ツインテールのうち、左側で束ねた髪の半分が短くなっていた。とんだ奇行に走らせてしまったと、自責の念に駆られて何も言えなくなる。
「相沢の家に行く」
乃瑛琉の口から予想だにしない名前が出た。本当に彼女には驚かされっぱなしだ。
何度か訪れたことがあるのだろう。エリカのPCショップ兼実家を横切り、金ぴかの豪邸まで向かう足取りには迷いが見られない。
相沢と乃瑛琉は、いったいどこで繋がっているのか。移動しながら、その不透明な関係性についてあれこれ想像しては勝手に自爆した。
相沢邸の前に来ると、進んで彼女がインターホンを押した。できれば二学期が始まるまで顔を合わせたくない相手だけに身構えてしまう。
「はい」
今回は家政婦ではなく相沢本人が応答。
「乃瑛琉だよ」
物おじせず名乗る彼女を、僕は横目で見る。
「どした?」
やはり、突撃訪問には慣れているのか、声のトーンからはそれほど驚いているようには聞こえない。
「薬と交換して欲しいの」
単刀直入に彼女は用件を口にする。
横でひとり僕はわたわたしていたが、「わかった」の一言でインターホンは素っ気なく切れた。
すぐに相沢が姿を見せる。
「どうも」
渋々挨拶をすると、「付き添い?」と不愛想に訊かれた。カメラで横にいる僕の存在はすでに把握済みだったのだろう。特に変わったリアクションは見せず、すぐに乃瑛琉に向き直った。
「ずいぶん持ってきたね。自分で切ったの?」
「うん」
「色合いも良いね」
相沢は中腰になって乃瑛琉が掴んでいるものをまじまじと見た。それだけならまだしも、今度は髪の毛の手触りを確認しはじめた。
乃瑛琉の身体から切り離されたものとはいえ、その髪に相沢が触れるのを目の当たりにするのは、なかなか苦痛なこと。思わず小さな吐息が漏れる。
「これ全部もらうけど、いい?」
「いいよー」
ふたりは天候の話でもするかのようなテンションで奇妙な取引を成立させたようだ。
相沢はサランラップを持ってくるなり、乃瑛琉の左側の髪半分をそれに包んで大事そうに持って行った。代わりに持ってきた薬を乃瑛琉に手渡す。
「またいつでも来てよ」
一見、紳士ぶっているが、僕にはそれが親切心から出た言葉とは思えなかった。
身体にフィットした、からし色のニットの胸元をチラチラ見ていたことも解せない。いや、本音を言えば直視できない自分を差し置いて、相沢が彼女の豊満な胸を見ていたことに納得いかなかったのかもしれない。しょせん僕も下衆野郎だ。
一方、乃瑛琉は、そんな雄たちの下心を警戒することなく、まるでお祭りで取った金魚でも見るように、自分の髪と引き換えに得た薬を嬉しそうに何度も何度も眺めていた。
「相沢は、乃瑛琉の髪を何に使うんだろうな」
声に出すつもりはなかったが、無意識に呟いていた。
「相沢筆工房、知らなあい?」
小首を傾けながら見上げて言う。
「知ってるよ。でも、それと何が関係……もしかして、あいつ……毛筆フェチなのか?」
「ち-がーうーよー」
ふくれっ面をする乃瑛琉。
可愛い、ではなく、思考を改める。
「材料が足りてないとか? なわけないか」
自分にツッコミを入れる。
「待てよ。大企業に成長した会社が、芽八市では貴重な薬と交換してまでも欲しいと思うキミの毛髪ってことは、むしろ、その毛髪に優れた高い価値があるってことか?」
まさかのまさかで僕の推理は的中したらしく、乃瑛琉の明るい「ピンポーン」が耳に響く。
しかし、なぜ?
矢継ぎ早に疑問は湧いてくる。
「それより、猫ちゃんはどこにいるのー?」
「猫ちゃん? ああ、グージーのことか」
無意識に明かした猫の名前に彼女は目を光らせた。
「グージー知ってるの! グージー! グージー!」
声高にその名を連呼する。
何事かと、通行人が何人かこちらを振り返った。
「有名な猫なの?」
「美星ちゃんの猫だよ」
嬉しそうに頬を弛ませる。
「美星ちゃん?」
その瞬間、記憶の波が押し寄せてきた。
顔は見えない。
でも、銀色に光る瞳には、まぎれもなく自分の顔がうつっていた。
頭上に温かさを感じた。
誰かが僕の頭を優しく撫でる。
僕の背中をも優しく摩る。
なんだろう、この気持ちは。
両端から頭が押し付けられるような痛みを覚えた。
---また悲しくなると思う。その時は、我慢せず、いっぱい泣いて
心の奥から溢れ出しそうな思いが汗となって吹き出てきた。気づくと、顔から滴る大量の汗を乃瑛琉が両手で受け止めていた。
しゃがんで見上げる乃瑛琉は、優しい笑顔をしている。とても愛おしかった。
慌てて僕はTシャツの裾を引っ張って彼女の手を拭いてやった。
「ごめんね。気温も上がってきたし、ジュースでも奢るよ。そこで水貰って薬も飲めば良いし」
僕の提案に乃瑛琉は立ち上がって大きくうなづいた。
早速、目と鼻の先にあるメバチ商店街の中で休憩できそうな場所を探した。
無難にパン屋と併設されたカフェを見つけると、店員に案内されて二階へと移動。
彼女ははちみつ入りのゆず茶を、僕はアイスカフェオレを注文した。向かい合って座ると、これはもう立派なデートと呼べた。
ふと、隣に座っていたカップルが、乃瑛琉の胸を一瞥してコソコソ耳打ちをはじめた。
クラスメイトの中でも、女に生まれ変わったら巨乳になりたいと言う奴は多いが、常に視線を集めてしまう悩みまで知っているのだろうか。かくいう自分も今、学んだわけだが。
僕は隣のカップルを睨み、わざとらしく咳ばらいしてやった。
今思うと、真夏に真冬の格好をしていたことを噂していただけかもしれなかったが、僕の訴えは彼らに伝わったらしかった。軽く女から睨み返されたが、そそくさとレジの方へ移動してくれた。
「さっきの話の続きだけど、美星ちゃんって芽八中の子?」
改まって訊くと、彼女は首を振った。
「とっても神聖な存在だよ」
「神聖?」
「みーんな、彼女の為に生きているんだよぉ」
聞き捨てならない言葉にしばし思考が止まった。
「みんなって、どこのみんな?」
「この町の人たち、みーんなのことだよ」
「じゃあ、みんなその美星ちゃんのことを知ってるの?」
それまで順調に返していた乃瑛琉も、この質問には短めの鼻に指を置くポーズをとったまま考え込んでしまった。
「美星ちゃんは神聖だからー、いろーんな形でみんなの前に姿を現すことはあると思うけどー。うーん。どうだろーね。乃瑛琉たちを通して知ることはあるよーきっと」
彼女のふわふわした物言いのせいか、終始、夢の国のお姫様の話でも聞いているようだった。とは言え、彼女の言葉がすべて作り話だとは思わない。髪の毛を切ったことも、ただの奇行ではなかったのだ。
「変なこと聞くけど、乃瑛琉って日本人?」
「うん、純ジャパー」
無防備に微笑む彼女の瞳をじっと覗き込む。
あまり身体的特徴について質問するのは気がとがめるが、
「その目の銀色って、やっぱりカラコンか何かなの?」
「違うよー。でも乃瑛琉たちは偽女王」
気になる言葉を言いかけたところで、ウェイトレスが飲み物を運んできた。
「ご注文のお品は以上でおそろいでしょうか?」
僕と乃瑛琉はどちらからともなくうなづいた。
きーんと冷えるカフェオレを喉に流し入れる一方で、彼女は左手のひらに湯呑をのせて右手で包むようにして温かいゆず茶をすすった。
「さっき言いかけた偽女王って?」
「ん〜? なんだっけ?」
もはや彼女の眼中には、ゆず茶しかなかった。
質問のタイミングを考えてまたあとで訊いてみることにした。
「店内、結構エアコン効いてるけど寒い?」
ただでさえ猫の件でこれからお世話になるのに、あまり質問攻めにするのも悪いなと思いつつ、あれこれ聞いてしまう自分が恨めしい。
「夏は寒いよね」
ニッコリと笑って彼女はそんな妙なことを口にする。
あっという間にはちみつ入りゆず茶を飲み終えると、彼女は相沢からもらった薬を五つテーブルの上に並べた。ビー玉でも眺めるように、彼女はひとつひとつ愛おしそうに見ていた。
カプセルタイプの薬には、やはり赤い字で配合1007と書かれている。それを彼女は、そ 一気に掴んで水で飲み込む。
三十秒後、急転直下。
「時間がないから、早く行こうね」
あまりにも自然に早口になったので、乃瑛琉の声だとすぐに認識することができなかった。
てきぱきと店員を呼ぶ彼女に促され、僕は二人分のドリンク代を支払った。まだアイスカフェオレを飲み終えていなかったが、一寸前ならともかく、目の前の乃瑛琉に言っても無駄だと思って断念。
「この時間、グージーは慰霊碑の前でごろにゃんしてることが多いの!」
人が変わったように、メバチ商店街を足早に歩きながらテキパキと話す。
「本当に、美星さんとは仲が良いんだね」
ややズレた返事だとは思うが、それほどまでに彼女の変化には度肝を抜かれた。