7、この町はnot found
文字数 3,278文字
帰宅してすぐにPCで芽八市について調べてみると、信じられない現象が起こった。
『芽八市』について書かれているブログやニュースが皆無なのだ。中学校のホームページすら存在しない。グーグル・アースでもヒットしない。
こんなことがあるのだろうか?
『芽八』がおかしな変換になっていないか何度も確認したが、原因は他のところにありそうだった。
二階の自室から一階のリビングへと駆け下りる。ドアを開けると、母はのんきにテレビを見ていた。
「父さんは?」
「書斎よ」
テレビから目線を移すことなく答えた。またすぐに駆け上り奥の書斎へ歩を進めた。ドアを二度ノックしてから「入るよ」と声をかける。
部屋の灯りもつけずに父はベッドの読書灯で分厚い本を読みふけっていた。毛の量は多い方だったが実年齢の割に真っ白で、太い山なりの眉毛の黒さはいつも際立って見えた。笑うと目は細く見えなくなるが、そんな父の姿をしばらく見ていない。
「父さん、芽八市ってインターネットで検索してもヒットしないんだけど。変じゃない?」
父は僕の興奮した声に押されて本を閉じた。黒縁の眼鏡を外して、わざとらしい咳をする。
「それについて、誰かに言ったか?」
意味ありげな質問が返ってきた。「まだ誰にも」と素っ気なく答える。
「おまえは、バチカン市国を知ってるな?」
唐突な切り出し方だったが、父は真面目な口調で続ける。
「国土面積で考えれば、世界で一番小さな国だが、その歴史は壮大なものだ。キリスト教それ以前から、聖なる地として知られている。もともとは、ネクロポリスとして使われていた。イタリアの中にあって、そのイタリアとは別の場所だ。一度だけ若い頃に行ったことがある」
いつしか父はベッドから下りて回転チェアに腰掛けていた。僕もまた顎で促されて丸椅子に座らされた。
「つまり、ここ芽八市は日本であって日本じゃないって言いたいの?」
言葉にするのも妙だが、それ以外バチカンを例えた意味を汲(く)み取れなかった。
「父さんも、この地で生まれ育ったわけじゃない。ただ、古い友人の話を聞くと、それに近いものと解釈している」
「さっき、他に話した人はいるかって確認してきたけど、人に言っちゃダメな話なの?」
父はひたいにしわを寄せて腕を組み、しばらくどう答えるべきか沈思黙考した。
「学校はどうだ? 居心地悪くないか?」
「別に悪くないけど……」
わざと話題を逸らされたのかと思ったが、そうではないことが次の言葉でわかった。
「ひとつ言えるのは、余所者を歓迎しない町と言うこと。だから、この町に対する疑問や疑念は言葉や態度であらわさない方が賢明だろうな。何かあったら、今日のように父さんに話しなさい。それで納得しなくとも、なるべくここで気持ちを切り替えられるように。すべては丹司の学校生活をスムーズに運ぶためだと思いなさい。良いね?」
目を合わせると勝てない気がして、電源の点いていない父のパソコンを見た。明らかにこの町はおかしいと、言われたようなものだった。
「じゃあ、なんでこの町に来たの? 古い友人って?」
もうひとつ、どんな些細なことでも良い。この場で父から新しい情報を引き出しておきたかった。
「神職をしている男だ。丹司のじいちゃん、つまり私の父の時代から交友がある。そういう間柄だ」
「その人が、どんな仕事を依頼してきたの?」
「それは守秘義務だ。まぁ、私の医師としての技量を信頼しての依頼だとは言っておく」
「父さんにしかできないこと?」
「そういうことだ」
父は話を無理やり終えようとする。
「でも、やっぱり検索でヒットしないなんて異常だよ……」
「それで、困ることがあるのか? もう子供は寝なさい」
最後は父さんに背中を押されるかたちで書斎から追い出された。無論、納得いくはずもなく自室に戻ってノートPCを開いた。
商店街の入り口にメバチとカタカナで書かれていたことを思い出す。今度は、漢字ではなく『メバチ商店街』で検索した。そのまま打ち込んでもヒットすることはなかったが、いくつかのサイトを経由したのちに、商店街のHPがひっそりと見つかった。こんなに目立たなくする意味があるのか、違和感は増すばかりだ。
商店街の簡素な地図は、子供が書いたような手書きのものがアップされていた。が、やはり肝心の住所はどこにも記載されていない。当然、商店街への行き方や電話番号もなし。
念のため、『買い物する』をクリックすると商店街の店の並びが表示された。肉屋を見ると、働き者の店主についてと味自慢について三、四行ほど書かれているだけでやはりここにも連絡先は載っていなかった。どの店にも同じことが言えた。
次に、『お参りする』をクリックする。
『川奈寺院』『駒岩寺院』『女蜂神社』
躊躇なしに、市の名前と同じ発音の『女蜂神社』を選択。
すると、神社の歴史について長文での表記があった。
女蜂神社は、十六世紀建立とされる。五百年前、この地は大地震に見舞われた。
その真相は、実に不思議なもの。地震発生の一週間前に十四歳程の少女が現れたと言う。
かつて、この地の領主争いで敗れた武将日向権之助(ひゅうがごんのすけ)が夢でその少女を何度も見たと。少女は、八月十五日の午後に起こる大地震に備えて、地盤の弱い西側ではなく、地盤の強い東側に住民を避難させよと夢の中で警告してきた。
当初、権力のない日向権之助の言葉に突き動かされるものは皆無だったが、意外な人物に恩を返される。彼がかつて見た夢で漁業に従事する者が救われた事実があった。その命を救われた住民の一声もあって、八月十五日の午後、東側に強制避難が決定した。日向権之助は、何もなければこの町を去る覚悟だったという。
午後3時頃。予言通りに大地震が町を襲った。
古い家屋が多い地域だったこともあり、西側は半分以上の家屋が倒壊した。それでも、少女の警告を疑うことなく日向権之助が住民らにいち早く伝えたことで避難した人々に危害は及ばなかった。
死者0人の奇跡。
ところが、領主争いで勝利したはずの武将近藤林太郎はこれが面白くなかった。
後日、日向権之助と少女に功績をたたえるため宴に招待した。とても食べきれない量の御馳走が目の前に並ぶ。この辺りで採れる新鮮な野菜に、産地直送した海の幸山の幸。
とは言え、日向権之助は近藤林太郎の性格を熟知していた。酒を注がれてもうまくかわした。ついには、ここから少女を逃がすため厠へ行くよう目で促した。
少女が立ち去ってほんの五分後のこと。
前後左右に座っていた近藤林太郎の家来たちが、腰から抜いた刀をいっせいに向けてきた。
「若造には、この地の領主が誰か知らぬようだからな。親切に教えてやろうと思ってな」
威圧的な言葉を投げられても、日向権之助は顔をしかめたり、抗ったり、怖れた様子はなかったと言う。ただ一言。
「あの少女は、間違いなく神である。次に目を開けた時、そんな神とこの地の人々との心を繋ぐ者であれば幸い」
刀を向けていた敵の中には、この言葉に心が揺さぶられた輩もいたと言う。日向権之助と少女の姿が見えなくなったことに住民たちは、様々な噂を持った。しかし、少女がどのような最期を迎えたのかは誰も知らない。
日向権之助の殺害が浮き彫りとなって間もない頃、近藤林太郎は警備が手薄な瞬間を突かれて何者かによって刺殺された。罰当たりな行いをした近藤林太郎の死を嘆く者は住民に誰ひとりとしていなかった。
その後、神主の初代帝王貝細工(ていおうかいざいく)が、住民らの命を救った少女を祀った社(やしろ)を建てた。それが、女蜂神社の始まりという。
つい、読みふけってしまった。
果たして、予言したという少女は本当に存在したのか。最後まで目を通しても、女蜂神社の所在地が明らかにされなかっ点と併せて気にかかった。
『芽八市』について書かれているブログやニュースが皆無なのだ。中学校のホームページすら存在しない。グーグル・アースでもヒットしない。
こんなことがあるのだろうか?
『芽八』がおかしな変換になっていないか何度も確認したが、原因は他のところにありそうだった。
二階の自室から一階のリビングへと駆け下りる。ドアを開けると、母はのんきにテレビを見ていた。
「父さんは?」
「書斎よ」
テレビから目線を移すことなく答えた。またすぐに駆け上り奥の書斎へ歩を進めた。ドアを二度ノックしてから「入るよ」と声をかける。
部屋の灯りもつけずに父はベッドの読書灯で分厚い本を読みふけっていた。毛の量は多い方だったが実年齢の割に真っ白で、太い山なりの眉毛の黒さはいつも際立って見えた。笑うと目は細く見えなくなるが、そんな父の姿をしばらく見ていない。
「父さん、芽八市ってインターネットで検索してもヒットしないんだけど。変じゃない?」
父は僕の興奮した声に押されて本を閉じた。黒縁の眼鏡を外して、わざとらしい咳をする。
「それについて、誰かに言ったか?」
意味ありげな質問が返ってきた。「まだ誰にも」と素っ気なく答える。
「おまえは、バチカン市国を知ってるな?」
唐突な切り出し方だったが、父は真面目な口調で続ける。
「国土面積で考えれば、世界で一番小さな国だが、その歴史は壮大なものだ。キリスト教それ以前から、聖なる地として知られている。もともとは、ネクロポリスとして使われていた。イタリアの中にあって、そのイタリアとは別の場所だ。一度だけ若い頃に行ったことがある」
いつしか父はベッドから下りて回転チェアに腰掛けていた。僕もまた顎で促されて丸椅子に座らされた。
「つまり、ここ芽八市は日本であって日本じゃないって言いたいの?」
言葉にするのも妙だが、それ以外バチカンを例えた意味を汲(く)み取れなかった。
「父さんも、この地で生まれ育ったわけじゃない。ただ、古い友人の話を聞くと、それに近いものと解釈している」
「さっき、他に話した人はいるかって確認してきたけど、人に言っちゃダメな話なの?」
父はひたいにしわを寄せて腕を組み、しばらくどう答えるべきか沈思黙考した。
「学校はどうだ? 居心地悪くないか?」
「別に悪くないけど……」
わざと話題を逸らされたのかと思ったが、そうではないことが次の言葉でわかった。
「ひとつ言えるのは、余所者を歓迎しない町と言うこと。だから、この町に対する疑問や疑念は言葉や態度であらわさない方が賢明だろうな。何かあったら、今日のように父さんに話しなさい。それで納得しなくとも、なるべくここで気持ちを切り替えられるように。すべては丹司の学校生活をスムーズに運ぶためだと思いなさい。良いね?」
目を合わせると勝てない気がして、電源の点いていない父のパソコンを見た。明らかにこの町はおかしいと、言われたようなものだった。
「じゃあ、なんでこの町に来たの? 古い友人って?」
もうひとつ、どんな些細なことでも良い。この場で父から新しい情報を引き出しておきたかった。
「神職をしている男だ。丹司のじいちゃん、つまり私の父の時代から交友がある。そういう間柄だ」
「その人が、どんな仕事を依頼してきたの?」
「それは守秘義務だ。まぁ、私の医師としての技量を信頼しての依頼だとは言っておく」
「父さんにしかできないこと?」
「そういうことだ」
父は話を無理やり終えようとする。
「でも、やっぱり検索でヒットしないなんて異常だよ……」
「それで、困ることがあるのか? もう子供は寝なさい」
最後は父さんに背中を押されるかたちで書斎から追い出された。無論、納得いくはずもなく自室に戻ってノートPCを開いた。
商店街の入り口にメバチとカタカナで書かれていたことを思い出す。今度は、漢字ではなく『メバチ商店街』で検索した。そのまま打ち込んでもヒットすることはなかったが、いくつかのサイトを経由したのちに、商店街のHPがひっそりと見つかった。こんなに目立たなくする意味があるのか、違和感は増すばかりだ。
商店街の簡素な地図は、子供が書いたような手書きのものがアップされていた。が、やはり肝心の住所はどこにも記載されていない。当然、商店街への行き方や電話番号もなし。
念のため、『買い物する』をクリックすると商店街の店の並びが表示された。肉屋を見ると、働き者の店主についてと味自慢について三、四行ほど書かれているだけでやはりここにも連絡先は載っていなかった。どの店にも同じことが言えた。
次に、『お参りする』をクリックする。
『川奈寺院』『駒岩寺院』『女蜂神社』
躊躇なしに、市の名前と同じ発音の『女蜂神社』を選択。
すると、神社の歴史について長文での表記があった。
女蜂神社は、十六世紀建立とされる。五百年前、この地は大地震に見舞われた。
その真相は、実に不思議なもの。地震発生の一週間前に十四歳程の少女が現れたと言う。
かつて、この地の領主争いで敗れた武将日向権之助(ひゅうがごんのすけ)が夢でその少女を何度も見たと。少女は、八月十五日の午後に起こる大地震に備えて、地盤の弱い西側ではなく、地盤の強い東側に住民を避難させよと夢の中で警告してきた。
当初、権力のない日向権之助の言葉に突き動かされるものは皆無だったが、意外な人物に恩を返される。彼がかつて見た夢で漁業に従事する者が救われた事実があった。その命を救われた住民の一声もあって、八月十五日の午後、東側に強制避難が決定した。日向権之助は、何もなければこの町を去る覚悟だったという。
午後3時頃。予言通りに大地震が町を襲った。
古い家屋が多い地域だったこともあり、西側は半分以上の家屋が倒壊した。それでも、少女の警告を疑うことなく日向権之助が住民らにいち早く伝えたことで避難した人々に危害は及ばなかった。
死者0人の奇跡。
ところが、領主争いで勝利したはずの武将近藤林太郎はこれが面白くなかった。
後日、日向権之助と少女に功績をたたえるため宴に招待した。とても食べきれない量の御馳走が目の前に並ぶ。この辺りで採れる新鮮な野菜に、産地直送した海の幸山の幸。
とは言え、日向権之助は近藤林太郎の性格を熟知していた。酒を注がれてもうまくかわした。ついには、ここから少女を逃がすため厠へ行くよう目で促した。
少女が立ち去ってほんの五分後のこと。
前後左右に座っていた近藤林太郎の家来たちが、腰から抜いた刀をいっせいに向けてきた。
「若造には、この地の領主が誰か知らぬようだからな。親切に教えてやろうと思ってな」
威圧的な言葉を投げられても、日向権之助は顔をしかめたり、抗ったり、怖れた様子はなかったと言う。ただ一言。
「あの少女は、間違いなく神である。次に目を開けた時、そんな神とこの地の人々との心を繋ぐ者であれば幸い」
刀を向けていた敵の中には、この言葉に心が揺さぶられた輩もいたと言う。日向権之助と少女の姿が見えなくなったことに住民たちは、様々な噂を持った。しかし、少女がどのような最期を迎えたのかは誰も知らない。
日向権之助の殺害が浮き彫りとなって間もない頃、近藤林太郎は警備が手薄な瞬間を突かれて何者かによって刺殺された。罰当たりな行いをした近藤林太郎の死を嘆く者は住民に誰ひとりとしていなかった。
その後、神主の初代帝王貝細工(ていおうかいざいく)が、住民らの命を救った少女を祀った社(やしろ)を建てた。それが、女蜂神社の始まりという。
つい、読みふけってしまった。
果たして、予言したという少女は本当に存在したのか。最後まで目を通しても、女蜂神社の所在地が明らかにされなかっ点と併せて気にかかった。