第17話 嵐の前に静けさなんてやって来ない
文字数 6,344文字
その日は久しぶりの晴れであった。
都内某書店裏口にて、如月紫乃は無事終えたサイン会の疲れを癒すために思い切り伸びをし、空を仰いだ。
外の空気はやっぱり良い…
(それにしても…凄かったなぁ…)
ほっとするもサイン会で出会った衝撃的な人物を思い出すと、再び疲労感に襲われそうになる…
それは突然彼の前に現れた。嵐の如く…
遡る事二時間程前…サイン会会場となる書店内にて…
「わ、私デビュー作からの大ファンなんです!!」
「ありがとうございます。嬉しいなぁ!」
爽やか素敵スマイルを浮かべ営業モード全開でキラキラ輝く紫乃の前には長蛇の列…しかも殆どが女性である。
山川賞の受賞者、若きイケメン作家東雲青嵐の特別サイン会…急遽決まったその企画は出版社側のノリと勢いにより無理矢理押し切られこうして実行する羽目になったわけだが…
この反響は予想外だった。紫乃本人にとっても。まさかこれ程の人(しかもほぼ女性)が集まるとは…。その光景はまるでどこかの人気アイドルのサイン会の様だ。
本人は普段から書生もどきの大正ロマン風な装いをしているが目立つのは苦手なのだ。だから今まで公の場に出ることも控えていたのだが…。
(紫さんに泣きつかれて頭下げられたんじゃなぁ…)
隣に立つスーツ姿の女性…
黒いパンツスーツに黒髪ショートカットのかなりの美女だ。きりっとした涼し気な目元に凹凸のはっきりとしたスタイルが今日も眩しい。これで社会人の娘と高校生の息子を持つ母親なのだから驚きだ。
付き合いはデビュー以前から…紫乃の文才をいち早く見抜き目を付けていた紫は如月紫乃こと東雲青嵐という作家の育ての親と言っても良いかもしれない。
「授賞式を見て東雲先生のファンになりました!作品も面白かったです!!」
「そうなんですか?ならもっと頑張らないとな…貴方の様な素敵な女性の為にも…」
と、この歯の浮く様なキザな台詞は紫が提案したものだ。紫乃は元々女性には優しく紳士的だが普段はここまで徹底したキザな男ではない。
爽やかに微笑まれ手を握られると、ファンの女性の頬は一瞬で赤くなり、目はとろんとしている…紫乃に見惚れてだ。
(…参ったな…自分で言っていてぞっとするくらい気味悪いんだけど…紫さんやり過ぎなんだから…)
完璧な笑顔を浮かべサインをしキザな一言、握手してお礼を言う…そんな単調な作業を繰り返し内心疲れ切っていた紫乃の前にそれは突然現れたのだ…
「あ~!!やっと来たわ!!ちょっとあなた!早く退きなさいよ!!」
と、見惚れている女性を押し退け現れた…。やたら大きな声で騒ぎながら…
「!?」
そして彼女の姿を見た瞬間、さすがの紫乃も一瞬だったが目を疑い笑顔のまま凍り付いた…
真っ赤な唇に分厚いファンデーション…肩まで伸びるきつく当てられた赤に近い茶色いソバージュヘア…そして真っ赤なブランド感丸出しのショルダーバッグに濃いピンクのフリル付きワンピースに真っ赤なハイヒール、そしてパールピンクに塗られた爪…
(これはまた個性的な…)
全体的に派手な暖色系ファッション。目が痛くなりそうなくらいだ。
しかも、その女性は明らかに中年に近い…なので尚更衝撃的だった。隣に立つ紫も硬直する程に。
「いやぁ~!!やっぱり近くで見ると良い男ねぇ~!!うちの甥っ子といい勝負だわぁ~!!うふふふふ!!」
「あ、あはは…ありがとうございます。」
「でも先生の方が大人の男って感じで素敵ですわぁ!あら!肌も艶々!!綺麗な髪してますのねぇ!!うふふふ!!」
と、無遠慮に紫乃に触りまくる中年女性…。その瞬間長蛇の列から悲鳴にも似た声が聞こえて来た。
しかし紫乃は不快感を露わにする事無く完璧な笑みを浮かべ紳士的に接する…。内心は少し恐怖を感じる程の危機感を感じたが。
彼のモットーは女性には優しく接するべし…それがいかなる女性でも…なのだ。
一方的に触りまくり手を物凄い握力で握りしめられようとも…きつい香水の匂いに耐えながら笑顔を浮かべ穏やかに優しく接する。
「嫌だわぁ~!!本当に良い男だわぁ~!!うちの娘と見合いしませんこと!?先生独身かしら!?同居は大丈夫!?」
「いえ、折角ですが私はまだ…今は仕事が恋人ですから。」
と、やはり笑顔で返す紫乃…
だが彼女は引き下がらなかった。更に手を強く握りしめ顔を近づけ…
「何言ってんの!若くてイケメンなのに勿体ない!!そうだわ!娘じゃなくても…先生にぴったりの可愛い子知っているから今度紹介してあげますわ!!そうしましょ!!」
「いえ…お気持ちだけで…」
「何?まさか…女性に興味ないの!?」
「あはは、そんな事は…」
「ならこの際私の甥っ子紹介しますわ!!ちょっとお馬鹿ですけどね、まぁ何だかんだで愛嬌のある可愛い子ですのよ!そうだわ…なんなら今日会いましょ!?そうしましょ!!」
「…いや…私が良くても甥っ子さんにも事情があるかと…彼女とかいらっしゃるのでは?貴方の様な素敵な女性の甥っ子さんならば…」
「素敵だなんて…嫌だわぁ~!!先生ったらお上手なんですから!!うふふふふ!!」
と、その後しばらくは紫乃の手を放そうとしなかったので、見かねた係員達の手によって強制的に退場させられた。とにかく物凄い勢いで現れそして物凄い勢いで去って行ったのだ。
しかしまさか初対面の相手にお見合いを勧められるとは…しかも最終的には甥っ子…つまり同性との。さすがの紫乃もこれには驚いた。吹き出しそうにもなったが。
そして今に至る…。無事終了したサイン会に安堵しつつも今にも背後からあの女性がやって来るんじゃないかと僅かな恐怖を感じながら紫乃は目を閉じ深呼吸した。
都会の喧騒…梅雨の晴れ間の爽やかな日差しと風…
会場の書店とは言えここは裏口…人気も無く心地良い…
「蕾ちゃんと伴君…上手く乗り切れると良いけど…」
サイン会での女性…あの様子を見て紫乃は確信した。彼女が伴の言っていた強烈な光代叔母さんだと…
実際に目の当たりにし、迫られると物凄い迫力だった。なので尚更心配になって来る…
「ゾノがどうかしたんですか?」
「…え?静乃ちゃん!?」
いつの間にやって来たのか…紫乃の背後には蕾の友人、静乃が立っていた。
茶色く染まった髪の毛先を綺麗に巻き、ラインストーンで飾られた爪を輝かせ…。グロスが塗られた艶やかな唇は微かに開かれ涼やかな目は真っすぐ紫乃に向けられていた。
黒い半袖のオフショルダーにタイトなミニスカート、ふくよかな胸元にはサングラスが掛けられワインレッドの女優帽を被り、惜しげも無く晒された美脚の先には真っ赤なハイヒール…
どう見ても女子高生とは思えない迫力と派手な恰好で一際目立っていた。人気が無いとは言え。
「…すみません、姿が見えたので…それよりゾノ、また何か紫乃さんに迷惑を…?」
「…ちょっと例のお見合いの事でね…静乃ちゃんもまた色々聞いてるかもしれないけど…」
「…お見合い?それ、何の事ですか?」
「え?静乃ちゃん…もしかして何も聞いてない?」
「…少なくとも…お見合いどうのと言う事は…」
静乃の目が微かに険しくなった様子を見て、紫乃は思わず口を塞いでいた。自分で自分の口を…
(…ああ…俺余計な事しちゃった…)
「紫乃さん!ちゃんと話してください!!ゾノ一体何をしたんですか?」
「…え、えっと…それはお兄さんの口からは…」
「話して下さい!紫乃さんが知っていて私が知らないなんてそんなの納得いきませんから…」
いつも冷静な静乃らしくもなく、声を荒げ紫乃に迫るその迫力もまた凄い物だった…光代とは違う意味で…
(…ごめんね、蕾ちゃん…ま、でもいつかバレる事だよね?)
*****
「…な、何!?何か凄く嫌な感じがする…!?」
一方あたし、宮園蕾は…
伴の家にやって来て一息付いていると、急に嫌な悪寒を感じたのであった。
背筋にぞわぞわっと…
「奇遇だな…実は俺もだ…」
「マジで!?」
「何かこう…厄介な奴がやって来そうな…」
ピンポーン♪
伴がそう言いかけた時だった。タイミング良くチャイムが鳴ったのは…
思わず二人顔を見合わせ固まる…嫌な予感しかしない…!!
「…で、出なさいよ…」
「お前が出ろよ…」
「あんたの家でしょうが…自分で出なよ!」
「嫌だ怖い!!」
「いいから!!ちょっと何うさぎのぬいぐるみ抱きしめてんの!?」
ピンポーン♪ピンポンピンポン♪
しつこく鳴るチャイム…そしてまたまたタイミング良く伴のスマホが鳴った。
「…な、何!?」
「し、知らないわよ!?出なさいよ!!」
「嫌だ怖い!!」
「あたしも怖い!!」
と、言いつつも…伴はスマホを手に取った。さすがに電話の無視はまずいと思ったのだろう。
微かに震える指で画面をタップし、震える手でスマホを耳に当てる…
「は、はい…」
『伴、居るんだろ?居留守使わずにさっさと出ろ…』
「と、時?な、なんだ…驚かすなよ…」
ガチャッ…
どうやら相方の九条さんからだったらしい。伴が安堵したように立ち上がりドアを開けると、本当に九条さん本人が立っていた。
眼鏡の淵を押さえ呆れたようにため息を吐いて…
「…俺が来るのも野暮だとは思ったんだけどな…やっぱり放っておけなくて…」
「…時!!お前…良い奴!!俺本当は心細くてさぁ…本当お前…大好き!!」
「ば、馬鹿…抱き付くな気色悪い…本当お前は…」
全くだ…。本当こいつは…。
九条さんに抱き付き縋る伴の姿を見ながら、あたしも自然とため息が漏れた…
「蕾ちゃん、大丈夫?伴に変な事されてない?」
「いや、してたら俺死んでるし。」
「ま、まぁ…確かにそうかもな…。何も無ければ良い…何も…。とにかく俺も一緒にいようかと…怪しまれないと思うし。」
「光代叔母さんお前のファンだしな!」
「え!?そ、そうなのか…?それは…なんていうか…嬉しくない…」
あからさまに迷惑そうな表情を浮かべると、九条さんは伴を鬱陶しそうに引き剥がすと服の乱れを整えた。
「…お前なんですぐ来てくれなかったんだよ…俺、待ってたのに…」
「何でだよ…。俺に隠そうとしてたくせに…。実は東雲先生のサイン会に変装して紛れ込んでたんだけどな…」
「お前…紫乃さんと俺どっちが大事なんだよ!?」
「お前に決まってるだろ…先生はまた別だけど。そんな事より、そこで俺は衝撃的な光景を目の当たりにした…思わず逃げ帰って来るくらい…」
「そんな事ってなんだよ!?」
一人騒ぐ伴を放置し、あたしは続きを促した。勿論九条さんも構わず話を続ける。
「いたんだよ…みっちゃんが…」
「光代叔母さんが!?マジ!?」
「そう言えば…そんな話…」
「ああ…昨日先生のサイン会へ行く話は聞いていたけど…あれは本当凄かった…そして先生も…さすがって言うか…」
「何?紫乃さんマジで口説いてたとか?」
「そんな訳ないだろ…」
「じゃあ笑顔で適当にあしらってたとか?」
「蕾ちゃんは惜しいかも…でも予想外の展開になってさ…」
九条さんはそう言うと、サイン会での出来事をあたし達に話し始めた…みっちゃんこと光代叔母さんがどれだけ強烈なキャラだったのかを。
そして紫乃さんがどんな目に会ったのかも…何もかも…。紫乃さんには悪いが、途中から笑いが込み上げて来た。
だってあの紫乃さんが…
「…俺と紫乃さん見合いさせられんの?何それ?」
「…未遂だ。さすがに困ってたけど…」
「てかどう見たら紫乃さんがホモに見えるの?…ふ、ふふ…あ、あり得ないんだけど…!!あのフェミニスト紳士の何処にそんな要素が…ふ、ふはははは!!もう駄目~!!」
「笑うなよ…俺紫乃さんの嫁になるとこだったんだぞ!?」
「蕾ちゃん笑い過ぎ…その時は俺もさすがに笑いそうになったけど…」
「あははは!!あんた紫乃さんお嫁さんに迎えてあげなよ!!良い奥さんになるって!!ふ…ふふ…び、美人だし…家事完璧だし、人当たり良いし優しいじゃん!その上幽霊も祓ってもらえるんだよ?」
「…確かに理想のお嫁さん…」
「本気で考えるなよ…」
耐え切れずついに大笑いしてお腹を抱えていると、またチャイムが鳴りだした…
ピンポーン♪
直後、あたし達は一斉に肩を震わせ固まった…
ついにあの人がやって来たんだ…そう思ったからだ。
『ゾノ!いるんでしょ!?さっさと出て来なさい…』
え?この声は…??
インターホンの向こう側、予想外の声にあたしは混乱した…
なんで向こうから静乃の声が…?この件に関しては無関係なはずの静乃がどうして…!?
「うぉ!?スッゲー美女!!…と紫乃さん!?」
インターホンのモニターに映る映像を見ると、伴も混乱したらしい…静乃の姿を見て一瞬だけ目を輝かせたが…
紫乃さんまで…どうしてここに…
「紫乃さんその美女誰!?」
お前はこの状況でまずそれを聞くのか!?馬鹿だ…こいつ馬鹿だ!!
モニターを食い入るように見つめる伴の姿を見て、あたしは呆れたが九条さんはそうではなかった…
同じ様に呆れた様子で伴を見ているのかと思っていたが…目を見開き驚いている様子だった。それも紫乃さんの姿ではなく静乃の姿を見て…
な、何…?九条さんまで静乃の魅力に…!?
『ごめんね…ちょっと色々あって…とりあえず中に入れてくれると…って静乃ちゃん落ち着いて!!』
『落ち着いてなんかいられません!ゾノ!!あんたどういうつもりよ!!なんで私に何も言わないで…開けなさい!』
『し、静乃ちゃん落ち着いて!と、とにかくそう言う訳で…あ、それと…蕾ちゃん始めに謝っておくけど…ごめん…』
し、紫乃さん一体に何をしたの?静乃に…
いつもの静乃らしくもなくドアを叩こうと拳を振り上げ、紫乃さんが慌ててそれを掴み制止している…
そんな映像をモニター越しに見ながらあたしは状況が全く理解出来ずにいた。
待つこと暫し、玄関の扉を開けると…
ガチャ…
「あ、あの~…とりあえず中入って下さい…」
「伴君、助かるよ…急にごめんね…」
「い、いえ…」
戸惑い気味にドアが開かれると、静乃を中へと促しながら困った様に笑う紫乃さんの姿があった…
なんでこの二人が一緒にいるんだろう…。しかも伴の家までやって来て一体…
「ゾノ!あんた何で見合いした事黙ってたのよ!?しかも相手がAZUREの有沢伴なんて…どういう事かちゃんと説明して!」
「え!?静乃何でそれ知って…ああ!?紫乃さん!?」
「紫乃さんは悪くないわよ!あんたが黙ってたのが悪いの!と、とにかく…怪しいと思ってたのよ…最近のあんた見て…早く帰るのは受験勉強する為だと思っていたけどまさかこんな理由があったなんてね?」
「こんな理由って…これは成り行きでこうなっただけで…」
「…成り行き?どう言う事?益々聞き捨てならないわね…有沢伴!あんた一体ゾノに何をしたの!?」
ガッ!!
静乃は伴の胸倉を掴むと、物凄い睨みを効かせ…迫力満点の様子でそう言った。
「ご、誤解ですって!!俺達別に付き合ってる訳でもないし、何もしてないし!!というか何かしたら俺がこいつに殴り飛ばされるか蹴り飛ばされる…」
「…そうね…じゃあ何がどうなってこうなったの?」
「…と言うか…あのぉ…お姉さんどちら様ですか?まさか紫乃さんの彼女!?…す、すみませんすみません!!とりあえず説明します!!」
静乃に再び睨まれたので、伴は慌ててこれまでの経緯を説明し始める事となった…勿論あたしも…
さすがの人気アイドルもこの迫力を前にしちゃ逆らえないみたいだ…あたしもそうだ…
ああ、何かまたややこしい事になって来たな…前にも増して…
まさかここで静乃にバレるとは思っても見なかった…
隠すつもりはなかったんだけど。