第35話 本日も平和なり
文字数 6,304文字
そして伴も納得してくれた……
これで一応ひと段落!!
したのは良いけども………
人と言うのは常に問題が発生する生き物で(あたしだけか?)……
一つの問題がひと段落したからと言って、『お帰り!あたしの平和な日々よ!!』という訳にもいかないのだった。
そう……あたしは今またもや追い詰められていた。
「…だからね…ここの文法は……」
何度目かも分からない紫乃さんの根気強い説明……
今も声は穏やかなものの、さすがのにこやか爽やかお兄さんの顔に笑みは浮かんではいなかった。
むしろ若干…いや、かなりお疲れのご様子で……
「…分かったよ…ちょっと休憩しよう。」
「で、でも…もうちょっと!もうちょっとできっとあたしも理解出来ると思うんです!!」
「……それ、今日で何回目だと思う?俺が聞く限りじゃ五回は言ってるよ?」
「え!?ま、まだ三回くらいですって!!」
「いやいや…もう十回以上は言ってるよ?」
「回数増えた!!」
「…だから…はい、一先ず休憩!お兄さんも疲れちゃったよ……はぁ……」
「…す、すみません……本当、面目ないです…」
と、この紫乃さんとのやり取りも今日で何度目だろうか?
いつもこんな感じだ……
放課後に金木犀へ直行、笑顔で待つ紫乃さんにお勉強をしっかりと教えてもらう……
そして常人以上にお馬鹿過ぎるあたしは常に疑問質問、それに丁寧に答えてくれる紫乃さん…そして徐々に呆れて疲れ果てて行く……
そんなパターン。それがあたしの日常の一部であった。
ああ……こんなんであたしは進学なんて出来るんだろうか?大学へなんて…。
ああ!ネガティブは駄目だ!!ポジティブになりなさい!!蕾!あんたはやれば出来る子よ!!
アイビリーブ!アイビリーブマイセルフよ!!
と……らしくも無く英語で叫んで励ましてみる。勿論、心の中でだけど。
あれ??こんな歌詞なかったっけ?
「…蕾ちゃん。頭抱えて落ち込むのは良く無いよ…君はネガティブループに陥り易いんだから…」
「お、おお!?べ、別にそんな追い詰められてませんよ!?何言ってるんですか紫乃さん!?」
紫乃さんに肩を叩かれ我に返ると気づく……
あたしは無意識のうちに頭を抱えていた。ついでにテーブルに突っ伏していたりする。
ああ、どうりで目の前が真っ暗だと思ったよ…ははは…
「…蕾ちゃん。俺は蕾ちゃんの事が可愛いし、大好きだし大切だと思っているよ…でもね…敢えて言わせてもらうよ?」
「な、なんですか?」
真顔の紫乃さんを前に、あたしはつい身構えた…
この人の笑顔も怖いが、こんな風に急に真面目な顔をされるのも怖い……
「…大学進学だけが全てじゃないんだ…ここは潔く諦めて別の道に進むのも……」
「紫乃さんまであたしを見捨てるんですか!?」
「いや…俺はただ年長者としてのアドバイスをしているだけだよ……うん…」
「そんな事言って目をさりげなく反らして誤魔化さないで下さい……今変な冷や汗とか出てるでしょ!?」
「…いや、大丈夫だよ…ちょっと掌が湿ってるだけで…」
「それ手に汗握るって状態ですよね?動揺してるんですよね?」
「…俺が蕾ちゃん相手に動揺する訳ないだろ?嫌だなぁ…あはは……」
「笑って誤魔化さないで下さい!そして頭撫でるのもやめろ!!」
……おっと。つい言葉遣いが悪くなってしまった。
いかんいかん…平常心よ蕾!落ち着け!鎮まれ!!
依然目を反らし、誤魔化す様にあたしの頭を撫でちょっと引きつった笑みを浮かべる紫乃さんをジト目で見つめながら…あたしは深呼吸を一つし荒ぶりかけた心を鎮めた。
その直後、聡一郎さんが気遣わし気にコーヒーとケーキなまで差し出してくれる……
ふとカウンターの方へ(勉強をする時はいつも奥の窓際のテーブル席と決まっている)目をやると、そこにはしれっと静乃が座っていたりする。
そしてその向かい側に珠惠と凛さんが顔を覗かせこちらへと目を向けている……
ああ…なんて哀れんだ目をしているんだろう…。静乃はいつも通りだけど…。
苺…苺に会いたいよ~……会って抱きしめて癒されたいよぉ~……!!
カランコロン♪
そんなあたしの想いが通じたのか……
金木犀の来客を告げるレトロなベルが鳴った……
ひょっこりと姿を現したのは……
「どうも~!ってあれ?何この空気……?」
現れたのは愛らしいシャイガールでは無く、オーラ無し男であった。
っち…またこいつかよ……!!何か想像ついてたけど!!
何なんだ?この『今から漫才します』って感じのノリと台詞は??何か腹立つわぁ…。
「…テンション高すぎだ…漫才でも始める気かよ……」
「いてっ…!!」
あたしの気持ちを代弁するかの様に響く冷静沈着な声…それと共に伴の後頭部を小突き(ゲンコツで)、現れたイケメンさんが一人……
いや…こいつも腐ってもアイドル様だからイケメンなんだけど……オーラが…ねぇ??
「時君?珍しいね?」
「し、東雲先生!?ご無沙汰してます…この馬鹿(勿論伴の事だ)がいつもご迷惑をお掛けしてすみません…本当こいつは…」
「いや、そんな畏まらなくても……伴君は良い子だよ。」
紫乃さんの姿を見るなり、深々と頭を下げるそのイケメン…九条さん。相変わらず礼儀正しく落ち着いている。
ああ…本当、伴と正反対だな……
「…皆さんも…本当こいつがご迷惑をお掛けして…君、伴に変な事されてない?」
「え、え!?あ、あたしは何も…!!と言うか伴って…桐原さんの事ですよね?」
「え?桐原……?」
近くにいた…と言うかちょうど目に留まった女の子が珠惠だったからだろう。
九条さんは穏やかにそう聞くと、珠惠は当然動揺しまくりで顔を真っ赤にしていた。
ああ、可愛い奴め……アイドル好きだもんね、珠惠。
「アイドル志望の桐原さん…『伴利さん』だから『伴』って呼んでいるんですよね?その…と…く、九条さんも……」
「…え?あ、ああ…そう言う事になるかな…。そうか…成程…『アイドル志望の桐原君』ね…へぇ……」
一瞬戸惑ったものの、九条さんは直ぐに何かを理解したらしく笑顔で対応していた。さすがだ。
やっぱり九条さんてなんか紫乃さんに似てるかも……
「な、何だよその目は…!」
「…『先輩』に向かってその態度はないだろ?ははは、酷いな『桐原君』は…」
「…お、お前な……」
「…親しき中にも礼儀ありって言うだろ?そんなんじゃデビュー出来ないぞ?」
不満げな伴を見て、九条さんは爽やかに実に面白そうに笑う……
ああ…この人…絶対今楽しんでるな…。
やっぱ紫乃さんタイプだ。嫌だなぁ…。
「まぁまぁ…時君、からかうのはその辺にしておいてあげなさい。二人とも仲良しな事には変わりないんだからさ…ほら、珠ちゃんも君が急に目の前に現れたからびっくりして固まっちゃってるし…」
「え?珠ちゃん時のファンなの!?俺…伴の方じゃなくて!?」
「君は何にショックを受けてるんだい……?」
「だって紫乃さん!納得いかないっすよ俺!!」
「いや…俺は何か納得いくけど…てか顔近いよ…」
「だってだって!!」
「駄々捏ねないの…君には蕾ちゃんがいるだろ…」
「それはそれ!これはこれ!!」
「…君そんな感じだから蕾ちゃんにも信じて貰えないんだろ?確かに珠ちゃんも可愛い女の子だけど…」
本当に…こいつは女の子を前にすると本当……
殴り飛ばしたい気分になったが、ここはとりあえず堪えよう。うん。そして後でどさくさ紛れに蹴り飛ばそう。
「…珠惠…浮かれるな…」
「む、無茶言わないでよお兄ちゃん!!あの九条時が目の前に居るのに!!」
そしてこっちもこっちで……
アイドル相手にも容赦の無いこの鋭い眼光……。
聡一郎さんの無言のプレッシャー…恐るべし!!
「俺のファンなの?嬉しいなぁ!珠惠ちゃんだっけ?」
「は、はい!」
「桐原君に何かされたらいつでも言ってね?こいつ君みたいな可愛い女の子には目が無いから…」
にこやか爽やか…そして自然に珠惠の手を握り握手する九条さん……
そんな彼のアイドル対応を見ながら、静乃だけは冷静にいつも通り。アイスコーヒーなんかクールに飲みながら、読書に励んでいた。勿論、手にしているのは東雲青嵐先生の作品である。
そう言えばこの二人って確か幼馴染なんだっけ…?前…みっちゃん騒動(伴の叔母さん)の時にちょろっとそんな事を話していた。
「…今回の作品はお気に召しましたか?」
「…紫乃さんの作品はどれも素晴らしいですから……」
と、いつの間にか紫乃さんもコーヒーブレイク…
静乃の隣に座り、ついでに彼女の真横から本を覗き込みいつもの爽やか素敵スマイルを浮かべている。
これにはさすがの静乃も動揺したのか、少しだけ頬を赤く染め俯いている…
おお…乙女だ…!あの冷静沈着女王の静乃様にこんな可愛らしい乙女反応させられるのは紫乃さんだけだろう。
「静乃ちゃんにそんな事言って貰えるなんて光栄だな。でも、俺の本ならわざわざ買いに行かなくてもいいのに…あれ?毎回新刊あげてるよね?間違えて買っちゃった?」
「違います…私はちゃんと本屋で買って読みたいんです…売上にも貢献したいし……」
「え?あはは、そんな気を遣わなくても良いのに!俺の作家業は悪魔で副業だしね?」
「…べ、別に…恩を売ろうとかそんな事は……。私はただ、東雲青嵐先生のファンとして当然の事をしたまでです…」
「そう?まぁ嬉しい事には変わりないけど…君みたいな綺麗な女の子のファンがいれば、俺も鼻が高いしね?静乃ちゃんは俺の一番の読者だよ。」
調子の良い事をまた……
いや…本心からか……??紫乃さんの言葉の真意はやっぱり解かり兼ねる。
「…なぁなぁ……」
そんな二人の様子を見つめる人物がもう一人。
いつの間にかちゃっかりあたしの隣に座り、ついでにちゃっかりコーヒーとオレンジスフレなんか注文していた伴である。
こいつ…本当いつでもみかんだな……
コーヒーの隣にはオレンジジュースが注がれたグラスも置いてある……
「…女王様(静乃)ってもしや紫乃さんの事好きだったりする?」
「そうだけど…何?あんた分かるの?」
「分かるって…あんな乙女モードの女王様見たら一目瞭然だろ?」
オレンジジュースを飲みつつ、ついでにあたしにつまみ食いされたオレンジスフレをガードしつつ……伴は興味津々にカウンターの二人を見つめていた。
「…そっか、女王様は人気の若手作家先生が好みか…」
「…そうね。爽やか(エセ)好青年がお好きなのよ…レベル高いでしょ?」
「うん、高いな……さすが女王様だぜ…」
カチンッ!!
伴が気を抜き静乃へと目を向けた瞬間…あたしはすかさずスプーンを手にスフレへと手を伸ばした。
が……それは寸でで素早く伴のスプーンにガードされた。
「…理想高いのよ…静乃は……面食いって訳じゃないと思うけど…」
カチンッ!!
伴のスプーンがあたしの注文したショートケーキの天辺…苺へと向かう…
が…あたしはそれを素早くガードした…
「へ~え…確かにプライド高そうだよなぁ……」
「勿論。元々お嬢だしね…」
ガキンッ!!
お互いのスプーンがぶつかり合う音が響く……
互いの物を守るために……
「…本物の女王様かよ…何それちょっと萌えるんですけど…」
「…あんたなんか相手にされないから諦めろ。」
「そうだよなぁ…俺にはアグレッシブな長身女がお似合いだよなぁ…隙ありっ!!」
ガキンッ!!
「…甘いわね……ショートケーキには指一本触れさせないわよ……」
「…ふふ…どうかな?油断した隙にてっぺんの赤い宝石(苺の事)が無くなってるかもしれないぜ?」
他愛の無い会話…そして皿の上の戦場……
遂に二人は本格的にお互いの城を守るべく剣を手に火花を散らし……
「…二人とも、食べ物で遊ぶのはやめなさい。」
『これは戦じゃ!!』
「…煩い暑苦しい…とりあえず静かにしろよ。」
冷静にその戦を鎮静したのは…九条さんである。
二人のスプーンの間に突き刺さるフォークは鋭い剣のようだ…
そして九条さんの瞳は涼し気で冷たい……
「…二人ともいつもそんな事してるのか?はぁ…子供じゃあるまいし…」
「だってこいつが俺のスフレを!!」
「こいつが苺を!!」
「だから煩い……はぁ…確かに同レベルだな。二人とも似てるよ。本当。」
くだらない争いを冷静に瞬殺し……九条さんはため息を吐き、コーヒーを飲んだ。
にこりともしないこの冷徹さ…!眼鏡をしていなくとも冷たく輝くこの瞳!!恐るべし九条時!!
「…そういやお前…時が傍にいるのに平気なの?」
「…あ…そう言えば……」
伴に言われようやく今の現状を理解した……
隣には伴、そして向かい側には九条さん……
伴はともかく九条さんとこうして顔を合わせる事は少ない訳で…彼は現役アイドルのイケメンさんである。
「…なんかメールとかでやり取りしてたからかな…耐性出来た?」
「それって俺がイケメン認識されなくなったって事?」
「…いや…なんて言うか……うわっ!?やっぱ無理かも……今更ながら鳥肌立って来た……!!」
聞き捨てならない言葉に、九条さんがついうっかりあたしに顔を近づけて来たせいか……
忘れかけていたイケメン拒否反応が一気に出て来た…
人気アイドルを前にした女子高生にはあり得ない…思わず身を引き距離を態度を取るあたし……
九条さんもつられてあたしから距離を取っていた。
勿論、拒否反応で投げ飛ばされない為である……
「…蕾ちゃん、本当どうやって伴に慣れたの?」
「さぁ……なんだろう?何か知らなうちにこうなったって言うか……」
「俺が頑張ったからだろ!!紫乃さんガードされてもめげずにな!!」
「そこでなんで東雲先生を壁に!?」
「何となく落ち着くから…?この胡散臭い中に頼もしさを感じられる背中が……」
「俺ガードしろよ!!紫乃さん連れてくんなよ!!」
おっといかん……
あたしは無意識のうちに紫乃さんの後ろに隠れて九条さんからガードしていた。
それをされても普通にしている紫乃さんも凄いけど……
「…蕾ちゃん、俺の事大好きだから。ごめんね。」
「いや!なんでそんな事に!?ま、間違ってはいませんけど…ニュアンスが…!!」
「え?蕾ちゃん俺の事嫌いなの!?」
「なんでそんな事になるんですか!?面倒臭い!!」
「あはは!蕾ちゃんはやっぱり面白いなぁ!!」
「紫乃さんはやっぱり性格悪いですよ!!」
と……まぁ、今日も今日であたしの日常は平和であった。
そう…この時までは……
けどまさかこの後、あんなことが待ち受けていようとは思ってもいなかったのだ。
……って何この思わせぶりな台詞??