第25話 不意打ちは不整脈の素である
文字数 9,163文字
「と言うか…あいつが勝手にまだ怒ってるだけで…」
「…まぁ、怒るよね。いきなりお風呂場のドア開けられちゃ…」
「そ、それはわざとじゃなくって!…俺…思い立ったら考えず行動するっていうか…」
翌日、如月家にはあたしではなく伴が紫乃さんを訪ねていた。どうやら昨日の事を相談…いや愚痴りに来たみたいだ。
目を反らし、気まずそうにそう呟く伴を見つめる紫乃さんはしっかり原稿でも書いているのかと思いきや…
まったりお茶(緋乃の手作り湯呑使用)を飲みながら、琥珀を撫でつつ、目の前でうなだれる人気アイドル様(ただし今はオフなのでオーラが全く無い)に暖かな目を向けてため息なんかついていた。
「あのさ…伴君は正直な所蕾ちゃんの事をどう思っているのかな?」
「はぁ?紫乃さんいきなり何言ってんすかぁ?」
「少なくとも嫌いでは無いよね?だったら忙しい中会いに来る事はまず無いし…」
「そりゃあ…嫌いじゃ無いですけど…。あいつ意外と良い奴だし、料理とか上手いし…まぁ、良く見れば綺麗な顔してるし…黙ってればだけど。本当黙ってれば……!!」
「それが蕾ちゃんの良い所なんだけどなぁ…。ただの美人さんじゃつまらないだろ?ちょっと変ってる所があった方が俺は魅力的だと思うけどな。」
いつもの爽やか素敵スマイルを浮かべ、お茶を飲み伸びをする紫乃さんを見て伴もつられるようにお茶を飲んだ…
そして…いつもと変わらない穏やかなこの爽やか好青年を暫く無言で見つめ何やら考え込んでいる様だ。
「…紫乃さんって…前から思ってたんですけど…いいっすか?」
「何?言ってごらん?」
「…いや…その…蕾の事好きなんすか?」
「え?」
伴のとんでも発言を聞き、さすがの紫乃さんも予想外だったのか笑顔のまま固まった。
こいつ…いきなり何を言い出すんだか…
「だ、だってさ…!!いくら可愛い妹の幼馴染だからって理由でそんな親身になって色々世話焼いたりしねーって!忍ちんに対しては何かほぼ放置って感じだし…!!」
「それは忍は…あんな子だから。それに男の子には厳しく女の子には優しくが俺のモットーだしね?」
「そ、それにしたって!!何か常に構ってるって言うか…近所のお兄さんにしては構い過ぎじゃないっすか?暇でも無いのに…!」
「それは聡一郎さんも同じだろ?あの人も蕾ちゃんに対して結構過保護な方だよ?」
「そ、それは…珠ちゃんに似てるからじゃ…」
「珠ちゃんが蕾ちゃんに似たって言った方が当たってると思うけど…。もしかして、伴君そんな事ずっと気にしてたの?俺が蕾ちゃんに構うのは好きだからって?」
「だって…そうじゃないですか!仲良すぎるし!!」
笑いを堪えきれなくなったのか、ついに紫乃さんが吹き出し大笑いすると、伴は尚更ムキになって訴え始めた。
訳の分からない疑惑を……
全く…ここにあたしがいたら速攻殴るなりして黙らせていただろうに。勿論伴の方をだ。何処をどう見たらそうなるのか。
「…あのね、伴君。俺は確かに蕾ちゃんの事も大好きだけどさ…」
「やっぱり!!」
「それは緋乃に似た感情でって事だよ。もう一人の妹って感じかな。」
「はぁ?それって…つまり妹みたいに可愛いって事ですか?」
「そうそう。珠ちゃんも同じだよ。ほら、俺蕾ちゃんと同じくらい珠ちゃんの事も構ってるだろ?」
「…確かに…聡一郎さんがそれで怒ってたし…」
「あはは!あの人ほど俺は過保護じゃないつもりだけど。何かね、蕾ちゃんを見ていると昔の緋乃を思い出してさ…今の緋乃はのほほんとした良い子だけど、昔は結構荒れていて…それを正してくれたのが蕾ちゃんなんだ。」
「緋乃ちゃんそんな荒れてたんすか…?想像つかねぇ…」
「如月家も結構複雑でね…あの子には色々と負担を掛けてしまったから…それが爆発しちゃったんだろうね。まぁ、そんな話は置いておいて。その事もあって、他人には思えなくなっちゃってさ。蕾ちゃんあんな性格してるから色々とハラハラさせられるし…」
「ああ、そうっすね。」
「だから俺は蕾ちゃんに感謝もしているんだよ。多分緋乃もそうだと思う…忍もね。」
「忍ちんも?」
「…自分では誰かを救っているって自覚は無いんだろうけどね。無理矢理引っ張り出して、一緒に全力疾走させてクタクタにして相手に渋々みとめさせちゃうのが蕾ちゃんだから。分かるだろ?何となく。」
「まぁ…何となくですけど…」
「…まぁ、そんな訳で…俺は蕾ちゃんの事も緋乃と同じくらい大切で可愛いんだよ。だから必要以上に構うし、心配もするわけだ。」
再び笑顔で紫乃さんはそう言うと、冷めきったお茶を飲み干した。そして同意を促す様に伴へと目を向ける。
「…わかりました。紫乃さんがあいつをどう思っているか…」
「それは良かった。」
「…つまり紫乃さんは蕾の事を妹の様に可愛がっていると……」
「そうだね。ああ、そうだ…俺は君に言っておかないといけない事があったんだ。俺の気持ちを理解してくれた上でだけど…」
「な、何すか?」
飽きたのか、紫乃さんの愛猫琥珀がタブレットの電源を入れて動画を見始めたのを物珍しそうに観察いていた伴を見て、紫乃さんは再びにっこり微笑んだ。
ああ、嫌な微笑み…この人がこんな笑い方をする時は決まって怖い…
「…君が蕾ちゃんの事をどう思っているのか…君の気持ちがどう変わって行くかは分からないけど……もし、あの子を傷つける様な事をしたら俺は君を許さないよ?」
「え、ええ…?いきなり何て事言うんすかぁ…?は、ははは…」
「蕾ちゃんはああ見えて結構繊細だから…扱い方には気を付けないと駄目だよ?」
「は、ははは…」
「女の子には優しく…ね?」
その時の紫乃さんの笑顔は、最高に爽やかな素敵スマイルだったが、最高に恐ろしかったと後に伴は語った…。
*****
「…すみませんでした!!」
「は?何いきなり??」
その日の夜、未だ宮園家に居座っていた伴があたしを見るなり深く頭を下げ謝罪して来た。
ちなみに…あたしは前のやり取りは当然知らない。紫乃さんと何を話したのか、伴が紫乃さんを訪ねていたことも。
「…だ、だから…昨日の風呂の…」
「…別にもういいわよ。わざとじゃないのは知ってるし…」
「そうだよ!俺は別に覗こうと思ってそうした訳じゃ…というか湯気で何も見えなかった…ごふっ!」
「…また怒らせたいの?あんた?もう…あたしだけでなく凛さんのお風呂も覗こうとすんじゃないわよ?あの人あたしよりも凄い脚力と腕力の持ち主なんだから…」
伴の余計な一言をとりあえず拳で制し、リビングの時計を見上げながら忠告してやった。
今はちょうど7時になるところか…凛さん、今日はバイトも入っているから帰宅にはまだまだ掛かりそうだな。夕飯もどうせ金木犀で食べて来るし…。
「…あんた夕飯は?家帰るの?」
「勿論…夕飯はご馳走になります。」
「ああ、そう。別にいいけどさ…」
ちなみに、あたしは買い物から帰って来た所だ。返って来るなり、玄関で正座してあたしの帰りを待っていたのだ。あの有沢伴が。あたしに謝罪するために。
本当、こいつアイドルより芸人の方が向いてるんじゃないのか?そう言えばこいつがアイドルらしい事している所って見た事ないや…そう言うのに興味無かったし。
「今日の夕飯は?ハンバーグか!?みかんか!?」
「なんで夕飯がみかんなのよ…ちなみにハンバーグでもありません。今日はただのカレーです。」
「マジか!?カレーか!?やったー!!」
「はしゃぐな!給食の時の小学生かあんたは…今日はあんま作る気しなくてさぁ…もうここはカレーしかないかなって。鍋は一昨日しちゃったし…」
「鍋!?マジか!?俺宮園家の鍋食べたい!!」
「いや…普通の鍋だから。キムチの素入れた豚肉と白菜がやたら多めの…」
「良いよなぁ!キムチ鍋温まるんだよなぁ…まだ九月だけど。俺も最近撮影で食ったんだけど…」
「アツアツの鍋焼きうどんの早食いとか?それとも激辛鍋とか??」
「ちげーよ…それに俺…激辛は大抵平気で食える。」
「辛党か…じゃあお父さんと気が合いそうね。あの人味覚馬鹿ってくらい七味とか入れるから。あんな顔して。」
「マジ?あんなほんわかお父様が…俺今度鍋に誘っちゃおうかな…」
「…あんた宮園家と交流深めてどうする気よ。」
「…お婿さんにでも…」
「無理無理。」
「じゃあお嫁さん?」
「それはあたしにタキシードを着ろと?」
「俺結構純白のドレス似合うぞ!」
「着た事あるのか!!アイドルが自慢気に言うんじゃないよ…女の子ならともかく…」
「時はタキシードの方が似合うけどな!」
「二人して何やってんの!?AZURE!?」
本当仲良しだな…AZUREは…
けど…あたしは九条さんの方がドレス似合いそうな気がする…。イケメンだけど綺麗だったし。
そんないつもと変わらないやり取りをしつつ、何故か伴までキッチンまで付いて来た。どうやら手伝う気満々らしい。
こいつ…料理とか出来るのか?普段家事とか黒沢さんがやってくれていそうだし…
「俺リンゴ剥く!」
「いやいや!そんなハイレベルな事をするもんじゃないよ!!」
するするする…
な、何だこいつ…?りんごの皮むき上手すぎる…!!するすると滑らかに…
「…ごめん。」
「あ?何が?」
「…さ、さぁて!あたしは野菜でも切ろうかな!!」
予想外にも料理に手慣れた様子の伴を見て、あたしは何処か納得がいかなかった…
こいつの場合…包丁を持たせたら速攻足元に落とすとか、手を切るとか…凸凹に分厚く野菜の皮剥くとか…そんな事をやりそうなのに…
まさかの特技がここで発見出来るとは…
「…しかも次はうさぎさん…」
「リンゴはうさぎさんだよな。」
「可愛いけども…苺が喜びそう…」
「苺?やろうか?うさぎさんに…」
「そっちの苺じゃなくて…友達の名前だって。それはそれはうさぎさんの様に小さくて愛らしいシャイガールなのよ。」
「ほう…じゃあ是非そのうさぎさんを俺に…」
「苺は男嫌いだから無理。」
「またそっちかよ!お前の友達って皆そんな感じなの?イケメン嫌いだったり、アイドル嫌いだったり…」
「…人は様々なトラウマを経験して生きているのよ…有沢さん。」
「それを乗り越えてこその人生だろ!?諦めんなよ!!」
「…諦める事も大事…。」
「そんな時もあるけれども!!」
他愛の無い会話をしている間も手はしっかり動いている…
こいつ…手先とか器用なのか?
「さてと…前髪が邪魔だし…これでも…」
「うさちゃんピン…あんたまだそれ持ってたの?」
伴がそっとポケットから取り出したのは、あたしがふざけ半分であげたうさちゃんピン(しかもパッチンタイプ)であった。
それを嬉しそうに前髪に付け、どや顔してあたしを見る伴…
何?これを褒めろと??可愛いとでも言えと??
「…言わないよ?」
「いや!そこを何とか!!お前イケメン駄目なんだろ?ならせめて可愛い系を目指そうと思って…」
「うさちゃんピン一つで何か変わるとでも?」
「じゃあリボンでも付けるか?」
「何を目指しているの?」
「それとも…ゴスロリのヘッドドレスとか…」
「だから何処へ行こうとしているの有沢さん?」
「これからはさ…こう…イケメンでも可愛いみたいな?」
「あんたにヘッドドレスだのリボンだの付けるなら凛さんに付けるよ…」
「それは似合い過ぎて駄目だろ!!俺いつ変な気を起こすか…」
「その前に凛さんに殺されるけど…」
頬を染めて何を言ってるんだこいつは…
そう言えば凛さんの顔が凄い好みなんだって言ってたっけ…
まぁいいや、こんな変態アイドルの事は放っておこう。今はもうアイドルの欠片も無いからただの変態だし。
「…そう言えば…紫乃さん今日見てないなぁ…」
「ああ、あの人なら元気そうだったよ。相変わらず。」
「何?あんた会ったの?…まさか…金木犀に入り浸ってたんじゃ…珠惠に変なちょっかい出さないでよね?」
「は?何で珠ちゃんなんだよ…確かに小さくて可愛いけど。俺妹欲しかったんだよなぁ…あんな感じの。」
「確かに珠惠は可愛いけど…ちょっと元気あり余り過ぎるけど。」
「そういや珠ちゃんって紫乃さんみたいに霊が視えるんだろ?」
「そうねぇ…そのせいで色々いじめられたりもしたみたいだけど…今は紫乃さんみたいなプロフェッショナルな人が居るし良かったよ。あたしはその辺の相談は聞いてあげられないしね。」
「…何お前?珠ちゃんの相談とか聞いたりすんの?」
「珠惠はあたしの妹分みたいな子だし。そのせいで逞しくなり過ぎちゃったのかもねぇ…」
「あ~…」
「あ~って…まぁ、いいけど。まぁ、珠惠には聡一郎さんみたいな立派なお兄さんが居るし…羨ましい限りよ。過保護な所除けばだけど…」
「お前マスター(聡一郎さん)がタイプなの?確かにイケメンだけど…ってイケメンじゃん!?」
「昔はあたしだって普通の女の子と同じ様にイケメン好きだったわよ…聡一郎さんは当時刑事で凄く恰好良かったし、あたし一目惚れしちゃったんだよね。」
「ま、マジ!?」
「けど暫くして余りの過保護っぷりに引いて冷めたけど…」
「…そんな過保護なのか?クールな大人の男って感じだけどなぁ…」
「そうだけど…あの人、珠惠に関する事になると凄いんだから。門限過ぎたら何度も電話するし…昔、学校まで車で送り迎えしてたし…。バイトも凛さんみたいな珠惠には無害そうな人だし…」
「…珠ちゃんも高校生だろ?あの子大丈夫?お、俺…良かったらイケメンの良い子紹介するぞ?」
「…そんな事したら聡一郎さんに殺されるよ。」
「…お、おお…」
「妹馬鹿って言ったら…紫乃さんもそうなんだけどさ。あの人はある程度自由気ままにさせておくからね…ま、緋乃だし。」
「緋乃ちゃんだもんなぁ…可愛いよなぁ…」
「…変ってるけどね…」
「でも可愛いよなぁ…お嬢様言葉だし…萌えるわぁ…」
「なんかキモイわぁ…」
近所の兄妹事情を話しながら、カレーを作っている…
なんか…この状況って本当はあり得ないんだけど、妙にしっくり来るって言うのが怖い。
傍から見れば肩を並べ仲良く夕飯の支度をするカップルにでも見えてしまうんだろうか…?
うわぁ…!!そ、そう思う自分が何か怖い!!思われるのも怖いけど!!
でも…嫌じゃないんだよね。こいつと一緒に居るのは。くだらない会話でも話していれば楽しいし、あっちはあっちであたしの事を女の子扱いしてないけど、それが逆に良いって言うか。
変に余計な事を意識して考えなくて楽なのだ。こっちも気を使う事も身構える事もすることなくありのままの自分でいられるこの状況が…心地良い。
大体、変に意識して服装とか気にするのももう面倒臭い。彼好みの髪形にしたり、好みのおかずを作ったりとか…そんな健気な頑張り自体既に今のあたしにとっては無縁になっていた。
そういや…こいつの好きな物ってなんだろう?
…ってだからなんでそんな少女漫画みたいな事考えてるんだあたし?別に伴の事をそんな恋愛対象になんて見てないし!というか見たくないし!!
変な考えを振り払い隣に立つ伴へと目を向けると、こっちはこっちで相変わらずだ。
ジャージ姿にうさちゃんピンで留めた前髪の癖毛…いや、寝癖か??オシャレなのか??とにかく良く分からない。目を細め真剣にジャガイモの芽を取っているのがなんだか可笑しい。
「…そうだ、俺お前に聞きたい事あったんだけどさ。」
「何?」
カレー作りもひと段落。鍋で煮込んでいる間、いつもの様にリビングのソファーでまったりしていると、突然伴が真面目な顔をしてあたしを見つめて来た。
「…やっぱり確認しておきたいんだけど…お前、紫乃さんの事どう思ってるの?」
「はぁ?なんで紫乃さん??」
真面目な顔して何を言い出すかと思えば…また…
「…別に普通に近所の優しい面倒見の良いお兄さんだけど?ちょっと腹黒くて怖いけど。」
「それだけ?」
「それ以外に何があるのよ?」
「…お前やっぱり…紫乃さんの事好きなの?」
「そりゃ…まぁ。優しいお兄さんとして好きだけど…べ、別にそれに特別な意味は無いからね?確かに紫乃さん、優しいし頼りになるしいつも助けてくれるし紳士的だけど…」
「…なんだ一緒かよ。」
「な、何が?もしかしてあんた…!紫乃さんにも同じこと聞いたんじゃないんでしょうね!?」
「聞いた。けどお前と同じような答えだった。」
「当たり前でしょ!!別の答えあったら怖すぎるわよ!!」
「…そうなの?」
「そうでしょ!!紫乃さん…確かに特定の女性の噂とか聞いたことないけど…あの人も一応成人男性であって、立派な大人の男だからね?」
「…いや、お前年上好きなのかと…マスターが初恋なんだろ?彼氏とかもさ、ほら、憧れのイケメンの先輩とかだったり?」
「残念ながら同い年だったわよ…元だけど。」
「…へぇ…お前付き合ってた奴いたんだ?意外…。」
「悪かったね…もう二年も前の昔の話だし…。あいつの事を思い出すと…本当今でも…腹立つ!!」
嫌な事をまた思い出した…折角人が立ち直って真人間になっていたと言うのに…
「…あれは思い出したくもない…ちょっとあんた、そこに立って…」
「あ?」
「サンドバックにはちょっと頼りないけど…」
「蕾さん!?」
「むしゃくしゃしたらとりあえず何かで発散させるのが一番。」
「選んで!物選んで!!」
拳を振り上げるあたしを止める伴…しかし振り上げられた怒りの拳は誰にも止められない。
必死に制止する伴も虚しく…拳は彼の腹部に…
ポスッ…
「…セ、セーフ…よ~しよしよし!良く我慢した!」
あたしの拳は力無く伴の腹部に突き付けられた…
いくらあたしでも…こんなくだらない八つ当たり、本気で人をサンドバックになんてしたりしない…
安堵した伴に頭をくしゃくしゃ撫でられながら、普通なら『撫でるな!触るな!!』と今度こそ本気で殴り掛かっていたはずなのに、今はそんな気になれなかった。
『蕾は一人でも大丈夫だろ?お前は俺なんかいなくてもさ…強いじゃん?』
別れる時…あいつにそう言われたのはいつだったか…
2年前…ちょうど受験真っ盛りのあの時…
絶対に同じ高校へ行こうと約束までしてがむしゃらに勉強して、全力を注いでいた真っ盛り…
今となっては思い出したくもない…真っ黒に塗りつぶして消し去ったはずの記憶…
「…蕾?蕾ちゃ~ん??」
暗い過去の記憶が蘇りかけた時だ…
伴の聞き慣れた声がしたのは…
その瞬間、真っ暗になりかかっていた景色が急に明るく色を取り戻した様な気がした。
頭には置かれた手の重み…目の前には伴の見慣れた顔…
きょとんとした様子であたしを見つめている…
「…はっ!?あたし今物凄く嫌な事を考えてた!」
「うん、物凄くブサイクな顔してた。」
「マジか!?」
「うん、やばいやばい。」
「…うわぁ…最悪だ…!!ごめん、これは本当八つ当たりだ…」
本当最悪…。よりにもよってこいつの前で一番嫌な記憶の扉を開きかけてしまうなんて!!
「その…本当ごめん…」
「いや…別に殴られた訳じゃないし。」
「…そうなんだけど…」
「何今更しょんぼりしてんだよ?こんなの今始まった事じゃねーだろ?」
「…なんて言うか…自己嫌悪…」
「お前でもそんな事で落ち込むのかぁ…」
「本気で殴るよ?」
「そうそう、それで良いんだよ。お前はそれが一番!しょんぼりするなんてらしくねぇって!」
「お、おう…何か知らないけどありがとう…」
いつの間にか俯いていた顔を上げると、そこには明るい(照明のせい?)伴の笑顔があたしに向けれれている…
調子に乗って頭をポンポン叩きながら、それはもう馬鹿みたいに明るく眩しいくらいキラキラ輝いている…
こいつ…たまに無駄にキラキラオーラを発して来る…眩暈がするくらい眩しく輝いて…
けど…なんでだろう?あたしは今、こいつの笑顔に救われた気がする。一瞬だけど。ほんの一瞬だけど確かに救われた。
あたしの大嫌いなアイドルスマイルに…
グイッ
自分で自分の気持ちに驚き呆然としていると、突然胸元に頭を引き寄せられたのだ。伴の胸元に…。
頭に置かれた手に力が込められ、少し苦しいくらいに…
「俺はお前に何されてももう大丈夫だから…ほら、殴られ慣れてるし?」
「…!?」
「だからさ、何か嫌な事溜め込んでんなら俺に向けて発散しろよ?あ、でも顔は無しな?」
「…さ、さっき物選べって…」
「まあ出来ればアグレッシブな方面は…でも我慢出来なかったらそん時は仕方ないから受け止めてやるよ。」
「……」
「お前に何があって、誰がどんなこと言ってそうなったのかなんて俺は知らないけどさ…やっぱお前にはいつもみたい居て欲しいんだよ。無責任かもしれないけど…」
「…本当だよ…人の気も知らないで…」
「…今は何があったか聞かない。けど、言いたくなったらちゃんと俺に話せよ?待つのは嫌いだけど…特別に待っててやるよ…」
「待つって…何で…」
「さぁ…何でだろうな?けど、何かやっぱり放って置けないんだよ。お前。」
胸に顔を押し当てられて、心臓がバクバクしてやたら煩いのは…あたしの心臓の音のせいなのか、こいつの音のせいなのか…それとも二人分だからなのか…
頭に置かれた伴の手がやたら熱く感じられ、丁度耳元で発せられる声が良く響きくすぐったい…
本当ならすぐさま殴って怒鳴りつけている所なのに…
あたしはなんで大人しく納まっているのだろうか…
こんなにも胸を高鳴らせているのだろうか…