第53話 風邪と過去の間で……
文字数 7,829文字
慌ただしくても、退屈でも気づけば一日が終了し、そして目を覚ませば朝がやって来る。
そう……時間は待ってはくれない。待っていて欲しくとも……残酷に振り返ればあっという間に過ぎ去ってしまうのだ。
「……あ、朝が来てしまった………」
十一月の朝。あたしはいつもの様に目を覚ます……はずだった。
いや、実際目は覚めていた。ぱっちりと。しかし体が何故かずっしりと重く心なしか熱く……
え?熱い??何故??
ゆっくり起き上がると……
ふらり………
「……ち、力が出ない………うう……」
ぱたり…………
起こしかけた体はやはり重く怠く……あたしは再び布団へと身を沈めた。
なんか天井が……いや、景色全体がぐらんぐらんしてる……
これは……いやまさか……。あたし健康そのものだし何よりお馬鹿さんだし。そ、そんなあたしがよもや風邪でダウンとかそんな……夏ならまだしも今は秋だし!!
「蕾ちゃん?起きてる?」
混乱とうっすら朦朧としかけた意識の向こうで聞こえる紫乃さんの声とノック音。
そうだ…あたしまだ如月家でお世話になっていて……
「…入るよ~?」
遠慮がちな穏やかな声…紫乃さんたら今更あたしの寝起きに何を遠慮しているんだか。
ゆっくり襖が開き、紫乃さんがひょっこり顔を覗かせた。
「あ…紫乃さん…おはようございます……」
「ああ、なんだ起きてたんだね。よか……」
少しだけ安堵した様子で、いつもの微笑みを浮かべた紫乃さんだったが……その素敵な爽やかスマイルは一瞬で真顔になった。
「……蕾ちゃん。熱あるよね?」
「え?何言ってるんですかぁ……!!ふぅ…ちょっと火照って体が重いだけでなんともないですよぉ……」
「うん…風邪だね。それ。寝てなさい。」
「え!?何を悠長なことを……」
ぱたり……
笑顔でバッサリそう言われ、あたしは慌てて起き上がろうとしたのだが……。すぐにふらつき布団へと突っ伏した。
「蕾ちゃん、無理は駄目だよ?学校には俺が連絡しておくから今日は大人しく寝てようね?」
「何を……あたし休んでなんかいられないんです!!学園祭の練習だってあるし受験勉強だって……」
「たまには休息も必要だよ。そういえば…最近やたらと張り切ってたし、色々無理しちゃってたのかもね。」
ぽすっ……
再び起き上がろうとするあたしを抑え、紫乃さんは無理矢理寝かせるとご丁寧にお布団まで掛け直してくれた。肩までしっかり。
額にそっと置かれた手が冷たくて何だか気持ちが良い……。そして昔を思い出し何処となく恥ずかしい気もしなくはない。
「…うん、やっぱり熱あるね。俺としたことが……」
「なんで紫乃さんが落ち込むんですか……。むしろあたしが落ち込みたいんですけど……」
枕元で正座し、何故か額に手を置き深い自己嫌悪の様なため息を漏らす紫乃さんをジト目でみつめ、恨みがましく呟いた。
だってこの大事な時期に風邪とかって……!!自己管理が疎かになっていたって事で……不甲斐なさすぎる!自分!!
「それは落ち込むよ。俺が責任持って蕾ちゃんを預かるって言っちゃったしね?美空さんと律さんに申し訳ないよ。思い返せば蕾ちゃん何だかここ最近上の空の事が多かったし…俺はてっきりまた伴君と何かあったんじゃないかってさして気にしてなかったから……」
そ、それは当たってますが……。さすが紫乃さんだ。よくあたしの事をわかってらっしゃる。
「とにかく。俺の管理がしっかりしてなかったのも事実だよ。それに気づかなかったのが不甲斐ないって事。」
「いやいや…そこまで自分を責めなくても……。あたしの自己管理能力のせいですから。」
「君の自己管理を管理するのも俺の役目だろ?一応保護者だから。」
「いや…紫乃さんは近所のお兄さんであって身内では……」
「何言ってるんだい?蕾ちゃんは俺の妹同然…そう…緋乃と同じだから。」
「いやいやいや!!断固拒否します!!」
「…そんな事言って。蕾ちゃん昔よく言ってたよね?『紫乃さんみたいなお兄ちゃん欲しい!!』って。」
「笑顔で何すっごい昔の事を掘り起こしちゃってるんですか!?忘れて下さい!あの頃の可愛かった蕾ちゃんの記憶は!!」
「俺にとっては今もあの頃も変わらないけど?」
「じゃあちょっとは成長させてあげて下さい!!可愛い蕾ちゃんを!!せめて中学生くらいは!!」
「…俺、中学生の蕾ちゃんは知らないけど?五年前この町出てたし。」
「じゃあもう小六くらいでいいですから!!お願い!!」
「…はいはい。考えておくよ。とりあえず…今日は大人しく寝ている事。いいね?」
「検討する必要ないうっ……」
必死で抗議しようと起き上がった。ここではっきりさせておかないといけないのだ。こういうことは。
が……直後眩暈が襲い……
「ほら、興奮するから。大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないです……」
「…え?何?もしかして気持ち悪い??」
「…若干……いや……何か結構気持ち悪っ…」
世の中の東雲青嵐ファンの女性方……すみません……
あたし今……その大先生の腕の中(眩暈で支えられたので)で、口を押え吐き気を堪えてます。本当すみません。
このファンなら『きゃー!!死んでもいい!!』って言うくらいの素敵過ぎるシチュエーションなのに……
誤解しないで欲しい。決して紫乃さんに対しての嫌悪感では無い事を。
その後どうなったか?紫乃さんは優しいので長身のあたしを抱きかかえお手洗いまで連れて行ってくれました。しかも髪の毛とか抑えて背中まで擦ってくれました。
いや……本当すみません……!!
あたし…この人には一生頭が上がらないな……ははは……
「…と言う訳でお休みしてる。」
『はぁ?お前が熱とか……今日雪でも降るんじゃねーの?』
大惨事(?)からひと段落。あたしは伴から来ていたしょうも無い内容の
そしたらあいつ…直後電話してきやがったのだ。そんであたしは『あたしを心配してあいつ……』とほんのりどきっとしたのだが……
前言撤回。あいつがそんな少女漫画のイケメン的キャラな訳がない。知ってたけど。
まず第一声が『紫乃さん無事か!?』だ。なんて奴だ。全く。それであたしを好きとかって……
「…あんたね……ちょっとは心配するとかないの?まぁ…期待なんてしてないけどさ……」
つい本音がポロリ。しまったと思った時にはもう遅い。スマホの向こうの伴が急に沈黙して、酷く後悔した。
あいつ…絶対笑いとか堪えているに違いない。そんで『あはは!!お前そんなん期待してたの!?可愛いなぁ~!!』とか言って馬鹿にするんだよね。ムカつくわぁ。
『……いや、心配はしてんよ。当たり前だろ?』
「…笑い堪えてない?」
『なんで!?お前なぁ!!ふざけんなよ!俺そこまで酷い奴じゃねーぞ!!』
「ご、ごめんって…怒んないでよそんな……」
なんでそこで怒るんだか。てっきり『バレた?』とか言って開き直りそうなっものを。
『つか好きな奴が風邪引いて寝込んでるって聞けば心配すんの当然だろ?馬鹿が!』
「……へ?」
『何その間抜けな反応……?お前マジでムカつくんだけど。まだ信じてないの?俺があれだけ……』
「べ、別に信じてるとかそんなんじゃなくって!!ただ意外だったからつい……。反応に困ったというか……不意打ちは苦手だから……」
『…ああ、そうだったな。けどな!マジ心配してんだからな?本当ならすぐそっち行って付きっきりで看病したりとか添い寝したりとか……』
「どっちもいらない。」
『即答すんなよ!!そこは嘘でも喜べよ!!』
「人間嘘でもどうにも出来ない事はあるゲホゲホっ!!」
『おいおい大丈夫か!?お前寝ろよ!つか大人しく寝てるか?ちゃんと紫乃さんの言う事聞いて、お布団肩まで掛けて休めよ?』
いや、今あたしあんたと話してるから寝てないよね?つか寝れないよね??
なんていちいちツッコミを入れていたらキリがない。とにかくわかった事が一つある。伴は本気であたしの事を心配してくれていると言う事だ。
まぁ……それが嬉しいとか絶対言わないけどね。なんか悔しいから。
『とりあえず休めよ?俺も仕事終わったらそっち行くから。』
「いや、来ちゃ駄目でしょ。風邪うつったら洒落になんないわよ。」
『俺はそんなにやわじゃねーよ。見舞いの品は何がいい?やっぱみかんだよな?そうだよな?』
「いや、普通にゼリーとかプリンとか……」
『そっかわかった!みかんゼリーだな!!』
「いや…あたしゼリーはグレープフルーツ派なんだけど……」
『いやいやお前な、みかんが一番だから。みかん食べときゃほぼ解決すっから!』
「…あんたどんだけみかん信頼してんのよ………」
ああ……こいつのみかん愛を聞いていたらまた眩暈が……。みかんみかん本当うるさい奴だ。夢にまで出てきたらどうしてくれる。
通話を切ってもなお、あたしは伴のみかん愛の話が頭から離れず魘されそうになった。途中枕元に来てくれた琥珀のおかげで救われたけど。
気付いたら琥珀はあたしの枕をもみもみして喉を鳴らしていたのだ。その猫らしい愛らしい姿と言ったら…。
「…琥珀は可愛いなぁ……一緒に寝る?」
「にゃん?」
「あらいいの?でも枕元にはいてくれるんだ…ありがとね。」
「ゴロゴロ……」
布団を少し空けてやったがそこには入らず、枕元にちょこんと香箱座りをし喉をゴロゴロ……猫は本当癒される。家も飼おうかな。猫。
『どういうこと?』
あれ……これは………
懐かしい記憶…封印しておきたかった過去の苦い記憶。
それは忘れたくとも今でも鮮明に思い出してしまえるのが嫌だ。
『…ゾノってさぁ、暑苦しいよねぇ……』
『ああ~!わかるわかるぅ~!!ちょっとねぇ。』
あれは中学三年の四月の事。合唱部の仲間と一緒に春のコンクールに向けて練習の後起こった。
同期の女子達に『話し合おう』と言われ、音楽室に残った時に……
『練習に熱心なのはわかるけどさぁ、うちら巻き込まないでくれる?』
『正直迷惑なんだよねぇ……』
『自分だけ突っ走ってるっていうかぁ…うざいんだけど。』
あたしは中学生活で残すところ僅かな数のコンクールへ向けて常に全力全身で挑んでいた。みんなもあたしと同じ気持ちで付いて来てくれているんだと思っていた。
信じていた。きっとこれが終わったら、テレビで観る様な感動的な瞬間が待っている……そんな事を夢見て。
けど、それはあたしだけで…自分一人だけが暑苦しく馬鹿みたいに頑張っていただけなんだとその時思い知った。
それは無防備な所に突然顔面に強烈なパンチを食らった様な……そんな衝撃だったと思う。
『コンクールだってあと少ししか出られないじゃん!三年なんだから!!だったら最後まで頑張って…』
一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、あたしは何とか想いを伝えようと声を振り絞った。
『それがうざいって言ってんだよ!』
『うちら受験でそれどころじゃないし。』
『ゾノみたいに馬鹿じゃないからさぁ。それなりのレベルんとこ行かないとなんだよねぇ?あたし達。』
気づけば……一緒に頑張って来たはずの同級生達が白い目であたしを見ている。
中でも一番見下した様な意地の悪い笑みを浮かべてそう言ったのは……よりにもよってあたしが一番信頼していた友人だった。
『…ゾノはさぁ、合唱部でも期待されてて、イケメンな彼氏もいてさぁ…受験だって失敗しても家の花屋継ぐって言う保険があるしいいよねぇ?気楽だよねぇ?』
『あたしは…そんな風には!!』
『思ってんだよ!本当はさ、心の中でうちらの事見下して馬鹿にしてるんでしょ?『こいつら可哀想』ってさ!!顔に出てるんだよ!』
『…菜緒……あんたずっとそんな風に思ってたの?』
『思ってたよ?あたしだけじゃないよ、みんなも同じだから!ね?』
そう言ってみんなへ同意を求めると、菜緒の言葉にみんなは頷いた。
菜緒とは一年の頃から気が合って、同じ合唱部に入部してからも共に支え合って来た…戦友で親友の気でいた。
そんな親友のまさかの言葉……あたしは頭の中が真っ白になった。
『そう言う事だから…あたし達、今後ゾノの言う通りにはならないから。あんたにはもう付いて行けない。』
そう冷たく言い放つと、菜緒は音楽室を出て行き…後を追う様にみんなも出て行った……
後に残されたのは……あたし一人……
いや……静乃も居てくれたんだけど……とりあえずそれは置いておこう。
その後、あたしは当然合唱部の同期の子達とは上手く行かず…女子どころか男子まで一緒になってあたしを避ける様になった者も出て来た。
でも…辞めるのは逃げる事と同じ。だからあたしは頑張って踏ん張った。きっと歌えば嫌な事も忘れて楽しくなる。ピアノを弾いて、大声で歌えば……
けど…気合いでどうにもならない事もあって。あたしはあっさり、負けたのだ。
コンクール本番、ソロパートを任されていたあたしは急に声が出なくなった。歌えなくなったのだ。
その時の感覚は今も覚えている。足はがくがくで、全身から血の気が一気に引いて行くぞっとする様な感覚……。呼吸は荒く息苦しく、この上なく気持ちが悪かった。
立っていられない……眩暈がする……
けど歌わないと、声を出さないと………
そう焦れば焦る程苦しくなり、ついにあたしは倒れたのだった。本番のステージの上で。
それがどういう事なのか……何を言われたのか……正直その事がショックで覚えてないが、あたしの中の何かがあの時の一瞬で派手な音を立てて崩れ去ったのは確かだった。
『何かあったのか?お前、最近元気ないぞ?』
当時付き合っていた彼氏にそう言われても、あたしは何処か上の空……何も耳に入りすらしなかった。
『…大丈夫。別に何でもないから。』
ただ…そう言って無理に思い切り笑っていた事だけは覚えてる。
こんな事で彼氏に泣きながら頼るなんて情けない。恰好悪すぎる。あたしは誰かに頼らなくたって立ち直れるんだ。
今考えればそれは意地以外の何物でもない。だからか……
『…蕾はいつもそうだよな。俺が居なくても一人でなんでも解決して勝手に立ち直る……』
『そうかな?』
『…自覚ないのかよ…ま、いいけど。』
そう言って笑った彼の顔は…明らかに苦しそうで無理をしていた。それにあたしは気づかなかった。
だから何となく……この後何を言われるのかわかっていた。あたしも限界だった。
『…ごめん、もう無理だわ。』
『わかった……』
『…けどさ、お前は強いから。一人でも生きていけるよな?俺が居なくてもさ…はじめっから大丈夫だったんだよ。』
あんたに何がわかるの……?
そう言って溜め込んでいた感情を全てぶちまけてやりたかった。
けど……それも恰好悪い……馬鹿馬鹿しい。
何か吹っ切れたようにそう言って笑った彼の顔は、何処か清々しかった。
だから……あたしはそれでいいんだと思った。
元々あたしに恋なんて向いてないんだ。しかもいきなりこんなイケメンで優しい人……勿体なかった。
それからあたしは部活を辞め、抜け殻の様な中学生活を送った。呪われた様に受験勉強に打ち込んで。
もうどうでもいい。この状態から抜け出せれば……
とにかくあたしは逃げ出したかった。このギスギスする空気から。モヤモヤする気持ちから。
『菜緒!彼氏出来たんだって!?』
『へへへ、実はずっと前から付き合ってたんだぁ!!』
『え!?マジ!?』
そんなクラスメイトの会話が聞こえて来たのは、夏休みに入る前……
『いつからいつから!?』
『えっとねぇ……三月くらい?』
『え~!?』
ん………??
あたしは何故かその言葉が引っかかった……
気付けば菜緒は、あたしの方をちらり…勝ち誇った様にあの意地悪そうな笑みを浮かべ得意げにそう言っていた。
『誰々!?』
『え~?あのね……』
その名前を聞いて…あたしはどうしたのか?
無意識のうちに席を立ち、教室を出て廊下を走り出していた……
あいつ……あの……あのクズ野郎~~~~!!
それしか頭になかった。
そして…あいつのお気に入りの場所へと辿り着き……
『蕾!?』
『この……最低男が!!恥を知れ!!』
タッ……
そいつが目に入り迷わずロックオン……
そして走り出す……
ドカッ!!
『わぁぁぁぁ!?』
バシャーン!!
あたしの怒りのドロップキックがあいつ…逃げようとしたクズ野郎の背中に直撃し……
まるで漫画の様に綺麗に近くの池へと落ちたのであった……
『……ふんっ!!なんかすっきりしたぁ~!!』
『ちょっ!ちょっと待てよ!!いきなり…』
『いきなりぃ!?あんた三月から菜緒と付き合ってたって?まだあたし達付き合ってたよねぇ?』
『……うっ!?そ、それは……!!』
『クズをクズ制裁して何が悪いの!?それとももう一回してやろうかぁ?あぁん?』
完全にあたしは悪役ヤンキーの様になっていた……
が……このクズ野郎が全て悪い!!これだからイケメンは……!!顔の良い調子の良い奴は!!
『イケメンなんて大嫌いよ!!』
『わ、悪かったって!!俺が悪かったよ!!』
『さ、触るな!!気持ち悪い!!』
ドカッ!!
それがあたしのイケメン嫌いの始まりでもあり、拒否反応の初期症状の始まりでもあった。
そして誓ったのだ。二度とイケメンなんぞに心奪われときめくものかと。アイドルとかそんなのは断固拒否!!あたしは演歌一筋、藤岡新之助様一筋に生きると。
あ~……思い出したら腹立ってきたわぁ……
あんにゃろう……どうせ今も調子の良い事言って女の子何人も侍らわしてるに違いない!!女の敵!!許すまじ!!
勿論、あたしはその後菜緒とも親友を解消したし、絶交した。元々亀裂があったから、こっちは自然消滅に近かったけど。
後から分かった事だが、菜緒があの時やたらとあたしに突っかかって来たのは、あのクズ野郎が中々あたしと別れないから痺れを切らしたらしい。
その逆恨みであんな……あたしの今まで培ってきた努力と信念と自信を奪って……
けど失ったものは簡単には取り戻せない……手放したのはあたし自信だ。
だから………あたしは……
夢か現実か……
再びあたしの意識は遠退いて行った……