第16話 お部屋訪問は混乱の素でしかない
文字数 6,274文字
本日朝から晴天なり…
都内某所のマンションの前、あたしは手土産片手に立っていた。
「ついに来たか…」
オートロック式の立派なマンションだ。さすが人気アイドル様…儲かってらっしゃる様で何よりだ。
入口の自動ドアを抜け、教えられていた部屋番号を押し住人を呼び出す…
『あ、今開けるからそのまんま上がって来て。』
「りょ、了解です…」
向こうからカメラであたしの姿を確認出来るのだろう。インターホン越しに聞こえる有沢伴の声に頷くと、少し緊張気味に答えた。
ああ、緊張する…色々な意味で…
みっちゃんこと有沢伴の強烈な叔母様光代さんを迎えるべくこうしてわざわざ出向いたあたしだったが、既に逃げ出したくなっていた。
オーラ無し男の馬鹿であっても人気アイドル様だ…そんな彼の部屋へ今足を踏み入れようとしているなんて…このあたしが!
順調に上って行くエレベータの中で、姿勢を正しついでに服装と髪形も整えてみた。
落ち着かない…!!そもそもあたし男の子の部屋なんて入った事ないし!いや、忍の部屋とか普通に入ってるけどあれは何か異質な空間って感じだし。
紫乃さんなんて男の子というよりは男の人って感じ(つまり大人)だから何かまた違うし…
とにもかくにも同年代の男子の部屋へ足を踏み入れるのは久しぶりなわけで…しかもイケメンでアイドルの。
あたしにとっては神から叩き付けられた試練の様にも思える程難問なのだ。
いや、でも…有沢伴への耐性は付いたはず!だったらこう身構えず気軽に気楽に行けばいいんじゃない?
そうよ…そもそもあんな奴に今更こんな意識するなんてあり得ないじゃない!
「ふ、ふははは!そうよあたし!何を怖がっているの?は、はは…怖い物なんて何もないじゃない!!」
エレベータに同乗者がいない事を良い事に、あたしは拳を握りしめ天へと突きあげ無理矢理笑って見せた。
あ…監視カメラある…ま、いっか…
自分を無理やり元気づけ、意気揚々…いや、やけくそ気味に扉が開かれるのを待つ…
チンッ♪
「よっ!逃げずに来たな!!偉い偉い!!」
扉の向こうに笑顔の有沢伴の姿があったのだ。
しかも…いつもお馴染みのジャージにクロックス、そして癖の入ったボサボサの頭のオーラ無し男ではなく…
今目の前にいるのは…ジャージの代わりにジーンズと赤いTシャツ、クロックスの代わりにスニーカーを履きお洒落癖毛風にアレンジした髪形をした完璧なまでの有沢伴であった。
恰好はラフだがあの『ゴムウェスト最高』と言い切った男が休日にジーンズを履いてしかもお洒落なメンズベルトまでしているとは…
「いやぁ~!俺も頑張れば出来る子なんだよなぁ!!あはは!!」
「…別人過ぎて投げ飛ばしそうになったわ有沢さん…」
「ちょっ、それやめろよ!?折角懐いて来たのに…お前も可愛い恰好しちゃって気合入ってんじゃん。」
「…朝起きたら無理矢理着せられたのよ…お母さんに…」
「さすが美空さん!でも似合ってんじゃん。いつもこんな恰好して可愛く出迎えてくれたら俺だってちょっとは本気出すのに…」
「あたしは速攻投げ飛ばすけど…ま、あんたが紫乃さん並みに優しくて紳士的だったら態度を改めると思うけど?多分…」
「え!?俺にあの恰好をしろと…!?あ、でも一度して見たかったんだよなぁ~!!書生スタイル!」
「紫乃さん以上にあの恰好が似合う人はいないよ…それにあんた着物よりスーツの方が似合うんじゃない?」
「マジで!?俺スーツをビシッと着こなせる程いい男って事!?」
「真っ白なスーツの下にワインレッドのシャツ来てシルバーアクセ付けて…」
「ああ、そして夜の街で女の子達に声を掛けて…ってそれホスト!!」
「相変わらずノリ良いなぁ…」
と、お互い普段と服装雰囲気が違っても会話は変わらなかった。それが何よりだ。おかげで少し緊張が解れた。
そんな風に変わらない漫才染みた会話をしながら有沢伴の部屋へと入る…
「はい、どうぞ。スリッパ使うなら適当に使って…あ、みかん食うか?オレンジジュースとオレンジゼリーも…」
「みかんばっかだね…」
「いいだろ!俺はみかんを通して毎日ビタミンを接種してるからこんな美肌にだな…」
「みかんすごーい…ははは…」
「お前みかん馬鹿にしただろ!?御みかん様に謝れ!」
「どんな神様よ…あんたもうみかんと結婚しなよ…てかみっちゃんにもみかんを紹介すればいいじゃん。」
ああ、付いていけないこのみかん馬鹿には…
部屋に入るなりまず目に付いたのは積み上げられたみかん箱…玄関に飾られたお洒落な絵も良く見ればみかんだ。
こいつ…本当どんだけみかん愛してるんだろう…引くわ…
「適当に座れよ。お茶ぐらいは出すし…あ、あとお菓子も。」
「わ~い…嬉しい~…」
「もっと全面的に喜びを出せよ…」
リビングに通されると中は意外と綺麗だった。赤を基調としたお洒落なキッチンにリビングテーブル…そしてソファー、その隣には細身のフロアライトが立っている。
向こう側の部屋は寝室だろうか?ドアは閉められていたので見えないが…。大きなアーチ型窓の向こう側はバルコニーだろうか…モダンなデザイナーズマンションって感じだ。
「…綺麗にしてるんだ…意外…」
「叔母さんが来るから急いで片付けたんだよ…勝手に掃除されるのは嫌だ…」
「…掃除するんだ…」
「色々してくれるよ…頼んでも無いのに…」
落ち着かない様子で部屋を見回していると、有沢伴が本当にお茶を持って来てくれた。ついでに美味しそうなお菓子も。
「何これ…可愛いんだけど…」
「時の手作り…俺猫好きだからって…」
「マジ!?九条さん器用過ぎ…プロレベルじゃん!?」
お茶の入ったマグカップはとても可愛いらしかった。取っ手が猫の丸まった尻尾みたいになっていて売り物の様なクオリティーの高さだ。
「あいつ物作るの得意だからさ。ついでにお前と同じピアノも上手いぞ?あとヴァイオリンとかサックスとかも出来るし…」
「坊ちゃんか…」
「いや、普通の一般庶民。今はばあちゃん家で暮らしてるって聞いたけど…俺ばあちゃんち行った事無いけど会った事あるんだよな…」
「やっぱおばあさんが物凄く厳しいとか?」
「いや、スゲー優しくて良い人。絵に描いたような日本の良きばあちゃんみたいな人でさ!コンサートとかいつも見に来てくれてみかんくれるんだ!」
「おばあちゃんとみかんはセットだもんね…」
「駄目出しも適格で厳しいけどな…時はばあちゃんに似たんだよ…あの性格…。どうせならもっとマイルドな部分も学んでくれたら良かったんだけど…」
「…そっか。そういやあんたの家族は?いくら親戚とは言え叔母さんにこんな勝手な事ばっかされたら両親も黙ってないんじゃない?」
「ああ、俺親いないから。死んだって言うのとは違うけど…ある日突然いなくなってたって言うか…あ、でもちゃんと通帳とか置いて行ったし生活には困らなかったけどな?その前からやっさんが何かと面倒見てくれてたし…」
「…え?」
突然さらりと聞かされた複雑な家庭事情にあたしは一瞬何を言って良いのか分からず戸惑った。有沢伴本人はあっけらかんとしていたけど。
だって…いきなり両親いないって…冗談みたいに聞こえるけど何となく本当なんだってわかったから尚更だ。
「そんな顔すんなって!俺この件に関しては別に落ち込んじゃいねーし恨んでもいねーし。俺にはやっさんがいたし、口煩いけど光代叔母さん夫妻なんかも色々面倒見てくれたしな。おかげで伴利君は真っすぐすくすくと育った訳だ。」
「で、でも…それって…」
「あ。俺は捨てられたとは思ってねぇから。元々うちの親変わってたからうっかり出て行って帰り道忘れてそのまま当初の目的忘れてどっかで油売ってるんだってそう思ってる。というかそう思う事にした。だからさ、どっかで笑って生きてりゃいいよなって。」
「…それであんたは良いの?」
「良いんだって…俺がこの仕事始めたのは、父さんの『人を笑顔にする才能がお前には備わっている!!天才だ!!』って親馬鹿過ぎる言葉が始まりだったんだよな、実は。幼かった俺は純粋にそれ信じちゃった訳だ。二人にその気にさせられるがままこの世界に入って…」
「そんないい加減な…それ無責任すぎるじゃん!その気にさせるだけさせて、息子が夢に向かって頑張ってるって時に勝手に居なくなるなんて…見届けもせずに…」
「見届けてくれてるよ…傍に居なくても。俺には何となく分かる。父さんも母さんもどっかでさ。だから俺は今の仕事を全力で頑張れるんだよ。テレビを通して俺の頑張る姿を見てどっかで笑ってるんだろうなって思ってるから…」
「…あんた馬鹿…」
「はは、それ時にも言われた!けど親子の絆って言うか…俺は両親の事恨む事は出来ないんだよ…それにいつかふらっと帰ってきそうな気がして…」
「そん時は一発殴ってやらないと…」
「あはは!だよな?父さんにはとりあえず一発…母さんはか弱いから出来ねーけど!」
まるで他人の話を語る様に、有沢伴は楽しそうに笑って言うとお茶を飲み干した。
なんでこんなに馬鹿みたいに笑って明るくいられるんだろう?親に捨てられたって事は裏切られたって事だ。だったらもっと怒っても良いはずだし恨んでも良いはずだ。
あたしなら…きっと許せない。そして凄く傷ついてあんな風に笑顔で過ごす事なんて出来ないかもしれない…
裏切りは人を傷つける…時にどん底へ突き落す…立ち上がれないくらいの深い傷を付けてそのまま地に縛り付けてしまうこともあるのだ。
そしてそれはトラウマを作るほどの失敗に繋がりまた更に深く突き落とされて這い上がれなくなる…
なのにこいつはどうしていつもこうポジティブに考えられるんだろう…?簡単に立ち直せるんだろう?
『…失敗したらまたやり直せばいいだけだろ?何で悩む必要あるんだよ?』
『…必ず立ち直せるとは限らないじゃない。』
『けど絶対無理とは限らない。だったら俺は突き進むだけだ…てか俺結構失敗してるんだぜ?それで落ち込んだりもするけど…』
いつかの会話を思い出した。失敗したら怖くないかと聞いた時の有沢伴の台詞を…
『逃げたいって思わないの?』
『…なんで?逃げるって事は負けって事だろ?俺負けるの嫌いだし。それに逃げたら絶対後悔するだろ?戻りたくても怖くなって逃げる癖もつくし…だったら俺は後悔しない生き方を選ぶ!』
こうも言っていた…逃げるのは負けだって。だから突き進むと、後悔しない生き方を選ぶと…
有沢伴にとって両親を恨むと言う事は負けって事になるんだろうか?ずっと恨んでいたら後悔すると…だから逃げずに全てを受け入れて後悔しない生き方を選んだのだろうか。
だからこんなにキラキラして輝いていられるんだろうか?
「…あんたやっぱり凄いんだ…」
「気づくのおせーよ。てかそんな無理して気を遣うなって!」
「…いや、本当に…凄いよ。あたしには多分絶対に出来ないから…そんな風に考えて立ち直るなんてさ。」
「…お前も馬鹿だろ。絶対に出来ないなんて簡単に言うなよ。お前まだ何もやってないんだろ?なら決めつけるなよ。立ち直るには…まずはちゃんと前を向いて歩く事が大事だろ?諦めるな、逃げるなって…」
「…確かにそうだ。あたしは多分ずっと決めつけて諦めてたんだよね…前を向いて進む事、立ち直る事を無理だって。いつも逃げてばっかりで…本当駄目だなぁ…」
反論は出来ない。あたしよりも重いもの背負って生きているこいつに今回ばかりは…
一生懸命何かに立ち向かって生きてる人間にあたしは文句を言う資格なんか無い。誰も馬鹿にする権利なんてないのだ。
あたしがずっと悩んでいた事、立ち止まっていた事の恐れ…何も知らない癖にっていつもならそう言って噛みついていたところだ。
でもやっぱり不思議と腹は立たない。代わりに清々しいくらい。有沢伴の言葉はあたしの心の中にすっと入って来る…
「あたしもそろそろ本気出した方が良いのかなぁ…」
「何か良く分かんねーけど…当たって砕ける事怖がってちゃなんも出来ないと思う。いっそ当たって砕けてやるって気持ちでいかないとさ!」
「いつもそんな気持ちでやってるの?」
「まぁな!」
「いや、威張って言う程じゃ…潔いけど…」
「大丈夫だって!お前に何があったかは知らねーけど、砕け散ったら俺が立ち直らせてやるからさ!何度でも!そんでいいじゃん?」
「はっ!?な、なんであんたが!?」
「お前にはそう言う奴が必要だと思ったから。その役割、俺がしてやっても良いかなって思ったから…それだけ。」
「べ、別にあんたじゃなくてもいいし…けど気持ちは有り難く受け取っておく…」
「素直じゃねーな…ま、いいや。そん時は俺も勝手にやるから。その代わりお前も俺がくじけそうになったら助けろよ?」
「益々意味が分からない!」
「持ちつ持たれつだろ?いいじゃん!頼りにしてんぞ、相棒!!」
「あんたの相棒違うし!!」
「え?じゃあ…愛人?」
「響きがアダルトだよ!!そんなの嫌!」
「じゃあ…心の友とか?」
「いきなりソウルフルに!?」
「よし、じゃあソウルメイトって事でここは丸く収めようぜ?」
「もはやスピリチュアルな世界!?」
「よし…早速スマホにソウルメイトとして登録しておこう…」
「やめて!」
なんなんだこいつは…本当に…?
真面目な事を言ったと思ったらいきなり突拍子の無い事言って滅茶苦茶な思いつき発言するし…
「…あ~…分ったわよ!!とりあえずあんたが両親に再会して殴る事忘れてたら代わりに殴ってやるくらいはしてあげるわよ…」
「マジ?期待してんぞ!」
「自分でする努力はして!!」
本当変な奴だ…今に思った事じゃないけど…
でも何だか気が楽だ。変に見栄張って自分を取り繕う必要が無い…こいつの前では。多分そうしたらすぐにわかってしまうんじゃないかってそう思う。
ずっと一緒にいたからだろうか?それとも耐性付いて来たから?
「あ!一番重要な事言い忘れてた。」
「な、何?」
みかんの皮を剥く手を止めると、有沢伴はふとあたしに目を向けた…
「…お前いい加減俺の事名前で呼べよ。有沢さんとか有沢伴とか不自然過ぎるだろ!てかスゲー気持ち悪い!」
「え?よ、呼び方とか別に今更…」
「俺が嫌なんだよ!お前にはちゃんと名前で呼んで欲しいの!」
「は、はぁ?訳わかんないし…」
「いいから一度ちゃんと呼んでみろよ。ほら。」
「…な、なんで今…!?」
「呼ばないと…叔母さん来るまでずっと手を握っててやるよ…いや、帰るまでずっと…」
「そしたら普通に投げ飛ばすけど…」
「そしたら新ちゃんのサインを燃やす…」
そう言った有沢伴の表情は本気であった…
しっかりとあたしの手を握りしめじっと真っすぐあたしを見つめている…
「…ば、伴…」
「はい、良くできました!良い子ですねぇ~!!」
「や、やめろ!頭撫でるな!!殴るわよ!?」
「蕾ちゃんは照れ屋だなぁ!あはは!」
本当はドロップキックでもお見舞いしてやりたかったが、何故かあたしは出来なかった。
名前を呼んだ時、有沢伴があまりにも嬉しそうに笑って頭まで撫でてくるからびっくりしたのかもしれない…
「ふ、ふざけんな!!これが終わったら絶対名前でなんか呼ばないからね!!バーカ!!」
「あはは!照れるな照れるなって!」
こうしてあたしは何故か有沢伴に…伴に心の中をちょっと翻弄され更に落ち着かない気持ちになったのであった。
ああ…大丈夫かな…?こんな調子であの叔母さんを上手く騙すことが出来るのだろうか?