第49話 普段笑顔の人はやっぱり怖い
文字数 4,403文字
AZUREが突然我が校、藤桜女学院に現れ一日中ドタバタしていたが放課後になればこの通り。
すっかり落ち着きを取り戻した校内は通常通りだ。グラウンドでいつもの様に部活に励む運動部の生徒達、教室にはお喋りに花を咲かす生徒達が……
あたしも放課後は受験勉強…はちょっと一先ず。いや、一先ず置く余裕すらないんだけど。
とりあえず真っすぐ音楽室に向かうと、ひたすら学園祭へ向けての合唱の練習に励んでいた。
ピアノの伴奏、そして静乃の凛々しい指揮姿…華やかな顔ぶれの部員達の美しい歌声……ああ、この感じ。何だか少しだけ離れていただけなのに懐かしい。
しかし、今回は少し違う。あたしのポジション。ピアノの前には可愛い後輩の姿が……そしてあたしは楽譜を手に立っている。
揃った歌声はいつ聞いても美しい……そこに暫く…いやかれこれ二年ほど離れていたあたしが混ざって良いのか。いくら最上級生と言っても。
「だ、大丈夫ですよ!蕾先輩!!」
「そうですよぉ!!せっかく先輩がその気になってくれたんですから!!」
「わたし、今ちょっと感激してます!!」
「あたしも!!」
今一調子を取り戻せないでいる駄目先輩を前に、可愛い後輩達は口々に励ましの言葉を掛けて慰めてくれる。
本当…最後まで駄目な先輩でごめんね。みんな。
そう口に出して頭を下げまくりたかったが、それでは余計気を遣わせるだけだ。
ここはいつもの様に明るく元気に笑顔で……
「ありがとうみんな!!あたしもなんか…涙が……」
『先輩~!!』
『ゾノ~!!』
冗談のつもりで涙を拭く仕草をして見せると、後輩達…いや、同学年の部員達までもが目を輝かせ潤ませあたしを抱きしめてくれた。
夕日に照らされた音楽室に目を潤ませ抱き合う麗しの乙女達……いやぁ、正に青春青春!!
……ってなんだこれ??足を引っ張ってるのはあたしなんだから、ここは揃って責め倒すべきなんじゃ??
「が、頑張ります……」
「そうよ。死ぬ気で頑張ってもらわないと困るわよ。」
「はい……」
「…仕方ないわね。本番まで、私が特訓してあげるから……苺、悪いけどあんたも付き合ってくれない?」
暖かい眼差しの部員達とは違い、静乃の目はいつもにも増して冷たく厳しい。それでいて口調はいつも通り涼し気で淡々としているから怖い。
静乃に目を向けられ、苺は慌てて黙って一生懸命に頷いている。顔を真っ赤にして可愛らしいこと。
その日はみんなが帰っても暫く残って静乃の猛特訓…苺も付き合ってくれ……
「あ、あのぉ……」
「皐月?まだいたの?」
特訓する事暫し…音楽室のドアが遠慮がちに開かれ、ひょっこりと珠惠が顔を出した。
「あたしも一緒に特訓してもいいですか?蕾ちゃん…蕾先輩がせっかくやる気になってくれましたし……」
「もう暗くなるし、お兄さん心配するわよ?帰りなさい。」
「あ……い、いや!でも!!お願いします!!あたしも混ぜて下さい!!ちょっとでも力になりたいんです…その…蕾…先輩はあたしの憧れでもあるので!!」
静乃の前まで大股で歩いて行くと、珠惠は思い切り頭を下げた。ゴキッと痛そうな音がするくらい思い切り。
「…あんた…苺のファンだって……」
「苺先輩は格別なんですよ!!って本人の前で何言わせるんですか!静乃先輩!!」
「…皐月が勝手に言ったんだけど……まぁ、いいわ。それならさっさとこっちに来なさい。」
「あ、は、はい!!」
珠惠も混ざり、再び音楽室からピアノ伴奏が流れ始めた……
ちなみに今ピアノを弾いているのは静乃である。彼女、ピアノも出来るのだ。
歌う前、珠惠はあたしの方へ目を向けこっそりピースサインなんか笑顔でしてみせる……可愛い奴だ。本当。
よし!珠惠だって合唱部のみんなだって協力して励ましてくれるんだから…あたしもちゃんと向き合って頑張らないと!!
いつか伴が言ったっけ『失敗したらまたやり直せばいい』って…当然の様に。『逃げたら絶対後悔する』とも……
あと……
『俺はお前と一緒に歌いたいの!だから覚悟しとけよ…』
ああ…そう言えばそんな事も自信満々に言っていたっけ。
『絶対俺の隣で楽しく歌わせてやる』って宣言付きで……
悔しいけど、こうして一歩踏み出す為の背中を押したのは伴なのは間違いなかった。あいつの何故だか良く分からない自信満々なポジティブな言葉とキラキラした目……
そんな様子を見たらなんだか自分がくよくよといつまでも悩んで立ち止まっているのが酷く馬鹿らしく思えてしまったのだ。
まだ完全に過去の嫌な記憶と正面切って立ち向かう勇気も決意もないけど……
けど……こうして久しぶりにみんなと合わせて歌う事は決して不快で恐ろしい事ではなくて、むしろ楽しくて嬉しくてわくわくしてくる。
忘れかけていた…いや、忘れたはずのあの懐かしい感覚…それがじんわりと体中に染みわたってゆっくりと戻って来る感じがした。
今、こうして特訓していても……なんだろう。わくわくして楽しい。
「…今日はここまでね。少しは調子取り戻したみたいじゃない?」
「え?そ、そうかな?」
「…一安心ね。気まぐれに『歌ってみる?』って聞いたかいがあったわ。まさか本当にやる気になってくれるはと思ってなかったもの。私。」
「…静乃さんはあたしを信用してないのかい?」
依然涼し気に無表情にそう言う静乃を見て、あたしは少しだけその発言に傷ついた。
まぁ……ずばっと言うのが静乃らしいんだけど。嘘は言わないから信用出来るのは確かだ。
「…そんな訳ないでしょ…馬鹿ね。」
「馬鹿って!?」
「…少し心配だっただけよ……無理してやけくそになっているんじゃないかとか……また急にやる気無くして自暴自棄になるんじゃないかとか……」
「失礼な……あたしはやる時はやるってば!!」
「…そうよね。ま、私がここまで期待して信頼してあげてるんだから頑張りなさいよ。」
そう言うと、静乃は微かに微笑み颯爽と音楽室を出て行ってしまったのだった。
戸惑うあたし達三人を残したまま……
ああ……静乃ってこういう子だよね。うん。
「…静乃先輩ってやっぱ格好良いよねぇ……」
「うん……ツンデレだけどね。」
「そこもいいよね……」
「うん…可愛いよね……」
あたしと珠惠は、静乃の後ろ姿を見守りつつしみじみとそんな事を呟いたのであった。
「…それで……君達は二人して居残り練習をして連絡一つ入れなかったと……」
金木犀へと珠惠を送って行くと、案の定…そこには笑顔の紫乃さんと鬼の形相をし腕を組んだ聡一郎さんが待ち構えていた。
聡一郎さん…私服姿を見るときっと今から珠惠を迎えに行くつもりだったのだろう……
「珠惠。遅くなる時は必ず連絡しろって言ってるよな?」
「ご、ごめんなさい……」
「全く…蕾ちゃんも…心配するだろ?おかげでこの人と二人で……」
聡一郎さんは、笑顔でいつものカウンター席に座っている紫乃さんをちらりと見てため息を吐いた。
どうやら待っている間一悶着あったようだ。恐らく、心配した聡一郎さんが『迎えに行く!!』と店仕舞いし始めたのを紫乃さんが『まあまあ…聡一郎さん、落ち着いて下さい。』と穏やかに笑顔で止めて……
しかし!あたしはこの聡一郎さんよりも笑顔の紫乃さんの方が怖いぞ……。何を言われるか……。
「…すみません。あたしも連絡するべきでした……つい、夢中になって……」
「…部活に精を出すのは良い事だけど……蕾ちゃん。君、今の現状をわかってるのかい?」
「…はい……」
「本当なら、部活なんかそっちのけで勉強に集中しているべきなんじゃないのかな?」
「…はい……」
「あと……遅くなる時は必ず連絡する。これ、俺は何度も言っているよね?緋乃にもだけど……」
「ごめんなさい……」
穏やかな口調の紫乃さんだが、顔は当然笑ってなどいなかった。いつもの素敵スマイルは何処へやら…その表情は無に近いが何処か険しい……
「…と……本来ならもっと叱りたいところだけど……」
「…?」
緊張の空気が流れ、更にお説教…かと思いきや……
厳しい表情から一変、紫乃さんは満面の笑みを浮かべあたし…ついでに珠惠の頭を撫でたのであった。
「蕾ちゃんがまた何かにやる気を出してくれるだなんて…俺は嬉しいよ。珠ちゃんもそうだから付き合ってたんだよね?」
「…はぁ……」
「そ、そうなんです!あたし蕾ちゃんがやる気になってくれて嬉しくって!!紫乃さんもそうですよね!?」
「勿論だよ。」
うわぁ……二人とも本当に嬉しそうだ……
カウンター越しの聡一郎さんを見ると、この人もやれやれといった様子で微かに微笑んでいるのがわかる……
「俺はね…てっきり蕾ちゃんはすぐ逃げ出すんじゃないかと心配してたんだよ。伴君の言葉に挑発されてやけ起こしたんじゃないかって……」
「静乃と同じ様な事を言うんですね……」
「あはは、ごめんごめん。けど、本当に心配してたんだよ。歌うって聞いた時には凄く嬉しいと思ったけど、蕾ちゃんは繊細だから。」
「…はぁ…なんかすみませんねぇ……」
「俺は本当に嬉しいんだよ。また一歩ずつ前に進もうとしている蕾ちゃんの姿が見れて……」
そう言ってまた頭を撫で微笑む紫乃さんは本当に嬉しそうだった。
なんだ……?この人の笑顔なんて見慣れ過ぎてるのに……こんな優しい笑顔を向けられると……こう……ちょっと…いや、かなり気恥ずかしい。
「頑張ってね。俺は見守る事しか出来ないけど…あ、でもこっちはちゃんと責任持って最後まで付き合うから安心しなさい。」
「うっ!?」
「…なんだい?今日はもうこのまま家に帰って眠れるとでも思ったかい?ははは!蕾ちゃんは甘いなぁ~!俺、少しは怒ってるんだよ?本気で。」
紫乃さんがこれ見よがしに取り出したのは…あたしの苦手な英語の参考書であった。
ああ…やっぱりそうですか…そうですよねぇ!!あはははは!!
「…さて、帰ろうか。お兄さん今日は朝までちゃんと眠らずに付き合うから安心してお勉強しようね?」
「はい……先生……」
こうして、あたしは紫乃さんに手を引かれ如月家へと帰って行ったのであった。
これから始まる地獄の受験対策勉強を考え、軽い胃痛を感じながら………
飴と鞭はしっかり与える……これが東雲先生のやり方である。