第20話 アイドル様との関係は●●である
文字数 6,491文字
星花町喫茶店『金木犀』にて。あたしはいつもの様にお勉強に励んでいた。
今日は英語を集中的にやろうとの事だけど…。
紫乃さん、こんな大正ロマンな書生スタイルで英語って…似合わない…。意外と発音も良いし尚更違和感を感じるんですけど。
「…蕾ちゃん?俺の説明ちゃんと聞いてる?」
「あ…す、すみません…聞きます…」
「…はぁ、あのね蕾ちゃん…やる気ある?夏休みまではあんなに頑張ってたのに…今は心ここにあらずって感じなんだけど?」
「だ、大丈夫です!心は…ちゃんと戻しますから!!い、今戻って来たので大丈夫です!!」
「…元気と明るさだけはいつも通りみたいだね…そこが君の良いところなんだけど…。集中してやってくれないとお兄さんそろそろ心が折れそうだよ。泣くよ?」
「すみませんすみません!!ちゃんと集中しますから!見捨てないで!!」
ああ…何をやっているんだあたしは?紫乃さんだって暇では無いのにこうしてお馬鹿なあたしの為に時間を割いてくれているっていうのに…!!
心ここにあらずか…。確かに最近のあたしはそうなのかもしれない。
つい最近久しぶりにAZUREの姿を画面越しとは言え直視してしまってから…
「…よし、ちょっと休憩しよう。近所を散歩してついでに星花神社で蕾ちゃんの合格祈願をしようか。うん、そうしよう。」
「な、なんでいきなりそんな事…?散歩ってもう夕方ですよ?もうちょっとしたら日も落ちるくらいの…」
「涼しくてちょうどいいだろ?さ、そうと決まれば…行こうか?」
これは…紫乃さんなりに気を使ってくれたのだろうか。いつもの爽やか素敵スマイルを浮かべあたしの手を引き強引に連行する。
カランコロン♪
店の外に出ると確かに少しだけ涼しくなっていた。九月とは言えまだ夏の暑さが残る日中と比べると大分…
「…紫乃さん、あの…そんな気を使って頂かなくてもですね…」
「別にそんなんじゃないよ。俺が蕾ちゃんと散歩したかったからそうしただけで…」
「はいはい…。東雲先生とお散歩出来て光栄です…」
賑やかな商店街の中を進む紫乃さんの後ろ姿を見ながら、何となくその背中を頼もしく感じてしまった。
ああ、やっぱりあたしの考えている事なんて紫乃さんにはお見通しなんだな。元々勘が鋭い人だし、空気も読める…嫌ってくらい。
何も聞く事無く黙っているって事は…あたしが話すのを待っているのか…?その気になるまで。
「…何か気づくとふと何処か虚しいんです…寂しいと言うか…秋だからでしょうかね?」
「いきなりセンチメンタルな事を言うなぁ…」
商店街を抜け静かな住宅街へと出ると、あたしはとりあえず今の気持ちを口に出してみた。紫乃さんは苦笑しているみたいだったけど。
「…何かこう…心の隙間?穴?がぽっかり空いたような…とにかく気持ち悪い感じなんですよ…。もやもやっとして…」
「…もやもや…か…。うん、確かにそう見えるね。」
「やっぱ顔に出てるんですか!?嫌だな…」
「どうして?別にいいじゃないか…分りやすいのが蕾ちゃんだし、こうして俺もすぐ気づいてあげられるしね?」
「別に気づいて欲しくは…ふとした瞬間にもやっとして集中出来ないんです。何をしていても…ただ前の生活に戻っただけなのに…」
「…なら伴君に電話とかしてみたらどう?そのもやっとした原因は彼だろ?案外簡単に解決するかもしれないよ?」
「な、なんであたしがそんな事!?確かに連絡先知ってますけど…あっちも何の連絡もして来ないし忙しいんじゃ…と言うかあたしの事なんてもう覚えて無いかも…」
そうだ…。あっちは人気絶頂のアイドルであたしはただの女子高生だ。長身でお馬鹿って事を抜かせば何処にでもいるただの女の子だ。
伴の周りには常に華やかな人物が集まり、彼もまた同じ様に華やかで輝いている…。
そんな彼の中であたしはどれだけの印象を残せているのだろう?忙しい日々を送る中で…。
きっと日常の忙しさに埋もれすぐに忘れ去られてしまっているに違いない。
あれ…?あたし何をまた変な事考えているんだろう?別にそれが普通で…あいつがあたしにとって特別な存在って訳でも無いのに…なんでこんな事ばかり…。
「…あたしは…あいつに会いたいって思っているんでしょうか?」
「さぁ…それは蕾ちゃんがはっきり自覚しないと何とも…。俺は妹の可愛い親友を見守って話を聞くだけだからね。」
「笑って誤魔化さないでくださいよ…」
「あははは!」
「あははじゃなくって!!はぁ…なんであたしがアイドルなんかに…!!い、いや!!別に好きとかそんなんじゃ全く無いんですよ!?ただあまりにも長く一緒に居たせいか…いや…予想外にも長く一緒に居す過ぎたせいか…その…」
「…寂しいんだよね?あんな風に好き勝手に遠慮なく言い合える人が居なくなって…」
「うっ…!?そ、そうだったらなんだって言うんですか?わ、悪いですか?可笑しいですか?」
「まさか、可笑しいなんて思わないよ…むしろ普通なんじゃないかな?住む世界こそ違っても…何か君達は何処か似ているんだよ。レベルが同じって言うのかな…」
「あいつと同レベル!?やめて下さい!!そこの川に蹴り落としますよ…全く…」
「う~ん…蹴り落とされるのはちょっとなぁ…。」
隣で笑いながらそう言う紫乃さんは何だか余裕があって大人だと思ってしまう。悔しい。
そういや…この人って何歳だっけ?
昔から知っていていつも顔を合わせてお世話になっている人とは言え…こんな恰好に落ち着いた雰囲気なのでつい実年齢を忘れそうになる。
えっと…緋乃があたしと同い年で…年齢が近そうな聡一郎さんは確か…二十代半ばだったような…そこまで何か曖昧だ。
「…紫乃さんてお幾つでしたっけ?」
「え?何急に?えっと…確か…」
「自分の年齢くらい覚えておいて下さいよ…」
「あはは、これでも色々と忙しいからね。それにこんな仕事していると実年齢の倍は年取ってる気がしてさ…珠ちゃんが羨ましいよ。」
「ああ、確かに…高校一年生っていいですよねぇ…こう、希望に満ち溢れているって言うか…若いですよね…戻りたいなぁ…」
「蕾ちゃんだって十分羨ましいよ…まだ現役の高校生だろ?俺なんか学生通り越してもうおじさんだよ。」
「そんな顔して何言ってるんですか?おじさんて…全国の成人男性にとって失礼ですよそれ。」
「…う~ん…でももう二十四だし…」
「もうじゃなくてまだです!それ十分若いですから!!ていうか紫乃さんまだそんな年齢だったんですか!?」
「…え?蕾ちゃん本気で忘れてたの?俺の年齢…」
「…聡一郎さんより年下なんですね…」
「ついでに言うとむめ乃さんよりもね。ああ、確かにそれで『おじさん』は失礼だったな…聡一郎さんもむめ乃さんも十分若いし…」
「…そうですよ!全く…たまには普通の恰好して都会でも練り歩いて来たらどうですか?きっと今以上にモテますよ?」
「都会は疲れるから嫌なだなぁ…それに洋服も落ち着かなくて…」
「若者らしくない発言を…」
「俺は別にモテたいとか注目されたいとかそんな事を考えた事は無いよ。むしろ逆だよ…未だにテレビ出演の依頼とか来たりするし…」
「思い切って出てしまえば良いのでは?」
「嫌だよ…俺は日々を穏やかに送りたい…どうせこの恰好が珍しいから興味本位に依頼をして来るんだろうけど…」
「まぁ…確かにその恰好は珍しいですよね…」
紫乃さんの場合はそれだけじゃ無いと思うけど。人の心を掴む文才と若さ、そしてこの容姿…メディア受けする要素が揃い過ぎている。
山川賞の受賞から早一ヶ月以上も経つのに人気は相変わらずだし、紫乃さんの経営する古書店付近にも噂を聞きつけた女性達が未だに張り付いている事がある。
雰囲気のある古書店なので一般の人達は入りにくいのだろう。さすがに中まで入って来るファンは少ないようだが…。
「…あたしつくづく自分が普通で良かったですよ。美し過ぎても才能あり過ぎても変に目立って最悪酷い目に遭いそうですもん。」
「え?蕾ちゃん自覚無いの?君も結構目立ってるんだけど…」
「周りにいる人達が派手過ぎるからとばっちり食らってるんですよ、それ…」
「ああ…そう取るか…。まぁ、蕾ちゃんらしくて良いけど…」
何故か苦笑する紫乃さんを見てあたしは首を傾げた。
だって本当にそうだ。あたし自身何の取り柄も無ければ容姿だって平凡その物だ。ただちょっと身長が高くてお馬鹿なだけ。あとちょっと元気で。それだけだ。
けど何故か昔からあたしの周りに集まるのはクセの有る人達ばかりで、その結果同類だと周りから認識され悪目立ちする…いい迷惑だ。
「よし、着いたね…」
「別にいいですって、お参りなんて…」
「神頼みするのも悪くないだろ?ほら、蕾ちゃんもちゃんと手を清めて…」
星花神社に辿り着くと、一礼。紫乃さんに教えられるがまま手水舎で手を清めお賽銭箱の前まで歩いて行く。
星花神社は昔からある少し古びた小さい神社で、幼い頃よく忍と緋乃と三人で遊び場に使っていた。かくれんぼとか鬼ごっことかするのにちょうど良い広さなのだ。
カランカラン♪
鈴を鳴らしお賽銭を投げ入れ手を合わせる。勿論あたしが願ったのは『大学に合格しますように!』の一つである。瞳を閉じ念入りに…。
あたしが目を開けた時には既に紫乃さんの願掛けは終わっていたらしく、優しく見守られていることに気づくとちょっと気恥ずかしかった。
「…す、すみません…」
「いいよ別に…大事な願掛けだからね。」
「…紫乃さんは何をお願いしたんですか?」
「緋乃がもっとお兄ちゃんの仕事に関心を示しますようにって言う控えめな願いだよ…」
「ああ…あの子紫乃さんのお仕事に関しては無関心に近いですもんね…」
「そうなんだよ!聞いてくれる?緋乃ったらまだむめ乃さんのお店でバイトしてて…」
「紫乃さんお小遣いケチってるんじゃ…」
「十分なお小遣いを渡しているつもりだよ…一体我が家の何が不満なんだ…」
「…お兄ちゃんに不満があるのでは?」
「え!?俺!?なんで?俺以上に妹想いのお兄さんはいないよ?聡一郎さんにも勝つ自信あるからね?」
「そこ張り合う所なんですか?」
何だろう…このいつもの紫乃さんらしくない熱意と対抗意識は?そんな物なくても良いのに…。
兄の熱意を語られうんざりしていると…階段を上って来る一つの人影が見えた。
とことことそれはゆっくり歩いて来る…。そしてその後ろにもう一人…。
「緋乃!」
「あら、兄様。つーちゃんもちょうど良いところに…」
「何?こんな所まで迎えに来てくれたの?」
「まさか。つーちゃんを探していただけですわ。この方がお探しになっていたので…」
現れたのは紫乃さんの愛しの妹緋乃だった。そしてその後ろには…。深く被られたフードにサングラス、そしてジーパンにスニーカーと言ったカジュアルな恰好の男が一人。
こ、これはまさか…!?いや、まさか…
紫乃さんの言葉を笑顔でさらりと否定し、あたしを見て再びにっこり微笑んだ緋乃はその男に前へ出るよう促した。
「…よ、よう…来ちゃった。」
フードとサングラスを取ると顔が露わになる…よく見知った顔が…。髪色は何故か前より地味になっていたけど…。ダークブラウンって感じか。
あたしを見て何故か照れくさそうに笑って片手を上げて見せる姿が何だか今日は少しだけ様になっている…
「伴君!?久しぶりだね~!!しばらく見ない間にまた雰囲気が…」
「お久しぶりっす、紫乃さん!これ、次の役作りの為に…知的な男子高生の役なんですよ。」
彼に気づき真っ先に声を掛けたのは紫乃さんだった。有沢伴に。嬉しそうに話す二人を見ながらあたしは何だか夢を見ているかの様に思えて言葉が上手く出てこなかった。
また目の前に現れた…。あいつが…何の前触れも無く急に。
立ち尽くし何か言おうと口をパクパク開閉していたが、やはり何も言えない…。
「で?なんで伴君が俺の可愛い妹と一緒にいるのかな?」
「あ、そこ聞きます?」
「勿論だよ。返答次第ではお兄さん怒っちゃうよ?」
「え!?誤解しないで下さいって!!たまたま駅前でばったり会ったんですって!な?緋乃ちゃん?」
「…そうなのか?緋乃?」
笑ってはいるものの紫乃さんの声は若干低くなっている…。本当この人も妹の事になると駄目なんだから。
なんで星花町にはシスコンのお兄さんしかいないんだろう…。
「ええ、伴ちゃんの言う通りですわ。駅前でやたら怪しげな人を発見しましたので正さん(星花署の刑事さん)に連絡をして、確保しようとしたのですが…」
「逞しいね緋乃…さすが俺の妹…」
「そしたらあちらからやって来たので思い切りわき腹にどすっと…人って意外と簡単に倒れますのね?うふふ…」
「そんな技どこで習ったんだ?お兄ちゃん教えた覚えないぞ?」
「…つーちゃんの愛読書(週刊猛烈プロレス!!)を参考にしましたの。世の中物騒でしょう?」
「…まぁ、自分の身を守るためなら仕方がないけど…。伴君、ごめんね。うちの子が…」
さすが緋乃…。最近宮園家の親子喧嘩(主に母が家族にプロレス技を掛ける儀式)を熱心に見ていたと思ったら…
申し訳なさそうに頭を下げる紫乃さんを見て少しだけ気の毒に思いながらも、尊敬の眼差しを緋乃へ向けるあたし…。
しかしこいつ…本当殴られてばっかだな…。いや、主にあたしがやってるんだけど…。
「いや、マジ驚きました…。緋乃ちゃんの皮を被った蕾かと思って…でも身長とか全く違うし…」
「…久しぶりにドロップキックしようかな…」
「いや!待って!!それだけは!!」
「…最近体が鈍っててさぁ…殴る相手もいなかったし?」
「俺いつからお前のサンドバックになったの!?相変わらずアグレッシブな奴だな…」
「…冗談よ。それで?あんた今度は何しに来たの?撮影?それとも…また何か頼み事?」
こいつには前科がある。多忙の人気アイドルである伴がわざわざ都内とは言え、こんな辺鄙な町へ来たという事は絶対に何かあるに違いない。
久しぶりの再会で驚いてたけど…冷静になれあたし!このパターンは絶対嫌なパターンだ!!
「…え?何もねーけど?ただちょっとお前に会いに来ただけだけど…」
「そんなんであたしを誤魔化せると思ってるの!?そこらのミーハー女共と一緒にしないで!」
「いや…そんな疑われても…知ってるし。嫌って程。本当に顔見に来ただけだってば!」
「嘘!!」
「本当だって!!」
「…あたしに会いに来たって事はやっぱり何か用があるってことじゃない!」
「…そ、それは…」
「ほら!!」
中々白状しない伴を前に、あたしは問い詰め詰め寄り胸倉まで掴んだ…。とても女の子がする様な事ではない。
「…蕾ちゃん落ち着いて。多分本当に伴君は君に会いに来ただけだよ…嘘つくの下手そうだし。蕾ちゃんと一緒で。」
「紫乃さんまで何言ってんですか!?だっておかしいじゃないですか!用も無いのにあたしにただ会いに来るって…恋人じゃあるまいし…」
「いや、恋人じゃなくても友達でもそうする事ってあるだろ?近くに来たからついでにとかさ…」
「友達?誰が?」
「誰がって…伴君だよ。友達だろ?」
「…え?そうなの!?」
「え?そこで驚いちゃうの?」
紫乃さんの予想外の言葉にあたしは思わず伴を振り返り聞き返していた。
友達…確かにただの顔見知りとはちょっと違うかもしれないけど。そんな事考えた事なかった。
そりゃ…初めはちょっと、ほんのちょっとだけ寂しいとか感じたりもしたけど…。
「…違うの?俺はもうそのつもりだったんだけど…」
「そ、そうなの?」
「あれだけ深く関わればそうじゃねぇの?」
「深くって…ちょっと誤解させる様な言い方しないでよ!」
「いや…だって親戚とか関わってるしそうじゃね?」
「そ、そりゃ…そうかもしれないけど…」
真っすぐあたしを見る伴の目を思わず見返してしまうと、やはり何故か目が反らせなくなってしまった。
有沢伴と友達の関係…。予想外の言葉にあたしは動揺していた。
だって本当に考えた事なんてなかったのだから…