第5話 丸く納まりゃ問題ないない!!多分…ね?
文字数 13,086文字
「は~い!楽しみにしてます!!」
テレビ局の人達が帰った後、あたしは一度紫乃さん達とも別れ家に戻ることにした。なんでも今日手伝ってくれたお礼に夕飯をご馳走してくれると言うのだ。紫乃さんの作る料理も美味しいから楽しみだ。
忍は勿論、皐月兄妹も来るみたいだし…そう言えば珠惠は忍と会うの初めてだったな。大丈夫かな…。
せっかくだから両親も誘っておいでって言ってくれたので、あたしはお言葉に甘えることにした。ついでに忍の父親の
忍父、椿さんは息子と違い大らかで穏やかな優しい人。いつも和装だがこれはこれで似合っている。あたしは椿さんが怒るところを見たことがない。
「…あいつも椿さんを見習えば良いのに…」
速攻紫乃さんの家へ向かって行った忍を思い出すとため息が出てくる。あの縁側男が…。
夕暮れ時、まだ明るいが風は冷たくなって来た。帰ったらパーカーでも羽織ってから出よう。
そんなことを思いながら、夕飯のご馳走を楽しみにして家路を急いでいると…。角を曲がった瞬間、カーブミラーに何かが映り込んだ。黒い人影のような物が…
あたしもついに霊感体質になったか!?
紫乃さんの本業は祓い屋さん。作家はあくまで趣味と実益を兼ねた副業だ。そんな彼は当然霊感があり…その怪談話もやたらリアルで恐ろしいので信じざる終えなくなるのだ。
おかげであたしはその類の話や場所に立ち入るのも大嫌い!お化け屋敷も御免である。
「いや…まさか…あたしがそんな…」
思わず立ち止まってしまい…頭を抱え一人混乱する…
振り返って確認したい!けど…このパターンてそうしたら何かいて身も凍る恐怖体験をするっていう…
コツコツコツ…
あ、足音が…!?嫌々!!そんな恐怖体験したくない!!
カーブミラーを見ないよう俯き、スマホをなんとか取り出した。勿論、こういう時はプロフェッショナルに任せるのが一番。紫乃さんに!
ひぃぃ…でも怖い…!!あ、あたしともあろう女が…男より男前と言われたこのあたしが!『蕾は一人で一生生きていけるよ!』と言われたこのあたしが!!幽霊に…幽霊なんかに……!!
けど!怖いもんは怖い!嫌なもんは嫌だ!!
「お帰り下さい!!」
バキッ!!
恐怖とパニックで思わず放った右ストレート…それがまともに命中したらしくそれは地に倒れ伏した…
か、勝った…幽霊に勝った!!
「…幽霊…なのか?これって…」
黒いジャージに黒いパーカー…フードは目深に被られていて、マスクにサングラス…いや、サングラスはさっきの衝撃で外れたみたいだけど。
恐る恐るフードに手を伸ばし、幽霊と言うよりも明らかに不審者っぽいそれの正体を確認しようと試みた。
「…蕾ちゃん!?何があったの!?」
「紫乃さん?」
と、そんな時だ。タイミング良く現れた紫乃さん。スマホを見ればあたしは無意識のうちにしっかりと紫乃さんへ発信していたようだ…
「…紫乃さん…これって人ですか?」
まだ明らかになっていない正体不明のジャージ男を指さすと、紫乃さんはため息を付ながらあたしの隣に屈みこんだ…
「…人です。生身の人間だよ…」
「あ~…良かったぁ~!!てっきり幽霊かと思ってびっくりしましたよ!!そっち方面には行きたくありませんし…」
「だからっていきなり殴るのはどうかと思うよ?女の子がいきなり…もしかして蕾ちゃん何かされたの?」
「いえ、びっくりしてパニックになってついバキッと。てへっ♪でも軽くですしぃ…腹部辺り狙って攻撃したので目立った傷は…」
「狙ってやったら尚更立ち悪いよ。はぁ、とりあえず…」
あたしがやる前に紫乃さんがさっさとフードとマスクを取ってしまった…
露わになったその顔…それは整った綺麗な顔立ちの…気を失ってはいるけど間違いない。
こ、これは…!?
「…彼も災難だったねぇ…」
「い、いきなり怪しい恰好して現れるからいけないんです!!あ~…腹で良かった…」
「それ安心するところ?まぁ…うっかり顔傷つけなくて確かに良かったとは思うけど…」
あたし達の前に横たわるのは有沢伴。昼間とは違いジャージ姿で一瞬誰だか分からなかったけどそれは彼でしかなかった。
「…生きてますよね?」
「あれぐらいで人は死なないから。」
「…紫乃さん?ま、まさか!?埋めに行くんですか!?」
気絶したままの有沢伴を紫乃さんがよっこいせっと持ち上げそのまま歩き出したので、あたしは物騒な事を口にしてしまった。
「…生きてるからね?とりあえず家に連れて行くよ。保護します。」
「ま、またまたぁ!そう言ってこっそり寄り代とかにするんですね?」
「蕾ちゃんは俺に彼をどうして欲しいの?」
「だ、だって紫乃さんだから…い、いえ!何でもないです!!冗談ですって!!」
紫乃さんが深い笑みを浮かべたので、あたしは慌てて口を閉じ笑って誤魔化した。
こ、怖い…笑顔の紫乃さんはやっぱり怖い…!!
「…でもなんでこいつこんなことろに居たんでしょうね?こんな怪しい恰好で…」
「さぁ…それは俺も分からないよ。でも放っておくわけにもいかないだろ?」
確かにそうだ…。
辺鄙な田舎町とは言え道端に人気アイドルを放っておくわけにはいかない。翌日どんなニュースになっていることか…。
*****
「…とりあえず二階の部屋に寝かせておいたから。安心しなさい。」
家に戻り、両親を連れて紫乃さんの家を訪れると、すでに騒がしくなっている居間の隣の階段を指さして紫乃さんは笑顔で出迎えそう言った。
とりあえず保護したのはいいけど…放っておいて大丈夫かな?黒沢さんの名刺ならお見合いの時に貰ったから分かるはずだけど…。
「…一応様子を見ても?」
「いいけど…忍達にバレないようにね?きっと面白がるだろうから…忍が…」
「そ、そうですね…気を付けます。」
居間は相変わらず騒がしい。珠惠が忍にさっそく気に入られてからかわれている模様だ。そして聡一郎さんがすかさず保護しようとしている感じか。あの鋭い刑事時代の瞳で忍を睨んでいることだろう。
可愛そうに珠惠…でももう少し奴の気を引いておいてね。後で何かしらお礼するから。
馴染みのある階段を上り、奥の戸を静かに開けるとそこには布団の上で眠る有沢伴の姿が確かにあった。
ブーブー…
あ、スマホが…
サングラスとマスク、それと一緒に枕元にきちんと置いてあるスマホ…それが急に震えだした。
誰からだろ…ってあたしが勝手に出るわけにはいかないよね。何者だって話になるだろうし…
ブーブー…
枕元でスマホが震えているにも関わらず、有沢伴は全く目を覚ます様子がない。
あ、やばい…。本当に当たり所悪かったかな……??
と、さすがに少しだけ…ほんの少しだけ責任を感じたあたしは恐る恐る有沢伴へと近づいてみた。
そして、その整った顔の近くへ顔を近づけ耳を澄ます…
「…息はある…良かったわ…」
どうやら眠っているみたいだ。スヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てている…
人騒がせな…見知らぬ場所で良く熟睡できるな…
「…こいつ…なんであんなところにいたんだろう?まさか、本当にあたしを待ち伏せて…」
気持ちよさそうに眠る有沢伴、その枕元では相変わらずスマホが震えている…
どうしたものか…画面が下を向いているから誰からか分からないけど…こいつの職業を考えるとやっぱり放置しておくのは…
「あ~…もう!!仕方ないな!!」
何となく放っておけず、あたしは意を決しスマホを手に取り画面を確認し…
「やっさん?って誰!?」
なんだか物騒な感じだけど…
「…ん?」
ゴソゴソ…
戸惑っていると布団で何かが…いや、有沢伴が動き出した。どうやらようやく目を覚ましたらしい。
「…あれ?ここ何処?」
目を擦り、ぼんやりと辺りを見回し呟く…当然の反応だった。
「…あ、あの…とりあえずこれ…」
「…ん?ああ、悪い…」
そっとさりげなくスマホを渡してあげると、彼は普通にそれを受け取り通話し始めた。
こいつ…今の状況理解してるのか?寝ぼけてるんじゃ…
いつの間にかやって来た紫乃さんの愛猫、黒猫の
「ああ、やっさん?…ああ、今日は明後日まで仕事ないんだろ?…え?今?えっと…」
と、そこで再び部屋を見回す…そして、遠慮がちに座るあたしを捉えると…
「…あ!!そうだよ!!俺お前待ってたらいきなり何かに殴られて!!…あ?ストーカー?マジか!?」
どうやら有沢伴、あたしに殴られたことは覚えていないらしい…寝ぼけてまだ記憶が曖昧みたいだ。よしよし。
琥珀とこっそり顔を見合わせにやりと笑うあたし…悪い顔だと思う。
「…って違うって多分…あ~…なんかかまいたち的ななんかじゃね?…ああ、俺そういうの信じるから。知ってんだろ?」
信じるって…こ、こいつ本当に幽霊類がいるって信じてるの!?こんな顔して!?アイドルなのに!?
思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪えて琥珀のお腹に顔をうずめて堪える…。ちょっと迷惑そうだ。
トントン
笑いを堪え有沢伴の電話対応の会話を聞いていると、戸がノックされ紫乃さんが入って来た。
煩かったかな…?忍に気づかれなきゃいいけど…
「お?有沢君、起きたみたいだね。…って蕾ちゃんは琥珀と一緒に何してるの?」
「…だ、だってあいつ…ふ、ふふ…か、かまいたちって…」
「蕾ちゃん?お兄さんにちゃんと説明してくれるかな?」
紫乃さんに気づかずまだスマホで話している有沢伴は置いておいて…あたしは先ほどの会話を紫乃さんになんとか説明してあげた。
「かまいたちか…彼、中々面白いね。」
「ていうか馬鹿なんじゃ…」
「こらこら。蕾ちゃんも人の事言えないでしょ…」
うっかり口に出た本音を遮るように、紫乃さんはあたしの口を塞ぐと有沢伴をじっと見つめた。笑顔でもない普通の顔で…
「…有沢君…ちょっと…」
「え?」
紫乃さんは笑顔で手招きすると、有沢伴からスマホを抜き取った。
「あ!おい!!」
「…すみません、ご心配をお掛けしまして…私如月紫乃と申します。…ええ、ああ…そうです、昼間の古書店の…ははは、よく分かりましたね~!!」
彼を制し、紫乃さんは笑顔で電話対応をし始めた…いつもの爽やか好青年そのもので…
「マネージャーさんでしたか…黒沢さん?そうですか。それが有沢君なのですが、急に倒れてしまって…やむ終えず私の家で保護したわけなのですが……ええ、ご心配なく。蕾ちゃんも一緒ですので…」
黒沢さん…紳士的なマネージャーさんだったよね。顔はヤクザな強面で、星花町駅駅長輪島さん並みの人相の悪さだったけど。
紫乃さんの大人な対応に目を向け、隣で同じく紫乃さんを見つめる有沢伴へと視線を移して見る。当然ながら怪訝そうな顔をして紫乃さんを見つめていた。
まぁ…急に現れてスマホ取られて対応されちゃそんな顔もしたくなるよね。しかも紫乃さんはイケメン爽やか好青年だけど、見慣れない人にとっちゃ書生風のコスプレお兄さんにしか見えないし。
う~ん…しかし何故に紫乃さん詰襟シャツじゃなくて黒のハイネック何だろう?どうでもいいんだけど。
「にゃっ…」
「ん?どうした琥珀?お腹空いた?」
大人しく腕の中に納まっていた琥珀が急に鳴いたのでびっくりした。あたしを見上げ次いで有沢伴の方へ顔を向け首を傾げる仕草がまた愛らしい。まるで『あの人誰?』と聞いている様だ。
そして…同じく有沢伴も…
「なぁ…あの人何者?確か商店街の本屋の店長さんだろ?」
あたしの方へ身を寄せると何故か小声で尋ねて来た。
そんな警戒しなくても…いや、無理もないか…
「…ていうか…あの人普段からあんな恰好してんの?なんていうか…某名探偵のじっちゃんの服装を爽やかに彩ったような…イケメンだけど……」
「表現が爽やかね…さすがアイドル…」
「いや、感心してんじゃねーよ。てか黒猫!?」
「そんな驚かなくても…黒猫が不吉だなんてただの迷信でしょ?こんなに可愛いのに…可愛そうに…」
「いや、ただ今気が付いてびっくりしただけだって!俺猫好きだし…撫でても?」
「いいけどこの子人は選ぶよ?気に入らなけりゃ引っかかれるから覚悟して。」
「猫だしそん時は仕方ねぇ…」
こいつ猫好きなのか…。いや、別に猫だろうが犬だろうが動物好きのアイドルなんて今時珍しくもなんともないけど。
幸せそうに琥珀を撫でている有沢伴を見て、少し意外だと驚いてしまった。
「…珍しい。琥珀が懐いてる。」
「俺の猫好きを感じ取ったんだろ?賢いなぁ!お前!!」
「…確かに琥珀は賢いけど…最近DVDも一人で再生して見れるようになったし…」
「マジで!?スゲー…そのうちタブレットとか扱えるようになるんじゃね?」
「ああ、もうそれは出来るから。」
「マジか!?スゲーなこの猫…お前の猫なの?」
「紫乃さん…あのお兄さんの愛猫。今じゃご主人様よりもデジタル機器を使いこなせる賢いにゃんこなの。あ、ちなみに男の子ね。」
「なんだ…こんな美人だから女の子かと…」
紫乃さんの愛猫、琥珀は本当に賢い。誰から教わらずとも人を観察してそれを吸収し学習してしまうらしい…今じゃ気づけばタブレット起動して動画見てたりするし。まるで人のようだ。
「…しの?あの人の名前?」
「そ。如月紫乃さん。あんたをここに運んでくれたのもあの人だからちゃんとお礼言っておきなさいよ?ああ見えて紫乃さん根に持つタイプだから…」
「え?あのお兄さんが俺を?意外と力持ち…」
「火事場の馬鹿力って奴ね。で?あんたなんであんなところにこんな恰好でいたわけ?不審者感丸出しで…」
とりあえず思いっきり殴ってしまったことは伏せて、当初の疑問をぶつけてみることにした。何故彼があんなところにいたのかを。
「あ、ああ…ちょっとお前に用があって…」
「あたし?」
何故か少し気まずそうに目を反らすと、有沢伴は何か誤魔化すように琥珀を撫でた。
何?この反応は…??あたしに用って一体…
「…まさかこの間の仕返し!?言っておくけどね!あれはあんたが悪いんだからね!?」
「悪かったって!!…だから、それ謝ろうと思って…」
「…え?」
目を反らし気まずそうな雰囲気はそのまま。有沢伴は最後の一言をぼそりと呟いたのだった。あたしへの謝罪の言葉を…。
な、何なの?本当に…こいつ…
何と言ったら良いのか…言葉が出てこない。まさか本当に謝罪しに来たなんて思ってもいなかった。予想外だ。
「…俺、あの時仕事立て込んでてちょっとイラついてて…『なんで俺がこんなことしなきゃならないんだ』って思ってさ…しかも一般人の奴とって…仕事なんだから当たり前で、仕方ないことなんだけど…」
「…悪かったわね。一般人で…」
「だから!!謝ってんだろ!!人として…プロとしてちょっと自覚なかったし最低な事をしたと思ってる…だから…その…ごめん…」
「……」
「な、何で黙ってんだよ!?何か言えよ…」
「…いや、ごめん…なんか意外でビックリして…アイドルでもちゃんと謝るんだ…」
「はぁ!?俺が反省して真面目に謝ってんのに何だよそれ!?大体アイドルだからって…偏見し過ぎじゃね?中身は普通の人間と変わんねーよ!」
「ああ、確かに…。ごめん。ちょっとアイドル類にはあまり良い印象持ってないから。」
「は?お前何かされたの?何かの追っかけしてサイン断られたとか?」
「そんな事するわけないでしょ!!アイドル、イケメン断固拒否のあたしが!!はっ!人間顔じゃない!中身なのよ!中身が一番大事なのよ!!」
「い、いやそりゃそうだけど…何その迫力…引くんだけど…」
い、いかんいかん…つい本音が出て熱く語りそうになってしまった。人間顔じゃないって事。
しかし…こいつ…わざわざ謝るため着替えて変装までしてあたしを待っていたなんて…意外と良い奴なんじゃ…。
少なくともあたしがイメージするアイドルとは大幅に違っていたことだけは確かみたいだ。
『中身は普通の人間と変わんねーよ!!』って言ったけど…確かにそうなのかもしれない。特殊な環境にいること以外は…
「分かった…あんたが思っていたよりもちゃんとした奴ってことは…あたしもその…いきなり蹴り飛ばしてごめん…怒り任せとは言えやり過ぎたわ。」
「うん。あれはないわ。あの時何が起こったか理解出来なかった。」
「謝ったでしょ!?仕方ないのよ…考えるより行動するのがあたしの性分なんだから…」
「ああ、それなんか分かる気がする。猪突猛進だよな…えっと…蕾ちゃん?」
「いきなり名前で呼ばないでよ!?き、気持ち悪い…」
「はぁ!?どんだけアイドル嫌いなんだよ…お前じゃなんか失礼だろ?」
「うん。嫌だ。う~ん…でもちゃん付けで呼ばれるのも…」
何だかくすぐったいというかむず痒いというか…紫乃さんとかに呼ばれる分には問題ないんだけどな。やっぱ女子校通いで同い年の男子との接点が少なくなったからか?
「仲直りして盛り上がっているところ悪いんだけど…」
複雑な気持ちで頭を抱えていると、いつの間に終了したのか…紫乃さんがスマホ片手に笑顔であたし達を見ていた。
うわぁ…なんて暖かい笑顔なんだろう…
「有沢君、これ返すね。黒沢さんには説明しておいたからとりあえず大丈夫だよ。」
「あ、ああ…すいません、なんか色々と…」
「いやいや、君が気にすることはないよ。元はと言えば蕾ちゃんが勘違いして…」
スマホを有沢伴に手渡しながら、笑顔でいらないことまで説明し始めそうな紫乃さんを、あたしは慌てて止めた。
せっかく今丸く納まろうとしているのに…またややこしくしてどうするの!?紫乃さんたら!!
「…はぁ…分ったよ…とりあえずご飯にしようか。二人ともお腹空いてるだろ?」
笑顔の紫乃さんの言葉に答える代わりに、あたしと有沢伴二人分のお腹の音が盛大に鳴った…
*****
「…お前の周りってなんかさ…」
「それ以上言わないで…」
居間に入り夕食を取ること数分…有沢伴は目の前で繰り広げられる光景を見ながら冷静にそう言いかけた。
分かってる…言いたいことは分かってる…
既に酒に酔い荒れている母、そんな母にプロレス技を掛けられる父…それをのほほん笑顔で見守る椿さん(忍父)。そんな横ではお気に入りの玩具でも見つけたかのように目を輝かせご機嫌な様子で珠惠を構っている忍…それを止める鋭い目つきの聡一郎さん。
こんな光景をいきなり見せつけられたら…そりゃ、誰でも思うだろう。『何?この変人揃いの空間??』と。
そんな彼らを酒の肴代わりにし、笑顔で日本酒なんか飲んでしっぽりしている紫乃さん。縁側に座りのほほんとほろ酔いの様子…。
「でも料理は美味しいから!」
「うん、美味かった。これって全部紫乃さんが作ってんの?」
「多分むめ乃さんが…紫乃さんも料理上手だけど最近忙しそうだったし…」
むめ乃さんとは商店街で小料理屋『
「…あれ?紫乃さん、凛さんて来てるんですよね?帰ったんですか?」
いつもなら一緒になって騒いでいそうな凛さんの姿が見当たらない…。あの人も見かけによらず酒癖悪いからな…。
「ん?そう言えばいないねぇ…トイレかな?」
「トイレかなって…そこで寝てたらどうするんですか!?」
「大丈夫だよ。ここのトイレ、洋式に変えたばかりだから。琥珀が落ちそうになってさすがにね…」
「琥珀落ちそうになったんですか!?そ、それは可愛そうな…」
紫乃さんの家は古い和風の家で、広いと言えば広い…が、年季が入っていて、お手洗いも最近までは汲み取り式…つまりかなり古いタイプの物だった。
良かった…日頃から『怖すぎる!!』と騒いでいたかいがあったよ。だって昼間でも怖いから。
「いやぁ…便利な世の中になったよねぇ…俺一生あれで良いって思ってたけど…」
「日本酒片手にトイレ話はやめて下さい…ほら、珠惠がピンチですよ?助けてあげないんですか?」
「聡一郎さんがいるし大丈夫。お兄さんの出番じゃないよ…俺も早く緋乃に会いたいなぁ…そうだ、伴君は兄弟いるの?俺は妹がいてね、それはそれは本当に可愛くて…」
「はいはい!!紫乃さん、ちょっとお水飲みましょう?」
この話になると面倒臭い…それに長くなる…
あたしは慌てて話を遮ると紫乃さんに水の入ったグラスを手渡し黙らせた。
「…お前の周りって…」
「言わないで!分かってる!!」
「…なんか毎日が楽しそうだな。退屈しなさそう…」
「他人事だと思って!!大体…そっちの方がもっと変な人達沢山いるんじゃないの?芸能人だし…」
うっかりまた忘れそうになったけど、隣に座る有沢伴は今大人気のアイドル様なのだ。今はジャージにTシャツのどこにでもいそうな若者に見えるけど。おかげで誰一人として彼の存在に気づかない。
本当…こいつってオーラー無いんだな…。昼間はあんなに輝いて見えたのに…
「そういやあいつってお前の彼氏?イケメン嫌いって言っときながらやっぱ顔良い奴選んでんじゃん…」
「…有沢さん。あれはイケメンの皮を被ったダメ人間です。近づいちゃいけません。」
「何故敬語!?そんなヤバい奴なの!?」
珠惠を羽交い絞めにしてご機嫌な様子の忍を指さし、物凄く失礼な誤解をしていたので、あたしは彼の危険性について説明してあげた。
あの状況を見て何故そんな誤解をする…冗談じゃない…
「…ドSのジャ●アンって…そうは見えねーけど…?どっちかってーとこう知的な感じが…」
「ぶっ…ち、知的ぃ?あいつがぁ?」
「眼鏡だし…」
「いや、確かに馬鹿じゃないけど…。あれは伊達だし。普段は死んでるか寝てるかのどっちかだよ?」
眼鏡ってだけで知的って…。単純な奴…。
それが聞こえたのか紫乃さんの方からも笑い声が聞こえた。そりゃ笑うよね。
「…ん?お前いつ来たの?」
あ、噂をすればやって来た。
飽きたのか一休みしたくなったのか、珠惠をようやく解放すると忍はあたし達に気づきこちらへやって来た。転がりながら…。
歩くのも面倒なのか?あんたは?
「あ~…あいつマジ面白いわ~!お前なんで俺に黙ってたんだよ?」
「あんたの性格を知ってるから…」
「隣の喫茶店にいるんだってな。俺明日から常連になろ…楽しみだなぁ…」
「あたしは珠惠が気の毒だよ…。あんたね、小動物好きだからって小さい物見て目を輝かすのやめなさいって言ってるでしょうが!それに聡一郎さんて元刑事なんだよ?」
「…俺は誰にも縛られたくねー。つか刑事さんって大抵はゆるふわなおっさんだろ?千石のおっさんみたいな。あの人弁護士とかの方が納得いくんだけど……まぁ、どっちもイケメンだけど。」
ゆるふわって…忍の刑事のイメージって何なんだろう?それは一部の人だけだから!!警察完全に馬鹿にしてるよこれ…。
「あら、蕾ちゃん久しぶりねぇ!!」
「むめ乃さん!」
幼馴染みに不安を感じていると、居間にひょっこり顔を出した和装の美女が一人。緩やかな髪を一つにまとめ、薄紅色の着物を着た優しそうな美女だ。彼女がむめ乃さん。
見ての通りおっとりとした優しい女性で、料理上手で、才色兼備な大和撫子。星花町の男性陣大半はそんな彼女の虜だ。ファンクラブまである。
「あら?こちらの人は?蕾ちゃんの彼氏さんかしら?」
「違います。」
「あらあら、照れなくても良いじゃない!うふふ、初めまして。小桜むめ乃です。随分綺麗な子ねぇ、まるでアイドルみたいだわ!」
いや、本物です。アイドルですよ…?彼。
「初めまして、
「あらあら、そんな…」
そして何この変わりようは…?
有沢伴はキラキラオーラ全開で紫乃さんの素敵スマイルに負けないくらいの笑顔を浮かべ、しっかりとむめ乃さんの手を握っていた。
ああ、これだから男は…。アイドルとは言え星花町のマドンナの美しさには敵わないか…。
「てか桐原って…」
「ああ、俺の本名。有沢伴は芸名だし。誰も俺に気づいてないからわざわざバラす事もないだろ?面倒臭いし…」
キッチンに消えるむめ乃さんにまだ見惚れながら、有沢伴は再び食事を始めた。
面倒臭いか…まぁ、確かに。そっちの方があたしも楽だ。
「あれ?蕾ちゃん、この人って…誰?」
「知り合いの桐原君だよ。アイドル志望なんだって。」
ようやく皆気づいたのか…有沢伴を見て首を傾げていたのでとりあえず適当に紹介しておいた。本人も何も言わないし。
「へぇ~!!確かにイケメンだ!でも…どっかで見たような…」
「俺みたいなのどこにでもいるし…ははは。」
食いつく珠惠にも営業スマイルで対応する有沢伴。珠惠も現役女子高生なら気づいても良いだろうに。あたしよりもアイドル詳しいくせに。
そんなこんなで…有沢伴は『アイドル志望の桐原君』でその場にすぐ溶け込んでいったのだった。
なんだろう?この流れ…??もう二度と会うこともないって思っていた人が再び目の前に現れて普通に馴染みの人達と食事をしているって…
しかも、あたしの隣で…
「…彼、すっかり馴染んだね。」
「ええ、もうすっかり…何故でしょう?」
「…蕾ちゃんは不満?」
「いや…別に…複雑ですけど…。あまりに違和感なさ過ぎて。あいつ本当にアイドルなんでしょうか?」
「そうだねぇ…まぁ、いいじゃない。」
ほろ酔い気分の紫乃さんに微笑まれ、あたしはとりあえず頷いた。
いいのか?いや、良くないでしょ!!
だってアイドルが…
「あ、あんたちょっと!!」
「ん?何?」
放っておいたら立場も時間も忘れそうな有沢伴を引っ張ると、とりあえず廊下へと連れ出した。
「…時間は?仕事とか大丈夫なの?」
「今日はもうねーし、明日から暫く休みだし…」
「…どうやって帰るつもり?まさか普通に電車で?」
「そうだけど…何か問題ある?」
「駄目だろ!!あんた自分の立場分かってんの!?」
「…は?俺お前に謝っただろ?別にもう問題は…」
「ちっがぁ~う!!あんたアイドルだって自覚あるのかって聞いてんのよ!?こんな時間、見知らぬ民家から出て行って辺鄙な駅から電車で帰宅って…怪しまれるでしょうが!!マスコミはどこにいるか分からないって言ってたわ…」
そう言うとあたしは注意深く中庭の茂みへと目を向けた…。特に何もない。
「言ってたって…誰が?」
「昨日のテレビで信ちゃんが…」
「演歌界の大御所の話かよ!?てか…お前信朗さんのファンなの?」
「お母さんがファンなのよ…メル友だって。」
「マジ!?」
母は人気のホラー作家だ。芸能界のファンも多いし、最近じゃテレビ出演もぼちぼち。美人ホラー作家とかって持ち上げられていい気になっている。
「って信ちゃんはいいの!どうでも!!あんたも芸能人ならちょっとは気を付けなさいよ!全国のファンを泣かせるような事しないで!!」
「俺はファン大事にしてるって、失礼な奴だな…。それに俺普通に電車乗ってても町中歩いてても気づかれたことねーし!大丈夫問題ねーって!あはははは!!」
「…へ、へぇ…」
それほど普段はオーラゼロって事か?それを何胸張って誇らしげに宣言してるんだろう?しかも笑顔で。こいつ…。
「可愛そうな奴見る目すんな!そ、そうだよ!!俺普段全然オーラねーよ!お前の言った通りオーラ無し男なんだよ!!文句あるか!!」
「い、いや…涙目になって言い切らなくても…引くわぁ…」
一応自覚あるんだ…。気にはしてるのね。
「…相方は常にオーラ出まくりで行く先々で騒がれ…俺はプライベートじゃ気づかれもしないさ…この間ホストの勧誘されたし…」
「目指せナンバーワンだね。」
「夜の蝶は皆俺の虜に…って何言わすんだよ!!」
「あら、意外とノリ良いんだ。」
「変なとこで感心すんな!!なんか腹立つ!」
「…ああ、ごめん…つい。」
アイドルの意外な一面を見てしまったあたしは、つい面白くなって調子に乗ってしまったようだ。
いかんいかん…説教するはずが逆に怒られるとか…
「…でもなんでそこまでガラッと変わるわけ?人相が変わるわけでもないのに…」
「…俺、カメラ回ってないと気が抜けるんだよなぁ…仕事中は別だけど。なんだろ、こう…オンオフはっきりしてるっていうか…」
「はっきりし過ぎで逆に怖いんだけど!大体なんでいつもジャージなの!?」
「楽じゃん、これ。特にゴムウェストってところがさぁ…食べ過ぎても苦しくならないし良いよなぁ…ベルトとかジーパンとか正直窮屈だよな。」
「何このアイドルとは思えない発言!?聞きたくなかった…お願い、珠惠の前では普通にしてて…!!」
「珠惠?ああ、あの小さい子?当たり前だろ?お前の前だから言ってんの。」
「なんでよ?」
「興味ないんだろ?アイドルとかイケメンに。だから恰好付ける必要も無い。」
「ああ…そうですか…」
いきなり恰好付けられても引くけど…。
けどさっきのゴム楽発言は聞きたくなかった…。こいつ絶対家じゃ年中ジャージで過ごしてダラダラしてるタイプだな。部屋とかも汚いんだきっと。
「…あ、有沢さんは中々庶民的なのね…」
「アイドルってだけでどんだけ偏見抱いてんだよ!?…てか、その他人行儀やめてくんない?同い年だろ?」
「そ、そうだけど…えっと桐原君?」
「それも何かなぁ…呼び捨てで良いよ。」
「えっと…じゃあ…伴?」
「ま、それでいっか。俺も名前で呼ぶわ。蕾だっけ?」
「う、うん…」
「よし!じゃあ、改めて…よろしくな、蕾。」
そう言って手を差し出すと、有沢伴は初めて笑った。あたしに対して…。
なんだろう…。テレビの中で見る笑顔とは違うっていうか…自然な笑顔っていうのかな?なんか新鮮な表情。
というか…あたし、今あの有沢伴と握手してるのか!?
う、うわぁ…なんかこれって……
「…お前…なんか手が赤いんだけど?」
「え!?ああ!!しまった拒否反応が!!」
「拒否反応!?」
慌てて手を離すと、あたしの手には赤いぷつぷつが…蕁麻疹である。イケメンの拒否反応的な。
あたしのイケメン嫌いは凄かった。アイドルなんて特に。過去のトラウマが原因とは言え、それからというもの見るだけでも悪寒がし(最近はマシになったけど)、触れられるとなればこうだ。
心身ともに全力で拒否する…慣れれば良いんだけど。
「お前どんだけアイドル嫌いなんだよ!傷つくわ!!」
「こ、こればっかりは仕方ないの!!」
こうして慌ただしく夜は過ぎていくのだった。
ああ、痒い!!ぞっとする!!うっかり手を握てしまったばっかりに!!何という失態!!