第10話 馬鹿の考えはやっぱり馬鹿かもしれない
文字数 7,225文字
翌日、教室でちょっとセンチメンタルな気分に浸っていると、静乃が次のコンクールの曲の相談をして来た。
「ちょっと、あんたも副部長なら真面目に考えなさいよ。」
「考えてる考えてる…」
「なんならあんた歌ってもいいのよ?三年間もピアノ伴奏のみって…合唱部入った意味ないでしょ?」
「絶対嫌。」
「…まぁ、あんたがそう言うなら無理強いはしないけど…いつまでも引きずっててもロクな事ないわよ?」
「…そうなんだけど……」
静乃はあたしが歌わなくなった理由を知る数少ない人間だ。だからこそ彼女にしては珍しく気遣わし気な言葉を言ってくれているのだけど…
『絶対無理とは限らないだろ』
有沢伴もそう言っていた…
それはあたしだってどこかで気づいて分かっていた…
でも…それでも初めの一歩を踏み出すには難しいくらいあの時から時間が経ってしまったように感じる……
「気が向いたら言いなさいよ?その時は私も付き合ってあげるわよ。」
「静乃…」
「…ま、まぁ…私の気も向いたらの話だけど…」
そう言い残し静乃は自慢の巻き髪を揺らし去って行ってしまった。それが颯爽としていて恰好良いい。
「…あたしだって…そろそろ抜け出したいんだよ…」
いつもなら腹を立てて不貞腐れている所だが、今日は違う…なんだかいつもより少しだけ素直な自分がいる気がする。
あの時、有沢伴と話していたらあいつの言っている言葉がすっと心の中に入って来て納得出来てしまったというか…させられてしまったというか…
よりにもよってあんな奴にっていう所は何だか悔しくて腹立たしいけど…
「…というか…あいつの叔母さんっていつ来るんだろ?」
あれほど騒いで巻き込んでおきながらもう一月近くも経っている…と思う。
だって季節はいつの間にか梅雨。あの五月晴れの爽やかな季節と入れ替えに蒸し暑く、じめっとした嫌な季節に突入している。
「ん?って事はあたし…あいつと一カ月近くもほぼ一緒の時間を過ごして来たってわけ?」
うわぁ…信じられない…!!
今までの記憶を辿ってみると……
『何すんのよ!!』
『ぐはっ!!』
背後から近づく有沢伴にアッパーを決め…
『だ~れだ?』
『き、気持ち悪いことしてんじゃないわよ!!』
背後から目隠しされバカップルが言いそうな台詞を言う有沢伴…そして鳥肌が立つあたし。直後綺麗に回し蹴りが決まる。脳天に。
『…お前、このままじゃ俺の身が持たねぇ…』
『じゃあその顔変えてよ!!』
『俺に死ねって言ってんのか!?』
『じゃあせめてこれ被って!!』
『プロレスマスクじゃねーか!!ふざけんな!!』
『じゃあ大仏とか?あ、鹿もあるけど…』
『ありのままの俺を受け入れて下さい!!頼むから!!』
と、思わずか故意にか抱き付く有沢伴…それをまたかかと落としで静かにさせるあたし…
えっと……
こ、これは………
「…やべぇ…ここ数日の暴力行為はヤバいんじゃ……?いや!でもそんな事言ったらあいつだって強制わいせつ罪だわ!!うん、お互い様よ!!」
と、ぶつぶつ一人呟き納得させ…
「…けど、あいつ悪い奴じゃないんだよなぁ…顔は無理だけど。」
一カ月も一緒にいたらさすがに慣れてしまったのか…近寄られても、多少手を触れられても平気になってきた。さすがに思い切り手を握られたり抱き付かれたりすればぶっ飛ばしてしまうけど。
いや…でも…あたしこのままで本当大丈夫なんだろうか?もしうっかり突然光代叔母さんとやらがやって来て、慌てた有沢伴があたしの手を掴み、あたしが拒否反応で投げ飛ばしでもしたら……
『嗚呼ぁ~…我が道よぉ~…』
し、新様が!?あたしの憧れの新様のサインが亡き物に!?そんなの絶対許せない!!
頭の中でヒット曲『嗚呼、我が道よ』を響かせながら、あたしは頭を抱え今まで以上に深刻に今の状況を考え始めたのだった。今更ながら。
「…と言う事で…あんた、今日から宮園家の一員になると良いわ。」
「はぁ!?」
その夜、あたしは考えに考えた結果出た答えを有沢伴へぶちまけてみた。
有沢伴は人気アイドル…多忙の日々…仕事終わりにそのまま宮園家へ来てくれるが、留まる時間は限られている…なぜなら、彼もその後家に帰らなければならないから。
普通のアイドルならあたしの提案はまずい…が!有沢伴は超が付くほどの人気アイドルだが普段は全くオーラがない!!そのオーラゼロレベルはファンにすら気づかれないほど重症的だ。
そんな彼が…一女子高生の家に居てもきっとなんの違和感もない…むしろ今は馴染んでいるし。近所の人も彼の事を『アイドル志望の桐原君』として認識している。あの有沢伴とは知らずに。
つまり…ここに留まる時間(あたしといる時間)が長ければ良いのだ…一カ月でこんなにも進歩したのだから…
「…思ってる事全部口に出てるから大体お前の考えてることは分かったけど…」
「あ、しまった…」
「その顔のどこが『しまった』って顔なんだよ…はぁ、いいや…」
「じゃあ話は早いわ。どうする?」
「…どうするって…」
まぁ、簡単に彼一人で決められる問題でもないか…黒沢さんにも相談しないとだし。
「…俺とお前がこういう生活をして一カ月近くは経ったと思う…」
「そうね…」
「それで結果お前は俺に近寄られても、軽く肩を叩かれても殴る蹴るなどの暴力行為をする事は無くなったわけだ…」
「なんか犯罪者っぽいわね…」
「…これは俺とお前の努力の結果なわけだけど…俺、言ったよな?『俺の彼女になってください』って…まぁ、ふりだけど…」
「言ったわね…」
「恋人同士ってさ…もっとこう…距離とかもそうだけど信頼関係とかも大事だと俺思うんだよな。スキンシップとか?」
「……」
有沢伴は今の現状を見ながら冷静に淡々と言葉を続けた…
「…なんでだよ?なんでいつも俺と真面目な話する時……緋乃ちゃん間に挟んで壁作ってんだよ!!」
「きょ、今日は忍だけど?」
「一緒だろ!!」
そうなのだ…こうして面と向かって近くに来られると身構えてしまうというか…体が勝手に殴り飛ばしそうになるのだ。危機察知能力と言うやつか。
最近緋乃が紫乃さんの家に渋々引きずられ帰って行ってしまったので…あたしと有沢伴の間に入るクッション的な物がどうしても必要だったのだ。
それまでは緋乃を間に置き奇妙な形の会話をしていたわけだけど…
そして今日はたまたま家にやって来た忍。こいつの場合いつでもどこでもダラダラ寝ているので役に立たないけど…無いよりマシってことで…
「…俺さ…お前のなんとかしなきゃならないっていう努力は認めるよ?」
「ど、どうも…」
「が!しかし!!お前一体いつになったら俺に懐くの!?せめて手くらい握らせろよ!なんでいつも投げ飛ばすの!?その癖隣で平気にダラダラしてるし!!警戒心あるのか無いのか訳わかんねーし!!」
「…す、すみません…意識はしてます…」
「じゃあトキメけよ!!」
「それは一生無理です…」
「ちょっとは考えろよ!!」
「いや、無理だって。」
「開き直るな!!」
と、有沢伴の騒がしい声がしても尚…忍は眠り続けている…起きる気配すらない…
「…分ったよ…俺今日からここで暮らす。」
「え!?本気!?」
「お前が言ったんだろ?だから…」
「いや…言ったけど…嫌なら嫌って…」
「一度口にした事取り消すんじゃねーよ…女に二言はねーよな?」
「それは男の子のことじゃ…」
「同じようなもんだろ…」
有沢伴はそう言うと真顔であたしを見つめ…と言うか…まるで決闘前のカーボーイの如く鋭い目つきで睨み付けやけくそになってそう言ったのだ。
おお…なんか役者顔負けの迫力がここに……!!
まるでそれはテレビドラマのワンシーンの様…やっぱり腐ってもアイドル様だ。
「よし、そうと決まれば…お前の部屋連れてけ…」
「は!?なんで!?」
「俺もそこで寝る。」
「は!?訳がわからない!!」
「…誘ったのはお前の方だろ?こうでもしないとお前絶対一生俺に懐かない!!」
「な、懐くって人を犬猫みたいに!」
「…お前相手に変な気なんて起こさないから安心しろって。俺の好み小柄で可愛い子だし。ついでにグラマーで…」
「…また殴られたい?顔。」
「…ごめんなさい。」
こうして…あたしは色々な意味で危機感を感じながらも、有沢伴を部屋へ案内した。
ああ、新様のポスター…引くんだろうな…
ガチャッ…
「どうぞ…色気も何もない部屋へ。」
「自分で言うなよ…なんか俺まで悲しくなる…」
そう言えば…男…しかも同年代の人間を部屋に入れるのは久しぶりかもしれない。忍はほぼリビングだし…というかほぼ紫乃さん家の縁側に生息してるし。
「…へぇ、意外と可愛いじゃん。」
「そりゃどうも…」
「あ!これキャプテン・バニーのぬいぐるみ!?」
「うん、好きだから…このもふもふが…」
「あ~…いいよなぁ…俺も色違い持ってんだよ~!!ミントグリーンのメリッサちゃん!癒されるんだよなぁ!!」
と、有沢伴は大きめのうさぎのぬいぐるみを抱きしめ頬ずりなんかしている。あの有沢伴がだ。
キャプテン・バニーとはうさぎの海賊のゆるアニメで、深夜にやっている物凄く放送地域が限られたマイナーキャラクターだ。中々可愛らしいカラフルなうさぎがカラフルな眼帯をしてゆるく世界の財宝だかを目指すというありふれた内容の。
ここ、星花町ではそのキャプテン・バニーを物凄く推していて、ファンにはたまらないレアなグッズまでもが販売されており、この大きめキャプテン・バニーのぬいぐるみもその一つだ。
ちなみにあたしが持っているのはピンク。女キャプテンのジャックと言う名のうさぎ。片目に掛かる黒い眼帯がまたその可愛らしさを引き立てている。ちなみにメリッサはちょっとドジな女の子の海賊さんだ。彼女の眼帯だけ星のアップリケがついている。
「…てかあんたもファンだったの!?あの超マイナーアニメの!?星花町住人しか知らないと思ってた…」
「俺の地域でも放送されててさ、いつも見てる。アニメでもわかるあのもふもふ感に癒されてる…」
「うん…いいよね…」
意外だ…アイドルがこんな超マイナーアニメキャラのファンだったなんて。しかも色違いのぬいぐるみまで持ってるって…
はっ!?これってお揃いって奴か!?い、いや…でも偶然だし…何動揺してるんだあたしは。
「…お!?これ藤桜の制服じゃん!?お、お前まさか…」
「生徒だよ?」
「マジか!?つ、蕾ちゃん…いや蕾様!今度是非可愛い女の子を見繕って合コンなんぞ…」
「断る。」
「即答かよ!お前は良いからさぁ…だって藤桜っていや乙女の花園!容姿高ランクのお嬢様学校だぞ!?男の憧れだよ…」
「制服に頬ずりしながらうっとりしないで頂けますか…有沢さん…」
こ、こいつ変態か!?
あたしのセーラー服に頬をすりすり、まだ見ぬ乙女の花園に妄想を膨らませながらうっとりする有沢伴の姿からは、とても人気アイドルとは思えないほど不審者臭がして来た…
うわぁ…この様子を動画サイトに投稿したらどうなるんだろうなぁ…本当、カメラの前以外じゃアイドルとは程遠い奴だ。
その後も有沢伴はあたしの部屋を物色しては合コンをせがんだ。『月間プロレス』という雑誌を発見するなり大人しくなったけど。
「じゃああんたはここに寝てね。」
「おう、じゃあ俺は今日からここに…って床!?布団的なもの一切無し!?」
お風呂から上がると、有沢伴はあたしの部屋で寝ると言い張るのでもう面倒臭くなり同意してやった。
なので…こう親切にベットの下をお勧めしたやったのに…
「冗談よ…はい!特別に個室用意しといてあげたわよ!!」
「押入れかよ!?俺はドラ●もんか!!」
「え?だってあるんでしょ?四次元ポケット。」
「そうそう…このパーカのポケットからはなんでも…って出るわけねーだろ!!」
「ちっ…使えないアイドルね…あんたなんか寝袋で十分だわ…」
「なんで失望してんの!?…ま、まぁ…ありがたく寝袋は使わせてもらうよ…」
「本当あんたってノリ良いわねぇ…芸人目指したら?」
「お前が相方になってくれるなら…」
「え~?嫌だ死んでも…」
「だからちょっとは考えろよ!!」
その後この漫才みたいな言い合いは長く続いた…母に止めを刺されるまで…
はぁ…提案したのは自分とは言え…本当にこれで良かったのか?あたし?
寝袋にくるまり速攻寝息を立てる有沢伴の姿を見て、なんだか幸先が不安になって来た。
こいつ…本当順応力高いな…そして緊張感がないっていうか…
ちょっと癖の入った毛先…これはおしゃれなのか元々なのか分からない…サラサラしてそうな前髪…まつ毛も長くやはり鼻筋も整っている。
おまけにお肌ぴかぴかの艶々だし…なんて羨ましい…
ベットの上から有沢伴の無防備な寝顔を見つめながら、あたしは自分の頬に触れてみた。
そりゃああたしだってまだ高校生だし…肌も衰えてなんかいないけど…ここまで艶々になるもんかね…
「…触ってみようかな…」
いつものあたしからは考えられない言葉…だけど目の前に理想のお肌があっては仕方がない…
だ、大丈夫…触るだけ…相手は死んだように眠ってるし、別にがっつり触る訳じゃないし…
恐る恐る有沢伴の頬に手を伸ばし…その完璧なるお肌に指先が微かに触れた…
「や、やっぱりこれだけじゃ細かい感触が分からないわね…」
いや、しかし…ここでさらに触れたら鳥肌とか蕁麻疹が…
いや!!それよりも!こいつがうっかり目を覚ましたりしたら何と言い訳をすれば!?
でも目の前に理想のお肌が!ってあたしも変態なのか!?でもこんな機会滅多にないし!!
もういいじゃない!あなた元々変わってるって言われ続けて来たじゃない、蕾!!今更変態とか言われたって傷ついたりしないでしょ?
勇気を…勇気を出すのよ!!
自分が何故こんな行動に出たのか…もう分からなくなって来た……
ええい!なるようになれ!!
ピタッ…
目を閉じ、やけくそ気味に有沢伴の頬に掌を乗せる…
お、おお!?何このハリと潤いに満ちた肌!?こいつどんなスキンケアしているの!?
「…そう言えば…何ともない…」
目を開き、触れた手を見ると特に変わりはなく…鳥肌も動悸もない…
も、もしかして…あたし…慣れたの!?
「…よ、よし…ならもうちょっと触っても大丈夫よね…ふ、ふふふ…」
もう変態でしかない…今のあたしは…
不気味な笑い声を漏らしながらあたしはさらにぺちぺちと有沢伴の頬に触れてみた…
ああ、これ普通に考えたら犯罪なんじゃ…人気アイドルの寝込みを狙ったセクハラ行為的な…
いや、でもこれも慣れる為だし!!く、訓練よ訓練!!
「…ん?」
「!?」
お、起きた!?お目覚めになった!?
いや、落ち着けあたし!!忍だって起きたと思ったら速攻すぐ目を閉じて熟睡っていうパターンがあるじゃない!!こいつだってきっと寝ぼけて夢を見てると思うに違いない。
うっすら目を開け、頬に触れ顔を覗き込むあたしをぼんやり見つめる有沢伴は寝起きでもやっぱり綺麗で…
「…お前、何してんの?」
「夢です有沢さん…これは全て夢です。起きたらどうってことはありません…」
「いや…俺さっきから起きてたし…」
「それも気のせいです有沢さん。さぁ、お眠りなさい…」
「眠らねーよ?」
ゆっくりとりあえず冷静に頬から手を離そうとすると…有沢伴が手を握りあたしの掌に頬を擦り寄せて来た。
いつもみたいに馬鹿にしたように笑ってくれるか騒いでくれるかした方がよっぽど良かった。
なのに…じっと真面目な顔をしてあたしから目を離さず…ただあたしの掌に自分の頬を押し当て…
「…気持ち悪い?」
「…よ、よくわからない…」
「…へぇ…ならそれでもいいけど…」
「あ、あの…有沢さん?」
「伴…ちゃんと名前で呼べって言っただろ?」
そんな事いつ言った!?いや初めの時に言われた気がする!!
そんな事より…何この胸の高鳴り!?動悸息切れとも違うような…じゃあ何!?
内心戸惑い動揺しまくっているあたしは、目を反らしたいのに反らせないでいる。振り払って殴るなり蹴るなりすればいつも通りなのに…
何でこんな時体まで金縛りに掛かった様に動けないの!?
「…蕾、お前…」
「な、何?」
「よく見ると綺麗な顔してるんだな……」
おおぃ!?何を言い出すのこの人は!?
目の前の有沢伴はあたしの知るあのだらけきったオーラゼロの馬鹿…いや調子の良い男ではなく…
今目の前にいるのは…テレビでいるような芝居がかった表情…いや、それとも違うような…いや、そうなのか?
あ~…もう!!良くわからなくなって来た…!!
吸い込まれそうな瞳に何故か良く響く声…なんだかそれが現実であって現実ではないような…
今のあたしはそんな不安定な世界に急に迷い込んでしまったかのようだった。
頭の中も………