第45話 朝の嵐とゆっくり咲く花
文字数 6,717文字
「………」
ピンポーンピンポーン♪
「……誰だよこんな朝早くから……」
十一月、有沢伴の自宅にて。時刻は午前五時を過ぎたばかりであった。
早朝にも関わらず、無遠慮に鳴り続けるチャイムは多忙で疲れ切っていた伴の意識を目覚めさせるには十分の威力を発揮していた。
正確に言えばチャイムが鳴り始めたのは午前五時よりも十分ほど前からだ。
こんな無遠慮で非常識極まりない訪問者は想像がつく……あの人しかいない。
出るのは嫌だ…が、絶対に出ないと後で何を言われるかどんな仕返しをされるか……伴の経験上考えただけで恐ろしかった。
「…仕方ねーな……はぁ……」
寝癖だらけの頭をぼりぼり掻き、気だるげなオーラを全身から漂わせる…その姿は今をトキメク超人気アイドルの欠片も感じさせない。その上今の伴の恰好は恥ずかしながらパンツ一丁である。
「…ああ、いーやもう…この恰好で出てやる……」
ベッドから降り、今度は尻をぼりぼり……もうおじさん以外の何者でもない。
「あー…はいはい……今開けっから…ふぁ~あ……」
ロクにモニター画面を確認せず適当に対応し、ロックの解除ボタンを押す……
すると、しばらくしてカツンカツンと大股で歩くヒールの音が玄関口に近づいて来た。
そして……ドアが乱暴に叩かれる……
ドンドンドン!!
(何の取り立てだよ……)
心の中でドアの外の主にツッコミを入れつつ、伴はうんざりした表情でドアを開けてやった。
そこには……
「はぁ~い!伴ちゃ~ん!!」
「ね、ねーさん……」
「近くで飲んだくれてたら終電逃しててさぁ!あはは!!仕方ないから漫喫で時間潰してたんだけど、あんたの家の近くじゃんって思い出して来てやったよ!!」
早朝、近所の迷惑も考えない大きな声と豪快な笑いが響き、伴の疲れ切った頭をズキズキと刺激する……
そして…見たら一気に目覚めるであろうこの身なり。
目がチカチカする程鮮やかな緋色のロングストレートヘアに深紅に塗られた唇と爪…透けるほど真っ白な肌…そしてワインレッドのゴスロリスタイル。ふわりと広がるスカートは踝丈まである。
「…何やってんの?」
「だからぁ~、飲んだくれてたら終電逃して…」
まだ酔いが醒めていないのかその超個性的な恰好の人物は舌足らずな調子で再び説明をしようとした。
やたら気の強そうな切れ長の瞳を細め、形の良い眉を潜めて……。深く濃い青い瞳はラピスラズリ…瑠璃石をはめ込んだ様に美しい。まぁ、この姿は
仮の姿
なのだが……。この
仮の恰好
であれ元の姿
であれ、どっちにしろ彼女は良く見れば美人なのだ。恰好や物言いが個性的過ぎる上、行動が自由奔放でがさつなので忘れそうになるが。「…はぁ……とにかく入れよ…あと朝だから静かにしてください。お願いします。」
「ああ、悪い悪い!!あははは!!」
「ねーさん頼みます!!お静かに!!」
追い返す訳にもいかず、伴は彼女を部屋の中へと招き入れついでに静かにするよう釘を刺した。
この個性的過ぎる彼女は『ねーさん』と呼ばれているが、勿論伴の姉ではない。近い存在なのは間違いないが。
彼女は
「茨ねーさん…早朝からとか勘弁してくれないっすかね…。いくら従弟の俺が可愛いからって……」
ついでに伴の従姉だ。伴が幼い頃より傍にいて何かと連れまわし世話を焼いてくれる頼もしい姉の様な存在であるが……
「悪いって言ってんだろ?あ~…何か喉乾いたわぁ…ね?何か飲み物無い?ペリエ的な……」
「家にそんなお洒落な炭酸水ありません!!黙ってオレンジジュース飲んでて下さい。」
「なんだまたぁ?あんた本当みかん好きだね?男の癖にオレンジジュース常備って……」
「男の癖にとかねーさんに言われたくねーよ……」
「うるさいねぇ…人にどうこう言う前に服着たらどうだい?だらしのない。」
確かにそうだった。茨に指摘され今自分がパンツ一丁なのを思い出す。いくら気心知れた従姉で男勝りで女性らしさの欠片も感じさせない彼女でも一応は女性で、綺麗なお姉さんである。流石に少し恥ずかしくなった。
菖蒲茨…仕事上そう名乗ってはいるがこれは『有沢伴』の様な芸名みたいな物だ。本名は
が……本人はその女らしい名前が嫌いらしく『
すずか
さん』呼ぶと『りょうか
だ』と言い張る。なので伴の中では彼女は『りょうかさん』になっていた。勿論、仕事をする上では『茨さん』である。仕事中うっかり本名を言いかけるとあの凛々しく美しい瞳が鋭くなり、心臓をもろに射抜く。恐怖でしかない。
「…で?あんた母さんから勧められた見合いの子とはどうなった?」
「ぶっ……」
「汚いねぇ……」
ジャージに着替え、オレンジジュースを飲んでいるといきなり茨からそんな事を聞かれ、思わず吹き出した…
そうなのだ…。茨こと立花涼花はあの最強にして最凶の叔母、光代の娘でもあった。あの母親にしてこの娘…子は親に似るとはまさにこれだ。
(母さんはあんな優しくておっとりしてたのに…姉の光代叔母さんはなんであんな風になったんだか……)
遠い昔の母の面影を思い出し、光代のハチャメチャな行動を思い出し…そして目の前の茨を見て伴はがっくりと肩を落とした。テンション駄々下がりである。
「…別に。なんだかんだでまぁ…今口説いてるって言うか……」
「何!?あんた惚れちゃったわけ!?あの『女の子大好き!!だけど一人には縛られない』って根っからの女好きが!?」
「う、うるせーよ!!それは昔の俺であって今はもうそんな事してないし!!つかそんな事してたら時に殺される……」
「ああ~…だろーね。あははは!!」
「笑うな!!」
「ま、あんたが落ち着いてくれりゃあたしとしては都合が良いんだけどねぇ?母さんが『早く良い人見つけなさい!!それが嫌なら見合いなさい!!』ってうるせーし……」
「なんかすんません……」
「別に謝らなくてもいいんだけどさ。母さんにとってあんたも息子みたいなもんだからね。悲しませるようなことだけはやめなよ?つかそうなったらあたしがあんたを絞める……」
「そんな事する訳ないだろ!?俺今回は本気だし!!あとはあいつが俺を受け入れてくれれば……あ~!!何かものすっごい先の話になりそうだぁ~~~!!」
「何?あんた手こずってるんだ?あの超人気のイケメンアイドル有沢伴でも落とせない女がいるんだねぇ?面白い展開になってるじゃないか……ふふふ……」
「やめろ!人の恋話酒の肴に不敵に笑うの!!つかもう酒飲むな!!」
「いやぁ、ちょっと鞄に入ってたから!昨日の余りだね。」
「一升瓶鞄の中に入ってるってどんな状況だ!!しかも『大魔王』って……ねーさんその物じゃん!!」
「うるせーな…知り合いの先生からの贈り物なんだから仕方ないだろ?『これは君の為にある』って胡散臭い爽やかスマイル浮かべて……思い出しただけで胸糞悪い……!!」
「胡散臭い爽やかスマイルって……」
伴はふと知り合いの爽やかお兄さんを思い浮かべた。
しかしあの胡散臭いが優しい穏やかな好青年とこの自由奔放の大魔王…いや、どちらかと言えば魔女の様な従姉と繋がりがあるとは思えない。
(いや……でも待てよ…)
伴はふと何かを思い出した。以前蕾から聞いた話の内容を……。
確か蕾は茨と偶然出会っている。しかも二度も。そしてその二度目には……
「ねーさん、紫乃さん知ってんのか!?」
「は?ああ、あの胡散臭い先生?」
「そう!その胡散臭い先生!!てことは昨日紫乃さんと飲んだくれてたって事!?」
「まぁそうだけど。それがどうかしたかい?」
「どうかするよ!!ねーさんと紫乃さんって付き合ってんの!?」
「そんな訳ないだろ?」
「じゃあなんで一緒に飲んだくれてたんだよ!!」
伴は思わず茨の顔に自分の顔を近づけ詰め寄っていた。
あの謎多き爽やかお兄さんの紫乃と同じく謎多き変人…いや、自由人茨が……??
「…はぁ?あのね。何も二人きりとは言ってないだろ?先生は仕事上関りがあるってだけで、その成り行きで酒飲みに行くくらい普通だ。勿論、その他大勢と一緒にね。」
「……仕事…??祓い屋の?」
「なんでそこ?普通に文芸関係だよ。あたし普段は出版社に勤めてるしね。カメラマンでもあるけど。」
「ああ……なんかそれは光代叔母さんから聞いた気が……」
「…母さんそんな事まであんたに話してんの…?まぁ、いいや…。とにかく、胸糞悪くなる誤解はしないでくれない?何なら先生本人にも聞いてみたらどうだい?」
「…うん、聞いてみる。」
「聞くのかよ……」
伴はスマホを取り出したが、直ぐに早朝だと言う事を思い出しやめた。
この件は今度会った時じっくり聞こう。絶対はぐらかされると思うが……
「そうだ!ならこれから一緒に先生の家に行くかい?」
「へ?」
「まぁ…ちょっと一寝入りしてからだけど。あんた今日は仕事無いんだろ?今から寝て…あんた学校行って、帰って来る時にちょうどあたしの目が覚める頃だろうし……」
「どんだけ眠るつもりだ!しかも俺の家で!!」
「一緒に寝るかい?」
「け、結構です!!年頃の男子高校生をからかうんじゃねーよ……つか俺は今あいつの事で精一杯だし!!」
「…ふ~ん……あいつねぇ…」
目を細め、面白そうに呟きながら茨は不敵に笑った。
「ねーさんには関係ねぇし!!」
「いいじゃないか。あたしはあんたのお姉ちゃんみたいなもんだからね?その子あたしにも紹介しなよ?じっくり見定めてやるからさ!」
「勘弁してください…ねーさん!!」
興味津々の茨を前に、伴は土下座して頼み込んだと言う。
*****
「…くしゅっ……」
「…紫乃さん風邪ですか?」
そんなやり取りが繰り広げられている事など全く知らないあたしと紫乃さんは……
十一月…秋深まり寒さも深まりつつあるこの時期、あたしは相変わらず受験勉強。もう大詰めの時期である。あと数ヶ月すれば本番なのだから。
そんなちょっと…いや、かなり追い詰められたあたし、宮園蕾は放課後、いつもの様に喫茶店『金木犀』へ直行し、にこやか爽やかに待っていた紫乃さんからマンツーマンの指導を受けていた。
「…昨日飲み過ぎたかな……」
「…そう言えば紫乃さん、今日は朝帰りしてましたよね?高級そうなお車で送迎されて……」
通学途中、偶然見かけてしまったのだ。
服装はいつも通りだったが、やたらくたびれてぐったりしていた紫乃さん……着物も少し着崩れし、髪も乱れ…
紫乃さんもいい大人だし、人気の作家先生だから大人のお付き合いもあるだろうし…まぁ、いいんだけど……
「ああ…出版社の社長さん…の秘書の人が送り届けてくれて……」
「秘書……」
なんか綺麗で妖艶なお姉さんなイメージが……。あたしの勝手な妄想なんだけど。
「…大人のお付き合いも大変ですね。」
「なんでそんな軽蔑した眼差しで俺を見てるの?」
「…紫乃さんもちゃんとした大人の男性なんだなと……」
「…蕾ちゃん、君は何か誤解してるよね?お兄さんはただちょっと大人のお付き合いでお酒を飲み過ぎて…気づいたら魔女…いや、まあ……
色々
あって終電を逃してしまって……」「色々……」
「とにかく…やましい事は無いから。」
「ふ~ん……」
「…浮気した亭主を見る様な冷たい眼差しはやめてくれないかな……。なんで俺こんな必死になってるんだろう…」
別に軽蔑はしていない。ただ紫乃さんはこんな胡散臭くて腹黒い人でもいい加減な事はしないイメージがあったから意外だった。
いや、別に朝帰りしただけであたしが騒ぐことでもないんだけど……緋乃ならともかく。
「…朝帰りか……妹をほったらかして…」
「聡一郎さんまで……。違いますって。」
「あんたがどこで何をしようが勝手だけどな。珠惠や蕾ちゃんに悪影響を及ぼす事は控えて欲しいもんだな。」
「無いですよ。ご心配なく。珠ちゃんも遠目で軽蔑したような眼差しないで……お願いだから。」
いつの間にか鋭い視線でこちらを見ている聡一郎さん…そしてあたしと同じく軽蔑の眼差しを向ける珠惠の姿がカウンター越しに確認出来た。
「…さぁ、この事は置いておいて。続きをやるよ?」
「…はぁ~い……」
「…まぁ、この誤解は後でしっかり解くとして…」
再び勉強モードに入った紫乃さんを前に、あたしも仕方なくそうすることにした。
最近は調子も良く、模試の結果もまずまずだったし……。あとは気を抜かずにこの小さい頭にしっかり叩き込まないと。
「…あ、そう言えば……蕾ちゃん!学園祭の話聞いたよ!」
「ん?何いきなり?」
勉強もひと段落し、珠惠がパンケーキとコーヒーを運びながら目を輝かせてきた。
「だから!!蕾ちゃんやっと歌う気になったんだって!?苺先輩も嬉しそうに目輝かせてたよぉ~!!」
「え…?ああ…まぁ……最後の学園祭だし……」
「よかったぁ~!!あたし、憧れは苺先輩だけど…やっぱり蕾ちゃんと一緒に歌うの好きだから。ピアノも上手だけど。折角一緒の部活入って一度も一緒に歌えないのって残念だなって思ってたから……」
「…珠惠……あんたそんな事思ってたの?」
「当たり前じゃん!あたしがこの町に来て、馴染めずにいた時蕾ちゃんが歌って元気をくれたんだからさ。それがきっかけで合唱部にも興味が出たっていうか……ついでに元気も出たって言うか……とにかく!感謝してるんだよ!!」
「…え…いや……何て言うか……」
いきなり何を言い出すかと思えば……
あたしの前に来て、真っすぐあたしの目を見て語る珠惠の顔は少し赤いけど偽りは無い。
本当、この子はいつでも真っすぐで素直なんだから……可愛い奴め。
なんだかつられてあたしまで恥ずかしくなって、上手く言葉が出て来ない。でも、うん。嬉しい。凄く。
あたしなんかの…まして小さい時気まぐれで歌った事が珠惠の力に少しでもなったのだとしたら……
ああ……。きっとあいつもこんな感情なのかもしれない。自分が誰かの元気の素になるって気づいた時のこの気持ち……。
「ひ、久しぶりに歌うし…その……かえって足引っ張ちゃうかもだけど……助けてくれたら嬉しい……かも…」
「勿論、任せてよ!」
「うん、頼もしいよ。」
そうだ……。こうしてあたしが歌う気になったのも伴と一緒に過ごしたせいなのかもしれない。
だってあいつはいつも笑ってたし。あたしがピアノを弾いてあいつが歌って…その時の表情はテレビの中で観る『有沢伴』とはまた違った魅力と輝きがある。
あたしは…その顔を見るのが……正直嫌いではなかったりする。
そして悔しい事にこっちまで楽しくて、嬉しくて……元気をもらっている気がして来るのだ。
だ、だからと言ってこれは恋心とは違うんだからね!!断じて違う!!
「そっか、蕾ちゃんも歌うのかぁ!!俺、絶対観に行くよ。」
先ほどから暖かな眼差しで見守っていた紫乃さんが、嬉しそうに微笑みそう言った。
ので……あたしは……
「いや、紫乃さんは大人しく原稿書いていて下さい。」
「え!?何で!?酷いなぁ……」
「だって紫乃さん目立つし……ね、珠惠?」
あたしの言葉に珠惠も深く頷いた。ついでに聡一郎さんと凛さんも。
でもこの人の場合……来るなと言われても来ちゃうんだろうな。絶対。
勉強もそうだけど…あたしの中で何かが確実に変わっているのは確かだ。
ゆっくりとだけど少しずつ……
そう、焦らずにゆっくり…それでいいんだ。
そうすればきっといつか伴ともちゃんと向き合える気がする。
でも今は……まだまだ……
約束したのだからちゃんと待っていてもらおうか。