第63.5話 とある女性の告白
文字数 4,552文字
星花町のレトロな喫茶店『金木犀』にて。一人の女が深いため息とともに机に突っ伏して呟いた。彼女は走って来たのか、呼吸が不安定だ。肩で息をしているのが誰からも分かるくらいに。
(あ~!!ごめんなさいごめんなさい!!わざとじゃないんです~!!)
震える手でメニューを開きながら、彼女は心の中でそう何度も呟き謝り続けていた。名も知らぬ、面識すらないとある一家へ向けて。
(こういう時って警察に行った方がいいのか?ていうかなんで逃げちゃうかな自分!?も~!!本当クソ!自分!!)
メニューを閉じ、頭を抱えると再び自己嫌悪に陥る。再びため息が漏れ、彼女は更に落ち込んだ。いつもこうだ。何かしら失敗すると決まって『自分クソだ!』と呟いて責めて落ち込むのだ。彼女はメンタルがかなり弱いらしい。その上情緒も不安定のようだ。
(…いや、まだ捕まる訳にはいかないわ。せっかくのチャンスなんだもの!!これが上手くいけば私だって…)
突っ伏した頭を上げ、背筋を正すと彼女は再びメニューを開いた。そんな様子を喫茶店のマスターと店員に見守られているとも知らずに。マスターの方は鋭く目を光らせている。
「あのぉ~、お姉さん大丈夫ですか?」
「え?」
「さっきからため息ばっかですよ?」
「だ、大丈夫…」
ついに耐え切れなくなったのか、店員が彼女に声を掛けてくれた。声からして若い男性…の様だ。彼女は思わず顔を上げその店員の顔を直視してしまった。直後、見惚れてしまう。
(え?何これ…?天使?)
可愛い…見た瞬間その一言が迷わず浮かんで来た。口にはしなかったが。
柔らかそうな色素の薄い茶色の髪、大きな緑色の瞳に華奢な身体。まるで漫画に出て来る美少女キャラそのものだ。ウェイターの恰好をしているが、ウェイトレスの恰好の方がしっくりきそうなくらい。
(ん?そ、そう言えば…マスターもめっちゃ美形!何も考えずに入ったから気づかなかったけどここって結構素敵な空間なのでは?)
カウンターでコーヒーを淹れているマスターの姿を見て、彼女はまたぼうっとした。こんなレトロな喫茶店のマスターは渋くてダンディーなおじ様とかおじい様をイメージしてしまうが、ここのマスターはまだ若くその上整った顔立ちをしていた。背も高くスタイルも良い。
(うわぁ…イケメンだぁ…私より少し年上?同い年かな?こっちの子は…まだ若いし高校生くらい?)
カウンターには落ち着いたイケメン、そして隣には愛らしい美少年。幸か不幸か、今この店には彼女一人しかいない。乙女ゲームのヒロインの状況のようだ。彼女はそう言った類のゲームや漫画が大好物なのだ。
さっきまでの最悪な思考が吹き飛び、思わず我に返り乱れた髪を整える。そして咳ばらいを一つ。美少年な店員にぎこちなくだが笑って見せた。
「こ、ここのお勧めを…」
「おすすめ?う~ん、どれも美味しいからなぁ…でもお姉さん見掛けない顔だし。聡ちゃん…じゃなかった、店長~!お勧めって何かある?」
(ああ、悩む姿も愛らしい…)
首を傾げると柔らかそうな髪が揺れ、思わず触れたくなってしまう。彼女は美少年も大好物であった。勿論大人のイケメンもだ。
「お勧め?そうだな…やっぱり金木犀特製コーヒーだな。」
「やっぱりコーヒーは外せないよねぇ。でも俺クリームソーダとかも好き!」
「お前が無駄に色のバリエーションを増やしたあれか…」
「カラフルだと可愛いじゃん!おかげで人気も出たでしょ?」
(クリームソーダかぁ…あの緑色の上にバニラアイスのってるの好きだったなぁ。ん?今って水色とか赤とかあるの?そういやテレビとか雑誌でも取り上げられてたような…)
喫茶店よりカフェ派の彼女はその名前を聞くと懐かしさを感じた。今はカフェに入っても適当にコーヒーと軽食とか頼んで終わりだ。たまに洒落た甘いドリンクを頼んだりもしたが、炭酸系の飲み物なんて暫く飲んでいなかった。だが、コーヒーも捨てがたい。何せこのイケメンの淹れたコーヒーだ。
「あ…あの、パンケーキとかありますか?」
「あ!そうだそれ!!やっぱり欠かせないよねぇ~!!」
「ああ、確かに…」
懐かしさついでに思い出したのはパンケーキだ。今は様々な種類のパンケーキが提供されているが、彼女は昔ながらの表面が少しカリッとしたしっとりパンケーキが好きだった。ふわふわしたものも好きだが。
(パンケーキとコーヒーでその店の味がわかるって言ってたしなぁ…)
今は帰る事のない実家の事も思い出し、どうでも良い言葉まで思い出した。自分の仕事が認められず、感情的になって飛び出したままだ。
(そうよ…私はこのままでは終わらないのよ!!)
当初の目的を思い出し、彼女は注文を済ませるとノートを取り出した。そこにはびっしりと文字が書き連ねてあり、いくつかの写真や記事の切り抜きも貼ってある。色気の無い付箋もいくつか。
(情報は間違いじゃなかったわね…あとは様子を見て調べ上げれば…)
鞄の中のカメラに自然と手が伸びた。チャンスは掴める時にがっちりと。それが彼女の運命に掛かってくる。しかし今日は失敗だった。
(まさかあんな事になるなんて…)
再び自己嫌悪に陥る。あんな失敗さえしなければ今頃は…
「お待たせしました。」
「あ、どうも。」
パンケーキとコーヒー、その香りに釣られ顔を上げると彼女は一瞬だけ固まった。運んで来たのはあの愛らしい店員ではなくマスターだったからだ。
(うわぁ~、声もイケメンだ!低めのバリトンボイスって!)
近くで見るとより整って見える。見た目は彼女と変わりがないのに妙に落ち着いていて貫禄もある。涼し気な目元も魅力的でますます目が離せない。
「お仕事ですか?」
「え?は、はい!」
「ここは電車の数も少ないから大変でしょう?都心からも少し離れていますから。」
「そ、そうですね。は、ははは…」
穏やかな声で話しかけて来たマスターに、彼女は慌てた。思わずノートを閉じ鞄に仕舞い込むほど。表情は柔らかいのに何処か見透かされていそうだと感じた。ただの喫茶店のマスターに何をこんなに焦っているのだろう。やはり彼がイケメンだからか。
「かなり慌てていたようですが、落ち着かれたようですね。良かった。」
「え?あ、ああ!すみません!私ったらいつもこうで!!肝心なところでドジ踏んじゃうんですよねぇ~!!もう、今日も本当…」
「誰にだってありますよ。そういう事は。妹もよく…」
穏やかだったマスターの表情が急に険しくなり、彼女はびくっと肩を震わせた。瞬間、両手が汗まみれになった。
(こ、この人…もしかして私のしたことに気づいているの!?)
つい先ほどしてしまった
失敗
を思い出し、手にしていたフォークを取り落としてしまった。彼女は態度に出やすいらしい。すぐに動揺するようだ。「凛、珠惠から連絡なかったか?」
「珠ちゃんなら家に直行するって言ってたじゃん!テスト近いってさぁ。」
「…それでも腹空かせてるはずだろ。そしたら必然的にここへ来るだろ?」
「美味しい物でも買って食べてるんじゃない?珠ちゃんも高校生なんだから。」
「買い食い…」
「も~!!買い食いぐらいでそんな怖い顔しないの!!」
「今食べたら夕飯絶対食べれなくなるだろ!」
「大丈夫だよ!だって珠ちゃんだもん。」
「……」
「お客さんの前で恥しいからやめなよ~。あ~あ、紫乃ちゃんでもいてくれたらやんわり止めてくれたのになぁ~…」
「居なくていいんだよあの人は。」
「そう言って来ないと寂しい癖に~…」
どうやらマスターには妹がいるらしい。しかも結構過保護と見える。美少年な店員に電話しようとするのを止められている様子を見ながら、彼女は何故か微笑ましい気持ちになった。
(実家…そろそろ帰ってみようかなぁ…)
*****
申し遅れました。私、
あ、でも私だって好きでこんな担当している訳じゃあないんですよ。だって本当は…文芸関係の編集とか記事とか書きたかったので。それが何故か入社して間もなくここへ飛ばされました。理不尽です。でも仕方ありません。人事異動は絶対です。
でもやっぱり文芸したかった!ああ、こう見えて私昔は大層大人しい読書家(漫画も含む)でして。もう本さえあれば何もいらないって程でした。なので憧れの出版業界へ。そこそこの大学を卒業して入社したまでは良かったんですけどねぇ。人生って上手くいかない、思い通りにいかないのが普通です。
え?私の人生なんて興味が無い?そうですね。では本題に。私が何故この辺鄙な…のどかな町、星花町へやってきたのか?そして何をこんなに焦っているのか?
実は私、ある人物を追ってまして。そんな流れでやって来てとある一家の家を見張っておりましたらですね…その一家のインターホンの前になんと…なんと…大きな蛾が止まていたんです!びっくりするでしょ?私昔から昆虫類は平気でして、でもさすがにこの大きさの蛾は怖かったので…思わず手近にあった石を投げてしまい(撃退しようとして)。結果ガシャンです。インターホンの一部が破損、蛾も仕留め損ねました。
『ああ…どうしよう…』
思わずそんな呟きが…そして謝ろうと決心した矢先でした。妙な和装姿の青年がひょっこり現れたのは。その恰好にも驚いた私は物陰から出るタイミングを完全に失ってしまいました。しかもその青年、
こと
に気づき石まで丁寧に拾ったのです。『…困ったなぁ…鳴らないや…』
どうやら青年、インターホンを押したみたいで音が全くしないので困っている様です。ここで、私が物陰から出て『実はかくかくしかじかで…』なんて説明しても良かったのかもしれません。でも!!それで『はいそうですか』と信じてくれるだろうか?否!絶対怪しまれます。
で…まぁ、家の中に入って行く青年を見守り何とか逃げて来てしまった…と言う訳で。しかしあの喫茶店に入って良かった。色々な意味で。
でもおかげで獲物を取り逃がしました。噂では確かに出没するんです。この家に
彼
が…このスクープを取れば私の報われない記者生活が一気に変わる。だから絶対逃す訳にはいかないのです。そしてまぁ…今に至ります。
カランコロン~♪
「ありがとうございましたぁ~!また来てくださいね!」
「はぁ~い♪」
上機嫌で喫茶店『金木犀』を後にした私はスマホを取り出そうと鞄を探った。今回はダメでもきっとこれから運が回って来る。
「あ、あれ?」
スマホがない!?え??なんで!?
喫茶店に置いて来た?いや、喫茶店ではスマホを出してすらいない。ノートを取り出しただけだ。
「ま、まさか…あの現場に…?」
慌てて鞄の中を探るが残念ながら見つからない。最悪だ、今日はやっぱりついていないのか。それともこの喫茶店に入った事で運気を使い果たしたのか。絶望の中、私はガクッと膝をつき崩れ落ちた。
ポン…
「?」
そんな時だった。背後から肩を叩かれたのは…