第39話 秋の夕暮れ、恋する女王様
文字数 4,923文字
柏崎静乃は一人らしくも無く公園のベンチでぼんやりと過ごしていた。
さっきまで元気良くはしゃいでいた子供達の姿もいつの間にか居なくなっている…家に帰ったのだろう。
そんな誰もいなくなった公園、彼女一人しか居ない……
その状況が彼女を油断させたのかもしれない。
「……」
キィ……
ふと目に留まったブランコ…静乃はそれに吸い寄せられるよう近づいて行くと、静かに腰を下しゆっくりと漕ぎ始めた。
こんな遊具に乗ったのは何年振りか…元々公園ではあまり遊んだ記憶が無い。幼い頃遊ぶのは室内で、もっぱら本を読んでいたり、流行りの人形の洋服を着せ替えて遊んだりしていた。
(私…体動かす事とか好きじゃないのよね……)
と、ふと思い心の中で呟いてみるが彼女のスタイルは誰が見ても抜群に良い。
それもそのはずだ。昔から外見には気を遣い努力して来たのだから。今もそれは続いている。体を動かすことが嫌いでも、ヨガやエクササイズをしたりジムに通ったり……彼女は美に対する努力は怠らない。
鞄には常に流行りのブランドの小物や化粧品、そして爪もいち早く流行を取り入れた最新のネイルで煌びやかに飾っている。勿論ファッショも常に最先端だ。
そんな見た目は誰がどう見ても完璧な彼女が何故こんな寂れた公園で一人寂しくブランコなんかに乗っているのか?
綺麗に巻かれた茶色く染まった髪が風に揺れ、その姿はまるで雑誌の1ページの様だ。
「…あのクソ兄貴が……胸糞悪いわ…」
キコキコキコ……
ぼそりと声に出し呟く恨み言…そしてムキになる様にブランコを漕ぐ……。割と本気で。
(…このまま家に帰りたくないのよね…帰ってもあいつがいるし……最悪だわ。)
どうやら彼女は家に帰りたくなくてこんな所で時間を潰しているらしい。
彼女の家…今は実家を出て都内の下宿屋に住んでいる。大家は初老の穏やかで優しい女性で、家賃もそれなりにお得で部屋も住み心地が良いので文句は無い。
ただ、トイレと風呂…勿論キッチン等は共有。風呂とトイレ、住む場所はかろうじて男女に区別されてあるが食事をする時は必然的に共有スペースへ出向き住人達と共に過ごさなければならない。
食事は大家の好意で作って貰えるし、不必要な時は事前に連絡すれば良いシステムになっている。静乃は見た目は完璧だが、家事等家庭的な事は一切やった事が無いのでそのシステムは大変ありがたかった。
(…私が料理したらどうなるか……)
家事…中でも料理が大の苦手なのは自覚している。彼女の作り出す料理はある意味オリジナリティ溢れた創作料理なのだが、いかんせん個性的過ぎるのだ。色々と。
個性的と言えば住人達もそうだ。なので極力共有スペースでの長居はしない様にしている。下手に長居をしたら何に巻き込まれるか…面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。
かと言って…実家に戻るつもりは全く無い。家を出る時にもう戻って来くるもんかと誓ったのだから。
それを急に…『戻って来い』と兄から直接言われるとは……
(…本当いい迷惑よ…あ~……今日はもうゾノの家にでも泊めてもらおうかしら。でもあそこには伴君が……)
だったら自分はお邪魔虫になるのではないか?ふと親友に気を遣い考え直そうとした時だった。
「…!?」
ガタッ!!
キィ…キィ……
ふと隣に気配を感じ目をやると、予想外の人物が座っていることに驚き思わずブランコを飛び降りていた。
自分でも驚くくらい動揺して心臓がバクバクしている…
そんな静乃の姿を見て、その人物はいつもと同じ様に暖かい眼差しを向け笑っていた。
「…し、紫乃さん!?な、なんで……」
「こんばんわ。いやぁ、綺麗な女の子がこんな時間に何してるんだろうって気になって…ははは!静乃ちゃん驚き過ぎだよ。」
「一言声掛けて下さい……!」
隣のブランコに座っていた人物…それは静乃も良く知る奇妙な和装の青年、如月紫乃であった。
いつもの様に爽やか過ぎる笑顔を浮かべ…いや、今は心底面白そうに笑っていた。
「ごめんごめん。あまりにも珍しかったからつい…静乃ちゃんでもそんな驚く事あるんだね?蕾ちゃんみたいだったよ?」
「ゾノと一緒にしないで下さい!…と、とにかく…今度は一言声を掛けて下さい。」
「はいはい、気を付けます。それよりどうしたの?こんな所で一人で…」
「…え?あ、ああ…別に……」
冷静さを取り戻し、辺りを確認してみれば…成程、ここは蕾や紫乃の住む町…星花町内だった。
無意識のうちにここへ足を運んでいたのは蕾に会う為か…それともこうなる事を期待していたのか……
紫乃に再び目を向けると、彼の片手には買い物袋か…妹の緋乃に持たせられたのであろう可愛らしい花柄のエコバックらしき物が握られていた。
(…あの子…相変わらず愛が歪んでいるわね……)
敢えて乙女チックな花柄をチョイスしたのは緋乃の悪戯心からだろうが……それを素直に持って出る紫乃はやっぱり優しいと思ってしまう。
「…ああ、これ?緋乃が『買い物へ行くならエコバックを持って行きなさいな』って…最近はビニール袋にお金かかるだろ?」
「…はぁ…まぁ…」
「…今エコバック割引とかあるんだよ。俺初めて知ってさ。思わず偶然会った蕾ちゃんに話したら『紫乃さん今更何言ってるんですか?』って逆に驚かれたよね…あんな冷静にツッコむ蕾ちゃん久しぶりに見たよ…」
「ゾノは半分主婦みたいなもんですから…ああ見えて家事完璧ですし……」
むしろ一緒に暮らして家事全般をやってもらいたいくらいだと…静乃は本気で思った。
「…でも、紫乃さんも家事は殆どやっているとか……」
「ああ、とりあえず料理は俺が担当だね。緋乃に台所を任せると……ま、まぁ…人には得手不得手があるから。」
(…あの子どんな料理したのかしら……)
「でも、洗濯は緋乃がしてくれるし…掃除とかは分担だね。」
「ああ…成程……」
緋乃の料理が気になったが、静乃はとりあえず詳しく聞かない事に決めた。
ただ今のこの何気ない時間を穏やかに過ごしたい…そう思いながら。
隣で話す紫乃の穏やかな声を聞きながら、静乃も次第に荒んでいた心が穏やかになって行くのを感じた……
「…さてと…そろそろ帰らないと緋乃が台所で張り切っちゃうな……」
「…あ…そうですね……」
丁度会話が途切れ、紫乃が思い出した様に立ち上がるのを見て静乃はつい俯いてしまっていた。
この時間がいつまでも…なんて少女漫画の主人公が思う様な事を自分が考える訳も無いのだが……
(…この時間がいつまでも続けば良いのに…ね…)
自分もそろそろ帰らなければ大家が心配するだろう。ゆっくり歩き出す紫乃の背中を見つめながら、静乃も重い腰を上げ歩き出した。
そう言えば…紫乃と初めて出会った時も、確か今の様な夕暮れ時で空も夕日色に染まっていた。
ふとその時の事を思い出すと、また胸の奥がじんわりと温まっていく……
「静乃ちゃん?」
「…紫乃さん…お願いがあるんですけど…」
「ん?何だい?」
気付けば静乃は紫乃の着物の袖を掴んでいたらしい。無意識に意外としっかりと。
いつもと変わらぬ冷静沈着そのものの表情を浮かべ、真っすぐ紫乃を見つめる静乃。それをまたいつもと変わらず爽やか素敵な笑顔で見つめ返す紫乃。
二人は暫くそのままの形で静止していた……
「…あの…暫くそちらに私を泊めてくれませんか?」
「…え?」
「勿論、掃除でも料理でも…なんでもします。だから何も聞かずにお願いします。」
「…え??」
「…今は…帰りたくないんです。お願いします。」
静乃の思いがけない発言にさすがの紫乃も驚いた様だ。笑顔のまま、首を傾げ静乃を見つめたまま固まっている。
そして静乃も…言った本人ですら内心驚いて動揺していた。何故こんな事を言ってしまったのか。紫乃を困惑させるような子供じみた我儘を…。
(…でも…やっぱり今は帰る気がしない……それに…)
学校での兄との事もあったのだろう。いや、それしかない。心が波打ち立っている時に帰ってあの顔を見たら。更に荒ぶってしまうに違いないのだ。
あの昔馴染み…いや腐れ縁の…九条時の顔を……
「…ご家族に連絡は…」
「私は下宿してますから管理人さんに言えば…」
「ああ、そう言えば…蕾ちゃんから聞いた気がする。じゃあ、その管理人さんにまず電話しなさい。無断外泊は駄目だよ?」
「…え、あ…はい。」
笑顔から一変。紫乃は急に真面目な表情を浮かべると、子供に何か言い聞かせる様に穏やかな口調でそう言ったのだった。
静乃は素直にスマホを取り出し、連絡先から大家の名前をタップし早速連絡を取り始めた。
(…とりあえず…良いって事なのかしら?)
「…あ、静乃です。」
「…はい、ちょっと貸して。後は俺が話しをするから…」
「え?一体何を……??」
「いいから。お兄さんに任せなさい。」
繋がった事を確認すると、紫乃は笑顔で静乃の手からスマホを抜き取った。
そして、聞こえてくるいつもの穏やかで優しい声…大人な対応の会話……
確かに急に『暫く外泊します』なんて言ったら心配するだろう。あの優しく人情深い大家のことだ。それは少し厄介だ。
それに…大事になったら絶対に時が出て来る。大家の孫でもあるのだから。大切な祖母を不安にさせる困った幼馴染みに説教するために。
「…はい…いえいえ、こちらこそ。すみません、急にお借りしてしまって…ははは、大丈夫ですよ。では。」
一体どう説明をしてこんな穏やかに対処したのだろうか。にこやかな紫乃の様子を見ながら、静乃は感嘆と呆れのため息を小さく吐いた。
「はい、これで問題ないよ。大家さん優しい人なんだね、静乃ちゃんの事気にかけてたけど…」
「…良い人ですよ。とても綺麗で優しくて、温厚な…私の憧れの女性です。」
「へぇ!静乃ちゃんにこれ程認められるなんて…俺も一度見てみたいなぁ!!」
「駄目です。」
「え~?酷いなぁ…。大丈夫だよ、いきなり口説いたりしないから…」
「そうじゃなくて…と、とにかく…ありがとうございました。暫くお世話になります。」
「はい、どういたしまして。」
「……」
「じゃあ、帰ろうか?…ぼーっとしてるなんて静乃ちゃんらしくないよ?ほら、迷子にならない様お兄さんがしっかり手を繋いであげるから。」
「…!?」
「よし、行こうか?お腹すいたなぁ…」
暫くぼんやりしていた静乃の手を握り、紫乃はいつもと変わらず穏やかに瓢瓢と歩いて行く…
気付かれてないだろうか?多分、今の自分の顔は赤い…証拠に頬辺りが凄く熱い気がする。こんな動揺するなんてらしくないのは分っているが、この人が相手ならば仕方ない。
静乃は誤魔化す様に顔を俯かせ、何とか足を動かした…
(手繋がれたくらいで…小学生か私は……)
ドキドキする。過去にとても魅力的な異性に言い寄られた時ですら、こんなに胸が高鳴る事なんて無かったのに。
恋は先に惚れた方が負けと言うのは本当らしい。おかげで今も振り回されっぱなしだ。
けど……
きっとこんなにときめいているのは自分だけで、紫乃はなんとも思ってはいないのだろう……
静乃は彼にとって『蕾の親友』以外の何者でもないのだ。こんな風に優しくするのもきっと……
分かってはいても、この手は振り解けない……
いつまでもこうしていたいと思ってしまう自分がいる…
(この時間が…ずっと終わらなければ良いのに……)
そんな少女漫画の様な台詞を、静乃は心の中で無意識に呟いていた。
手を握り、前を歩く紫乃の背中を見つめながら……