第43話 気になるなら考えるより動くべし
文字数 4,784文字
「…おはようございます。」
それはごく普通の十月の朝であった。
代り映えしない見慣れ過ぎた宮園家のキッチン。そしてそこに立つ爽やか過ぎるイケメンが一人。
紺色のエプロンは恐らく母に無理矢理付けられたのであろう…そんな地味なエプロンすら彼が身に付けるだけで素敵に輝いている様に見えるから怖い。
リビングのソファーには珍しく母が寝間着姿のままだが座って愛用のマグカップ片手に寛いでいるし、父は父で椅子に座って相も変わらずのほほんとお茶を啜っていた。
「朝からイケメンっていいわねぇ~!!」
「ははは、そうだね美空さん。」
「伴君も良いけど、時君はまた違って良いのよねぇ!うふふ、創作意欲が湧いちゃうわぁ♪」
「ははは、美空さんは相変わらず元気だなぁ。」
のほほんとした父にご機嫌にはしゃぐ母……
そんな二人の姿を朝一番に目の当たりにした娘のあたしは……どう思っているだろうか?想像してみて欲しい。
いや、そんな事より……何故に朝からあの九条さんが辺鄙な町ののほほん一家のキッチンに立って、普通に爽やかに朝食を作っているのだろうか??
「……あの、九条さん?」
「何?あれ?蕾ちゃん朝食はパン派だった?」
「いえ、朝は米に限ります!」
「そっか、良かった。俺も朝は米派で…力が出ないんだよね。パンだと。」
「あ~、わかるわかる!!ってそうじゃなくって!!」
にこやかに爽やかに…片手にお玉なんぞ持ちつつ話す九条さんのペースに流されそうになりながらも、あたしはなんとか自分のペースを保った。
「…蕾ちゃん、もしかして昨日の出来事忘れちゃってる?」
「いやいや、覚えてますとも!あんな出来事忘れられませんって!」
にこやかな表情から一変、九条さんは急に無の表情になると眼鏡の淵を押さえつつ、あたしの顔を覗き込む様に屈んだ。
普通の女子高生なら『きゃ~!!九条時がこんな近くに!!』と失神物だろうが……
「…やめて下さい。離れて下さい。ぶっ飛ばしますよ。」
あたしは嫌悪感露わに、その小さく整い過ぎたお顔を片手で押しやり世の乙女達からは考えられない台詞を冷静に吐き捨てたのであった。
ああ…やっぱりイケメンだからなぁ……。もうちょっと免疫付けんといかんな、この人の。
「…本当、駄目なんだね。俺の顔。」
「イケメンは大嫌いです。殺意すら覚えます。」
「そこまで…いや、でも…投げ飛ばされないだけましか……」
「あたしも一応人選んでますんで。多分。」
「いや、イケメンだったらとりあえず投げ飛ばすよね?俺に初めやったみたいに……有無を言わさず迷わずに。」
「…そんな事もあった様な無かった様な……あたし、過去を振り返らない女なんで。」
「…そうなんだ……とりあえず目が泳いでるのはスルーして話を進めるけど……」
「かけじたない。」
何故朝から九条さんとこんなやり取りをしているのか??そもそも何故彼がこんな所にいるのか??
それは昨夜の出来事を振り返って読んで欲しい。お願いします。
「でも何故いきなり朝ごはん作ってるんですか?すっごく助かりますけど。」
そうだ。九条さんは急に押しかけて来たとは言え一応客人なのだ。朝からこんな事する必要なんてなければ、頼むのも恐れ多い。
あ……卵焼きに焼き魚の良い香りが……
「いきなり押し掛ける形になったし、お世話になる以上必要最低限の事はしないと。普通だろ?」
「朝から朝ごはん作るのが最低限の事なんですか?いや、めっちゃ助かりますけど…。あ、卵焼き食べて良いですか?美味しそうなんで!!」
しれっとさも当然の様に言い放った九条さんを見て、あたしは心底驚いた。そしてちゃっかり焼き立ての卵焼きを口に頬張った。
あ…なんか凄く美味しいんだけど……!!あたし負けてるんじゃないか?これ??
「一応、キッチン使用の許可は取ったよ?」
「いや…別にそこは勝手に使用しても良いんですけど!!ただ、九条さんお客さんだし…その、職業も職業なんでうっかり怪我でもされたら何と言うか……」
「俺、料理は得意だから心配無いよ。いつも手伝ってるし。それに大抵の家事は出来るよ?掃除から洗濯…ごみの分別まで。」
「ごみの分別めっちゃ細かそうで嫌なんですけど。」
「ああ、それ良く言われる。特に静乃には『男の癖にちまちま細かい事気にしてんじゃないわよ』って蔑んだ冷たい目で……」
「それ想像するだけでゾッとするんですけど……」
「あいつ…目で人を殺せるんだ。一種の才能……」
「九条さんも似たような事言われてますよ…伴に。」
いつだったか…いつもの様に宮園家でまったりしていた伴のスマホが急に鳴り…そのお相手が九条さんだったらしく…出た瞬間背筋がピキッと真っすぐ伸びていたのをあたしは見逃さなかった。
その時あたしは悟ったのだ…ああ、伴も苦労してんだなぁ……なんてしみじみと。さりげなくみかん飴を差し出したらめっちゃ喜んでたけど。
「…しかし…九条さんって本当伴と正反対っていうか……完璧なんですね。隙が無い。」
完璧な素晴らしき日本の朝食が並べられたテーブルを前に、あたしは味噌汁を啜りながら呟いた。
「そうかな?普通だよ。あいつがだらしなさ過ぎるだけで……」
「あ~……あいつ常にジャージでお腹出して熟睡してますからねぇ……そこのソファーで。」
「腹巻でも作ってやろうか……」
「バカ●ンのパパみたいなの希望。」
「あ~…それいいかも……」
九条さんの初対面の印象は『冷静沈着、冷酷無比な完璧美少年』って感じだったけど……
何度か会って話をしてみれば意外と普通で、伴の事になると少しお母さんっぽくなる。隙が無くて完璧なのは変わらないけど。
こうして我が家の食卓に座っているだけでもピシッとして何処か品を感じるし……。いかにもお育ちが良さそうっていうか。
「今日、蕾ちゃんも学校休みだよね?」
「え?あ…そうですけど……あたしには休みも何も……はははは……」
「え?まさかまだやばいの…?受験まで時間無いと思うけど……」
「…九条さん。まだ季節は秋です。冬まではまだまだ……」
「蕾ちゃん。それは現実逃避だよ。そんな考えだから駄目なんだ。一度自分で目標を決めたからには成し遂げないと意味が無い。」
「う、うっす……そっすね……頑張ります。」
「…東雲先生も少し優し過ぎるんじゃないのか?蕾ちゃん、あの人にとって妹同然なんだろ?ちょっと甘やかされ過ぎの気も……」
「いやいや!!とんでもない!九条さんは紫乃さんのスパルタ先生っぷりを目の当たりにしていないから……本当あの人爽やか好青年に見えて本当黒いし、絶対Sですよ…ドが付くレベルの……」
「…それは分かる気がする。でも何だって静乃まで…?蕾ちゃんの友達ってだけだろ?」
「う~ん…まぁ、あの人基本女の子には優しいから。特に年下には。あ!で、でもロリコン趣味ってタイプじゃ……」
「そこまで聞いてないよ。」
「…と、とにかく!なんて言うか……静乃も複雑な子なんで放って置けないんじゃないんですかね。緋乃…紫乃さんの妹もそんな感じだから。」
「……ふ~ん…成程な……」
何を納得したのか、九条さんは微かに目を細め一人頷いていた。
きらりと光る眼鏡の奥の瞳は何を見たのか……変な緊張感が走りなんだか気まずく感じるのはあたしの気のせいだろうか??
「あ、それなら!九条さんも一緒に行きます?」
「何処に?」
「紫乃さんの家に。伴も大好きなんですよ。」
「……え?」
「静乃の事が気になるならもう直接乗り込んでとことん話し合っちゃえばいいんですって!そうしましょ!!うん!!」
「……え?」
こうして、あたしは無理矢理きょとんとした九条さんの腕を引っ張り上げ如月家へと向かったのであった。勉強道具を忘れずに持って。
*****
「あれ?珍しい組み合わせだね?」
着いた如月家。いつもの様に紫乃さんが爽やか素敵スマイルで出迎えてくれた。
「あれ?紫乃さん今日はハイネック無しなんですね?」
「ん?ああ……実はちょっとした事件があって……」
さっと目を反らし遠い目をした紫乃さんの頬には一筋の汗……
今日の紫乃さんはいつもの若竹色の着物に黒いハイネックでは無く…白い着物に渋めの緑色の袴姿だ。巫女さんや神主さんを思わせる様な。
一体紫乃さんの身に……いや、服に何が……!?知りたい様な知りたくない様な……
「それで?君達は何で一緒に?」
「…ちょっとした事件があって……」
「なんやかんやで……」
「…ん?」
今度はあたしと九条さんが目を反らす番だ。勿論、それで納得してくれる紫乃さんではない。笑顔で説明を求められたのは言うまでも無いだろう。
「…成程。それで時君は静乃ちゃんを……」
「ここに連れて来られたのは強制に近いんですけど……」
場所を変えて紫乃さんの部屋。お茶とお茶菓子、そして愛猫の琥珀を間に事の成り行きをざっくり説明し終えると、紫乃さんは深く頷いた。
何だろう、この感じ。まるでこうなる事を予測していた様な……そんな雰囲気だ。
「静乃ちゃんからざっくり話は聞いているけど…俺もね、いつまでもここに置いておくわけにはいかないと思ってはいたんだ……」
と言いつつお茶を一口、ついでに琥珀の頭を撫でながら紫乃さんは静かに言った。
「だったらさっさと戻しに来てくれても良かったんじゃないんですか?あなた、こうなる事を分かっていたんじゃないんですか?」
「あはは、どうだろうね。でも、君は放って置けないから静乃ちゃんを迎えに来たんだろ?そんなに心配なら引き止めればよかったのに。」
「引き留める間も無くあいつがいきなりあなたの所に転がり込んだんでしょう。」
「ああ、そう言う事になるか……」
笑顔で受け流す紫乃さんとは正反対に、九条さんはにこりともしていない無の表情だ。
目、目が怖い……ひんやりして凍てついているというか……
「まぁ…本人は至って元気だよ。緋乃と一緒に楽しそうにしてるよ?昨日個性的な料理を作ってくれたし……」
「紫乃さん食べたんですか!?あのカオスな創作料理!?大丈夫なんですか!?」
「可愛い妹とそのお友達が一生懸命作ってくれたんだ。俺の為に……。食べないわけにはいかないだろ?味も…まぁ…結構個性的だったけど……」
「事件ってこれですか!?し、紫乃さん!?」
「あはは、嫌だなぁ!!可愛い女の子の作った料理が事件の元になる訳ないじゃないか。俺は見ての通り大丈夫だよ。」
「…紫乃さん無理しないで!!」
このピシッとしかけた空気も打ち破り、あたしは思わず紫乃さんの肩を掴んで揺さぶった。
あ、あの二人の手作り料理を食べるなんて……紫乃さんどんだけ女性に優しいの!?さすがと言うか……。
あの独特な盛り付けの料理を前に、更にあの二人の笑顔まで前にして……笑顔で『ありがとう』と言って食べる紫乃さんを想像するだけで泣きそうになった。
「と、とにかく……静乃ちゃんは元気だよ。」
「…その様ですね。」
「どうする?話してみるかい?」
「…そうですね。それが目的ですし……」
笑顔で顔を覗き込む紫乃さんを前にして、九条さんは決まり悪そうに目を反らすと頷いた。
それを見て…紫乃さんは満足そうに再び微笑んだのであった。
それはそれは楽しそうに……