第60話 気づけば日常化したような・・・
文字数 9,973文字
朝、目覚めた瞬間に後悔した。当然だろう。
「はぁ~・・・・」
人は眠れば一度気持ちがリセットされると言うがそれは嘘だ。少なくとも今のあたしにとっては。だって昨夜の出来事をしっかりと記憶しているのだから。
急に混乱したとはいえ
あれ
はさすがにない。小学生でもあるまいし。女子高生であれはないだろう。あれは。あれあれしつこいが許して欲しい。言葉にするのもなんというか・・・耐えられない!
しかし、眠って冷静さは取り戻せた。それが救い。だからこうして後悔して頭を抱えている訳なのだ。これからどんな顔をして顔を合わせればいいのかと。というか、さすがの伴も昨日のあたしのお子ちゃまぶりを見て引いたのではないだろうか。こいつ駄目だって。
ああ、あんなつもりじゃなかったのに。ちゃんと話すつもりだったんだ。ただ逃げたくなったのは事実だけど。あの時伴が現れるその時までは。あたしはなんであの瞬間あんなに腹を立ててしまったのか。自分ですら分からない。
「蕾ちゃん?起きてるかい?」
「・・・」
忘れてた。あたしはこの人にも迷惑を掛けてしまったんだった。混乱して伴にドロップキックして散々怒りをぶつけたあげく大泣きして。
ああ~!!紫乃さんともどんな顔をして話したらいいの!!
「開けるよ?」
「え!?ちょっと待った!!」
ガチャ・・・
あ。待ったって言ったのに!!
ドアは静かに開かれ、紫乃さんの姿があった。いつもと同じ妙な和装姿の。
「よしよし、ちゃんと起きているみたいだね。」
「あ・・あの・・・紫乃さん!き、きき昨日はその・・・」
「ん?」
ベッドの上で姿勢を正し正座しているあたしを見ながらも、紫乃さんはいつも通りだった。爽やかに微笑み、ついでにカーテンを開けながら。朝日がいつもよりも眩し過ぎる。
な、なんだ??この人・・・やっぱり怒ってる!?そうだよね、さすがに昨日のあれは紫乃さんでも引くというか呆れちゃうよね。付き合いきれないって思っているのかも。
「大丈夫だよ。俺は気にしてないから。」
「・・・ほ、本当に?」
「俺は蕾ちゃんに嘘は言いません。」
いやいや。そんな嘘言っちゃ駄目ですよ?紫乃さん?
あたしの気まずそうな雰囲気を察したのだろう。静かにベッドの上に腰を降ろすと、紫乃さんは穏やかに優しくそう言ってくれた。最後にはお約束の爽やかスマイルまで浮かべて。
「少しは落ち着いた?」
「はい・・・」
「うん、良かった。蕾ちゃんは色々考えすぎて溜め込んじゃうからたまに爆発しちゃうんだよね。昨日みたいに急にさ。」
「そ、そうなんでしょうか・・・あれは。それにしたって理不尽というか・・・さすがに伴が気の毒の気も・・・」
「確かに伴君は気の毒だったね。あはは!」
紫乃さん、笑顔でそう言っても説得力ありませんよ?あははって。
「紫乃さん、あのあとあたしを家に運んでくれたんですか?」
「うん。あ、でもちゃんと家には帰ったよ?緋乃も心配だしね。」
「なんかすみません!!」
「だから気にしなくっていいんだよ。こうやって蕾ちゃんの面倒を見るのも俺の楽しみの一つなんだから。」
「紫乃さん・・・」
いい人!やっぱり紫乃さん大好き!!
今すぐそう言って抱きつきたい衝動にかられたがなんとか堪える。今そんな事をしたらまた泣きそうだ。あたしが。
「あ、あの・・・それで伴は?」
「とりあえず帰ってもらったよ?伴君も驚いてたみたいだし・・・駄目だった?」
「いえ!ありがとうございます!!」
助かった。こんな状態で朝から顔を合わせたらまた喧嘩腰になりそうだ。混乱してドロップキックとか。そういえば、昨日も思い切りしちゃったけど大丈夫だったかな。あいつ。
紫乃さんの気遣いに感謝しながらもふと伴のことが心配になった。あんなんでも一応アイドルだし。人気絶頂の。顔とかに傷を作ったら大変だ。九条さんにも何を言われるか。
「じゃあ、今日は朝から頑張ろうね?」
「え?」
「え?って・・・勿論勉強だよ。蕾ちゃん、昨日すっかり忘れてただろ?」
「あ・・・」
すっかり忘れてました。すみません。
あたしは受験生で今はラストスパートに向けての頑張りどころだ。二月には試験が控えている。それなのにこんなことで悩んで疎かにするとは。つくづく受験生としての自覚が無さ過ぎるな。自分。
「じゃあ、次はこの問題やってみようか。」
「はい・・・」
三時間後・・・・
あたしは紫乃さんの宣言通り受験勉強に勤しんでいた。紫乃さんも本気モードらしく、朝食後すぐに開始し、容赦の無いスパルタ授業を行ってはお手製のテストを突き付けてきた。あたしはそれに黙って応えるしかない。当然だが。
ああ、改めてやってみると(というか毎日やってるけど)まだまだ問題は積み重ねって感じで、自信が全く無い。合格すると言う。やればやる程不安ばかりが募って胃がキリキリと痛んでくる。
「うん、蕾ちゃんこの問題良く出来たね。凄い凄い!」
ポンポン・・・
あ、褒められた。嬉しい。
やっている本人は成長の兆しが全く見えていない状態なのに、教えている紫乃さんはちゃんとわかってくれているようだ。お手製のテストの採点が終わると嬉しそうにして頭を撫でてくれた。
あ・・・確かに。ここ、いつも頭を悩ませて間違ってたところだ。
「・・・あたし、成長してるんでしょうか。」
「勿論、決まってるだろ?俺が先生なんだからね?」
あら、自信満々。
紫乃さんは笑顔で頷くと、次の問題集を開いてあたしの前に差し出した。紫乃さんは教え方も上手いし、優しい。あと結構褒めてくれるのでやるその通りだ気も出て来る。勿論厳しさもあるけど。
やっぱり作家先生だからかな?様々な知識を兼ね揃えかつ皆に伝わりやすいような技法を身に付けているのか。そう言えば、紫乃さんは昔暇さえあれば分厚い辞書とかも読んでいたし。それを一緒になって読んでいる緋乃にも優しく説明してあげていた。
この性格にこの容姿・・・なんでこの人って未だに独り者なんだろう。いや、紫乃さんだって年上とは言えまだまだ若いんだけど。
「じゃあ、ちょっと休憩しようか?俺、お茶淹れて来るから蕾ちゃんは休んでてね?」
「あ!いいですって!あたしが・・・」
「頭使って疲れちゃっただろ?いいからお兄さんに任せなさい。」
そう言って笑顔で去る紫乃さんの姿は絵になるくらいイケメンだ。あたし、イケメンは嫌いだけど。
ここあたしの家なんだけどなぁ・・・。ま、紫乃さんも宮園家は我が家の様な所があるしいいんだけどさ。
はぁ~!!でも本当に疲れたかも。久しぶりじゃないにしろ、一日置いてまた頭をフル回転させて詰め込むって本当に大変だもんね。受験生がそんな事一々言ってちゃ駄目なんだけどさ。
「・・・メッセージ0件・・・着信も無しか・・・」
ソファーに寝転びスマホの画面を見ると、伴からは何もない。期待していた訳ではないけど何となくもやっとする。やっぱり昨日あんなことしたからか。
「・・・やっぱりあたしから謝るべきか・・・・」
さすがに昨日は申し訳ないと思っている。心の底から。後悔の一言しかない。だからと言ってそんなすぐに謝れるほど素直にもなれない。面倒くさいな、本当。
スマホの画面が真っ暗になっても暫く見つめてみるが、やはり何もない。なんだろう?この不安感?またもやもやしてきた。
「・・・駄目だ駄目だ!!これじゃあまた同じじゃん!!」
やっぱりさっさと謝ってしまおう!うん!!ただ、電話だと怖いから
よし!そうと決まれば・・・
「・・・えっとぉ・・・『昨日はやりすぎました。ごめんなさい。』っと・・・こんなんでいいのか?ん??」
なんか凄くシンプル過ぎる気がするけど・・・。これが今のあたしの精一杯の謝罪の気持ちって事が伝わるかどうか・・・不安!変な風に取ってまたこじれたら・・・!!
あたし・・・今までどうしてたっけ?喧嘩とかした時の謝り方って??
「・・・駄目だ!あいつの事なんて思い出したくないし!!」
イケメン嫌いの元凶である元カレとの記憶を辿ろうとしたがすぐに辞めた。それにあいつは伴とは全く違うし。伴ほど明るく前向きでもなかった。どっちかというと後ろ向きだった気がする。あたしと同じで。
ん??だからか?ある時『なんか違う』って違和感を持ったのは??
けど、先に裏切ったのはあっちで・・・あたしは裏切ってないし!つかもうどうでもよくない?あんな奴のこと!!
「あ~・・・なんか甘い物食べたい・・・」
「そう言うと思って買って来たよ。」
ズルッ!!
わ、忘れてた・・・紫乃さんの存在。
急に背後から声が掛かり、油断していたあたしはソファーから無様にずり落ちたのであった。頭と肩を強打して。
「大丈夫?」
「すみません・・・・」
「蕾ちゃん、また何か考えてただろ?」
「うっ・・・」
手を差し出しながら、紫乃さんは苦笑してあたしを見下ろした。まるで全てお見通しと言っているかのように。
「まぁ・・・昨日
あんな事
がありましたし・・・」「気にしてるんだね、やっぱり。確かにドロップキックはやり過ぎだとは思うけど・・・」
「で、ですよね!!あ~~~~!!あいつ絶対怒ってますよね!?」
「怒ってはいないんじゃないかな?凄く気にはしていたけど・・・」
「やっぱり!!あたし記憶にないけど・・・もしやあいつの顔にやっちゃいました!?ついに!?」
「いや、ちゃんと顔は避けてたよ。お兄さんもちょっとひやっとしたけど。」
「よ、よかった・・・・」
いや!よくない!!顔面避けたのはいいけど!!
「とりあえず落ち着こうか?」
「はい・・・」
紫乃さんが買って来てくれた兔屋の豆大福を食べながら、気持ちを落ち着かせた。
ああ、ここの大福はやっぱり豆大福が最高だ。このあんこの甘さとほんのり感じる塩味が絶妙なバランスで・・・
「あ、もう一個いいですか?」
「好きなだけ食べなさい。」
「わ~い!美味しい~!!」
結局、あたしは笑顔の紫乃さんに見守られながらその後大福を三つ平らげた。
「はぁ~!!美味しかったぁ~!!やっぱり豆大福は兔屋ですよねぇ~♪他のお菓子も美味しいけど!」
「そうだねぇ~。緋乃も大好物だよ。」
「そうそう、あの子あたしよりも沢山食べて!あの細い体の何処に吸収されているのか・・・ああ、全部胸に行ってるんですね。あの子は・・・」
「それはお兄さんにはわからないよ。」
「はぁ・・・そういや、あいつ緋乃の胸については何も言った事ないけど・・・やっぱり巨乳の方がいいんでしょうねぇ・・・男はみんなそうなんですよね・・・」
「蕾ちゃん、それお兄さんに聞かないでくれるかい?身体的な魅力より中身の方が大事なんじゃないかな?」
「・・・紫乃さんはそうなんです?」
「勿論。」
「ちなみにどんな女性が好きなんですか?やっぱりむめ乃さんみたいなほんわか大和撫子系?それとも・・・珠惠みたいな小柄な元気娘系ですか?」
「なんで珠ちゃんが出てくるんだい?可愛いけど。」
「じゃあむめ乃さん系ですか!?大和撫子!?そ、それとも・・・まさか茨さんみたいな超個性的な感じの・・・・」
「どっちも魅力的だよね。勿論、珠ちゃんも蕾ちゃんもね?」
「そ、それ答えになってないです!」
笑顔でさらりと受け流す。それが紫乃さんだ。特にこういう話題は。
ガチャッ
呑気にお茶を飲みつつそんな会話をしていると、突然リビングのドアが開いた。
「おや?紫乃君いらっしゃい。」
「律さん、お久しぶりです。」
宮園家の父、律が帰宅したらしい。ここの所ずっと事務所に籠っていたので確かにお久しぶりだ。娘のあたしですら。
「いつもありがとうね。蕾、調子はどうだい?」
のほほんと癒しのオーラを背負いつつやって来た父は、あたしの隣にちょこんと座ると採点済みのプリントを手に取った。
父は建築デザインの仕事をしている。小さな設計事務所だが中々繁盛しているらしく忙しいらしい。ここ最近は特に。顧客の中には父を指名してわざわざ建物のデザインを頼む人もいるというから凄い。意外と人気デザイナーなのかもしれない。
「良く出来ているじゃないかぁ!紫乃君のおかげだねぇ~!」
「いやいや、蕾ちゃんの努力の結果ですよ。」
「ははは、そうかい?蕾は美空さんに似て根性あるからねぇ。お?蕾いい物食べてるね?お父さんにもくれるかい?」
父は甘い物が大好物なのだ。よく人気のスイーツ店へ行っては新作のスイーツを食べて来たり(あたしもたまに付き合ってあげる)、買って来てくれたりするほどだ。ちょっと乙女なおじさんである。
今日も何か買って来たらしい。テーブルには最近テレビで観た事のあるスイーツ店の袋がおいてあった。
「いいよ、一個だけね。」
「やっぱり豆大福は兔屋さんが一番だよなぁ~!」
父が来ると場の空気が和むのでとてもいい。千石さんのあのゆるふわっとした感じとはまた違った緩さが程よいのだ。幸せそうに大福を頬張る父を見ているとこちらまでほんわかした気持ちになって来る。
そういや、伴もうちの父が大好きだったなぁ・・・。たまに父と一緒になってゲームとかしてるし。もう親子って感じで。
「そうだ、今日は伴君来るのかい?」
「え!?」
「いや~、最近新しいゲーム買っちゃってね。ははは!美空さんには内緒だぞ?」
父はゲームも好きな少年の様な人でもある。テレビゲームからボードゲームまで様々。最近まではオセロブームだったので、毎晩伴が相手をしていた。いつも父の圧勝だったけど。
う~ん・・・オセロってなんかコツあるのかな??素人にはさっぱりだ。
「さぁ・・・わかんない。」
「なんだ、喧嘩でもしたのかい?」
「し、してないけど・・・あいつ忙しいし・・・」
「そうだよなぁ、伴君アイドルだもんなぁ!」
怖い事に、最近の父はテレビで伴を観る度に嬉しそうな顔をしている。息子を見守る様な温かい目でもって。そういやCDとか買ってたな。いや、あれは母の方か?とにかく両親はあいつには寛大なのだ。
なんだろう。こうして思い返してみるとあいつ宮園家に馴染み過ぎてる気がするんだけど。むしろ不自然が自然過ぎて怖い。何?これ??
「蕾と伴君が結婚でもしてくれたらお父さん嬉しいんだけどなぁ~。ああ、勿論紫乃君でも構わないんだけどね?」
「お父さん何言ってるの?」
「あはは、俺に蕾ちゃんは勿体ないですよ。」
父よ。いきなり何を言い出すんだ!こんな時に!!この場に伴がいたらなんか凄く気まずい雰囲気になってたぞ?絶対!!というか、可愛い一人娘の婿をそう簡単に決めないで欲しい。紫乃さんも紫乃さんで何照れているの??
その後、和みの父の登場でスイーツをお供にまったりした空気が流れた。勿論、あたしはその間も一生懸命勉学に励んでいた。今日は中々に順調だ。
「ああ、これお土産に。緋乃ちゃんにどうぞ。」
紫乃さんの帰り際、父はご丁寧に箱ごと残りのスイーツを渡した。そう言えば緋乃も父がお気に入りだった。スイーツ仲間としてか心なしかいつもより嬉しそうに話も盛り上がってたし、家に来ると『律さんは?』と聞いて来るし。忍も同じく。
懐かれてるなぁ・・・宮園家父。まぁ、近所でも『和みの律さん』として通っているし。
「紫乃君は相変わらず優しいねぇ。蕾、紫乃君の事はどう思っているんだい?」
「え?」
紫乃さんが帰ると、父はいつもののほほん調子でそんな事を聞いて来た。また何を言い出す。父よ。
「普通に『近所の優しいお兄さん』だけど。」
「なんだそうなのかい?」
「他に何があるのよ・・・」
「蕾、聡一郎君が好きだっただろう?だから年上の男性が好きなのかと・・・」
「はぁ!?いつの話してんのよ?それに聡一郎さんはただの憧れっていうか・・・お父さんには関係ありません。」
「なんだよ~?寂しいなぁ・・・」
あ。本当に寂しそうな背中・・・。
「ああ、じゃあ伴君はどうなんだい?」
「・・・え?」
だからまたなんであいつなのよ??
父にとっては深い意味なんてないのだろう。ただの『父と娘の会話』の一つに過ぎない。けどあたしにとってその言葉は・・・
「知らないよ・・・」
「え?」
「別に!なんでもない!!」
父に聞こえてないならそれでもいい。むしろそれでいい。本当に『知らない』なのだから。
そうだ、本当に・・・
けど、なんだろう?自分で言っておいてこの違和感・・・
「お父さん!スイーツまだ残ってたよね?」
「ああ、まだあるよ?」
「全部食べるから頂戴!!」
と、糖分だ・・・。モヤモヤしたらとりあえず糖分で気持ちを落ち着けよう!!
リビングへ戻ると、残りのスイーツの入った箱を開き頬張る。煌びやかな作りのそれらはじっくりと見ることなくあたしの口の中へと消えていく。
な、なんなんだ!!またごちゃごちゃして来た!!もう嫌!!
「・・・そ、そうだ・・・とりあえずスマホ・・・」
このモヤモヤを静乃にでも相談してスッキリさせよう。そう思いソファーの上からそれを手に取る。
「・・・返信が来てるだと!?」
画面に『新着メッセージあり』の通知が一つ。あいつからだ。
見るべきか・・・?見るべきだろう。
けど・・・・
「手が動かない・・・勝手にスイーツへ!仕方ない・・もぐもぐ・・・」
なんて一人でボケても仕方ない。逃げても仕方ないのだ。
ここはどんな結果でも見なければならない。先にメッセージ送ったのあたしだし。
「あたしはどうしたらいの!?」
「普通に読めよ!」
そのツッコミは急にやって来た。片手にスマホ、片手にスイーツを持ち悩んでいたあたしの背後から。
「お前な!既読無視すんな!!いや・・・既読してねーから無視じゃねーか。」
なんでこいつはいつもタイミング良く現れるんだろうか。今も狙ったように目の前に。
反射的に振り返ってしまったあたしは、伴を前に言葉が出て来なかった。いや、喋ることが出来なかった。
「つーか!食うのやめろ!!」
「もぐもぐ・・・ちょっとまって・・このエクレアを・・」
「人が勇気振り絞ってやって来たらもぐもぐタイムかよ!!うまそーだなそれ!」
「もぐもぐ・・・」
あたしは混乱してか、無意識に手にしていたスイーツ(エクレア)を頬張っていた。まさにもぐもぐタイムの最中。伴がツッコむのも仕方のないことだ。
「あ~、食べた食べた!うま~!!」
「満足そうな顔しやがって・・・もぐもぐ・・あ、うまっ!」
そういうあんたも食べてるやん!?なんてツッコミを入れたいが。まぁ、いい。お茶でも淹れて待っていてやろう。
本当美味しそうに食べてるなぁ・・・。さてはこいつお腹空いてたな?
「やっぱ疲れた体には甘い物だよなぁ~・・・」
「そだねぇ~・・・」
コトッ・・・
「あ、悪い悪い。お茶まで。」
「いえいえ。」
ズズズ・・・・
『はぁ~・・・』
暫く時間も忘れお茶を啜りながらまったりする・・・
ああ、お茶はいいよね。落ち着くわ。
「ってそうじゃねーよ!」
「やっぱり?」
「ちょっと落ち着いちゃったけど!!俺はまったりしに来たんじゃねぇんだよ・・・わかってるよな?」
あ。これ怒ってる?やっぱり??
これでいつもの様に誤魔化せると思っていたけどそうはいかないみたいだ。あたしも覚悟はしていた。こうなったらもう・・・
「昨日はごめんなさい。」
「うん、正直何が何やらって感じだった。けどちょっと懐かしくもあり・・・」
「なんかあんたの顔みたら体が勝手に・・・条件反射なのかも。」
「ドロップキックしたくなる顔ってどんな顔だよ!?ああ、こんな顔か!!」
「だからごめんってば!LOINEでも一応謝ったでしょう!!」
「ああ、あの超シンプルな謝罪のことか?はは、ああ、見たよ。読んだとも。」
「じゃあとりあえずこれはよしってことでOK!?」
「いや、開き直んなよ。まぁ、俺もそんな根に持ちたくもねーけど。」
「じゃあどうすればいいのよ!!」
ここまで謝って食い下がっていると言うのに。それでもまだネチネチ言うつもりか?このアイドル様は?
ああ、また腹が立って来そう・・・。我慢我慢。
握りかけた拳を無理やり開き、あたしは深呼吸をしてみた。確か、イライラした時は七秒深呼吸すると良いって聞いたことがある(諸説あります)。
「いや、別にどうも・・・そうだよ。謝ったし別にどうもしなくていいんだよ。うん。」
「・・・じゃあ何をしに来たのよ?あんた?」
急に何か納得したように落ち着く伴を見て、あたしは唖然とした。漫画で言うと『目が点になる』と言った感じ。つまり間抜けな表情だ。
こいつ・・・本当に何を考えているんだか。たまにわからなくなる。予想外のことして来るし本当にそういうのやめて欲しいんだけど。
「・・・とりあえず俺は・・・」
バサッ・・・
「あ、あんた急に何してんのよ!!」
「何って・・・着替えるだけだけど?」
いきなり服(というかジャケットだけど)を脱ぎだすものだから、動揺してしまった。思わず拳を握り直す程に。
び、びっくりした・・・。やけになってよからぬ事でも考えたんじゃないかと思ったぞ?あたしは!!
「ん?着替えるってあんた・・・」
「ジャージだよジャージ。俺今は完全にオフだから。」
「あ~・・・うん。そだね。」
何を今さらと言いたげに鞄から見慣れたジャージセットを取り出すと、本当に着替え始めた。あたしのことなど気にせずに堂々と。
おいおい、伴君。いくらなんでも無防備すぎじゃないかな?あたし昨日あんたにドロップキックしたんだよ?イケメン嫌いなんだよ?
そんな事を思いながらも、伴の脱ぎ捨てた服(仕事着)を丁寧に畳んであげるあたしは偉いと思う。ああ、これ洗濯してもいいかな?やっぱりクリーニングに出すべきか?
「あ~!落ち着く~!!」
あたしもなんか落ち着くわ。そのオーラゼロのオフ姿。
ジャージに着替え、すっかりオフモードになった伴は我が家の如くソファーに座り寛ぎ始めていた。片手にはビールならぬオレンジジュースを持ちながら。
「あんた着替えるなら風呂入ってからにすればよかったのに。」
「あ、いいの?」
「いいのっていつも遠慮なくお風呂入ってるでしょうが。ほら、どうせお腹空いてるんでしょ?あんたが風呂入ってる間夕飯用意するから。」
「ラッキー!今日の夕飯は?」
「適当だからカレーとサラダ。」
「マジか!?俺宮園家のカレー好きなんだよなぁ♪よし、急いで入って来る!」
「いや、ゆっくり入って来なよ。疲れてるんだから。」
・・・ん?何だこの会話??
いつもの会話なんだけど・・・この夫婦の様な会話は・・・。
なんか良く分からないけど、急に恥ずかしくなって来た。最近色々あって意識してるせいなのか?これ??
「あ!律さんお邪魔してま~す!」
「やぁ、伴君いらっしゃい!今からお風呂かい?」
「はい、お先頂きます!」
「はいはい、ごゆっくり。」
そして父とのこの和やかな会話。馴染みすぎて怖い。意識し出すとなんか怖い。
お玉片手にあたしはこの当たり前の非日常化している日常を改めて実感し、頭を抱えた。
あいつマジで馴染みすぎだろ!!
「蕾、伴君来たよ!」
「うん。よかったね・・・」
まぁ。いいか。これで。
なんか凄く大事な事がすっ飛んでったけど。