第29話 一難去ってまた一難、その前にお説教
文字数 5,679文字
人気の無い夜の河原はしんと静まり返り、さらさらと川が流れている…
そしてあたしの目の前には…絵に描いたようなオタクっぽい豊かな腹部のお兄さんが一人。
鼻息というか…呼吸を荒く、片手には果物ナイフを握りしめあたしの手にしているスマートフォンを見つめていた。
そしてあたしは立ち尽くしている。川辺に足を浸からせながらどう動いたら良いのか…必死で考えながら…
ああ、夜の川の水は冷たくて困る…
しかも今夜は満月だ。その月明かりに照らされた果物ナイフの刃はキラリと不気味に輝きを放ち…
って何この語り?何か完璧ホラーかサスペンスっぽいじゃない!!カサスか!!
「…お、お兄さん…とにかく冷静になってお話をですね…」
そうだ…冷静にならなければ!まずはこっちが落ち着いて対応しなければ!!
気を抜けば殴り掛かりそうになる…。しかしそれを堪え、あたしはなんとか冷静にそう切り出した。
浮かべた笑顔はかなり引きつっていたと思うけど…
「凛たん…凛たんのスマホ…ふー…ふー…」
うっ…!?き、気持ち悪い……!!
あたしは確かにイケメンが大嫌いで、見たらゾッとして吐き気を覚えることもあるが…
こ、これはまた別の意味で無理がある…
「…お、お前…凛たんの何なんだよ!!それ置いてとっとと消えろよ!!」
「それが出来たらとっくにしてますけど…」
「だ、だだだったらさっさと消えろよ!!な、何するか分からないぞ!!ほ、本気なんだからな!!」
「…いや、見りゃ分かりますって…とにかく冷静に一度お話をですね…」
興奮しているのか、やたら怒鳴って話すのでこっちは逆に冷静になれた。
見ればそのオタク男…あたしと目を合わそうともせず、心なしか距離まで取ろうとしている。そして声も足も震えていた。
ははぁ~ん……こいつ…さてはあたしが怖いのか?
そりゃ、あたしは女子の平均身長より高いけど…。別にスケ番顔とかそんなんじゃない。服装もジーンズに長袖のチェックのシャツと質素だが至って普通だ。
「…あの…とにかくですね…」
バシャ…
「く、来るな!!近づくな!!うわぁ~!!」
「…え~…そんな無茶苦茶な…」
あたしが一歩足を踏み出すと、オタク男は一歩後退り怯えたようにナイフを振り回し叫ぶ…
参ったなぁ…。これであたしが無視して近づけば、相手は逆上して襲い掛かって来る可能性が高い。その果物ナイフを振り回して…。
やっぱりここで相手をやる(ドロップキックをする)しかないのか…?
ここであたしがこの男を殴り飛ばそうが蹴り飛ばそうが立派な正当防衛だ。罪には問われまい。
でもなぁ…相手は一応凶器を持ってる訳だし…
う~ん…どうしたものか……?
「い、いいからそれ渡せよ!!きょ、巨人女!!」
ピシッ……
あたしは固まった…。こめかみ辺りがピクピクしているのを感じる。
この男は…言ってはいけない一言を言ってしまったのだ…
年頃の乙女のガラスの心を深く傷つける様な事を…
「わかった…良いわよ…ふふ…お望み通りくれてやるわよ…」
「わ、わかればいいんだよ…は、はは…」
「今からくれてやるからしっかり受け取んなさいよ…?」
ザッ…
そう言いながら、あたしは数歩後ろに下がり…
凛さんのスマホを投げる…オタク男に向かって…
そして走り出す…そのオタク男目がけて…
「…あたしの右足と一緒に受け取んな!!」
オタク男の数歩近くまで来ると、右足を振り上げ彼の脳天に華麗に落下させた。びしょ濡れになったクロックス付きの踵を。
「ぐはぁ!?」
「…決まった…さすがあたし…!!」
オタク男が倒れると同時に、落下する凛さんのスマホを右手で華麗にキャッチし、足を地に下ろす…
ふぅ…良い仕事したなぁ…!!
「はっ!口ほどにもないわねぇ!!キモオタがストーカーした挙句、ナイフなんて物騒な物振り回すからこうなるのよ!!」
「…う~…り、凛たん…」
「自分の姿を鏡で見てから出直しなさい!ついでに性格も綺麗さっぱり入れ替えるのね!!」
「く、くそぉ…三次元女子なんて大嫌いだぁ…!!僕のアイドルは凛たんだけだぁ~!!」
「…凛さんも三次元の人だけど…」
頭部に相当な衝撃を受けたのか…ただ単にいじけているだけなのか…
オタク男は地面に突っ伏したまま悔しそうにそう叫んだ…
「さてと…あんたの荷物、改めさせてもらうわよ!どうせ凛さんの使用済みの割りばしとか、歯ブラシとか入ってるんでしょ!?」
「ぼ、僕の聖なる神器に触れるなぁ~!!うう…い、痛いよぉ…」
何が神器だ…。心底ぞっとする。
オタク男の背中に座り、動きを封じると、あたしはとりあえず彼の背負っていたリュックの中を調べ始めた。
「お、重いよぉ…どけよぉ…」
「やかましい!!」
「ぼ、僕の上に乗る女の子は小柄な美少女だと決まってるんだ!!お前みたいな巨神兵なんかじゃないんだぁ~!!」
「本気で締めるぞこら。」
図太い神経をしたストーカーである…
ああ…やっぱりあたし太ったかな…。最近ぐうたらしてたし、伴も殴ってないからなぁ…。運動が足りないか。
「…うわぁ…本当にいるんだ!?こんなキモイ奴!!」
「う、うるさい!!」
「歯ブラシに割りばしに…え!?これ使用済みのティッシュぅ!?きも~い!!」
つい女子高生のノリで、リュックから出てくる数々の凛さんコレクションを見て悲鳴を上げるあたし…
いや…マジで本当キモイ…。鼻かんだティッシュまでって…引くわぁ…マジで…。
「…あんたね。凛さんは確かに可愛いけど男の人なのよ?」
「そ、そんなの関係ない!!凛たんは僕の永遠のアイドルなんだ!!」
「…一体何がどうなってこうなったのよ?」
あたしはオタク男のリュックの中から押収した麻縄で、とりあえず彼を縛り上げると詳しい事情を聴くことにした。
ちょっとこの光景は傍から見ればかなり異常だけど…
こんなところ、ご近所さんに見られたら大変だ。
「…り、凛たんは僕の運命の天使だったんだ…」
「まぁ…見た目はそうだけど…でもブリーフまで盗まなくっても…」
「え?ぶ、ブリーフだって!?そ、そんな神聖過ぎる物…!!」
「恍けんじゃないわよ!ネタは上がってんのよ!!」
「ぼ、僕はただ凛たんの自宅を突き止めて…そ、それでつい魔が差してゴミを漁ったり、後付けたりして見守ってただけだ!!」
「十分犯罪だ!!見守るってあんたガーディアンのつもりか!!」
「そ、そうだ!!」
「自分の面見てから言えよ…ははは…」
「く、くそぉ…な、何だよ!ちょ、ちょっと美人だからって偉そうに!!お、お前なんて興味ないんだからなぁ!!ぼ、僕のタイプとは全く違うんだからな!!」
「え?あたし…美人なの?」
「タイプじゃないけどな!!ど、どうせちょっとモテるからってい、いい気になってるんだろ!!あの藤桜の制服なんか着て…に、似合ってなかったし!!」
「…あんたそこまで見てたの…?キモイわぁ…彼女一生出来ないよ?」
「う、うるさい!!巨神兵!!」
「乙女の心を傷つけるなパーンチ!!」
「ぐはっ!?」
あたしは迷う事無く右拳をオタク男のみぞおちに叩きつけた。
全く…本当無神経なんだから!これだから男って!!
「ど、どうせあたしは男になんかモテないわよ!悪かったわね!!その上こんな逞し過ぎる上にがさつよ!!男にゃいつも尊敬されるかドン引きされるかよ…ラブレターなんて女の子にしか貰った事ないし、男の子からは『俺のガーディアンになって下さい』的な手紙しか貰った事ないわよ…!!」
「…えっと…なんか…ごめんなさい…」
「…同情しないで!」
その後…あたしは何故かそのストーカーオタク男に慰められ、最終的にはお互い励まし合っていた…
パトロール中の千石さんに発見されるまで…
*****
「つーちゃんさぁ…ちょっと女の子の自覚持った方が良いよぉ~?おじさんちょっと心配だよ…」
「でも意外と良い奴でした!!キモイけど!!」
「何友情芽生えてんのさぁ…ほら、おじさんお家まで送ってあげるから…」
オタク男と一緒に星花署に連行され、あたしは千石さんから早速お説教されていた。
「…彼、どうやら偶然凛ちゃんを見て一目惚れしちゃったそうだよ?この『ラブリーメイドりんりん』の主人公にそっくりなんだってさぁ~…蛍もハマってたなぁ…」
「な、なんですかその…らぶりーめいどって??」
「幼稚園から小学生の女の子に人気のメイドさん戦士アニメだねぇ…。変身ステッキとか、あとはキラキラメイクアップセットとか?最近の女の子は小さいうちからお洒落さんが多いからねぇ…」
「は、はぁ……」
つまりあのオタク男…。そのらぶりーなんちゃらとか言うアニメのオタクで、たまたま見かけた凛さんがその主人公にそっくりだったから一目惚れしてストーカーしたってことか…
千石さんに見せてもらった資料を見ると…確かにそこには凛さんそっくりの可愛らしい女の子がメイド服姿をしていた。
「じゃあ凛さんの物を盗んだのは…」
「出来心だって。」
「じゃあ…ブリーフは…?あと部屋の中入って寝込み襲ったとかお風呂覗いたとか…」
「それはしてないみたいなんだよねぇ…多分、彼ウソは付いてないよぉ?おじさんの勘は鋭いからねぇ…」
「はぁ!?じゃあそれは一体誰が…!?」
「別のストーカー君がいるって事じゃないのかなぁ…」
「別の…?じゃ、じゃあ今日凛さんを襲ったのもそいつってことですか!?」
「…凛ちゃんまた襲われたの?」
あたしの発言に、急に千石さんの目つきが鋭くなった…
が…すぐに元のゆるふわに戻る…
「後ろから抱きつかれて…それで揉み合って土手から落ちたそうですよ?その拍子にスマホを落としてしまって…」
「それでつーちゃんが…成程ねぇ…」
「その抱きついた犯人ってあいつじゃないんですか?」
「…彼にはそんな度胸はないねぇ…」
「じゃあどうして凛さんのスマホを…」
「たまたま通り掛かったら発見したんじゃないのかな?そこに偶然つーちゃんが現れて…つい逆上した…そんなところだねぇ。」
「…あいつじゃない…犯人は別…」
「ま、あとはおじさん達に任せなさい!つーちゃんはもう無茶したら駄目だよ~?紫乃ちゃんに言い付けちゃうよ~?」
「…は、はい…気を付けます…」
もう遅いと思うけど…
にっこり緩く笑う千石さんを前に、あたしはそんな言葉も出て来なかった。
*****
「やぁ、蕾ちゃん。随分と遅いお帰りだね?どこまでお散歩に行っていたのかな?」
「…紫乃さん…やっぱり…」
千石さんに家まで送り届けられ、家に入るなり玄関先で出迎えてくれたのは笑顔の紫乃さんであった。
こ、これはまた…いつもにも増して笑顔が真っ黒い事…
「…俺が何を言いたいのか…分かるよね?」
「…はい…すみません…」
「…俺は初めに言ったよね?無茶はしない様にって…蕾ちゃんは突っ走りやすいから気を付けろって…」
「はい…い、言いました…」
口調は穏やかだが…これは相当怒っているに違いない。
怖くて紫乃さんの顔がまともに見れない…
この様子から…多分大体の経緯は千石さんから聞いてしまったのだろう。
もう!!千石さん口が軽いんだからっ!!
でも……ああ…これは……
「つーちゃん!!無事だったの!?」
ガシッ!!
そんな時だった。凛さがひょっこり現れ、あたしの姿を見るなり抱きついて来たのは…
勢いあまり、あたしは凛さんごと後ろにひっくり返ってしまった…
「ごめんねごめんね~!!俺のせいで怖い目にあって…!やっぱり俺、あの時逃げずに止めを刺しておくべきだったんだよ!」
「り、凛さん…それは駄目…」
「怖かったよねぇ~!!無事で良かったぁ~!!」
「り、凛さん苦し…うぐっ…」
わ、忘れてたけど…この人も力が強かった…
泣きそうな顔をしてあたしをしっかりがっしり抱きしめる凛さんの力は、その華奢な体からは到底考えられない程強かった…
「凛君…とりあえず蕾ちゃん離してあげて…死んじゃうから…」
「え?あ!ご、ごめん!!俺つい…」
「…ほら、蕾ちゃんも…大丈夫?」
凛さんの登場に、さすがの紫乃さんも怒りを削がれた様だ…
苦笑を浮かべながら、あたしの背中を優しく摩ってくれた。
「…まぁ…怪我も無かった様だし…今回だけは許してあげるよ。」
「さすが紫乃さん!!」
「こら、調子に乗るんじゃないよ…。俺は本当ならまだ何時間も君に説教したいくらいなんだからね?もう本当、こんな事しないで欲しいよ…」
「す、すみません…」
ため息を吐いたのは、安堵か呆れか…
紫乃さんはいつもの穏やか表情であたしを見ると、ふと不思議そうに辺りを見回した。
「…そう言えば伴君は?来てるんだろ?」
「あ…そう言えば…」
当然の様にそこにいるはずの伴の姿が見当たらなかったので不思議に思ったのだろう…
あたしもふと不思議に思い暫く一緒になって首を傾げていたが…
「あ!!し、しまった…すっかり忘れてた…!!」
その後…伴はあたしが家を出た時と同じ部屋で発見された。
うさぎのぬいぐるみをしっかり抱き、気持ち良さそうに寝息をたてた状態で…
そしてあたしが、紫乃さんから長々とお説教をされたのは言うまでも無いだろう。