第28話 七夕の約束

文字数 3,301文字

 人事部へ行くと室内はいつも通り。遥はまだ試験中なので不在だが、今日は十五時に来る予定だったはずだからもう間もなくか。
 壁のカレンダーを見るともう七月六日。七夕は明日じゃないか。
 パソコンを立ち上げて昨日からのメールを確認すると、遥からの報告が上がっていた。
 昨日はあれから出社して、七夕の飲み物の手配を手伝ったりしている。それから不足の備品の発注まで……。ちゃんと仕事見て覚えてるんだな。本当にここに就職してくれたらいいのに。
 月末締めの仕事も一昨日にはほぼ片付いているし、庶務的なことは昨日遥がこなしてくれていたおかげで自分の仕事に集中でき……ない。
『件名:部下からの信頼が得られません』
 まただ……。送信の日付は昨日の夜。私はもう寝ている時間だった。
『何か隠し事をしてるようにも感じるし、やはり距離が縮まりません。直接話をしてみようと思います』
 一体誰と誰の話だ……。が、本人の中で答えが出ているようだ。一応返信に関しては相談するべきだと思い、藤田君のところへ行く。
「藤田君、また相談窓口にメールが来ていました」
 当然、読んでいて少し浮かない顔だ。
「匿名というのも、本当に難しいね。これじゃ愚痴だ……」
「本当に。ただ聞いてほしかったというだけなのかもしれませんが、相談者が自分で決断しているので、それを後押しする返事を送れば良いでしょうか」
「そうだね、お願いするよ」
「では、また何かあったら会議ということでお願いします」
『決断されたのでしたら、上手くいくように相談窓口一同でご健闘を祈ります』
 うーん、何度返事を書いてもこれで良かったのだろうか? という疑問しか湧いてこない。やっぱり山野先生にも相談するべきだったのだろうか。しかしトラブルにもなっていないし、それもどうなのだろう。
 がちゃり、と人事部のドアが開いた。
「俊郎さん、おかえり!」
「あぁ、遥君、昨日はどうもありがとう」
「ううん、本当に無事で良かった」
「派手なサプライズもありがとう。企画したのは遥君だそうですね」
 少し照れながら笑い、昨夜の話を教えてくれた。
「短冊を吊るしに来たら、休憩スペースで花束贈ろうかって社長と田畑さんたちが話してて。せっかく同じ職場で働く仲間が人助けまでして無事でいたんだし、やっぱりみんなで歓ぶべきだって思ってね! 派手に提案しちゃった」
「それも、想いを循環させると受け取って良いですか?」
 シオリさんを助けたいと思って行動した想いから、無事を祝ってもらえてちょっと嬉しかった。確実に想いは循環している。
「さすが話が早いね! 俺もくす玉が割れる時の現場にいたかったなぁ」
「試験では、仕方がありませんね。あぁそれと、私がいない間の庶務の業務もやっておいてくれたんですね」
「うん、俊郎さんのタスクメモ見ながら社長に相談して、できる範囲でやっておいたけど、まずかった?」
「いいえ。助かります。今後もこの調子でお願いします」
 月初の仕事も無事に乗り切って、いよいよ明日は七夕だ。日本中いや世界のどこを探してもここまで真面目に七夕に力を入れる企業はうちぐらいじゃないだろうか。
 他所の会社も真似してほしいほどいい取り組みなのに。

 定時の時刻になり、少し休憩をとることにしてお茶をもらいに行く。今日の仕事は実質終わっているのだが、遥と人事部で少し話し合いの予定だ。
 短冊の数が増え、稲穂のようになった七夕飾りをしばらく見ていると、遥もやってきた。
「遥君、この短冊がおばあちゃんのですね」
「そう、それ。……本人の意識はしっかりしているんだけどね」
 その隣にさらに不思議な短冊が下がっている。
『御社!! 内定ください!! 銀河』
 これは誰だろう。極太のペンで勇ましく書かれている。
「あ、それは俺の幼馴染。二つ年上で今必死に就活中なんだよね。せっかくだから一緒にさげといた」
「随分カッコいい名前ですね」
「本人は文字通りキラキラネームだって言うんだけど、やっぱりカッコいいよなぁ」
「では、弊社ではありますが、人事部長の私からもうまくいくように祈っておきます」
 他愛もない平和な会話の後、再び人事部に戻って今度は黒髪の女性についての話だ。
「今朝、SNSを見たら私のことが話題になっていたのですが、写真や動画に残ってないかが気がかりですね」
 ニッと遥が不敵な笑みを浮かべる。
「そこは対処できてるはずだよ。その願想の結実でね!」
「これで?」
 黒い紐を手繰ると、ネームタグの下の小さな多角錐が姿を現す。
「そう。夜の闇の住人の想いが凝縮されているから『隠れたい』という力が発動していて、防犯カメラや興味本位とかで向けられたカメラには映っていないはずだよ」
 え、そんなにすごいのこれ。下手に犯罪者の手に渡ったら大変なのでは……。
「だから、SNSに私の写真が出回っていないし、警察や駅員さんたちも首をひねるばかりだったんですね」
「そういうこと! あと仮にそれが誰かの手に渡ってしまった場合だけど……俊郎さん以外の人がそれを使っても幻想世界には行ける。でも基盤の願い事が俊郎さんのものだから、帰ってくることはほぼ不可能だけどね」
 幻想錬金術ってこんなにすごいもの作り出せるんだ……。彼はこのまま一人前になったら一体どんな物を作りだすのだろう。
「時価総額でいうと、四千万円くらいじゃない?」
「え? 本当ですか?」
 ふふ、と意味ありげに笑った。
「……値段の真偽はさておき、遥君、君は自分が目立つ容姿だという自覚はありますよね?」
「あるよ。一応はね!」
 うわ、言い切った。
「だから次の新月までは出歩くときはちゃんと変装くらいはするよ」
 ウィンクがこれだけ似合う日本人を、私は知らない……。
「俊郎さんも、それがあるからといって危ないことしないでね。まだ根本的な解決じゃないんだから。特に『声』については、どうして俊郎さんに今でも聞こえるのかが分からないんだし」
「単に、一度あの幻想波の影響を受けた人は、感受性が強くなっているだけ、かもしれませんが……断言できませんね」
「……俊郎さんは引き続き無茶はしないで。もしも『声』が聞こえたら大人しく逃げて。連絡はその後でいいから」
「えぇ、そうします。それと、私よりも遥君の方が無茶やるので心配です。昨日渡した招き猫を箱から出して影響を受けようとか思わないように」
「さすがにそこまでの無謀なことはしないよ。アレは本当に危険すぎるから……」
「それと、何か行動を起こすときは、一言でいいので教えてください」
「俊郎さんもね。本当にお互い気を付けよう」
 現段階で考えられる可能性と、その対応策はそれが精いっぱいだった。あとはシオリさんから連絡があれば良いのだが……。
 遥は『声』の幻想波について似たような事例がないかネットで情報を漁ってみるということで話し合いを終えた。
「ではそろそろ帰りましょうか。明日は残業確定日ですからね」
「あ、そうだ俊郎さん、明日なんだけどその……」
 外出のことなら了承済だが、まだ何かあるのだろうか。
「一緒に外出付き合ってくれる? 開始の乾杯は定時すぎて十八時ちょいすぎでしょ? 帰りはそれぞれの都合に合わせてっことだし、終わり時間決まってないなら、ちょっと外出るくらいできるんじゃないかと思ってるんだけど、……ダメ?」
 首を傾げてダメ? だなんてあざとい四歳児みたいな確認の仕方をするな。
 ……でも、確かに、総務としてずっとイベントに付き添っていなきゃならないわけではない。
「一応大丈夫ですが、一体どこへ……」
「新宿御苑! 夜の闇を歓ぶ者たちにお礼、したくない?」
「あぁ、それなら是非に。それにすぐ近くですね」
 命を助けてもらったのだから、きちんとお礼をしなくては。
「あと、明日は特別良いものが見れると思うから期待していて。二十時すぎに声かけるね」
 ん? ちょっと待って、夜は閉苑しているはずでは。
「そんな時間に入れるんですか?」
「それも含めて、良いもの見せてあげるんだよ」
 また何かすごい幻想的なものを見せてくれるのだろうか。少し期待してしまう。
「では、遥君についていくことにしましょう」
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