第29話 こころの内側

文字数 3,211文字

 七夕当日、朝からバタバタと酒屋から飲み物類が届き、買い出し部隊が順次スーパーまで乾き物などを仕入れに出かけていく。
 遥にも、割り箸や紙コップなどの買い物をお願いした。変装と称して黒のキャップを被ってメガネをかけていたが、正体を知っているせいかあまり変化が無いように見えた。むしろお忍びの芸能人みたいで、逆に人目を引きそうだが大丈夫だろうか。
 定時までに一通りの準備が終わり、まずは乾杯の儀。
「今年もみんなの夢や願いが叶うように頑張りましょう! 乾杯!」
 藤田君の音頭で紙コップを掲げ、宴が始まった。
 暑気払いも兼ねているが、今日はそれほど暑くなく、梅雨のわりにはそこまで湿気のない過ごしやすい気候だ。皆それぞれ飲食しながら歓談に勤しむ。
 吉崎さんが休職してからというもの、仕事が忙しすぎて皆の顔を見ながらというのがとても久しぶりだ。……新年会以来だろうか? 
 会議室の隅の方で遥が北原さんを含む女性たちに囲まれているのは、さすがと言ったところか。あ、瞳を見せろとせがまれている。恥ずかしいと言っていたわりにはまんざらでもなさそうだ。
 やはりあの綺麗な瞳には皆も興味があったのだろう。女性たちに混ざって遥に絡んでいるのは鎌田君だ。
 私の視線に気づいた鎌田君がこちらへやってくる。
「俊郎さん、おつかれー!」
「鎌田君もお疲れさまです。先月も好調で何よりです」
「俺がんばっちゃったからね! あとは小野君が戻ってきたらまた一緒に連れまわす予定だから」
「そうですか。叩きすぎない程度にお尻叩いてあげてください。彼も悩んでいたのは事実なので」
 営業で外に出かけることも多い鎌田君と久しぶりの酒の席で、会議ではそこまで回らない細かいところの話をする。
「人事部の私が言うのはおかしな話ですが、どうして人は悩んだり、行き詰まった時、直接上司や部下に話せないんですかね」
「そう! 本当そうなの! 別に怒ったり笑ったりしないんだから話して欲しいよな」
 私も吉崎さんからは小野君の件は相談をされていない。私の場合は同じ部屋で仕事をしていても、話すきっかけが無かったからではないかと思っている。もちろん性別が違うことにより相談しづらい内容もあっただろう。
「でも、俊郎さんもあんまり気に病まないほうがいいよ。話しかけやすい雰囲気を自分で作り出せてるかどうかって、自分を外側から見れたとしてもきっと分からないんじゃないかって思ってるから。努力は必要だと思うけどね」
「俊郎さんも」ということは鎌田君も日々それで悩んだりするのだろう。
 それから何人かと話をしていて、気づいた時には二十一時を回っていた。ついさっきまで女性たちに囲まれていた遥の姿がない。
 外にでると閑散としたオフィスにも姿が見えない。一人で行ってしまったのだろうか……?
 スマホをデスクに置いてきたので戻ろうとすると、社員の通用口のドアの向こうから数名の声が聞こえる。廊下に出てみると、どうやら遥と田畑さんの声だ。……声のする方へ歩いて行くとトイレの前に田畑さん。
「あ、俊郎さん、良い所へ」
「何があったんですか?」
「藤田君が酔っぱらっちゃって……」
 あれ? 彼は極度に弱いはずなのに一体何で。
「藤田君、大丈夫ですか」
 中に入ると遥が付き添って介抱しているところだった。
「あ、俊郎さん、連絡してなくてごめんなさい」
 見事につぶれているが、幸い嘔吐とかの症状というより単に眠っているだけのようだ。
「一体何があったんですか」
「休憩スペースで短冊を見ていたら、社長に話しかけられて少しソファで話してて……。そしたら缶ビール開けて飲み始めて、急に具合悪そうになったからここに連れてきたんだ」
 そういうことか。それにしても何故……
「藤田君、大丈夫ですか。藤田君」
 肩を揺すって呼びかけると、うん、うん、と返事はするものの、起きる気配はない。
「吐き気は止まってるみたい」
「遥君、念のためにそこにあるバケツを持っていきましょう。外にいる田畑さんに渡してください。二人で藤田君をソファに運びますよ」
「わかった」
 酒に弱いのに、どうして……。
 二人でやっとのことでソファまで運んで横向きに寝かせる。これなら急な嘔吐の場合も大丈夫だろう。
「田畑さん、ありがとう。彼は私が見ているから戻って大丈夫ですよ」
「じゃあ、少しずつ片付け始めるので、藤田君のことお願いしちゃうね」
 藤田君は、すやすやと寝息を立てている。
「社長、大丈夫かな」
「彼がどのくらい飲んでいたか分かりますか」
「あ、そこの缶ビールだよ。多分本当に一口、二口くらい」
「そうですか。なら大丈夫でしょう」
 企画部の打ち合わせテーブルから椅子を持ってきてそばに腰かける。
 藤田君も忙しい身だし、時にはダメだと解っていても酒を飲みたくなるのだろうか。
「あぁ、藤田君には私がついているし、起きたらタクシーで帰すので、遥君は用事を済ませてきてください」
 って、あれ? もう出かけたのかな。
 突然がばっと藤田君が起き上がる。びっくりした……
「おい、としろぉ……」
「ここにいますよ。なんですか」
 ごそごそと向きを変えてソファに座りなおす。
「お前はほんとぉに……どんかん……うー……」
「はい?」
 まだ酔いが回っているんだろうか。
「大丈夫ですか? ……そろそろタクシー呼びますよ」
「なんだよ……あの、おいのりメール」
 お祈りメール? 何のことだ……。
 とりあえずペットボトルのミネラルウォーターを手渡すとぐびぐびと何口か飲んでため息をつく。
「よそよそしくすんなよぉ……となりにいんのに……」
 あぁ、もしかして。
「そうですね、すみません」
「なんだぁ、やっと……わかっ……ばーか。なにか……あったら、相談しろって」
 あの匿名の相談者は藤田君……。
 先月の事件の時にも遥の詠みの力で「すごく心配されているよ」と伝えられたんだった。
 酒に誘えないのは藤田君側の事情で、食事に誘えないというのは私が弁当を持参していることや、家に帰って祥子さんのご飯を食べるという事情のためだったのだ。
「こそこそ……すんな。はるかぁ……おーい……ここに座れ」
 見回すと、柱の陰から遥が姿を見せる。
 ばつの悪そうな顔して無言でそっと藤田君の隣に座る。
「たのんだぞ……わかもの……」
「社長だってまだまだ若いでしょ」
 遥がクスっと笑う。
「今わらったなぁ」
 藤田君が遥の首に片腕をかけてグイと引き寄せる。
「いてててて、ちょっと…! 痛いって」
「なんかあったら、ふたりとも、ゆるさねぇかんな」
 遥が抵抗をやめて首に巻き付いた藤田君の腕を握る。
「社長、大丈夫。まかせて!」
「よし、内定な!」
「ちょっと、なにそれ! 勝手に決めないでっいてててて」
 困りつつも笑う遥の顔は藤田君には見えていない。
「ほら、藤田君。タクシー呼んでいいですか」
「おー……ちょっとまった」
 会議室のほうはすでに残っている者で片付けを始めていて、解放された遥は「じゃあ」と言って会議室へと戻っていった。
 それから、酔いが醒めてきた藤田君から悪戯めいた相談メールを送ったことを謝られつつ、よそよそしいと叱られた。
「すみません、ちょっと私事で色々あって」
「……実のところ、こないだの北原さんの件が関係してるんだろ?」
「えぇ……まあ」
 なんとなく感づいてたのか……。しかし信じてくれるだろうか。
「俺たちだって何度か声かけたんだけど、『ほっといてください』って言ってたの覚えてるか?」
 私がそんなことを言っていたのか……。全然記憶にない。
「遥君が来てから、一気に解決して俊郎もすっかり元気だもんな。どーせ本当は何かの縁でお前が引っ張ってきたんだろ」
「さすが藤田君、そういうところは鋭いですね」
 時に悪乗りもするが、やはり会社の経営者たるものってところなのか。
「付き合い長いだろ。ばーか。嘘がへたくそ過ぎなんだよ」
 ……みんな、私の表情(こころ)を読むのが上手だ。
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