第7話 錬金術と幻想錬金術

文字数 2,171文字

「噂は怖いですね。……ちなみに私は自慢するほど妻を愛しているから、セクハラや不倫なんて論外ですよ」
 ん?
「なんで遥君が赤くなってるんですか」
「えっ、え、あ。いや、だって、あんまりサラッというし、ドラマくらいしかそういうセリフ聞いたことないから」
 慌てるような口調で突っ込まれたことで、急に恥ずかしさが湧いてきた。数分前からやり直したい。
 遥はいつの間にか北原さんのメモにこもっていた想いを詠み終えて小さな赤い結晶を手にしていた。
「北原さんの……どんな感情が籠ってたのか聞くのが怖いですね」
「あっ、えっと、『人事部行くのめんどくさい』……って」
「そうですか。北原さんと吉崎さんは、お互いを『菜々ちゃん』『みゆきちゃん』と呼び合うほど仲が良くって、ランチの時間にはいつも北原さんが誘いに来ていたんですよ。今は吉崎さんが居ないから、嫌いな私しかいない人事部に来るのは、本当に面倒くさいのでしょう」
「そんなに親しかったのに、間違った噂を流しちゃったのか」
「そうなんですよ。それに嫌ならわざわざ饅頭を持ってこなくても良かったのに」
 清楚でおとなしい吉崎さんと、少し派手めな肉食系女子という北原さんはでこぼこコンビとしてウマが合っているようで、実はそんなに仲が良いわけではなかったのだろうか。
 考えても出てこない答えを求めて、また頭の中が渦を巻く。
 遥は目を閉じて思案中のようだ。

 いくつかの悪意の贈り物のせいで、小野君のお土産もとても食べる気になれず、私はただ手の上の饅頭を見つめていた。
「そうだ、俊郎さん、中和剤あげようか」
「中和剤?」
「そう。高純度の中和剤。心配で食べれないんでしょ?」
「あぁ、まあ……そうですね」
 遥は自分のリュックからプラスチック製の黒い瓶を取り出した。外したスクリュー式のキャップの中にひとつまみほど、キラキラとした塩のような粉末を入れる。
「はい、饅頭かして」
「え、本当に薬?」
「そうだよ。それに想いを循環させるのが仕事だって言ったじゃん」
 私の手から持っていった饅頭を少し見つめた後、その粉末を振りかけると、粉末は饅頭を包むビニールをすり抜けて吸い込まれるように消えていった。
「これはどういう……?」
「さっき言った通り中和剤。普通の毒物にも効くし、こもった悪意とかにも効くんだ。特に何も入っていなかったみたいだから、安心して食べて」
「あ、あぁ……」
「俺、休憩スペース行ってお茶もらってきます」
 饅頭を食べつつ遥が説明してくれた。
 幻想錬金術師の幻想は字のごとく。実体のない想いを結晶にして錬金術の材料の一つとして扱うんだとか。
 例えばあの満月の夜のように、あの光景を見た者たちの想いを結晶にし、次にその結晶を原料として様々なものを作り、それが使われることで次の想いへ繋いでいくのだそうだ。
 小野君からのお土産は大変美味しかった。なるほどこういう事か。
「想いを結晶にするのも仕事だけど、最終的には想いを循環させるのが仕事」
「ちなみに、そういう結晶とかを買うのってどんな人なんです?」
「結晶を買ってくれるのは錬金術師。彼らがそれを使ってさっきの薬みたいに、色んな物を作るんだ。薬とかを買ってくれるのは……これはちょっと事情があって言えない」
 雲行きが怪しいところに突っ込んでしまった気がした。
 本当に錬金術とか裏社会ってあるんだ……。私の中のフィクションがノンフィクションになっていく。
「想いや願いとかを詠んで結晶を取り出せないと、幻想錬金術師にはなれない。こればかりは才能というか体質に左右されるから……存在数は圧倒的に少ないらしいよ」
 幻想錬金術師は、同業者にのみわかる星の形の紋章を身につけなくてはならないらしい。遥が自身の左腕に巻かれたブレスレットについた小さい星の紋章を見せてくれた。
「紋章は色々選べるから、俺はこうしてブレスレットにしてもらったんだ」
 茶色の皮紐に遥の瞳の色にも似た石とともに綴られている。
「弁護士のバッヂみたいなものですか」
「あーそうだね。いわゆる身分証明」
 ツノの数が多いし、私は少々変わっていると思うのだが……、遥曰く「よくある星の形状」なのは、一般の人の目をごまかすためという事らしい。ただ「本物」には界隈の人にはわかる仕掛けが施されているそうだ。
「錬金術師は、勉強さえすれば誰でもなれるんだけど、その勉強が難しいんだよ。俺はこないだのお守りっぽいものとか、まだ簡単なものしか作れないんだ」
 錬金術師になるにはそれなりの修行が必要らしく、弟子入りして簡単なものから習うらしいが……遥の通っている大学が工学部なので、ひっそりと錬金術の学科でもあるのではないかと思っている。

 早めのおやつの時間だったが、十五時から人事の件で田畑さんと会議なのでちょうど良かった。
 私が会議の間は、まだ振れる仕事がないからということにして、デザイン部の雑用の手伝いという形で探りを入れてもらう算段になっていて、十五時少し前に一緒にデザイン部に向かった。
「わー! 遥君よろしくね!」
 同じ年頃のイケメンの乱入のせいか浮かれているのは学生アルバイトの丸園さん。
「よろしくお願いします。画像の切り抜きですよね」
「そうだよ~ジャンジャン切って切って切りまくって~」
 丸園さんに遥を引き渡して、田畑さんと共に会議室に入った。
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