第70話 悪夢の結末

文字数 3,712文字

 話し合いを終え、全員で事務所を後にした。

「俺と橘は食事がてら飲みに行くが、俊郎さんも一緒にどうですか」
「ありがとうございます。でも、私はこれで帰ります。また別の機会にぜひ」
「では色々落ち着いたらまたお誘いします」
「俺も帰る」
「四歳児は当然だ」
 八神さんに言われて、遥はプイと横を向く。 
「では、失礼します」
 目の前の四谷三丁目駅から地下鉄で新宿に出ても良かったのだが、時刻はまだ二十時半を少し過ぎた頃。
 私が地下鉄を選ぶだろうと思ったからなのか、時計を見ている時に「俊郎さん、おつかれさま」と言い残して歩き出した遥の後ろ姿が気になり、遥の後を追った。
「遥君、一緒に帰りましょう」
「俊郎さん……」
 もし、一人になりたかったのだとしたら、とんでもないお節介だが……。
「今夜も熱帯夜だねぇ。もう汗でてきた」
「そうですね……年々暑くなっていきますね。……あ。遥君、小腹()いてませんか? 来る時に気になっていたんです」
 幸い、新宿通り沿いのたい焼き屋がまだ店を開けていた。
「空いてる!」
「ご馳走(ちそう)しますよ」
「ありがとう、じゃあ……俺は小倉(おぐら)がいいな」
「では、私も小倉で」
 注文をすると、焼きたてのたい焼きを一つずつ紙に包んでくれた。
「熱いからお気をつけて!」
 愛想の良い店員に手渡された熱々のたい焼きは、サッパリした甘味のあんこでとても美味しい。
「たい焼き、久しぶりだなぁ」
「熱くて暑いですが、美味しいですね」
「だね!」

 途中、さすがに暑くなったので自販機で飲み物を買って、溶けたようにのろのろと歩く。
「遥君も和菓子が好きですよね」
「うん。ばあちゃんの影響かなぁ。俊郎さんは?」
「私は、子供の頃あんまり甘いものを食べてなかったんです」
「え、どうして?」
「……没頭するタイプだったので、間食をすることが無かったんですよ。その反動ですね」
「へぇ」
 大きな五叉路(ごさろ)の信号待ちで、突然遥が話題を変えた。
「俺さ、俊郎さんが上司で本当に良かったと思ってるよ」
「……いきなりどうしたんですか」
 頼み込んでアルバイトに来てもらっているのは私の方なのに。
「……優しいところとか……やっぱり人間なんだなって思う。八神さんが俺の事大事にしてくれるのも分かってるんだけど……でも、そういうのと違うっていうか……その……」
「八神さんが遥君のことを〝幻想錬金術師として〟大事にしている、と感じているのでしょうか?」
「え……あ、うん……。ほら、さっきだって……」
 それは誤解だ。
 八神さんは遥が倒れた日、七熊商店で私に頭を下げた。
「確かに想叶者たちにとって、遥君の存在は無くてならないし、幻想錬金術師として大切にしているのでしょうけど、私は八神さんから『遥を頼む』とお願いされました」
「え……?」
「八神さんが自分では教えられないこと……遥君がちゃんと人間の社会を勉強できるように私のアシスタントとしてバイトを続けさせて欲しいと」
 幼い遥が粗暴な想叶者に食われることのないように、力の使い方を教えるためにも幻想錬金術師に育てたのは八神さん本人だ。不器用に綴った言葉と素直過ぎる瞳に、遥自身を想う気持ちは確かに感じ取れた。
「そっか……」
 遥が微笑んだ時、金色の瞳に青い光が反射し、遥も私もゆっくり歩き出す。
 信号を渡り切る頃、新宿御苑からの心地よい風が吹いてきた。その風を受けながらもう一つの道路を跨ぐ信号を待つ。

「こないだの……北原さんの言葉……覚えてる?」
「……えぇ」
「やっぱ普通はああいう風に思われちゃうんだなっ……て……」
 やはり、大丈夫ではなかったのだ……
「遥君、私が今生きているのは遥君の優しさと、その素敵な力のお陰です」
「……俊郎さんだけだよ。俺や八神さんから話すまで、俺の事あれこれ()かなかったのって」
 ……やはりその外見や不思議な力を奇異の目で見られ、容赦のない質問を浴びせられていたのだろうか。
「だから……個人を尊重する俊郎さんのこと尊敬しているから」
「はは……私は今まで失敗ばかりですよ」
 尊敬されるようなことなど一つも……
「そんなことない。宗像さんのこともそうだけど、俺や会社の皆のことちゃんと考えてるじゃん」
「それは――」
「俊郎さんの〝人事部長の権限〟の振りかざし方、俺は好きなんだけどな。いつも肝心なところで使ってくれるから!」
「では……少し横暴ですし、それは内緒にしておいてください」
 人差し指を口元に寄せると、遥も同じポーズで笑った。
「……俺を信じてって、あの日も言ったじゃん」
「私も遥君を信じていますよ」
 それぞれの想いを、私なりに循環させることはできただろうか。

「遥君と宗像君の歓迎会は、延期にしましょう。せっかくですから一緒が良いかと思っています」
「そうだね」
 宗像君の復帰がどのくらいになるかは分からないという不安は残るが、藤田君にはあとでメールしておこう。
「では明日は、社内向けのお知らせの案文(あんぶん)の作成、お願いします」
「わかった!」
 大木戸門前の交差点から御苑沿いの通りへ入り、時折空を見上げながら遥の家の前まで。
「俊郎さん、ありがとう。また明日!」
「……こちらこそ。おやすみなさい」
「おやすみ!」

 ポケットから取り出した満月の守りは、あの日と変わらずぼんやりと蜂蜜色に光っていた。
 これを作ってくれた時は、無敵のヒーローのように思えたのだが、実際は無鉄砲でシャイで少し不器用で優しい……普通の十九歳の人間だ。
 過去に何らかの形で想叶者の力がバレて、恐れられたこともあったのかもしれない。明るく気丈に振る舞いながら、想叶者として葛藤を抱えて、誰にも話せない悩みもあっただろう。
 八神さんは、そのことも含めて私に遥を頼むと言ったのだろうか。
 想叶者の中には粗暴な者もいると言うし、八神さんは宗像君を警戒している……。
 ……宗像君は粗暴な想叶者なのだろうか?
 彼は絶望と苦しみしかない世界から消え去りたかった聡美さんを……救いたかったのではないだろうか。それならば、私を助けようとした遥と何も変わらない心優しき想叶者だ。

 ……私が本当に想叶者なら、宗像君を警戒する意味が分るのだろうか。
 まだ取り調べを受けているのだろうか。
 いつ頃復帰できるだろうか。

 ……お腹を空かせてるだろうか。

* * * * *

 一晩、私なりに何かできることは無いかと考えてみた。
 宗像君が望む生き方を、サポートする方法を。

「俊郎さん、あの……これ作ったんだけど……見てもらっていい?」
 朝礼の後、遥がそう言って差し出したのは、A4用紙三枚にまとめられた歓迎会延期の案文……ではなさそうだ。
「遥君……。ではこれを見てもらって良いですか」
 私もA4の書類を遥に手渡し、受け取った書類に目を通す。
「俊郎さん、これは?」
「どうやら私たちは同じことを考えていたようですよ」
 ぱらりと紙をめくる音のあと、遥が嬉しそうに微笑んだ。
「本当だ!」
「あとは、通るかどうか、ですね」
 とは言いつつ、夢を持って仕事をするという藤田君の理念がある以上、夢に関する企画なら通るという確信はある。
「俊郎さんの企画書のタイトル、『悪夢の掲示板』ってストレートなところも良いなぁ」
「企画名だけ聞いたら、少々不穏ですけどね」
「本当の意味は言えないけど、興味は持ってもらえそうだよ!」
 八神さんも話していた通り、人は夢を見るとSNSに投下したり、他人へ喋りがちだ。ならば社内の一角に掲示板と付箋(ふせん)を設置して、その日見た夢をSNSに流したり誰かに話す前に手書きで書いて貼ってもらうという企画。
 それなら宗像君だって本来の食糧には困らないと思うのだが。
「細かい仕様は、宗像さんの希望を聞いてから決めようか」
「そうしましょう」

 悪夢を獏に食べてもらう……か。
「昔の人のほうが、想叶者と仲が良かったのかもしれませんね」
「あぁ、俊郎さんってほんとに理解あるなぁ」
「遥君の英才教育が生きていますよ」
 それに、私自身も遥と同じように、想いを循環させたいのだ。人の願いも夢も……想叶者の想いも……
「どんな想いも循環させて見せるから……!」
「遥君、君はやっぱり人の心が」
「詠めないってばー! あ、俊郎さんはもう詠めちゃうのか」
「そうですよ、ピアスはしっかり着けておいてください」
「……分かってる!」
 今後の事はどうなるかまだ分からないが、ようやく掴んだ糸口。だからこそ――
「無茶だけはしないように」
「でも……人間と想叶者のためにも俺にできることはするべきだと思ってるよ!」
 決意の言葉と共に、遥は笑顔を見せた。
「それが幻想の錬金術師だからね!」

* * * * *

 瞑想は好き。
 もういなくなってしまった人ですら目の前に現れる。
 目を開ければ皆消えてしまう。だからこの世界は大嫌いだ。

 駒は今はどこにいる?
 虜たちはどこ……今は何をしている?

 あの協力者はもう帰ってこない。
 本当は傍にいて欲しかった。
 あたしに優しい現実(ゆめ)を見せて欲しかった。
 ……だから新しい協力者を探しに行こう。

 どうしたら私の願いは叶う?
 どうしたらあの人は(かえ)ってくる?
 どうしたら世界は私の思い通りになる?

 教えて欲しい、想いが叶った者たちよ……
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み