第55話 増える謎
文字数 2,531文字
寝言……?
「ねぇ、それってどんな寝言?」
「えーと……ナコさん? ナナコさんかな? とても親し気に話しかけてるようでしたが、恋人ですかね」
クスっと、少しだけ茶化すように笑う。
「いえ、会社の同僚の名前ですね」
「あら、じゃあ夢の中で仕事のお話でもしてるんですかね」
私たちへの対応をしつつ手早く体温や血圧を測って入力していく。
「うん、やっぱり体調には変化ありませんね。……早く目が覚めますように」
そう言って病室を出て行った。
やはり小野君はまだ吉崎さんのことを……。それにどんな夢を見てるのやら……。
「七分経過」
「まだ……起きそうにないですね」
「うん……」
八分ほど経った頃、小野君の瞼が微かに動いた。
「小野君? 起きてますか?」
そっと呼び掛けてみると、小さく何かを囁いている。
「小野さん?」
「……菜々子さん……」
あぁ……やっぱり吉崎さんの夢を見ている……。
「樹生くん、起きて!」
「はいぃ?」
遥が声色を変えて呼びかけたので変な声が出てしまった。
吉崎さんは小野君を「小野さん」と呼んでいたし、小野君も普段は「吉崎さん」と呼んでいた。彼の寝言が「菜々子さん」と呼んでるから、おそらく遥は夢の中の二人のやり取りを想定して「樹生君」と声をかけたのだろう。
……が、遥は吉崎さんとは面識もないので似ていない。
「遥君、もっとこう……少し甘えるような感じです」
えぇ? と遥が目で訴える。
「樹生くぅん?」
そうそう、そんなかんじ……。頷いて伝えると遥が嫌そうな顔をしたがもう一度呼びかけた。
「樹生くぅーん、おきて……」
良いぞ、吉崎さんが北原さんを「みゆきちゃぁん」と呼ぶ時と同じニュアンスだ。
「うーん……菜々子さん……」
「遥君、もっと呼びかけてください」
「樹生くぅん、樹生くぅん、一緒に帰ろぉ」
「……菜々子さん……」
パチリと目を覚ました……!
「小野さん! 起きて!」
「小野君……!」
「あ?」
寝たまま私と遥の顔を見比べたあと、のそっと起き上がると周囲を見回して状況を確認しているが……
「なんで俊郎が?」
「目、覚めましたか」
「あれ……なんで? ってか、ここどこ……」
「病院です。大丈夫ですか?」
「大丈夫もなにも、えっと……なんだっけ……あれ?」
混乱しているのか……いや、寝ぼけてるのか。
「ご両親に連絡しますので、遥君は看護師さんに報告してきてください」
「わかった!」
「え、なんだよ何事だよ」
それはこっちのセリフだ……。
「昨日の朝からずっと昏睡状態だったんですよ」
「え? なんで?」
こちらもそれを知りたかったのだが、まったく把握できていないようだった。
「だーかーら、俺は何も覚えてないんだって」
あの満月の夜に何があったのかを尋ねても、小野君の記憶はきれいさっぱり無くなっていた……。
病院の外の店で昼食を摂っていたご両親がすぐに戻ってきて私と遥は挨拶だけして病院を後にした。
会社に戻れば、すぐに他の皆から小野君のことを訊かれるだろう。遥とは事前に話しておきたいし、少し暑いが話しながら徒歩で戻ることにした。
繁華街を抜けてコンビニでアイスコーヒーを買って靖国通りを歩く。
「遥君の仮説が合っていましたね」
「うん……それに」
「それに?」
「三万円で済んだ!」
あぁ、それも大事なことだ。
「あ、八神さんには俺から報告するんで、ちょっと待ってて」
そう言って電話をかけると、八神さんの「良かったなぁ」という大きな声が漏れてきた。
「小野さんが会社に戻ってきたら、招き猫の事を聞いてみよう」
「そうですね、まずは自宅に帰るなどしてゆっくりしてもらってからですが」
無事に小野君の目が覚めたのは良かったのだが、まだ不可解なことがいくつか残っている。あの薬で目が覚めたということは、大量の幻想波が失われたからだ。
「……小野君はなぜ昏睡状態になるほど幻想波を消耗してしまったんでしょう」
「俺にもさっぱり分からない。小野さんは生きてる人間だし、想叶者が束になっても詠むことは不可能なのに……」
それに、昏睡状態でも「菜々子さん」と言うほど執着していた彼が、あんなにサッパリと「覚えてない」なんて言うだろうか。
「本当に不思議な事ばかり起きるなぁ」
「えぇ……」
「俊郎さん、……俺、やっぱり縁切りの招き猫についてはきちんと事件を解決するべきだと思う」
「でも、遥君……」
「ネットで噂になっただけ、というのなら俺だってそれまで通りの都市伝説で済ませていたけど、俊郎さんも吉崎さんもシオリさんも被害者だし、小野さんだってこうしておかしなことになってる。あの女が、まだあの招き猫を使って何かを企んでるなら、野放しにしちゃいけないと思うんだ」
「……でも、それでは遥君の体が」
「百歩譲って結晶は諦めて、手がかりを詠んで事件を解決したいって八神さんを説得する」
そうか、暗想属の結晶を作ることが体の負担になるのであって、詠むだけならそれほど心配は要らないということなのか。
「分かりました。それならば私もまだ当事者として助手として、できる限りのことをしますし、一緒に八神さんを説得しに行きます」
「俊郎さん……!」
「その代わり無茶をするようでしたら、私も保護者の側に加勢しますよ」
「うん。だから予定通り、新月の日に願想の結実を作ろう。どうせ報告に行くからその時に話をする」
「わかりました」
日差しも強くて暑い時間帯。新宿通りまで戻ってきた時には二人とも汗だくだった。
七熊商店の冷気が恋しい……。
「そういえば、遥君はなかなかの演技派ですね」
「あー、もうホント無茶振りしないでよぉ」
最初に吉崎さんの真似をしたのは遥なのに……。
北原さんの時と言い、その機転から突飛な行動をしては自分で首を絞めるタイプなのだろうか。
「でも、薬で目が覚めそうでしたし、遥君の演技はもしかしたら必要なかったかもしれないですね」
「あっ、そんなこと言わないで! 三万円で起きてもらうためだから!」
「そうですね。それにしても、似ていましたよ」
「え? そんなに似てた? ……じゃあ小野さんにあんな風に呼びかけたのは失敗だったかな。吉崎さんへの執着が加速したらどうしよう」
あぁ、確かに……。
「彼の言葉通り、全て忘れていると良いのですが」
「ねぇ、それってどんな寝言?」
「えーと……ナコさん? ナナコさんかな? とても親し気に話しかけてるようでしたが、恋人ですかね」
クスっと、少しだけ茶化すように笑う。
「いえ、会社の同僚の名前ですね」
「あら、じゃあ夢の中で仕事のお話でもしてるんですかね」
私たちへの対応をしつつ手早く体温や血圧を測って入力していく。
「うん、やっぱり体調には変化ありませんね。……早く目が覚めますように」
そう言って病室を出て行った。
やはり小野君はまだ吉崎さんのことを……。それにどんな夢を見てるのやら……。
「七分経過」
「まだ……起きそうにないですね」
「うん……」
八分ほど経った頃、小野君の瞼が微かに動いた。
「小野君? 起きてますか?」
そっと呼び掛けてみると、小さく何かを囁いている。
「小野さん?」
「……菜々子さん……」
あぁ……やっぱり吉崎さんの夢を見ている……。
「樹生くん、起きて!」
「はいぃ?」
遥が声色を変えて呼びかけたので変な声が出てしまった。
吉崎さんは小野君を「小野さん」と呼んでいたし、小野君も普段は「吉崎さん」と呼んでいた。彼の寝言が「菜々子さん」と呼んでるから、おそらく遥は夢の中の二人のやり取りを想定して「樹生君」と声をかけたのだろう。
……が、遥は吉崎さんとは面識もないので似ていない。
「遥君、もっとこう……少し甘えるような感じです」
えぇ? と遥が目で訴える。
「樹生くぅん?」
そうそう、そんなかんじ……。頷いて伝えると遥が嫌そうな顔をしたがもう一度呼びかけた。
「樹生くぅーん、おきて……」
良いぞ、吉崎さんが北原さんを「みゆきちゃぁん」と呼ぶ時と同じニュアンスだ。
「うーん……菜々子さん……」
「遥君、もっと呼びかけてください」
「樹生くぅん、樹生くぅん、一緒に帰ろぉ」
「……菜々子さん……」
パチリと目を覚ました……!
「小野さん! 起きて!」
「小野君……!」
「あ?」
寝たまま私と遥の顔を見比べたあと、のそっと起き上がると周囲を見回して状況を確認しているが……
「なんで俊郎が?」
「目、覚めましたか」
「あれ……なんで? ってか、ここどこ……」
「病院です。大丈夫ですか?」
「大丈夫もなにも、えっと……なんだっけ……あれ?」
混乱しているのか……いや、寝ぼけてるのか。
「ご両親に連絡しますので、遥君は看護師さんに報告してきてください」
「わかった!」
「え、なんだよ何事だよ」
それはこっちのセリフだ……。
「昨日の朝からずっと昏睡状態だったんですよ」
「え? なんで?」
こちらもそれを知りたかったのだが、まったく把握できていないようだった。
「だーかーら、俺は何も覚えてないんだって」
あの満月の夜に何があったのかを尋ねても、小野君の記憶はきれいさっぱり無くなっていた……。
病院の外の店で昼食を摂っていたご両親がすぐに戻ってきて私と遥は挨拶だけして病院を後にした。
会社に戻れば、すぐに他の皆から小野君のことを訊かれるだろう。遥とは事前に話しておきたいし、少し暑いが話しながら徒歩で戻ることにした。
繁華街を抜けてコンビニでアイスコーヒーを買って靖国通りを歩く。
「遥君の仮説が合っていましたね」
「うん……それに」
「それに?」
「三万円で済んだ!」
あぁ、それも大事なことだ。
「あ、八神さんには俺から報告するんで、ちょっと待ってて」
そう言って電話をかけると、八神さんの「良かったなぁ」という大きな声が漏れてきた。
「小野さんが会社に戻ってきたら、招き猫の事を聞いてみよう」
「そうですね、まずは自宅に帰るなどしてゆっくりしてもらってからですが」
無事に小野君の目が覚めたのは良かったのだが、まだ不可解なことがいくつか残っている。あの薬で目が覚めたということは、大量の幻想波が失われたからだ。
「……小野君はなぜ昏睡状態になるほど幻想波を消耗してしまったんでしょう」
「俺にもさっぱり分からない。小野さんは生きてる人間だし、想叶者が束になっても詠むことは不可能なのに……」
それに、昏睡状態でも「菜々子さん」と言うほど執着していた彼が、あんなにサッパリと「覚えてない」なんて言うだろうか。
「本当に不思議な事ばかり起きるなぁ」
「えぇ……」
「俊郎さん、……俺、やっぱり縁切りの招き猫についてはきちんと事件を解決するべきだと思う」
「でも、遥君……」
「ネットで噂になっただけ、というのなら俺だってそれまで通りの都市伝説で済ませていたけど、俊郎さんも吉崎さんもシオリさんも被害者だし、小野さんだってこうしておかしなことになってる。あの女が、まだあの招き猫を使って何かを企んでるなら、野放しにしちゃいけないと思うんだ」
「……でも、それでは遥君の体が」
「百歩譲って結晶は諦めて、手がかりを詠んで事件を解決したいって八神さんを説得する」
そうか、暗想属の結晶を作ることが体の負担になるのであって、詠むだけならそれほど心配は要らないということなのか。
「分かりました。それならば私もまだ当事者として助手として、できる限りのことをしますし、一緒に八神さんを説得しに行きます」
「俊郎さん……!」
「その代わり無茶をするようでしたら、私も保護者の側に加勢しますよ」
「うん。だから予定通り、新月の日に願想の結実を作ろう。どうせ報告に行くからその時に話をする」
「わかりました」
日差しも強くて暑い時間帯。新宿通りまで戻ってきた時には二人とも汗だくだった。
七熊商店の冷気が恋しい……。
「そういえば、遥君はなかなかの演技派ですね」
「あー、もうホント無茶振りしないでよぉ」
最初に吉崎さんの真似をしたのは遥なのに……。
北原さんの時と言い、その機転から突飛な行動をしては自分で首を絞めるタイプなのだろうか。
「でも、薬で目が覚めそうでしたし、遥君の演技はもしかしたら必要なかったかもしれないですね」
「あっ、そんなこと言わないで! 三万円で起きてもらうためだから!」
「そうですね。それにしても、似ていましたよ」
「え? そんなに似てた? ……じゃあ小野さんにあんな風に呼びかけたのは失敗だったかな。吉崎さんへの執着が加速したらどうしよう」
あぁ、確かに……。
「彼の言葉通り、全て忘れていると良いのですが」