第19話 有能な助手

文字数 3,498文字

『仕事たくさんありますので、助けてください』
 彼の性格ならこれでどうにかなりそうな気がする。私の残業時間削減のためにアルバイトの続行を引き受けてくれたくらいだし。
 送信のアイコンをタップするところで画面が切り替わりスマホが震えた。
「もしもし? 遥君、どうしました」
『美味しいもの持ってすぐ助けにいくから!』
 ……ヒーローか。今朝とうって変わって明るい声に、一安心した。
『一か所だけ買い物で寄り道するから断っておこうと思って。大丈夫、駅には行かないから安心して』
「わかりました。くれぐれも気をつけて来るように」
 彼に限って約束を破ることはないから、これで一安心だ。
 十四時過ぎ、人事部に遥が現れた。手には「追分団子」の紙袋。
「はい、差し入れ。豆大福だから、あとでおやつに食べよ」
 そう言って微笑む。
「あぁ、わざわざありがとう」
 ひとまずは今朝の出来事についての情報共有だ。念のため扉に施錠する。遥は丸椅子を持ってきて隣に座り、私のデスクのモニターに映したJRの新宿駅構内の見取り図を一緒に閲覧している。
「女性を見かけたのは、八時十五分ごろ。新宿駅の十四番線のホームから私が南口に出るためのこのエスカレーターを上がっている時に、彼女は階段を下って来るところでした」
「他人の空似で、人身事故は無関係だといいな、と思うけど……」
「人ごみだったので、残念ながら写真や動画は撮れませんでした。北原さんに確認が取れればよかったのですが」
「北原さん、唯一の目撃者だもんね……」
 何か確かめる方法があれば良かったのに……。何か……そうだ、こんな時こそ。
「遥君、例えばなのですが。北原さんにあの女性の似顔絵などを描いてもらうことで、半年前のその女性のイメージを詠んだりできますか」
 きょとん、とした顔のあと「それだ!」と膝を打つ。
「その手があった! 流石に半年前の記憶を頼りにとなると、多少は曖昧になっているかもしれないけど……それでも手掛かりにはなりそうだよね。それと同じように俊郎さんも今日見た女性を描いてくれたら、本人かどうかハッキリするかもしれない」
 遥でも盲点だったそのアイデアは、名案だったようだ。
「じゃ、俺ちょっと北原さんに、ってアァァァァ」
 勢いよく立ち上がった遥が頭を抱えてしゃがみ込む。……名案じゃなかったようだ。
「あの時、大見得を切った時はすごくかっこよかったのに……」
「やめてよ、あれは黒歴史だよぉ」
 涙目でそう訴える。
「では内線をかけて北原さんに来てもらいましょう。遥君、鍵開けてきてください」
「もう、容赦ないなぁ……」
 パーテーション越しに背中合わせに座っている相手の内線番号を押す。
『はい、北原です』
「加賀美です、おつかれ様。ちょっと急ぎのお願いがあるので人事部まで来てもらえますか」
『わかりました。電話を一件かけたらすぐ行きますね』
 五分ほどしてノックの音が響いて北原さんがドアの隙間から顔をだす。
「あの……お願いって何でしょう」
「来てくださってありがとう。ちょっと、中入って鍵をかけてください。先日のあの事件のことなので誰にも聞かれたくないのです」
 人事部に呼び出しとなると、あまりいいイメージを持たれない。説明を聞いた北原さんはホッとした様子で室内に入り鍵をかけた。
 北原さんの方は、私の隣に座っている遥について特に何も思わないのか、落ち着いた様子で私の正面にやってきた。予備の丸椅子を出しておいたのでそこに座ってもらう。
「あの……、北原さん。ま、前に縁切りの祈願に行った時に、この招き猫をくれた女性の似顔絵って描ける?」
 遥がこんなに動揺しているのはとても珍しい状況だ。そんな態度の遥に対して北原さんは、怪訝な面持ちで首を傾げた後に口を開いた。
「私、絵が壊滅的にへたくそなんだけど……」
「だ、大丈夫! あの、気にせず」
「大丈夫じゃないでしょ。似顔絵ってことは、あの女の人を探すつもりでしょ? 私の絵だと役に立たないと思うけど」
 普通に考えたらもっともな意見だ。ここは改めて説明しておいた方が良いのではないだろうか。
「遥君、彼女はあの女性の幻影の目撃者でもありますし、秘密をお願いしてあるので、君の能力については話せる範囲で話して良いと思いますよ」
 少し迷ってから遥が話し出す。
「えっと……あの、俺、物にこもった想いとかそう言うの……イメージをえーと……読み取るというか、なので」
「どういうこと?」
「絵が上手いとか下手とかじゃなくて、その……北原さんが見た記憶を『伝えよう』としてくれればそれで……伝わるというか」
 それじゃ遥の話が伝わらないだろう。首を傾げている北原さんの綺麗な顔の眉間にシワがよる。
「遥君は、文字などを書いた人の想いを読み取ることができる力があるんですよ。だからほら、あの屋上で『北原さんの気持ちに気づいちゃった』って、話してたでしょう」
 となりで遥が小さく「あぁ……」と言いながら頭を抱える。
「やだ、俊郎さんまで何言ってるの。あれはハッタリでしょ」
 北原さんが噴きだした。が——
「確かに、あの屋上で『女性の幻影』を見せられたから、不思議な力があるのは解るけど」
 すべてが信じられない、というわけではなさそうだ。もう一押し。
「遥君はあの幻影のように、想いを詠んで取り出すことができるんですよ。遥君が面接に来た日、小野君のお土産についていた北原さんのメモから、遥君が北原さんの想いを詠んで、それを利用してしまったんです」
「え? ……嘘でしょ?」
 黙っている遥に、まだ信じられないという顔でもう一度「嘘よね?」と念を押す。
「ほ、本当……」
 赤い顔になった遥が目を逸らすと、北原さんの顔もみるみるうちに赤くなった。
「いやぁぁーーーーーー!」
 人事部に響く北原さんの悲鳴。これじゃまた変な噂がたってしまう。
「北原さん、落ち着いて。お静かにお願いします」
 真っ赤な顔を両手で覆って「もう、やだぁ~~~~!」と悶えている。
 北原さんが落ち着きを取り戻すまで少々の時間を要したのだが……、本当にあの時どんな事を想ってたの……。
 できるだけ雑念が入らないようにと、遥に席を外してもらった上で、半年前の左門町での話を順序だてて説明してもらい、その流れであの女性の似顔絵を描いてもらった。
 北原さんが人事部を出ていく際に「今度勝手に覗き見したら許さないからって言っておいてください」と伝言を託されてしまった。しばらくギクシャクが続きそうだ。
 続いて私も今朝を思い出しながら鉛筆を走らせる。
 肩くらいの長さの黒髪で……、意志の強そうな目……、青い服……。
 朧げな記憶を掘り起こしつつだが、なかなか良い出来栄えではないだろうか。
 描き終えたところで遥を呼び戻す。今度は私の向かいに座る。
 まずは一枚目、北原さんの描いた似顔絵の方から詠んでもらう。絵に関しては彼女のプライドをこれ以上傷つけるわけにはいかない、とだけ。
 遥が視線を固定するとすぐに赤いモヤがでてきた。それを観察するようにじっと見つめたあと、右手で指をパチンと鳴らすいつもの流れ。小さな赤い結晶が絵の上に転がった。
「ふー……」
 大きくため息をついて、うなだれる。
「気分は大丈夫ですか」
「大丈夫。……すごい鮮明に見えて……一体どうなってるんだろ」
「北原さんが左門町に行った日のことを、『吉崎さんのため』という原動力を思い出してもらうところから順序だてて話を聞いて、それから目や口の形は、という感じで問いかけて描いてもらったんですよ」
「へぇ……、やり方次第では記憶を掘り起こすことも可能ってことか……これは大発見」
 私はもしかして有能な助手なのでは。
 続いて私の描いた絵を広げる。
「わぁ……俊郎さん、絵心あるんだね」
「これでも絵画コンクールで入賞したことがあるんですよ。といっても、中学二年生の頃ですが」
「へぇー! すごいね!」
 そのコンクール以後は描かなくなっていたものの、腕はそれほど鈍っていないようで、それが少し嬉しかった。 
「じゃあ、俊郎さんの描いた絵を詠むね」
「私は今朝の出来事とはいえ、一瞬でしたからうまく伝わるかどうか。あ、あと私が描き終えるまでは北原さんの絵は見ていません」
 先ほどと同様に遥が私の描いた似顔絵を詠む。絵の上に転がる紺色の結晶。
「どうでした?」
「……本人だと思う。二人の絵から詠み出した記憶の中の女性はどちらも同じ顔だし、この似顔絵にもそっくりだったよ」
「そうですか、それは有力な手掛かりになりますね」
「それに警戒しやすくなるよ。ありがとう俊郎さん」
 私も遥もスマホで似顔絵を撮影して保存した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み