第66話 原点回帰

文字数 3,524文字

 まだ土日の疲れが残るが、その後はいつも通りに出勤。社内で起きた不可解な事件は解決した分、いくらか気持ちは軽い。
「宗像君ですが……今朝電話がありまして、体調を崩して出勤できないとのことです。消耗が激しいそうなのでしばらく休むよう言ってあります。デザイン部の皆さんは上手く調整してください」
 朝一番で田畑さんと相談した内容でを朝礼で伝えると、デザイン部も営業部も企画部もみんな気まずい雰囲気になってしまった。
「このところずっと暑いし、夏バテかもしれないなあ。皆も気を付けような!」
 楽観主義である藤田君の言葉で、なんとなく場が和む。
 ……そう宗像君は夏バテなのだ。宗像君を襲った恐ろしい現実(悪夢)による疲労だ。

* * * * *

 翌日、宗像君から電話が入った。声はもう本調子にしか聞こえないが、もしかしてあの高額な薬でも飲まされたのだろうか……。
「宗像君、私の方はもう大丈夫ですから。そんなに謝らなくても――」
『でも……』
「デザイン部が宗像君を待っていますよ」
『……あああ、ありがとう……ございまっ…………』
 電話の向こうで泣いているのだろう。
「体の具合はどうですか?」
『……もう……大丈夫です。なので明日から、と言いたいところなのですが、橘先生に相談して……自首することにしました』
「自首? いや、何もそこまでしなくても……」
 翔太は無事に返してもらったし、もう気にする必要なんてないのに……。
『いえ……僕が悪いことをしたのには間違いありませんし、きちんとけじめをつけないと僕の気が済まないんです』
「……そうですか」
『ただ、橘先生はまだ僕は退職する必要はないからって仰っていて……。自首した後のことは橘先生から俊郎さんにご連絡してくださるそうです』
 八神さんが橘先生の事を頼りになる、と言っていたしあの時点で呼んでいたくらいだから最初から何か考えがあったのかもしれない。
「わかりました。早いうちに色々解決することを私も望んでいます」
『はい! では、失礼します』

「宗像さん、自首するの? 体調は大丈夫なの?」
 刑戮の楔の件もあってか、遥の表情はとても暗い。
「えぇ」
「……そっか」
「ですが、人事部長の権限で彼はしばらく病欠扱いということにしますよ」
 安堵のため息の後立ち上がり、私の席の前の丸椅子に座った。
「八神さんからちょっとだけ話は聞いたんだ。橘先生は想叶者の味方だから安心して任せられるって」
 ……そうか、八神さんの親友というくらいだから想叶者に関しては理解が深い人なのだろう。それなら私たちは彼らを信じて連絡を待つだけだ。
「俊郎さん、何飲む? 俺もらってくるよ」
「ありがとう。では……遥君と同じものをお願いします」
「わかった!」
 気丈に振る舞っているが本当は一番ショックを受けているだろう……。

 午後いちばんで、八神さんから電話があった。
『俊郎さん、今夜は空いてますか。橘が事務所で詳しい話をしたいって言ってるんだが』
「えぇ。大丈夫です。場所はどちらですか」
『四谷三丁目あたりだから、そこから割と近いはずだ。住所はあとでメールしておきます。あいつは十八時以降は事務所にいるから、俊郎さんの仕事の都合で来てくれて構わんそうだ』
「わかりました、ありがとうございます」
 すぐに八神さんからメールが来て、書かれていた住所から地図を検索してみると同じ新宿通り沿いで徒歩で行ける距離だ。
 会社を出たのは十八時三十分。遥はあとから八神さんと一緒に行くことになっているので一度家へと帰って行った。
 星の木法律事務所……ここか。一階入り口でインターホンを鳴らすと橘先生自らが応じた。

「事務員ももうみんな帰ってしまっててすみません」
 橘先生がそう言いつつ冷たいお茶を出してくれた。
「すみません、お構いなく」
 指先まで神経の行き届いた身のこなし。そして今日はきちんとワイシャツとネクタイにベスト姿。なんというか……とても(みやび)な人だ。
「先日は挨拶もろくにせずで失礼しました」
「いえ、こちらこそ」
 上質なアイボリーの紙に印刷された名前は――
「綺麗なお名前ですね」
「ありがとうございます。自分でも気に入ってるんです」
 ちょっと怖い顔を緩めている様子から、喜んでいるのが分かる。

「昨日、加賀美さんが帰られた後、目が覚めた宗像さんと色々とお話をしました。宗像さんは我々に説得されたから自首するわけじゃなく、自分自身の意志でということは最初にお伝えしておきますね」
「そうですか……。電話で話した感じから、そんな気はしていました」
 橘先生としても、自首は重要だという。
 宗像君を違法の錬金術で縛ったキリカを警察に捜査してもらうために、まずは宗像君のことを洗いざらい説明することになるという。
「錬金術と想叶者が絡んでいますし、恐らく警察の幻想課はいつも以上に疑り深い仕事をするでしょう。ですので、宗像さんが刑戮の楔を外すまでの経緯を説明するために翔太君の誘拐事件は避けて通れないと思っています」
 確かに、宗像君が刑戮の楔を違法の錬金術の証拠とするなら、キリカにあれを着けられてから外すまでを説明する必要が出てくるかもしれない。
「それを伏せて宗像さんがキリカを刑事告訴して、その後の証言で綻びが出て不味いことになるより、最初から全て公にしたほうが良いと思いまして」
 しかし、宗像君は想叶者だ……。何か犯罪を起こせば厳罰だというし……
「あぁ、宗像さんは人に紛れて生活していましたが、幸いに人間の戸籍を取得していなかったので能力制限を受けていません。単に人間に化けた想叶者による人間への誘拐(いたずら)として裁かれるだけです。翔太君の誘拐はキリカの刑戮から逃れるためという理由もありますし、情状酌量も見込めますよ」
「では……」
 あの即実刑という能力制限違反は適用されないということか。
「宗像さんが脅迫に使っていたものがプラスチック製のおもちゃであったことや、加賀美さんの証言もあればどんなに悪くても執行猶予が付くと踏んでいます」
 あぁ……良かった……。
「それに宗像さんは想叶者なので人間社会で報道されることはありません。すべて警察と幻想裁判所によって秘匿されていますから」
「……それを聞いて安心しました。ありがとうございます」
 社内に宗像君の秘密や事件が知れることもない、ということならば社内的には夏バテ療養で誤魔化しきることができる。
「加賀美さんがどんなに(ゆる)すと仰っても、自分の意志で自首して責任を取ろうとするほどの人柄ですし、その宗像さんが翔太君を人質にしてまで逃れたいと思うほど、刑戮の楔による強制力は苦痛だったのでしょうね」
「えぇ……」
 あの時、宗像君は「恩義を忘れるほど愚かじゃない」と言っていた。私に恩があろうとも……それでも翔太を盾にするほど思い詰めていたのだろう。
 キリカという人物は絶対に野放しにしていけない。

「それと、まだ断言はできませんが、キリカという人物は過去に錬金術で大罪を犯した人間と関係がありそうなんです」
「大罪、ですか……」
「えぇ。その人物は遺体から幻想波を取り出す凶器を開発している段階で、複数の人間と想叶者の犠牲者を出して死刑判決を受けています」
「遺体から……幻想波……想いをってことですか?」
「そうです。そしてその人物こそ……縁切りの招き猫を最初に作ったと言われている錬金術師です」
 ……そこに結びつくのか。
 やはり人を死へと誘い、その上で遺体から想いを取り出そうとしていたのだろうか? そうであれば遥の追いかけていた都市伝説の通りだ。
「八神の話では、縁切りの招き猫は十年くらい前に錬金術師の間で噂になり、それが都市伝説として独り歩きしたそうなんです。しかし、その死刑囚は五年前に獄中で自らの錬金術で死亡してしまいました」
 ……やはりなんだか物騒な事件だ。
「ですが、宗像さんがキリカの情報を提供してくれるならば、加賀美さんも関係する縁切りの招き猫の謎にも辿り着けるかもしれません」
「本当……ですか」
 あの不気味な招き猫との縁も断ち切れるのだろうか。
「少なくとも、宗像さんはキリカの所在をご存知ですから」
 そうか、強制的に結晶を持って来させるくらいだ。住所もしくは出入りしている場所くらいは知っていて当然だ。
「それと、宗像さんが俊郎さんのいる会社に転職したのは、偶然だそうです。会社の理念にとても感銘を受けたと話していましたよ」
「えぇ。履歴所にもそのように書いてありました」
「デザインの知識は、あの部屋の主である亡くなった女性、聡美(さとみ)さんの恋人の知識を受け継いでいるそうです」
 あの部屋の本棚……デザインに関する今年度版の書籍も入っていたし、彼なりに勉強もしていたのだろう。
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