第32話 不思議なチカラ

文字数 2,368文字

 午後四時過ぎ、夕立の雷鳴が響いた。
「来た!」
 遥が、慌てて人事部のドアを開けて出て行き、私もそれに続いた。
 人事部のドアの目の前は新宿通りに面した窓で、遥はその窓から外を眺めていた。
 大粒の雨が降り始め、濡れながら走っていく人もいれば、近くのATMに駆け込んでいく人も見える。
 雨はすぐに勢いを増し、地表のあたりは煙るように白くなり車が通るたびに水音を響かせた。
「良い雨だね」
 遥は自然現象を人間の主観視点で見てはいない。
「今年の空梅雨では、困る者も多かったでしょうね」
 私の言葉に一瞬驚いたように目を見開き、すぐに笑って見せた。
「さすが俊郎さん、模範的回答!」
 遥は大粒の雨に構わず窓を開けた。とたんに激しい水しぶきがと吹き込んでくる。
 空に眩しい稲妻が走った後、大きな雷鳴がガラスを震わせた。
「うわっ」
 あまりの轟音に思わず声が出た……。
 しかし、遥は全く怯むこともなく、Tシャツが濡れていくことも厭わずに窓の外に手を伸ばす。その姿勢は先日の夕暮れの入道雲の時と同じだ。ここは幸いフロアの端で、通路を回り込んだ場所のため他の社員たちの死角になっている。今は隣の社長室の藤田君も外出中だ。
 遥の手の平に、光の粉が集まって来る。それを握り締めると、とても大きな角ばった結晶が現れ、満足げにそれを見つめている。
「雷は光と音っていう合図があるでしょ。だから分かりやすくて良いんだ」
 確かに、虹や雲はお知らせしてくれないが、雷は音と光がある。
 採れたばかり結晶は内側から明るい光を放っていてまるで大きな宝石の原石のように見える。
「雷鳴の結晶は採り易くて供給量も多いんだけど、その分、錬金術のベースに使う人も多くて値崩れしない。恵みの雨の兆候として喜ぶ者もいるし、神秘的なものへの憧れと災害への恐怖っていう極端な想いの組み合わせだから使い方によっては電気のように流れを生み出す装置にも使われるんだって」
「そうなんですか」
「面白いよね、自然現象と人の想いからこんなものがが採れるなんて」
「えぇ……。というか大丈夫ですか、風邪引きますよ」
 Tシャツがずぶ濡れだ。
「うん、着替えは持ってるから大丈夫」

 人事部に戻ると、遥はリュックから出したTシャツに着替えた。暦や天候で結晶を採りに出かけることがあると聞いていたが、突然の雷雨ではこういうことも想定内なのだろう。
 雷鳴の結晶を革袋にしまうと、いつものノートを持ちだしてきて私のデスクに向かい合って座った。
「縁切りの招き猫のことで、一つ俊郎さんに確認したいことがあったんだ」
「まだ何か話せていないことってありましたか?」
「駅でシオリさんを引き留めた時、すごい怪力だったって言ってたよね?」
「えぇ。私は利き手でシオリさんの腕を掴んだんですが、ほとんど踏ん張る暇もなかったです」
 シオリさんがホームから電車に飛び込もうとするのを引き留めるはずが、逆に私が引き寄せられてその勢いでホームから放り出された。
「シオリさん、特別大きな体格ってことはないよね?」
 腕を掴んだ時の状況を思い出す。祥子さんが百六十センチほどだから——
「妻より小柄なので身長でいうなら百五十センチ台じゃないでしょうか。華奢な子でしたよ」
「そっか……その怪力も謎なんだよね」
 目を閉じて「うーん」と唸り思案する。
「俊郎さんと最初に出会った夜だけど、俊郎さんが後ろから抱き着いてきてもそれほどじゃなかったよね」
「抱き着いてません。羽交い絞めです」
 あの夜は、屋上で月を見ていた遥が柵を乗り越えようとしていると私が勘違いして無理やり柵から引きはがしたのだ。
「不意打ちだったから、柵からは引きはがされちゃったけど」
「そうですね。あの時は驚かせてしまいました」
「ううん。……で、あの時の事思い出してみると、なんで俊郎さんにはその怪力が無かったのかなって。俊郎さんが極端に腕力が無いってわけじゃないと思うし」
「……言われてみればそうですね」
 主な仕事はデスクワークで、たまに体は動かすことがある程度で特別筋肉質という体形ではないが、普通のサラリーマンの腕力のはず。……私の時と何が違ったのだろうか。
 ――あ。
「遥君、私とシオリさんでは置かれた立場が違います。もし、私が死のうとしていたのを遥君が止めていたとしたら、私が遥君を容易に振り払っていたかもしれません」
「あぁ……そうか! その可能性あるなぁ。あの幻想波は死へと誘導するし、何が何でも死へと導くための力なのかな……」
 ノートに今の話をまとめている。
「北原さんの場合も、自分がしたことを許せなくなって殺意が自分に向けられた、という意味では同じかもしれませんね」
「そうか、北原さんもか……」
 彼女もまた、屋上で私を振り払おうとした時に同じ現象が現れた。
「今は俊郎さんの幻想波は中和して無くなっちゃってるから、検証をしてみたいところだけど……俊郎さんに死を意識して行動してもらうのはさすがになぁ……」
「そうですね、今は死のうだなんて微塵も思ってませんし、検証のために駅のホームに立たされても死を望むどころか恐怖のために足がすくむと思います」
「幻想波は中和したけど、それでも例の『声』が聞こえていたし、まだ招き猫の影響がどこかに残っていると考えられるんだよなぁ」
 例の声は不快極まりないものだが……怪力はちょっとだけ興味がある。
「力を抑制したり服従させる装飾品があるくらいだし……それの逆と考えて……っていうことはつまり機構に組み込む前段階の幻想波でっていう感じなのかなぁ……」
 なんだか雲行きが怪しい感じの事を呟いている。

「ねぇ、もう一つ確認なんだけど……。その……俊郎さんは自分が……死ぬつもりで屋上に上ってきたのに、どうして真っ先に俺のことを?」
 それについては…………話すべきかはすごく悩む。
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