第26話 想いや願いや夢が交錯する場所

文字数 3,196文字

 まだ全部話し終えてないところでノートを閉じる。いつもより低く淡々とした声。
 あ、これは怒られる。
「……なんでその『声』が聞こえてたこと黙ってたの。バカ」
 今日二度目の「バカ」。
「それについては、本当にバカなことをしました。すみません」
「聞こえてるのはなんとなく分かってたけどさぁ」
 あぁ、やっぱりそうですよね……。
「変なところで遠慮しないでよ」
 ため息をついて、椅子の背もたれに体を預け天井を見上げる。
「俊郎さんと新宿駅に行った朝、俺にはその『声』は聞こえなかったんだ。人形の幻想波とは同じじゃないらしい」
 私の仮説は外れていたということか。
「俊郎さんに危険が迫ってたとしても、その時点では打つ手がなくて……でも、どうにかしなきゃって思って。それで、大学のすべての建物の隅々まで錬金術の関係者や資料がないか探してたんだ」
 膝に置いた拳をぎゅっと握りしめていた。
「あの日、バイトを休んだのはもしかして、それで?」
「うん。だけど、見つけられなくて……あの女の錬金術を解明できないなら、俺の幻想錬金術でどうにかするしかないって思って。夜、家に帰ってからずっと、過去に集めた結晶で色々試してた」
 そういうことだったのか。
「では、ポカリとゼリーの写真は……」
「あれは大人しく寝てろって言われた時に、いつも使うダミー写真だよ」
 幻想錬金術師の仕事の際に、体調不良でも寝込んでいられない時にだけ使う手段だそうで、手慣れている遥のほうが一枚上手だった。
「あと、樹木の想いの結晶を渡しておいてくれてありがとう。今頃は、彼女の方も少しは落ち着いているといいね」
「一応、名刺を渡しておきました。私から連絡先を聞き出すのは社会的に問題になりますし、さすがにできませんでしたが……。『声』のことを臭わせておいたので、何らかのアクションはあるかもしれません」
「俊郎さん、大変な時に一人で全部対応してくれたんだ。ありがとう」 
 ほぼ二人同時に、ふうとため息をつく。 
「あ。あと不思議なことがあって。実は、私がホームから放り出された時には、もう目の前に電車が迫っていました」
「ホームから……放り出された?」
 遥が何か言いたげなところを手で制止してそのまま話を続けた。
「仮にブレーキが間に合ったり、落ちるタイミングが早ければ、線路に落ちているのが自然だと思うのですが……。花畑が見えた時は完全に死んだと思いました。でも、私が気づいた時は、停車した電車の中だったんです」
 そこまで話した時、遥が両手で鼻を挟むようにして、先ほどよりも深いため息をついた。
「——さっきの俊郎さんのメッセージだけだと、単に女子高校生ともみ合いになって、先月の屋上の時みたいに、振りほどかれて後方に転倒して病院に運ばれたんだと思ってたんだ。……でも実際はそれよりもっと危ないことになってたんだね」
 ぐす、と鼻をすする。
「……よかった、ちゃんと発動して」
「発動とは……?」
「昨日、屋上で作って渡した願想の結実」
 言いつけ通り、今も身につけている小さな多角錐。
「これが?」
「『俊郎さんの願い』と『闇夜の歓びの想い』を合成したそれが、ちゃんと思惑通りに発動して、一時的に安全な場所へと移動して、その後同じ場所へと戻ってきた」
「安全な場所……、あの花畑でしょうか」
 うん、と小さく頷く。
「夜の闇を歓ぶような者たちの多くは、とても臆病なんだ。だからその想いを凝縮して作った合成品には、持ち主に危険が迫ると安全な所へと導いてくれる特性がある。元の場所に戻ってこれたのは、俊郎さんの家族に関する願いの力だよ。……あと、帰って来る時は同じ場所に戻るから、電車が停車していて、本当に良かった……」
 ……もしかして、戻るタイミング次第では、手すりや椅子が体に刺さっていた可能性もあるのだろうか……。自分の考えに、思わず(かぶり)を振る。
 それでもこの願想の結実にそれだけの力があるなんて……。肌身離さず身につけろというわけだ。きっと満月の守りの方も、私が今まで思っていた以上に効果があるのだろう。
「臨死体験の話で、花畑を歩いたとか、川の向こうで先に死んだ人が手を振っていたとか、そういうの聞いたことある?」
「えぇ、聞いたことあります。さっきも医者に花畑の話をしたら、生きて帰ってこれて良かったですねと言われました」
「そう、だいたいの人は病気や事故で寝込んでいる間にそんな風景を見ては『天国に行きかけた』って言うよね。……でも、あそこは天国でも死後の世界でもないんだ」
「では、私はどこに……?」
 暗転、そして青空と花畑、再びの暗転。ほんの一瞬だけど確かに見えたあの風景。
「……そこは幻想世界」
「げんそう……せかい……?」
 続きを話し始めるまで、少し躊躇いがあった。
「……簡単に説明すると、想いや願いや夢が交錯する場所。人や……色々な者たちの願いや想いは、この現実や幻想世界を巡って混ざり合って、またこの世界の誰かの願いや想いを支えるように影響している。だからみんな心のどこかにその光景を共有していて……奇麗な花畑の風景だけじゃなくて、奇妙な描写の絵や世界観を『悪夢の世界みたい』なんて例えを言っても、共感されたりするのも同じ現象。そしてそこは、条件さえ満たせば……、生身の体でも行ける場所……」
 いつも以上に信じがたい話だった。しかし、実際に経験してきたからか、言われた内容はストンと腹に収まる。でも言いたいことが胸に(つか)えて出てこない。
 しばらく無言の時間が流れたあと、遥がもう一度スンと鼻をすする。
「ごめん……何言ってるか、分からないよね。本当はさ、俊郎さんに初めて会った時は、ここまで説明することになるとは思ってなかったんだ。……だけど、俊郎さんすごい理解してくれようとして、実際理解してくれて……今は巻き込んで危険な目に遭わせてしまったのが申し訳なくて……」
 消え入るような声でそこまで話してうなだれる。
「遥君、よく聞いてください。すぐに返事ができなかったのは、色々なことが立て続けに起きたので、言葉が出てこなかったんです。それに、そもそもは私が遥君に助けてもらったんですよ。むしろ、巻き込んだのは私の方です」
 俯いたまま首を振る。
「確かに最初に『想いを循環させる』って聞いたときは一体何を言っているんだ、と思いました。……でも満月の夜に見た光景に感動しましたし、今も鮮明に心に残っています。その後も目の前で奇跡のような技を目にすれば、さすがに信じるしかありません」
 ゆっくりと遥が顔をあげ、前髪の隙間から金色の目が見えた。
「遥君は、本当に……本当にすごいんですよ」
 言いたいことが整理できず、語彙力が喪失している。
「……どうしたの急に。俊郎さん、まだ意識混乱してるの? 大丈夫?」
「いつもの本業と試験勉強や私の手伝いをこなしながら、願想の結実という幻想錬金術を成功させました。私にはそれがどれだけ難しいのかも分かりませんが、こうしてケガ一つせずに命があるのは間違いなく遥君のおかげです」
 ロッカーの下段の小さな冷蔵庫から、祥子さんが買っておいてくれたペットボトルのジュースを取り出して一本手渡す。
「遥君、今日はゆっくり休みましょう。明日も試験があるでしょうし」
 今日は仕事には戻れないし、今ここで遥に仕事を振ることもできない。
「俊郎さんこそ、本当に体は大丈夫なの?」
「実は、さっきまで散々駅員さんや警察や医者、それから妻や藤田君にも何度も『大丈夫?』と言われました。私はケガもしていないし、すっかり正気になっていてちゃんと見てきたことを話したのに『ありえない』と」
 思わず堪えきれなくて笑ってしまう。
「私はちゃんと説明しているのに、本当に誰も信じてくれないんですよ」
 少し困った顔で遥も笑いだす。
「……ほら、誰も信じないでしょ?」
 笑う遥の目尻に小さな涙が見えた気がした。
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