第51話 何かが起きている
文字数 3,407文字
彼が差し出したのは――あの招き猫。
「宗像さん、拾得物はこっちで受け付けまーす!」
すかさず遥が宗像君を呼ぶ。
「え? あ、はい……」
「いつですか? 今日ですか?」
「えっと、昨日です。夜に帰る時に……今日の午前中はミーティングとかあってすぐに届けられなくてごめんなさい」
「ううん、大丈夫! じゃあ、拾った時間をこのあたりに書いて」
メモを書かせて詠むつもりだろうけど、それは元々ここにあったもの……一応、私の席に座らない限りは見えない場所に置いてあったが、小野君はここにあったことを知っているし、ここはどうするべきか。
正直に私の物だと言った方がいいか? でも宗像君は事情を知らないし今は小野君も不在だ。……いや、すぐに「私の物だ」と言えなかったのに今更言うのは不自然だ……。
「拾った場所は?」
「えーっと……廊下……です」
「どこの廊下?」
「え? そ、そこの……」
「じゃあ人事部への通路って書いてください」
「あ、はい」
昨晩、小野さんが人事部から戻る時に落としたのを拾ったのだろうか? 詳しくその時の事情も聴きたいが招き猫一つでそんなに突っ込んで聞くのも不自然だ……。
遥の机で宗像君が言われたことを書いているときに、遥がそっと人差し指を口元に寄せる。何か考えがあるようだ。
「届けてくれてありがとう! あとで社内SNSにも告知するね」
「あ、いえ……はあ……」
宗像君が出て行って遠ざかった頃合いで、遥が頷く。
「ひとまず、詠んでみるから」
「大丈夫ですか」
「前に俊郎さんが北原さんに似顔絵描いてもらったやり方で、その時の事を想起するよう誘導してみたから多分平気」
「そうですか……」
宗像君に書いてもらったメモに目線を固定すると、青みがかったグレーのモヤが立ち上った。そして小さな結晶が机に転がり、遥の表情にも変化が。
「大丈夫ですか?」
「うん、体調は平気。それより、なんか変だな」
「変とは?」
「間違いなく昨日の夜、そこの通路で拾ったみたいなんだけど、今書いてもらったばかりなのになんか視界が揺らぐような感じで……。それと感情みたいなものは一切なかった」
「今までこういうことは?」
「書いたばかりのものが揺らぐようなことは無かったな。北原さんの似顔絵の件は半年くらい前の物を思い出してもらってもすごく鮮明に見えた。それにあの時は手がかりのためなら仕方がないな、という想いが混ざっていたんだけれど……俊郎さんの尋問が上手かったのかなぁ」
尋問とは穏やかではないなぁ……。
「それと、招き猫の方も詠んでみる」
招き猫……先月の部屋を埋め尽くすほどのどす黒い煙を思い出し身構えていたら何も出ない。黒いコンタクトレンズで瞳の様子は見えないが、どうしたのだろう。
「……何も出てこない」
「どういうことですか?」
「俺も分からない……。俊郎さん、一昨日これを握りしめてたよね?」
「あぁ……そうですね。もう厄災はごめんだ、と……」
この部屋のドアや机からは一晩経っても小野君の気配が消えていなかったが。
「ほんの少しでも『願った』ことがこんなにあっさりと消えるものでしょうか」
遥が「そんなことはない」と首を横に振った。
「小野さんが持ち去ったのに、その気配もない……。やっぱり何かが起きてる気がする。……俊郎さん、頑張って演技して」
えっ!
「もし、宗像さんから『俊郎さんのだったんですね』とか言われた時に、さっきは良く見えなかった、探してたんだと言うだけだから」
「……わかりました。努力します」
「万が一、ツッコミが来た場合だから大丈夫。それに宗像さんは俊郎さんが演技が下手ってことはまだ知らないんだから自信もって!」
不安はあるが、遥の言う通りだ。それに宗像君だってそんなツッコミするとも考えられない。
でも……本当に大丈夫だろうか。
とりあえず、北原さんにも伝えなくては。
『はい、北原です』
「加賀美です、お疲れ様。度々すみませんが、こっちに来てもらっていいですか」
『わかりました。すぐ行きます』
招き猫が見つかった件を共有するために来てもらったが、届けに来た宗像君について警戒しておいた方がいいということも伝えた。
「宗像さん、入社したばかりでしょう? 彼、あの事件に何か関係あるの?」
「……関係あるかはまだ何とも言えません」
「実は、招き猫が無くなる前日に、俊郎さんがこれに『もう厄災は招かないでくれ』と念じてたんだけど、その想いが消えてたんだ」
「え? そんな事まで分るの? こわ……」
「……うん」
遥の表情が曇る。
「北原さん、彼がこの能力で協力してくれなければ、あの事件は最悪な事態になっていたと思います」
「ごめんなさい! そうね、確かに……」
「あっ、気にしないで。俺は大丈夫だから」
いや、大丈夫じゃない顔をしていたが……。
「協力と言えば、私が前に似顔絵描いた件、どうなったの?」
あぁ、似顔絵作成に一番貢献してくれたのに、その報告を忘れていた。
「私の記憶で描いたのがこれで、例の女子高校生は似てる、と言っていたのですが北原さんはどう思います?」
スマホの画面を覗き込むと北原さんはため息をついた。
「俊郎さん、絵上手いじゃないですか。私が描く必要あった?」
「あるから、あるから! 北原さんが描いてくれたものから詠んだ映像がまさにその絵のまんまだったから、俺も直接見たように記憶できたし」
「あれ? ……でも待って。私があの招き猫をもらった時は、もっと髪が長かったかな」
確かに北原さんは「長い黒髪の女性」と言っていた。私や遥の中ではこの肩ぐらいの長さでも同じ「長い」にという認識だった。
「女性はそういうところに目が行くんですね」
「まぁね。でも単に髪型変えただけなんじゃないかな。案外普通の女の人なんじゃない?」
普通の女性と言えば……
「北原さんって、腕力は強い方ですか?」
ん? と首をかしげる。
「ほら、あの屋上で俊郎さんのことを振り払おうとしてたでしょ」
あの時の状況を改めて説明してみたのだが……。
「私、そんな怪力だった?」
「えぇ、北原さんもシオリさんも相当な強さでしたよ」
北原さんも謎の怪力については自分でも信じられないらしい。
「分からないこと、実はまだたくさんあるんです」
「そうなんですね。……私があの招き猫さえ受け取らなければ、菜々ちゃんも俊郎さんも巻き込まずに済んだのに……」
「それは北原さんなりの優しさだったんだから」
「えぇ。遥君の言う通りです。どうか気に病まないでください」
「はい……」
スンッと微かに鼻をすすり、彼女が話題を変えた。
「そうだ、歓迎会のお店選びですが、今夜鎌田さんと二人で行ってきます」
「ありがとうございます。領収書もらってきてくださいね」
「はい!」
午後は午前中やれなかったものを消化して、それから遥の席に丸椅子を持って行って並んで座りながら一緒に給料明細のチェック作業。
「俊郎さん、俺こんなにもらっちゃって良いの?」
「何がですか」
「バイト代」
そういえば遥がここに来たのは先月の締め日のすぐ後だったから、初めての給料日だ。
「もちろんです。というか、君の場合は本業のほうが額が上なのでは」
私の言葉に少し口を尖らせた。
「八神さんが、小遣い以外は全部積み立て貯金の口座に入れちゃうんだもん。自由にお金使ったことほとんどないよ」
あぁ……八神さんは、やはり遥にとっての父親代わりじゃないか。
「君の将来の事を考えてくださったんでしょう。私が八神さんの立場でも、同じことをすると思いますよ」
「ふーん」
確認作業のあと、小休憩。
「俊郎さんの残業時間、今月は減ったねぇ!」
「遥君のおかげです。ありがとう」
「ううん、それにしてもよく体壊さなかったね」
「いえ、割とギリギリでしたね。余計な体力は使わないように、家にいる時はほぼスリープ状態でした」
「スリープ状態って、パソコンじゃないんだか……ら……」
「遥君?」
何か変な事言ってしまっただろうか……?
「……俺が暗想属の結晶を作って意識を失うのと同じ原理なら、小野さんがただ眠ってるだけというのは説明がつくかもしれない」
何か思いあたる節があるのだろうか。
「遥君、仕事が終わってから詳しく」
全従業員のためにも今日中に給料のデータを経理に送らなくてはならない。
「そうだね。それと、新宿門に行く前に八神さんの所に行こう」
こうして、私たちはようやく揃って七熊商店に行くことになった。
「宗像さん、拾得物はこっちで受け付けまーす!」
すかさず遥が宗像君を呼ぶ。
「え? あ、はい……」
「いつですか? 今日ですか?」
「えっと、昨日です。夜に帰る時に……今日の午前中はミーティングとかあってすぐに届けられなくてごめんなさい」
「ううん、大丈夫! じゃあ、拾った時間をこのあたりに書いて」
メモを書かせて詠むつもりだろうけど、それは元々ここにあったもの……一応、私の席に座らない限りは見えない場所に置いてあったが、小野君はここにあったことを知っているし、ここはどうするべきか。
正直に私の物だと言った方がいいか? でも宗像君は事情を知らないし今は小野君も不在だ。……いや、すぐに「私の物だ」と言えなかったのに今更言うのは不自然だ……。
「拾った場所は?」
「えーっと……廊下……です」
「どこの廊下?」
「え? そ、そこの……」
「じゃあ人事部への通路って書いてください」
「あ、はい」
昨晩、小野さんが人事部から戻る時に落としたのを拾ったのだろうか? 詳しくその時の事情も聴きたいが招き猫一つでそんなに突っ込んで聞くのも不自然だ……。
遥の机で宗像君が言われたことを書いているときに、遥がそっと人差し指を口元に寄せる。何か考えがあるようだ。
「届けてくれてありがとう! あとで社内SNSにも告知するね」
「あ、いえ……はあ……」
宗像君が出て行って遠ざかった頃合いで、遥が頷く。
「ひとまず、詠んでみるから」
「大丈夫ですか」
「前に俊郎さんが北原さんに似顔絵描いてもらったやり方で、その時の事を想起するよう誘導してみたから多分平気」
「そうですか……」
宗像君に書いてもらったメモに目線を固定すると、青みがかったグレーのモヤが立ち上った。そして小さな結晶が机に転がり、遥の表情にも変化が。
「大丈夫ですか?」
「うん、体調は平気。それより、なんか変だな」
「変とは?」
「間違いなく昨日の夜、そこの通路で拾ったみたいなんだけど、今書いてもらったばかりなのになんか視界が揺らぐような感じで……。それと感情みたいなものは一切なかった」
「今までこういうことは?」
「書いたばかりのものが揺らぐようなことは無かったな。北原さんの似顔絵の件は半年くらい前の物を思い出してもらってもすごく鮮明に見えた。それにあの時は手がかりのためなら仕方がないな、という想いが混ざっていたんだけれど……俊郎さんの尋問が上手かったのかなぁ」
尋問とは穏やかではないなぁ……。
「それと、招き猫の方も詠んでみる」
招き猫……先月の部屋を埋め尽くすほどのどす黒い煙を思い出し身構えていたら何も出ない。黒いコンタクトレンズで瞳の様子は見えないが、どうしたのだろう。
「……何も出てこない」
「どういうことですか?」
「俺も分からない……。俊郎さん、一昨日これを握りしめてたよね?」
「あぁ……そうですね。もう厄災はごめんだ、と……」
この部屋のドアや机からは一晩経っても小野君の気配が消えていなかったが。
「ほんの少しでも『願った』ことがこんなにあっさりと消えるものでしょうか」
遥が「そんなことはない」と首を横に振った。
「小野さんが持ち去ったのに、その気配もない……。やっぱり何かが起きてる気がする。……俊郎さん、頑張って演技して」
えっ!
「もし、宗像さんから『俊郎さんのだったんですね』とか言われた時に、さっきは良く見えなかった、探してたんだと言うだけだから」
「……わかりました。努力します」
「万が一、ツッコミが来た場合だから大丈夫。それに宗像さんは俊郎さんが演技が下手ってことはまだ知らないんだから自信もって!」
不安はあるが、遥の言う通りだ。それに宗像君だってそんなツッコミするとも考えられない。
でも……本当に大丈夫だろうか。
とりあえず、北原さんにも伝えなくては。
『はい、北原です』
「加賀美です、お疲れ様。度々すみませんが、こっちに来てもらっていいですか」
『わかりました。すぐ行きます』
招き猫が見つかった件を共有するために来てもらったが、届けに来た宗像君について警戒しておいた方がいいということも伝えた。
「宗像さん、入社したばかりでしょう? 彼、あの事件に何か関係あるの?」
「……関係あるかはまだ何とも言えません」
「実は、招き猫が無くなる前日に、俊郎さんがこれに『もう厄災は招かないでくれ』と念じてたんだけど、その想いが消えてたんだ」
「え? そんな事まで分るの? こわ……」
「……うん」
遥の表情が曇る。
「北原さん、彼がこの能力で協力してくれなければ、あの事件は最悪な事態になっていたと思います」
「ごめんなさい! そうね、確かに……」
「あっ、気にしないで。俺は大丈夫だから」
いや、大丈夫じゃない顔をしていたが……。
「協力と言えば、私が前に似顔絵描いた件、どうなったの?」
あぁ、似顔絵作成に一番貢献してくれたのに、その報告を忘れていた。
「私の記憶で描いたのがこれで、例の女子高校生は似てる、と言っていたのですが北原さんはどう思います?」
スマホの画面を覗き込むと北原さんはため息をついた。
「俊郎さん、絵上手いじゃないですか。私が描く必要あった?」
「あるから、あるから! 北原さんが描いてくれたものから詠んだ映像がまさにその絵のまんまだったから、俺も直接見たように記憶できたし」
「あれ? ……でも待って。私があの招き猫をもらった時は、もっと髪が長かったかな」
確かに北原さんは「長い黒髪の女性」と言っていた。私や遥の中ではこの肩ぐらいの長さでも同じ「長い」にという認識だった。
「女性はそういうところに目が行くんですね」
「まぁね。でも単に髪型変えただけなんじゃないかな。案外普通の女の人なんじゃない?」
普通の女性と言えば……
「北原さんって、腕力は強い方ですか?」
ん? と首をかしげる。
「ほら、あの屋上で俊郎さんのことを振り払おうとしてたでしょ」
あの時の状況を改めて説明してみたのだが……。
「私、そんな怪力だった?」
「えぇ、北原さんもシオリさんも相当な強さでしたよ」
北原さんも謎の怪力については自分でも信じられないらしい。
「分からないこと、実はまだたくさんあるんです」
「そうなんですね。……私があの招き猫さえ受け取らなければ、菜々ちゃんも俊郎さんも巻き込まずに済んだのに……」
「それは北原さんなりの優しさだったんだから」
「えぇ。遥君の言う通りです。どうか気に病まないでください」
「はい……」
スンッと微かに鼻をすすり、彼女が話題を変えた。
「そうだ、歓迎会のお店選びですが、今夜鎌田さんと二人で行ってきます」
「ありがとうございます。領収書もらってきてくださいね」
「はい!」
午後は午前中やれなかったものを消化して、それから遥の席に丸椅子を持って行って並んで座りながら一緒に給料明細のチェック作業。
「俊郎さん、俺こんなにもらっちゃって良いの?」
「何がですか」
「バイト代」
そういえば遥がここに来たのは先月の締め日のすぐ後だったから、初めての給料日だ。
「もちろんです。というか、君の場合は本業のほうが額が上なのでは」
私の言葉に少し口を尖らせた。
「八神さんが、小遣い以外は全部積み立て貯金の口座に入れちゃうんだもん。自由にお金使ったことほとんどないよ」
あぁ……八神さんは、やはり遥にとっての父親代わりじゃないか。
「君の将来の事を考えてくださったんでしょう。私が八神さんの立場でも、同じことをすると思いますよ」
「ふーん」
確認作業のあと、小休憩。
「俊郎さんの残業時間、今月は減ったねぇ!」
「遥君のおかげです。ありがとう」
「ううん、それにしてもよく体壊さなかったね」
「いえ、割とギリギリでしたね。余計な体力は使わないように、家にいる時はほぼスリープ状態でした」
「スリープ状態って、パソコンじゃないんだか……ら……」
「遥君?」
何か変な事言ってしまっただろうか……?
「……俺が暗想属の結晶を作って意識を失うのと同じ原理なら、小野さんがただ眠ってるだけというのは説明がつくかもしれない」
何か思いあたる節があるのだろうか。
「遥君、仕事が終わってから詳しく」
全従業員のためにも今日中に給料のデータを経理に送らなくてはならない。
「そうだね。それと、新宿門に行く前に八神さんの所に行こう」
こうして、私たちはようやく揃って七熊商店に行くことになった。