第41話 八神の想い

文字数 2,054文字

 八神さんは席を立つと、背後の戸棚から二つの薬瓶を持ち出してきた。
 その蓋を開けて中から取り出したのは、三角錐の形をした――
「これは、幻想結晶ですか?」
「えぇ。こっちは遥が納品したもんだ。せっかくだから説明しておこう」
 そう言って私の手のひらに乗せた結晶は、透き通る深い藍色をしていて夜空を封じ込めたように内側で小さな星が瞬いていた。
「綺麗ですね……」
 八神さんは満足げに大きく頷いた。
「あいつの結晶の作り方は独特でな……」
 そしてもう一つの瓶を手に取った。
「こっちの結晶も見て欲しい」
 瓶の中からざらっと出したものは、色も形も様々だ。二~三粒受け取ってよく見てみると、表面にヒビが入っていたり色もくすんで濁っている。
「これは、別の者が作った結晶で、見てのとおりの有様です」
「幻想結晶は、見た目で何かを判断されるものなんですか?」
「もちろん。不純物のない綺麗な結晶には倍以上の価値があるが、人の想いが理解できない想叶者が作った場合や、想いを巡らせるつもりがない人間が作ると、そんな感じの濁った結晶になるんです」
 遥は日頃から「想いを循環させる」と言っているが……特別な存在なのだろうか……。
「結晶にする幻想波は大きく分けて明想属(めいそうぞく)暗想属(あんそうぞく)。喜びだとか感動だとかの明るい想いと、悲しみや憎しみなどの暗い想いの属性で分けているんだ。その二つは真逆だから打ち消しあう」
 最初に遥が見せてくれた満月の結晶と真っ黒な殺意の結晶が互いに溶けて行ったあの現象だろう。
「普通は、想いを詠む時は本人の幻想波を消費する。それを結晶化させるには詠んだ想いを理解や共感・肯定しながら一旦取り込んで、さらに本人の幻想波や想いの力を足して封じ込めてるんだ」
 膨大な量の想いを詠むと、本人が死ぬというのはそういう理屈があったのか……。
「人間以外の想叶者は人間の想いへの理解と共感が足りないからどうしても質が落ちるんですよ。これらは同じ日……真冬の快晴の澄んだ夜空の結晶を発注したんだが、これ程の差が出ちまう」
 二つ並べるまでもなく、その差は歴然だ。……って人間以外っていったい何……。
「遥は、暗想属に対して苦手意識があるんだ。だから理解と共感までは辛うじてできるんだが、それを取り込んで力に変えることができない。本人の優しさだけでどうにかしようとして、自分の幻想波だけで幾重にも包み込んでしまう。だから暗想属を結晶化するとあんな風に消耗して倒れてしまうんだ」
 遥の人格を表し切ってると言っても良い……。しかし、いずれあの力で身を滅ぼしかねないという危うさと直結している……。
「そこまで聞かされたら、さすがに私も遥君に無茶はさせられません」
 私の言葉を聞いて、八神さんは姿勢を正して改まった。
「俊郎さん、もう一つお願いがあるんです。遥が人間である以上、ちゃんと人間の社会勉強はさせてやりたいんだ。普通の学生アルバイトとして続けられるところまで雇ってやってください」
「えぇ、もちろんです。遥君にはいつも助けてもらっていますし、彼は弊社の皆からも慕われています。できればずっと続けてもらいたいと思っていますから、そこは任せてください」
 私の言葉に、ほっとした表情を浮かべた。そして――
「今日は一方的にお願いばかり言って申し訳ない。遥をよろしく頼みます」
 テーブルに両手をついて深々と頭を下げた。
「八神さん、どうか頭を上げてください。遥君が就職をするまでの間、しっかり面倒見させていただきますから」
「ありがとうございます……!」
 遥の今後の希望次第ではこのままうちに就職することも大歓迎なのだが……八神さんからは幻想錬金術師としての将来を望まれているのは確かだ。

 密談を終え、急いで電車に飛び乗った。時刻は二十三時。金曜日の夜の電車の中は飲み会帰りの酔った乗客もいてどこか賑やかだ。
 今日のところは遥本人のこともだが、想叶者という存在が一番の驚きだった。とりわけ八神さんの事……体の大きさこそ桁外れだが……彼も一体何者なのだろう。
「想叶者」と検索をしても、それらしい結果は表示されなかった。

 帰宅すると祥子さんがまだ起きていて、少し慌てた様子で玄関まで出てきた。
「おかえりなさい! 遅くまでお疲れ様でした」
 見れば部屋着ではなく出かける支度をしていた。
「何かあったんですか」
「たった今、お母さんから腰をやっちゃったって連絡が来て、様子見に行ってきます」
「あぁ、それは大変です、翔太は私が面倒みるから行ってあげてください」
「ありがとう、後でまたすぐ連絡するね」
「もう遅い時間ですし、近いとはいえ危ないですから泊ったほうがいいでしょう」
「えぇ」
「気を付けて」
 以前にも似たようなことがあったのだが……祥子さんがいないと家の中が急に暗くて寒くなる気がする。そして何より……寂しい。
 気を取り直して翔太の様子を見に行くと、幸せな夢の中にいるのか微笑みながら眠っていた。枕元にお気に入りの絵本が置いてある。もしかしたらその世界に入り込んでいるのかもしれない。
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