第67話 判明

文字数 2,755文字

 十九時二十分、橘先生のスマホが震えた。
「八神達が到着したみたいなので、エントランスまで迎えに行ってきます」
 一旦席を外して、すぐに八神さんと遥を連れて戻ってきた。……やはり八神さんが入ってきた瞬間に急にこの応接室が狭く感じられた。
「いやー、外は暑かったなぁ」
 体の大きさに見合わぬ小さな扇子で扇ぎながら、八神さんはドカっと橘先生の隣に座り、遥がコンビニの袋からミルクティーのペットボトルを取り出す。
「橘先生、どうぞ」
 遥は礼儀正しくお辞儀をし、丁寧に橘先生の前にペットボトルを置いた。
「あぁ、ありがとう。これ、好きなんです」
「稲月遥です。よろしくお願いします」
 橘先生は立ち上がり、遥にも名刺を差し出した。
「こちらこそ、どうぞよろしく」
 ペットボトルを配り終えた遥が私の隣に着席し、橘先生はもう一冊のファイルを開いた。
「ここからは、八神が宗像さんから聞き取った彼自身に関することと、加賀美さんと稲月君に関わるお話です」
「宗像氏から、自己申告なんだがな……。俊郎さんを詠んだそうだ」
 そして八神さんが険しい顔で告げたのは――
「俊郎さん、恐らく想叶者だ」
 予想はしていたが……
「やっぱり……そう、ですか」
「あれ、あんまり驚かないな。心当たりあるのか」
「……多分、詠まれたのは新宿御苑で遭遇した時かなとは思っていました……」
「おっ、正解だ。遥と俊郎さんが幻星の昴を持っていると悟ったのは、その時だって言っていたよ」
「俊郎さんの予想通りだね」
「えぇ……」
 やはりあの時の悪寒と滝のような冷汗は、詠まれた事によるもの……。しばらく続いた疲労感もきっとそのせいなのだろう。
「職場では親身に話を聞く人だと評判の俊郎さんが、翔太君のキラキラの話しには聞く耳を持たなかったので、何か知ってるのではと思ったそうだ」
 えっ、そんな評判初めて聞いた。
 それはさておき、つくづく不器用だと自分自身に呆れ果てた。……しかし、あの一件が無ければいまだに宗像君はキリカに支配されて辛い状況だっただろう。
「でも、なぜ加賀美さんが想叶者に?」
 それは私も真実を知りたいが、恐らく……
「縁切りの招き猫の影響じゃないかと思っているんです」
「その可能性が高いよね……」
 しかし、夏至の夜は尻もちはついたが屋上から飛び降りていないし、新宿駅のホームから放り出された時にも死んでいない。あの日病院に搬送された時にも体にはどこにも異常がなかった。
 今も何も変わらない日々だというのに。何かの間違いじゃないのだろうか。
「……私は詠んだりできませんし、何も特別な力はありません」
「詠むのはちょっとしたコツがいるからね」
 この点においてはベテランの遥が言う通りにすれば、私にもできるのだろうか?
「加賀美さん、全ての想叶者が詠む力を持っているわけじゃないんですよ。それぞれ元の体に備わった力を伸ばした者や、逆に足りなかった力が平均レベルに向上するなどの個体差があるんです」
 橘先生も解説側に加わった。
 なるほど……八神さんの言ってた通り色んなタイプの想叶者がいる――
「俊郎さんは普段から幻想波が駄々洩れしてるからなぁ」
 それはそれでどうなのだ。それに今更だがその駄々洩れはどうにかしたい。
「いや、俊郎さんは単に表情(かお)に出やすいだけだろ」
 え、八神さんまで。
「遥君が私の考えていることを言い当てるのは、駄々洩れの幻想波で間違いないと思うんですが、想叶者であるということが……まだ信じられません」
「……では、試しに稲月君が加賀美さんを詠んでみてはどうですか」

 橘先生の提案で応接室に一瞬の静寂が訪れた。
「橘、お前何言ってんだ? そんなこと……いや、名案だな。遥、詠んでみろ」
「え、俺が? やだよ八神さんがやってよ」
「俺は能力制限が付いてるからダメだ。やるならお前がやれ、遥」
「嫌だって。俺は別に俊郎さんのこと詠まなくても平気だし」
 ……そう、すでに駄々洩れ。
「そういう問題じゃないだろう。いいから俊郎さんが想叶者か確かめろ」
「えぇ? 俺の上司だよ? お互い具合悪くなったらイヤじゃん」
「馬鹿たれが。俺が捕まったら誰があの店回していくんだよ!」
「ダメ! 無理!」
 そんなに押し付け合いされると……ちょっと傷つくのだが。もうこの際どちらでもいい。
 呆れた顔で頬杖をついて二人のやり取りを見ていた橘先生は、私と目が合うと肩をすくめて見せた。
「詠んでハッキリするならば詠んでもらった方が……いいんですよね、この場合」
「そうだな……。よし橘、お前は何も見なかったことにしろ」
「はいよ」
 橘先生は両手で目を覆った。
 ……そういう意味じゃないと思うが、ちょっと天然系なのだろうか。
「加賀美さん……これで加賀美さん自身が、私が現場を見ていないという証人となりましたね」
 囁くように言って口元がニヤリと歪む。
「え、そんな理屈でいいんですか」
「フフ……ダメです」
 ……。
 橘先生は目を塞いだまま耳は澄ませているようだ。
「久しぶりで加減が分からん……俺が詠んで俊郎さんが死んじまったら遥のせいだからな」
 ひっ……! やだ。やっぱりやだ。
「あーもう! ……しょうがないなぁ。これ外してよ」
 言いながら八神さんの横に行き、左耳のピアスを外してもらっている。
「これは遥が動物の姿をした者を直接詠まないよう行動を抑制する効果も付与してあるんだ」
「そ、そうなんですね」
「んじゃ、俊郎さんちょっとだけ」
「遥、一瞬だぞ。本当に一瞬だからな」
 私の横に立ち、大きく腕を広げた姿勢で私を見下ろす。
「……俊郎さん、ほら、封印が解かれた遥だよ……」
「ちょ……こういう時に悪ふざけはやめてください」
 エヘ、と短く笑って深呼吸した。
 やだやだやだやだ。
「俊郎さん……そんなに怯えてたら遥に悪影響が出ちまう。もっと楽しそうな事考えてください」
「えっ、あ。はい」
 とはいえ、なかなか難しいな……。何を考えよう。祥子さんの事を考えるのが一番いいのだが……しかしまた遥が変に恥ずかしがるとこっちが恥ずかしい。
 うーん……。
「そうだ! 初めて会った夜の月虹(げっこう)を思い出してよ。綺麗だったでしょ?」
「あ、それはいいですね。あれは本当に良いものを見――」
 次の瞬間、私は寒気に包まれた。
「あぁ……」
 続いて襲ってきたのは倦怠感。
「あー……俊郎さん、詠めた」
 宗像君に詠まれた時よりは発汗なども少ないが、明らかに違和感を覚えた。
 ……しかし、この先私は一体どうすれば……
「俊郎さん、ひとまずはいつも通りに生活してて問題ないはずだ。だが、どんな力が発現しているのかわからんから、無茶はしないでくれ」
「わ……分かりました」
「ねぇ、『どんな力』で思い出したけど、宗像さんって結局どんな想叶者なの?」
 あぁ……遥は、まだあの話は知らないのか……。
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