第65話 夢の跡地

文字数 3,584文字

 出勤前に八神さんに言われた場所に行くと、そこは古びたアパートだった。
「刑戮の楔とやらは、うまく引っこ抜けたんだがよ」
「あぁ……良かった……」
「……俊郎さんはお人好しですか。……翔太君が誘拐されたのに」
 翔太がいなくなった時は、ただただ返してもらえれば良いと思っていたし、彼が持っていたナイフはおもちゃだった。最初から翔太に危害を加えるつもりなど無かったのだ。
 だから今は……屋上で聞いた宗像君の悲痛な声が気になっていた。
 それに――
「翔太は、宗像君と一緒にいる時に遊んでもらったと……喜んでるんですよ」
「ふむ……。ただ、楔が取れたからといって、そのまま無罪放免というわけには行かないんだ」
「そう……ですか」
「まぁ、その前に二人で話したいらしい」
 人として生活している想叶者が何か問題を起こせば厳罰だという。
 社内に彼が辞めるかもしれないことを告知しなくてはならないのだろうか……。

 通された部屋の布団に、仰向けに寝ている宗像君がいた。
「まだ起き上がれないからそこは勘弁してやってくれ」
「えぇ、わかりました」
 八神さんは部屋に私と宗像君を置いて出て行った。
 薄暗い静かな部屋には、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
「宗像君、おはようございます」
 私の声に、うっすらと目を開いた。
「目が覚めてよかったです」
 宗像君の首には包帯が巻かれ数か所に血が滲んでいて、頬にはコンクリートの床で擦れた痛々しい痕が残っていた。
「俊郎さ…………ご迷惑……うっ……かけました……」
「あまり無理をせず」
 一言話すだけで息が上がっているが、大丈夫なのだろうか。
「僕……あやまりたくて……ごめんなさい」
 こんな状況で……。
「色々と深い事情があったんですよね……?」
 目尻から涙が流れていく。
「良かったら、話してくれませんか」
 
 それは昔話のような語りから始まった。

〝いつか大きな舞台で歌いたい〟
〝たくさんの人に私の歌を聴いてもらいたい〟
 そんな夢を追いかけて生きていた女性が、道半ばで病に倒れた。
 病に侵され手が麻痺して、楽器を弾くことができなくなったのだとか。
 病魔は体を侵し続け、声をも奪っていった。
 音楽の道を諦めきれなかった彼女は、その夢が次第に悪夢に変わって行ったという。
 そんな彼女を支えたのが恋人の男性だった。
〝悪い夢を見たら(ばく)に食べてもらうと良いよ〟
 満月の夜、恋人が冗談まじりに優しい顔の獏の絵を描いて彼女の枕の下に入れた。
 その後も彼女は日々悪夢にうなされ続け、その都度彼女は獏に願った。
 病は彼女の体を侵し続け、起き上がることもできなくなった。
 そして……〝いつも良い夢が見れるように〟と願ってくれていた恋人が事故で亡くなった……。
 その恋人も、悪夢に現れるようになった。

 ここまで話すと、宗像君は話を止めた。……疲れてしまったのだろうか。
「宗像君、大丈夫ですか? そろそろ休みますか」
「ごめんなさい……まだ……きいて、……くれますか」
「えぇ。もちろん」

 そして最後に彼女はボロボロになった優しい顔の獏の絵に、恋人の面影を重ねながら願ったのだという。
〝全てを食べて〟
「……僕は、彼女の……望み通り……全て……食べました」 
 また一筋、涙が流れた。

「僕は……彼女の……悪夢と……恋人の想い出、……そして、彼女が描いていた夢を、彼女の……生涯の想いと共に……喰らい尽くして……生まれて、きたんです」
「宗像君…………」
 色々なタイプの想叶者がいる、という話は聞いていたが……。
「僕が……恐ろし……ですよね……」
「……いいえ」
 宗像君は目を閉じ……また涙が流れた。
「人が……悪夢を見ても…………手に入ら……」
 ……悪夢?
「もしかして、宗像君は人間の悪夢を食べて……」
「えぇ……。でも……今は、手に入らない……で……す」

 彼は、亡くなった二人のそれまでの想い(きおく)を引き継いで、人間のフリをして生きることを選んだという。
 しかし、存在を維持するための悪夢も暗想属の結晶も入手が難しく、特に暗想属の結晶はどんどん高額になり、多額の金が必要になった。
 悪夢を手に入れられるのはごく稀で、腹を空かせた時は、遺体から暗想属の想いを詠み、それを結晶にして食べることで生きながらえてきたそうだ。
 夜は病院に潜み、人の死を待つ日もあったという。
 遥が以前、人間の一生分の想いを詠むのは不可能だ、と話していたが……。
 
「偶然……新宿駅で……人身事故に居合わせて……遺体を詠んでたところ……キリカに……」
「それで、脅された……と」
「……遺体から……幻想結晶……とって……くるよう……と」
 刑戮の楔の強制力によって遺体から集めた結晶はキリカに没収され、食糧として与えられたわずかな結晶では満たされなかった。
「悪夢が……いちばん、腹持ち……いいんです」
 それは、他人が苦しむ様が美味しいという意味では決してなく、悪夢を食うことで生まれ出て来たことに起因する、単なる食事だという。
 八神さんが「俺たちの存在は否定されがちだ」と遠い目をして話していたこと、想叶者が人間として生きるのは「仕方なく」なのだということ、その現実が今目の前に()る。
 ……強い執念や執着を持っている人間は夜間に悪夢を見るという。そこでそのような人間を眠らせて悪夢を誘発させ、目が覚める前に食べてしまうことを思いついたという。それならキリカの強制の範囲外だから……、と。
 悪夢は幻想波として抜き取られることで、悪夢を見ている人物はしばらくの間は昏睡状態となるそうだ。
「では小野君は……宗像君が?」
「ごめ……なさ……」
 小野君が持ち出した招き猫から、吉崎さんへの異常ともとれる執着心を詠み取ったのだろう。
「宗像君、……一つ、朗報があります。小野君は目が覚めたあと、その厄介な執着がなくなっていたんです。彼もまた悩んでいたことでしたので、私からお礼を言わせてください」
 そしてまた涙が一筋。
 目を閉じて微笑み……そのまま眠ってしまったようだ。

 少しして八神さんが再び部屋に戻ってきた。
「俊郎さん、そろそろ休ませてやろう。聞きたいことはまだあるだろうが、続きはもう少し回復してからだ」
「そうですね」
 私にお人好しだと言いつつ、八神さんも相当面倒見がよいお人好しのようだ。八神さんがいてくれるなら、宗像君も安心だろう。
 部屋を出る時、本棚の上に置かれた写真立てが目に留まった。
 ギターを抱えた赤茶色の髪の女性と、その隣には宗像君によく似た男性が写っていて、二人とも幸せそうに微笑んでいる。
「おそらく、宗像氏はその男の姿を模してるんじゃないか? ……さぁ、行こう」
「えぇ……」
 ここは……この写真の二人が住んでいた部屋なのだろうか。

 外に出ると、見知らぬ人が……。
「あぁ、こいつは俺の親友だ。……素っ気ない奴だが頼りになる」
 八神さんの紹介で進み出てきたのは、私と同じくらいの年頃の冷たい目をした男性だった。
「弁護士の(たちばな)です。八神からざっくりとですがお話を聞きました」
 弁護士……?
「……加賀美と申します」
「宗像さんの件、この私が引き受けますので、何卒(なにとぞ)……」
 見た目とは裏腹にとても穏やかな話し方。
「あ……いえ、あの……訴えるとかそういうことは考えていませんので……」
 翔太は無事に返してもらえたし、今は何より宗像君を追い詰めたキリカという存在を何とかして欲しい気持ちだ。
「宗像さんは、キリカという人物の捜査に協力してもらうことになると思います。……今回の件については八神からも情報提供がありまして」
「そう……ですか。わかりました」
 八神さんは事前に宗像君と話す時間があったのか。
「ただ、衰弱が激しいのでしばらく療養は必要です。恐れ入りますがお時間を頂きたく――」
滅相(めっそう)も無いです。……では、彼は療養中ということにしておきます」
 橘先生は一礼をした。
 身のこなしは上品だが、ずいぶんラフな格好……。八神さんから緊急事態として呼び出されたといった所だろうか。
「俊郎さん、朝っぱらから呼びつけて悪かった」
「いえ、宗像君と話ができて良かったです。また改めて遥君とお伺いします」
「遥か……、あいつはまだ宗像氏には会わせないでやってくれ。昨日の夜、心配になって遥の家まで行ったらボロボロに泣いててな」
 私だけ呼ばれたのには何か事情があるのだろうとは思っていたが……。
「まだもっと他にマシな方法があったんじゃないかって、気に病んでるんだ」
 やはり、極限状態であったとはいえ、宗像君をあの惨状にしてしまったことの責任を感じていたのか。おそらく私や翔太のいる手前、昨日はギリギリのところで堪えていたのだろう。
「事件を追えば残酷な場面だってあるってことを、遥もようやく理解したかもしれん」
「そうですね……」
 それは遥だけでなく私にも同じことが言えるのかもしれない。
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