第34話 傷痕

文字数 3,366文字

「おっと……」
 人事部に戻ってくると事件が起きていた。
 遥が椅子に座ったまま背後の壁に追い詰められていて、肩と額を押さえつけられ、足も膝を乗せられて固定されている。……えっと、これはそういう場面? なんだか邪魔してしまったという感じだろうか……?
 いや、無言のまま向けられた金色の瞳は、明らかに助けを求めていた。
「えーと、ここで何を……」
「遥くんの瞳を見せてもらおうと思って! みんなは七夕の時に見せてもらったって言うので」
 笑顔でそう言いながら遥から離れ、パッと両手を挙げる。
「丸園さんは、あの日は忌引きでお休みでしたっけ」
「そうなんですよー! 今なら俊郎さんいないからチャンスだと思って!」
 挙げた両手をぴらぴらと振りながら、悪びれもせずに笑顔で答える。
「遥君、ありがとうね。綺麗だった!」
 無邪気にお礼を言って去っていった。
「会議が早く終わって良かったです。丸園さんとは何をしていたんですか」
「違うって! 丸園さんがノックなしでそっと入ってきて……」
「え……?」
「調べものに夢中になってた俺も悪いんだけど、気づいたときは目の前にいて、ノートとスマホを見られないようにするのが精いっぱいだった。……でも、すぐに俊郎さんが戻って来たから」
 ……会議が早く終わって本当に良かった。
「ひとくちに『瞳を見せて欲しい』といっても、七夕の日とは全く話が違いますね」
「あぁ、見てたんだね。……七夕の時はさ、単に『瞳の色をよく見せて』ってだけだったんだけど、丸園さんは目玉をくり抜きそうな勢いだったから……」
「確かに、瞳を見るだけなら壁に体を固定しなくても良いですね」
「うん。……実は、高校入るまでは今みたいなことが何度かあってね」
 稀少な瞳の持ち主の気苦労は、私が想像していたものとはちょっと次元が違っていた。性格と顔の良さも手伝って女の子に言い寄られてるだろうと思っていたのだが。
「高校生からはそういうことは無くなったんですか」
「……進学する前からコンタクトにしちゃった」
「綺麗なのも、なかなか大変ですね。明らかにハラスメント行為なので、丸園さんには注意しておきます」
「あ、別にいいよ。ただ、こんな年齢になってもちょっと拗らせた人に出会うって思ってなかったからびっくりしただけ」
「拗らせた人?」
「……中二病ってやつね。それも本気で『その眼は本来は私の眼だ!』っていう怖い方向に拗らせたタイプ」
 珍しく表情が引きつっている。今でも大学に行くときは黒いコンタクトを入れているし、本当は今でもトラウマなのでは……? 
「……何かされてからじゃ遅いし、それに〝あの件〟もあるから家に帰るまではコンタクトは入れたままにしておこう」
 縁切りの招き猫の真相を追うためのカモフラージュは賛成だが、本来は被害者側が気を遣う世界であっていいはずがない。明らかにハラスメントだし、早急に話をしておくべきだ。
「遥君、休憩を挟んだら一つお願いしたい仕事ができました。あとで説明します」
「お? なんだろ」
「新しい人を採用することになったので、その方の準備です」
「あ、デザイン部の人決まったんだ! 田畑さん良かったねぇ」
 自分の身に嫌なことがあったばかりなのに、本当に人懐こい顔をして笑う。
 普段なら遥が休憩スペースにお茶をもらいに行ってくれるのだが、給茶機の場所はデザイン部の近くだ。……今日は私が行ってみよう。
「遥君、何飲みますか。今日は私がもらってきます」
「え、俺行って……、ううん。じゃあ、アイスコーヒーでミルク入りでお願いします」
 さすが察しのいい遥だ。
「助手が少し働いてくるので、遥君は調べものしていてください」
 人事部を出て壁を左手沿いに回り込むと長いオフィスに出る。営業部では、さっそく部内の打ち合わせテーブルで小野君が鎌田君とアシスタントの北原さんと打ち合わせをしている。
 本来はきちんと理性が働くタイプの人だと周りもわかっていたから、信頼が回復できたのだろう。……それが救いだった。
「一度の過ちがあったとしてもそれを挽回する機会は平等にあるべきだ」と顧問弁護士の山野先生が(おっしゃ)った。……私も救われた一言だ。
 隣の企画部を通過すると休憩スペースを挟んでデザイン部。突き当りに給茶機とデザイン部の書架が並んでいる。まずは田畑さんの所へ。
「田畑さん、先ほどはお疲れ様でした」
 会話をしながら周囲を見渡すと、丸園さんは今はパソコンに向かって作業をしている。
「俊郎さんもお疲れ~。これで少しホッとしたぁ」
 目の前の会議室は開いているし、ほんの少しだけ時間をもらおう。
「長かったですからね。あと、ちょっと一件確認したい事があるので、いいですか?」
 田畑さんへそっとメモを渡す。
「んっ? ……あ、うん。そうね大事な話をしてなかったね」
 私なんかより誤魔化し方が上手いな……。

 田畑さんと再度の人事会議。しかし今は丸園さんも一緒に。
「つい先ほど、ここでの会議が終わって人事部に戻ったら丸園さんが人事部にいたんです」
「うん? 人事部に?」
「彼女は七夕の日は忌引きでお休みだったんですが、皆さんが遥君の瞳を見せてもらったという話をきいて、それでやって来たそうなんです」
 それも、私が席を外しているのを確認した上で。
「だって、私も見たかったんです~」
 叱られているという自覚は持っていないようだ……。
「あー……。朝、今作っているページの写真選別をしていたんだよね。その時に金色寄りのヘイゼルの瞳の女性の写真があって、それで瞳の色の話になって」
「その流れで、七夕会の話になったんですね」
「うん。ガンちゃんが『辞める前に希少価値のあるものを見せてもらえた』って話して」
「それで私がなんの話ですか? って……私、その日いなかったし」
「なるほど……」
 目撃者としてはきちんと状況も話しておいたほうが良さそうだ。
「私が人事部に戻った時の状況ですが……右手は遥君の額を壁に押し当てて、左手は肩を壁に押し付けるようにして簡単に逃げられないような状態でした」
「え、それは……え?」
 やはり田畑さんも驚き、動揺を隠せない。
「だって遥君恥ずかしがるから、ちゃんと見せてよって……つい」
 はぁ…………
「丸ちゃん、あのね。学校じゃないんだから」
 いや、学校だってこんなことがあってはならない。
「中学生頃までにそういう事が何度かあったそうなんです。遥君は今でも大学に居る時は黒いコンタクトレンズを入れて自衛をしているので、本人はもしかするとトラウマになっている可能性もあるんですよ」
 私の言葉で、丸園さんが俯いた。
「そうだったんですね……すみませんでした。遥君、いつも優しいからつい」
「いくら遥が優しいからって、あんまりなことはしないようにね」
「はーい」

 会議室を出ようとすると、田畑さんに引き留められたのだが……
「菜々ちゃんの時も俊郎さんが離席中に起きてたみたいだし、見えない間に何かあると困るよね……」
「そうですね。個人情報も多い部署ですし私がいない間はしっかり施錠するように言っておきます」
「あとは……明日のデザイン部のミーティングでは外見やプライバシーへの過度な踏み込みはやめるように話してみる」
「それだと直球すぎませんか?」
「ううん。実は宗像さん、履歴書の写真じゃ分からないんだけど……首に大きなケガをした痕が残ってるそうで、面接の時にそれを隠すために包帯を巻いていてね。こう、ワイシャツの襟をちょっと引っ張ってその包帯を見せてくれたの」
「首に痕……ですか」
「うん。で、ここで採用されたら包帯以外のもので隠していても大丈夫かって質問されたのね。もしもその傷跡を誰かが見ちゃったら場所が場所だけに、何か言われたら辛いんじゃないかなって思って」
 そういえば、履歴書には前職の退職理由に「負傷により」と書いてあったな……。包帯だとこれから本格的な夏になるし目立つが、服装が自由なデザイン部なら誤魔化すのは容易だ。
「それなら宗像さんも話したくないこともあるでしょうし、皆さんに釘を刺すには自然ですね。それで行きましょう」
 一難去ってまた……。という感じだが、それをしっかり管理するのが人事部だ。
「また何かあったら相談しましょう。丸園さんのフォローと宗像さんのこと、よろしくお願いします」
「まかせて!」
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