第30話 特別な日

文字数 4,671文字

 藤田君をタクシーに乗せて見送った頃には、もう二十二半時を過ぎていて、私と遥以外は帰宅済み。片付けのほとんどを、他の皆が手分けして終わらせてくれていた。
「遥君、すみません、こんな遅くまで。本当なら中抜けして用事を済ませに行くはずだったのに……」
 会議室の片付けの仕上げにテーブルを丁寧に拭いている遥に声をかける。
「ううん、大丈夫。それに社長とたくさん話しができたみたいで良かった。……ねぇ、あの七夕飾りっていつもどうしてるの?」
「あれは数日は置いておきますが、最終的には撤去してゴミの日に出してしまうんですよ」
「ははっ、じゃあこの時間で却って好都合! ……短冊は俺が貰って良いよね?」
 その言い回し、悪役みたいなんだけど……。
「別にいいですよ。で……みんなの夢企画のカードと言い、あの短冊といいどうするんですか」
「言ったじゃん、俺が必ず循環させるって!」
 そう言って会議室を出ると一目散に七夕飾りまで走っていき、短冊を外し始める。それなりの数があるから私も上の方から外しにかかる。
「……俊郎さんって身長どのくらい?」
「百八十くらいですね。遥君とそんなに大差ないですよ」
「えー、五センチって結構大きいって」
 全て外し終えて、輪ゴムで纏める。社員・アルバイト・その家族の分もあるし、かなりの厚みだ。
「おっと、ばあちゃんのだけは別にしとかなきゃだった」
 一枚外して畳んで財布に忍ばせている。
 一通りの片付けを終えてから荷物をまとめて、社内の照明を全て落とす。外に出ると風もなく、雨は降っていないが全体的に曇り空で星は一つもみえない。
 そろそろ二十三時という遅い時間。この後どのくらい時間がかかるか見当もつかないし、今日はもう潔く終電も諦めて、祥子さんに連絡をいれる。毎年この日は遅くなるのも解っているのだが、一日とはいえ入院したばかりだし心配をされてしまうのももっともだ。
「明日はちゃんと帰りますから」
『必ずよ。私も翔太も心配しているんだから』
 今夜泊まる宿の手配も済ませ、これで気兼ねなく遥に同伴できる。新宿通りを少し歩いて右手に曲がると急に広い空が現れた。
「そういえば、織姫と彦星がいつも解らないんですよね」
「旧暦の七夕ならともかく、新暦の七夕だと天頂に上ってくるのはかなり遅い時間だから、見つけにくいかもしれないね」
 そんな話をしながら横断歩道を渡って大木戸門まで来る。さすがに門は閉まっているのだが、これからどうするのだろう。
 遥が門の格子の隙間から内側に向けて左腕を見せる。内側でガチャンと音がして門扉が開いた。
「え? どうなってるんですか」
「これのおかげ」
 差し出した左腕のブレスレッドに付いている一般的な星型よりツノの数が多い紋章が青白く光っている。
「これも、幻想錬金術師の特権というか……仕事のためならこうして入れる場所があるんだ」
「不法侵入にはならないんですね?」
「もちろん。さ、行こう!」
 ベルトについていた手の平に乗るようなとても小さなランタンを取り外してかざすと、青白い炎が灯る。その明かりを頼りに門を通り抜けて少し進むと入場ゲートが見えてきた。
 ……そこに切り抜いた影絵のような人の形が立っているのだが、守衛だろうか。目を凝らしてもはっきりとした姿は確認できない。なんだか怖い……。
「こんばんは。今日は助手が一緒です」
 左腕を見せ、遥がお辞儀をしてその前を通り過ぎ、私もそれに続いた。
「俺は夜目が利くけど、俊郎さんは足元気を付けて」
 仄かで柔らかなランタンの灯りでも何故か足元はよく見える。不思議に思い遥に尋ねると、ランタンも錬金術で作られたものだそうだ。この灯りは視力ではなく、直接感じるように作用するらしい。
 しばらくアスファルトの道を歩いていくと、大きなガラス張りの建物が現れ、それを通り過ぎたところに生えている巨木を見ながら左手に曲がり芝生にはいる。
 以前、あのビルの屋上から見下ろした黒い森は本当に真っ暗で、街灯はなく、時折木の上や草むらやからガサガサと音が聞こえる。そういえばフクロウやタヌキもいるって言ってたな。
 芝生を少し進んで、開けた場所に出ると歩みを止めた。
「灯りを消すね」
 芝生の広場の中央まで来くると、自然とランタンの明かりが消えて、辺りは真っ暗闇だ。
 遠くの方に副都心のビルの明かりが確認できるが、都会の中でこれだけの闇というのは味わえないだろう。
「今日は三日月で、この時間はもう沈んでしまっているから、新月同様に空は真っ暗だよ」
 暗闇の中で紙をめくる音が聞こえる。
「準備できた! さあ俊郎さん、目を開けたまましっかり見てて!」
 遥が正面から私の右手首を掴むと、空に右腕を伸ばし、天を切るように何かの図形を描く。ややあって足元にぼんやりとした白い光の輪が浮かび上がって二人を囲む。
「うわ……」
「良いもの見せるって言ったよね? ほら!」
 遥の掛け声で、足元からぼんやりと光る花畑が広がっていく。
 遥は、鮮やかな金色の瞳で微笑む。そして腕時計を確認し、謎めいたことを言う。
「よし、時間の流れは大丈夫」 
「遥君、ここは、私が一昨日見た——」
「そう! 幻想世界」
「幻想世界って……別に危険が迫っていたわけじゃないのに」
 気づけば足元は地面があるような無いような不思議な感覚だ。そう、例えるなら夢の中のような……
「今日は、願いを届けに来たんだ! 年に一度の星祭りだよ!」
 辺りの暗闇に風が巻き起こると、急に視界が晴れて空は星の海になった。花畑はぼんやりと明るいのに、群青色の空の星は鮮明に輝いている。
 周りにあった木々や副都心のビル群は最初から無かったかのように見えなくなっていて、花畑は地平線まで続いていた。
「さて。大丈夫そうだから手を離すよ。少し時間に余裕もあるし、せっかくだから——」
「遥君、あまり野暮なことは言いたくないんだが、こんなに綺麗な所に同伴って、私よりもふさわしい人がいるんじゃ」
 すかさず遥が人差し指を立てる。
「ここは信じている人しか来れないから」
 そうか……。
 ……こんなに綺麗な所なのにもったいない。
「俊郎さん、織姫と彦星が解らないって言ったよね!」
「あ……あぁ」
「ほら! 上を見て!」
 遥が頭上でパチンと指を鳴らすと、上空に浮かぶ星々を結ぶ白い直線が出現して星座を形作る。まるで子供の時に見たプラネタリウムのようだった。
「あれがこと座のベガで織姫。あっちがわし座のアルタイルで彦星。わかった? この時間の星空を再現しているんだけど、今はあの位置。それからこれが、はくちょう座!」
 天の川の真ん中に大きな翼を広げた白鳥が舞い上がり星座になった。もう……感嘆のため息だけだ。
 しばらく、幻想的な星空を眺めていた。「良いものを見せてあげる」って言っていたが、なるほど……。
「じゃあ、大事な仕事をしないとね」
 そう言って辺りに遥が短冊の束をばらまくと、私たちを取り囲んで花畑に落ちることもなくふわふわと漂う。
 数歩下がって私と少し間隔をとってから、右腕を伸ばして胸の前から水平に広げるように一周まわると、短冊は色とりどりに淡く光り始める。そのまま姿勢を低くして、下から救い上げるように腕を高く振り上げてジャンプしながら遥が叫ぶ。
「——願いよ、どうか……叶いますように!」
 その声は周囲に響き渡り、光は空へと舞い上がり、空を彩りながら高く高く登っていく。
 ふわりと着地した遥が、星々に照らされながら嬉し気に微笑んで、天を仰ぎつつ両腕を広げてくるくると回る。
 今度は上空から銀色の尾を引いて、無数の流星が降り注ぐ。
 いや、もうこれは……今まで見た中でも度肝を抜かれる素晴らしいイリュージョンだ。
「あ……」
 ひときわ大きな流星が遠くに落ちてゆく。
 星が落ちた方を見ると、そこに立ち上がる人影があった。
「他にも人が来るんですね」
 ひどく足がもつれるように歩いているようだが、大丈夫だろうか。
「あぁ……あれは……ううん、誰かの想いそのもの。ここに本体はいないよ」
 ぼんやりと薄紫色に光る人の形は、今にも倒れそうだ。走り出そうとする私の前で、遥が両腕を広げて首を振る。
「いずれあの想いも、どこかの誰かの願いや、夢を支えていくから」
 目を伏せて私を諭すように発した言葉の後、遥の肩越しに見えていたその人影は、徐々に光を増しながら歩き続け、遠ざかり見えなくなった。
「俊郎さん、帰るよ!」
 再び私の手首を掴む。その手は汗ばんでいて先ほどに比べるとかなり熱い。
 辺りは急に暗転する。まるで舞台の演出のようだ。
 気が付くと、元の真っ暗闇の芝生の上で、周りには木々が生い茂り、遠くには副都心のビルの明かり。
 体は少しふわふわする感覚が残り、まるで夢でも見ていたような心地だ。
 それにしてもなんていう……、本当になんていうすごいことを。
「ふー……」
 遥が膝からかくんと落ちる。
「遥君、大丈夫ですか」
 正面から受け止めたものの、この四歳児、重たいし熱い。とりあえず芝生の上に横たえる。
「へへ、ちょっと数が多かったかなぁ。でも……無事に届けられてよかった」
 金色の瞳を細めて天を見ている。見上げるとただ鈍色の雲が広がっているだけだが、その瞳には本当は何が見えているのだろう。
「そうだ、俊郎さんのお礼も伝えなきゃだ」
 体を起こすと、リュックに手を伸ばし、中から何かを取り出した。
「遥君、休まなくて大丈夫ですか」
「このくらい平気平気! 俊郎さん、これを握って、彼らにお礼を」
 私の手に握らされたのは……竹の枝?
「会社の竹から一枝失敬してきちゃった!」
 昨日の危機を救ってくれた、お礼……。
「えーと……。おかげで助かりましたよ。どうもありがとう」
「よし、じゃあそれを貸して」
 立ち上がり、竹の枝を頭上高く掲げると、枝からダークブルーの光の粉が舞い落ちてきた。
 芝生に小さな星の海が出来上がると、それが少しずつ消えていく。
「遥君、これは?」
「俊郎さんの感謝の想いを食べているんだ」
「食べる?」
「そう。彼らにとって立派なご馳走だよ」
 星の海が再び暗い地面に戻ると、遥が小さくお礼を言う。
「本当にありがとう、みんな」

 大木戸門まで戻る途中の休憩所の自販機で冷たい水を買い、近くのベンチで寝ている遥の首の後ろに入れてやった。
「あぁ、ありがとう俊郎さん……」
 遥の住むビルは目と鼻の先なのだが、珍しく「ここで休む」とギブアップしたのだ。
「いつも汗だくになるのは体が熱くなるからだったんですか」
「自分じゃわからなかったけど、そういう事か」
 あれだけの熱だと相当辛いはずだが。額に手を当てるとまだ熱い。
「遥君、今日はその……、すごいものを見せてくれて、ありがとう」
 何をどう伝えていいのか分からず、それを言うのが精いっぱいだった。
「ううん。俺の方こそ、あれだけたくさんの願いを届けさせてくれてありがとう。街の短冊はさすがに手を出せないし、家族の分だと少ないからね」
 遥はあの仕事をいつから、誰の、何のためにしているのだろう。
 理解したつもりになっていたが、根本的な謎が残っていて、それを口にするのが怖かった。
「あと、ごめんなさい。黙ってたことがあって……もしも怖がられたらって……」
「何がですか」
 また考えていることを詠まれた気がしてドキリとした。
「ほら、さっきの……夜の闇の住人」
「な……何か怖い事ありましたか」
「え、だって。彼らは動物でも虫でもないよ」
 なんだって? 
「ちょっと待ってください、虫じゃないんですか? じゃあ一体……?」
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