第24話 願想の結実

文字数 3,458文字

「俊郎さん、おつかれ。これ差し入れ」
 夕方になって試験を終えて出勤してきた遥が、また追分団子の紙袋を差し出す。
「今日は、あんみつを買っておいてくれたんだ。冷たいうちに食べよ!」
「あぁ、ありがとう。試験で疲れてるのに申し訳ないですね」
「ううん、大丈夫。試験はそんなに難しくないから」
 大学とアルバイトと幻想錬金術師をこなしながら余裕の回答……。
「君はいつ勉強しているんですか」
「大体、明け方。そのほうが頭冴えるし」
「日ごろ夜更かししてるって言ってましたよね。それで明け方に? ちゃんと寝てますか」
 寝不足はダメだと私に言っておきながら……
「そこは幻想錬金術師の権利を行使してるから」
 あ、なんかズルいことしてる?
「ズルいことしてるわけじゃないよ。夜通し出歩くこともあるから、幻想錬金術師向けに寝なくても大丈夫な薬とかもあるんだよ。それを使ってるだけ」
 なんだそのヤバい薬は。……でも少し羨ましい。
「……眠れる時は、しっかりベッドで熟睡してください」
「うん、試験が終わったらそうするよ」
 頂いたあんみつをゆっくり味わって食べたいところだが、仕事の手を休めるとあとが辛いため、二人で黙々と食べながら今日のタスクを消化する。
 こうして仕事を手伝いに来てくれるのはありがたいのだが、試験期間中くらいは休んでも良いのに。

 二十時、今日のタスクはひと段落したので、切り上げて帰ることにした。遥からも業務報告が上がってきたので一緒に会社を後にする。
「よかった、晴れてる」
「なんだかんだで今年は空梅雨ですね」
 それにしても蒸し暑い。
「俊郎さん、帰りたいところ申し訳ないんだけど、大事な用があるからうちの屋上寄っていって」
 空を指さしながら遥が言う。
「いつもの月初めに比べたらかなり早く終わってますし、大丈夫ですよ」
 御苑沿いの道に出て少し歩けば、遥の住むビルだ。通勤時間徒歩三分、いいなあ。
 エレベーターに乗り、十二階で降りると目の前の階段ホールから屋上へと上がる。
「今日は何があるんですか」
「新月なんだよね。いわゆる、今夜は月の無い夜」
 真っ暗な空にいくつかの星がみえる。
 遥はリュックから今日回収した夢企画のカードの束を取り出すと、一番上のカードを差し出した。
「これ、俊郎さんのカード。見てもいい?」
「えぇ。別に良いですよ」
 そこには、家族と幸せに暮らせるようにとか、翔太の成長が楽しみだとか、主に家族に関する願い事と、会社をもっと成長させたいと記してある。
「よし。思った通り! じゃあ——」
 リュックを私に預けて、数歩後へ下がる。私のカードの隅を口にくわえると、すぐに天を仰いで大きく深呼吸をするように腕を広げる。
 月の見えない暗い夜空に、何を想う者がいるのだろう。
 大きく広げた手を頭上で小さく三回ほど叩くと、上空にたくさんの小さな青い星が現れた。またしても、とても幻想的な光景だ。
 とてもゆっくりと小さな星が降り注ぐ空間の中、口にくわえていたカードを右手に持ち直す。
「これはね、新月の夜を喜ぶ者たちの想い」
「満月ならともかく、新月を喜ぶ者とは……?」
「天体観測をする人たちだね。それに……人間ばかりがこの世の生き物じゃないって言ったよね?」
 星明りに照らされて遥が微笑む。
「夏は日が長いでしょ? 夜の闇を生きる者にとって、この時期の新月はありがたい。これは闇夜への歓びの歌でもあるんだ」
 遥がカードを左手に乗せて、それを愛おしむように視線を固定すると、瞳が鮮やかに輝き、カードからは漆黒にも見える紺色の結晶が出現した。次いで右腕を頭上に掲げてそこで指をパチンと鳴らす。
「その力を貸して……!」
 それを合図に私たちを取り巻いていた小さな星たちが、カードの上に浮いたままの紺色の結晶に次々と吸い込まれていく。まるでブラックホールのCG映像を見ているようだ。
 周囲の小さな星々がすっかり吸い込まれて元の都会の空が広がる頃、遥が紺色の結晶を右手で掴み取って力を込めて握る。
「詠まないんじゃなかったんですか?」
 遥が目を細める。
「詠んでないよ。今のは、前の満月の守りを作った時より少し高度な幻想錬金術で……えーと『願想(がんそう)の結実』といったところかな」
「がんそうのけつじつ?」
「満月の守りは、同じ結晶をいくつか合わせて純度を高めただけだけど、これは俊郎さんの三年温めてた願いに、闇夜の歓びの想いを合わせて作った、まったく別の物。これは俊郎さんが持ってて」
 そう言って渡されたのは、親指と人差し指でつまめるほどの小さな紺色の多角錐だった。
「やっぱり、肌身離さずですか」
 私の確認に、「あ、そうだ」と呟き、リュックからガサゴソと何かを取り出した。
「今日はこれを買いに行ってきたんだ」
 小さな紙袋から取り出したのは、銀色の半透明のドライバーのようなもの。
「買い物って、知人のお店ですか」
「そう。錬金術関係の店なんだけど、俺は結晶を取り扱ってもらっていて、お店ではこういう物を売ってるんだ。俊郎さん、ちょっと待っててね」
 紺色の多角錐にドライバーを突き立てると青い火花が飛び散り、その窪みに袋からパーツを取り出して接合し、最後に黒い紐を付けた。
 階段の出入口の扉の非常灯だけの薄暗さでこんなに細かい作業ができるのか。
「これなら首からかけられるでしょ。満月の守りは肌身離さずっていうのには適さなかったよね」
 クスっと笑いながら紐の部分を持って私に手渡した。
「確かにこれなら身につけるには良いですね」
 早速首からかけてみるが、スーツ姿の私が身につけるには少々そぐわない気がする。
「ネクタイとかネームタグの後ろに隠すようにすると良いんじゃないかな」
 なるほど、これなら仕事中も目立たない。硬いので少し痛そうではあるがもしもの時はシャツの内側に入れておけばいいだろう。
「正直言うと、幻想錬金術師って言われても、何をもって錬金術と言うのかは分からなかったんです。『詠む』という特殊な力は、魔法とか超能力と言う方が適しているんじゃないかって」
「はははっ。今更なこと言わないでよ。ちゃんと目に見えない想いを形にしているじゃん」
 私の言葉に、遥が大きな声で笑った。
「そうですね。満月の守りのおかげで色々助かっています」
 やはり先日の「声は聞こえなかった」という嘘がバレていて、あの「声」を消すためのものを作ったのだろう。
「満月の守りも引き続き持っててね」

* * * * *

「じゃあ、またあとでな。気を付けて帰れよ」
「ありがとう。藤田君も気を付けて」
 翌日の午後は藤田君と取引先へ挨拶に行き、池袋の駅前で藤田君と別れたのは十四時。
 この後、藤田君は別件で鎌田君と待ち合わせしており、私は一人新宿へ戻る。
 名刺がそろそろ無くなりそうだったので、電車に乗り込んでから印刷会社へと発注のメールを送る。
 ラッシュの時間に慣れていると、いつもより人が少ない車内と新宿駅はなんだか落ち着かない。なんとなく違う場所にいるような気がして辺りを見回せば、明るい時刻のホームの地面はこんな色をしていたのかとか、隣の総武線までの距離はこのくらいなのか、と気づくことが色々あった。
 総武線の到着を知らせるチャイムで我に帰り、南口へ通じるエスカレーター目指して歩き出す。
『まだ、いきているの?』
 この時間に……? どこだ。通勤ラッシュの時間ではない今なら見つけ出せるはず。
『まだ、いきているの?』
 体の右側から軽い衝撃。山手線側から歩いてきた高校生らしき女の子だ。
「おっと、すみません」
 見覚えのある制服。昨日の……?
 何も言わずに立ち去る制服姿の彼女の鞄に目が留まり、全身が総毛立(そうけだ)つ。
 揺れているたくさんのストラップの中に紛れていたのはあの招き猫——
「ちょっと、お嬢さん。その招き猫、どこで手に入れました?」
 そう声をかけても、彼女は振り返ることなくフラフラと走り出す。
 まずい。電車がくる。
「えーと、シオリさん! 危ないですよ!」
 間に合ってくれ、そう思いながら追いかけて彼女の腕を掴んで力任せに引くと、激しく抵抗される。
「シオリさん!」
「勝手に呼ばないでよ!」
「早くこちらへ!」
 ありえないほどの強い力で逆に引き寄せられる。運転士も気がついて、駅構内に大音量の警笛が鳴り響いた。
「やめて! ほっといてよ!」
 彼女の叫び声と共に感じる浮遊感。
 あぁ、こういう時って本当にスローモーションに時間が過ぎるんだな……間近に迫る電車の前でそんなことを冷静に思う。
 人生ってこんなにあっけないんだ。
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