第49話 空白の夜

文字数 3,498文字

『俊郎さん、あの……今、鎌田さんもいないので俊郎さんに繋いでいいですか? 病院から電話なんです』
「病院?」
『小野さんが病院に運ばれて今は昏睡状態なんですって』
「小野君が……? わかりました、私が対応します」
 病院の担当医の話によれば、今日の夜明け頃に小野君が倒れているところを犬の散歩をしていた人が発見・通報して病院に運ばれて来たそうだ。
 所持品はポケットにスマホだけ。緊急連絡先が設定されておらず、身元不明だったのだが、つい先ほど小野君が訪問予定だった客先から小野君のスマホに電話があり、会社の連絡先を教えてもらった、という流れだ。
「では、彼のご家族には私から連絡をしておきます。この後ひとまず私がそちらに伺いますのでよろしくお願いします」

 いったい、何があったのだろう。荷物も持たずに、なぜ……?
「小野さん、どうしたの……?」
「今朝、病院へ運ばれて今は昏睡状態らしいです」
「え、なんで……?」
「まだ詳しくはわかりません。遥君、人事部の共有フォルダから彼の緊急連絡先を探しておいてください」
「わかった」
 藤田君と鎌田君へメールを送り、遥から受け取ったメモの番号に電話をかけると留守電になっていた。病院名と電話番号、私の連絡先をメッセージに入れ、今できる連絡はこれでよし。
「ひとまず私が病院へ行ってきます。遥君はこのドアをしっかり施錠して給料明細の方を最優先で進めていてください。何かあればすぐに連絡をください」
「わかった、俊郎さんも気を付けて」
 北原さんに藤田君と鎌田君には連絡済みということを伝え、急ぎ病院へと向かった。

 幸い、病院は会社からは比較的近いのだが、歌舞伎町と新大久保の中間地点。電車で行くのには若干不便な立地で、急を要するのでタクシーに乗った。
 昏睡、か……。彼は何時ごろに会社を出たのだろうか。過労や熱中症などだろうか。
 診断の助けになるか分からないが、一応遥に確認しておこう。
「あ、加賀美です。遥君、小野君の昨晩の退勤時間を教えてください」
『えーっと……二十三時十五分』
「ありがとう。他に同じ時間まで残業していた人を知りたいので、調べてもらっていいですか」
『わかった。ちょっと待ってね』
「お願いします」
 窓の外は夏の日差しが降り注いでいる。
 タクシーは靖国通りへ出てから、まだ閑散としている繁華街へと進む。
『小野さんが一番最後に退勤していて、次が宗像さんで二十二時五十五分。あとは二十二時四十八分の田畑さんとガンちゃんだった』
「わかりました、ありがとうございます」
 宗像君が入社早々そんなに遅くまで残っていたのか。

 タクシーを降り、病院の玄関で会社に電話をして宗像君に繋いでもらった。
『お疲れさまです、宗像です』
「加賀美です。お疲れさま。つかぬ事をお聞きしますが、昨日、帰る時の小野君の様子について何か気づいたことありますか?」
『お、小野さん? 小野さんって……えっと』
 あぁ、そうか……まだ入社三日目。まだ小野君を覚えていなくて当然だ。
「営業部で一番遅くまで残っていた人です。宗像君が帰る時、まだ居たかと思うのですが」
『えっと……、あっあっ! は、はい。 人事部の方から歩いて来たところで、挨拶をして帰りましたけど……ふ、普通に『お疲れ様』って言われました』
 やはり人事部に行っていたのか……。いつもと変わった様子は、と聞きたくても彼はまだ普段の小野君について何も知らない状態だ。
「では、田畑さんか岩本さんに代わってもらえませんか?」
『あ……えーと……、二人とも今は企画部の人とミーティング中です』
「そうですか、ではまた後でかけ直します。ありがとうございました」

 受付で小野君の件で医師から電話をもらったと告げると小さな部屋に案内され、すぐに電話をくれた担当医が現れた。
「ご家族の方には連絡をしてみましたが、留守電でしたので連絡はもうしばらくかかるかもしれません」
「あ、実は加賀美さんとお話をした後、少ししてご家族からお電話がありました」
「あぁ、それは良かったです」
 医師が話せる範囲で聞けたのは、目立った外傷はなかったこと、脳の検査はしたが異常もなく、今はただ眠っているということだった。
「病院に運ばれて来たのは、確か……今朝の五時頃ですかね。新宿御苑の近くで倒れていたそうです」
 通報をしたのは犬の散歩をしていた近所の住人で、救急隊員が駆け付けたのは新宿門の前の広場になっている場所ということだった。
「見た感じも本当に異常はないんです。顔色も良いし本当にただ眠っているだけのようなのですが、反応がなくて……」
「命に別状は?」
「今の段階では、何とも言えません」
 こんなことってあるのだろうか。つい先日、遥が倒れた時も――
 ……いや、遥は顔色も悪かったし、小野君の場合とでは原因は全く違うだろう。
 でも、小野君と言えば、吉崎さんに縁切りの招き猫のターゲットとされた人物だ。あれが消えたタイミングといい、幻想波が何らかの形で関係してるのではないだろうか?
 小さなノックの音がして、引き戸が開いた。
「あの、小野さんのご家族の方が見えました」
 母親だろうか、慌てた様子の初老の女性が医師のもとに連れられてきた。
樹生(いつき)は、大丈夫なんですか?!」
 挨拶もそこそこに、医師と共に病室へ向かった。私も後について行き、病室の前で待機していると、部屋の中から大きな声で小野君を呼ぶ声が……
「樹生! 樹生!!」
 この様子だと当分出てこないだろうか。
 廊下の突き当りに電話が使えるエリアがあった。先に遥に連絡をしておこう。

『あっ、俊郎さん。小野さんは?』
「まだ眠ったままなのと、私は身内ではないのでまだ面会はできていません。それと、ちょうどご家族の方が来たところで今病室に入るのはちょっと……」
『そっか……』
「ご家族の方が落ち着いたら、少し話をしてから戻ります」
『うん、わかった』
 
 電話を切った後、すぐに小野君のお父さんも病院に到着して、昨晩の小野君について、わかっている範囲のことを伝えた。
 目を覚まさない不安、呼びかけても無反応という不安……。ましてや自分の息子だったなら……。
 遥の場合は原因を良く知っている八神さんが適切な処置をしてくれたので、あのように駆け付けた家族が取り乱す姿を見なくて済んだのだが……。
 少しして鎌田君から電話が入り、もう最寄り駅に付いていて病院に向っているというのでロビーでバトンタッチして私は病院を後にした。
 
 会社に戻り、すぐに会議室で田畑さんたちから小野君の様子を話してもらった。
「では、小野君は特に変わったところはなかったんですね」
「まぁ、最近はほら、会社にいる時間が長いな、って思うことはあったけどそれ以外は普通だよね?」
「そうだね。帰る時に「お疲れ様!」っていつもの調子で言われたし」
 岩本さんも田畑さんと同じく、小野君に変わった様子は見られなかったという。
「私から見ても特に変わったことはなかったと思うけど……。それと、昨晩は荷物は持って出たみたい。鞄とか見当たらないから」
 北原さんは小野君とは席も近く仕事でも接する機会が多い。一番参考になる意見ではある。
「では、荷物についてはご家族の方から警察に届出をしてもらうように伝えておきます」
 謎が深まるばかりだ……。
「どちらかというと俊郎さんが警察みたいだよ」
 小野君の心配はもちろんなのだが、招き猫の行方も気になるので事情聴取みたいなことになっていて、少し巻き込んでしまっているのが申し訳ない。
「小野さんって、ついこないだまで体調崩してお休みしてたし、まだ無理しちゃいけなかった感じなのかな……」
 そうだ……田畑さんを含む役員と人事部、そしてあの事件の当事者である北原さん以外には、小野君は体調不良で休養中ということにしてあったんだった。
「あぁ……そうですね……」
「何か事件性でもあるの?」
「いえ、それは何とも……。ただ、小野君の今回の原因の解明に繋がるようなものがあればと思ってただけなので」
 体に異常はないとしても、目を覚まさないというのは……。
「それと、話は変わりますが、宗像君が遅くまで残っていたそうですが、そこまで逼迫してるんですか?」
「あー……。夢人君、本当にあれこれ手伝ってくれるので、ついお願いしちゃって」
「おかげで昨日で峠は越えたから、今日からはちょっとゆとりはできるよ」
「そうですか、それならば良かったです」
「ちなみに、昨日は私たちみんなほぼ同時に上がって、夢人君だけトイレに行くのでって言うので私たちが先に出ただけよね」
「うん、そうそう」
「なるほど、ありがとうございました」
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