第52話 想叶者と幻想波

文字数 2,549文字

「この馬鹿たれが! あの件からは手を引けって言っただろう!」
 話す前から八神さんの怒号が飛び、薬瓶の入った棚のガラス戸が震えた。
「大事なことなんだから、怒鳴らないで話を聞いて!」
「八神さん、ひとまず話を聞いて頂けませんか。弊社の社員が今朝から昏睡状態なのです」
 むぅと唸って、私たちをカウンターの内側に通してくれた。
「八神さん、俺がこないだ飲んだ薬を俊郎さんに説明して」
「え? お前が話すんじゃないのかよ」
「良いから。まずはそこを詳しく話してよ」
 八神さんは席を立つと、背後の引き出しからあの瓶を取り出した。
「これが先日遥に飲ませた薬だ。錬金術師が幻想結晶を元にして作った物で、減少した幻想波を補うものだ」
 幻想波を補う……?
「本来は、想叶者たち同士で詠んだの詠まれただので、体を構成する幻想波が減った時に治療薬として飲むものだったんだ。遥は人間だが、先日みたいに暗想属を詠んで消耗した時に飲ませてるんだ」
 あぁ……。
 出会って間もない頃に「錬金術師が作った薬は誰が買うのか」という私の問いに答えられなかったのは、裏社会などの繋がりではなく相手が想叶者だったからなのか。
「で、それを前提に聞いて欲しい話があるんだ」
 遥は、招き猫が行方不明になったこと、持ち出したのは小野君で間違いないこと、小野君が吉崎さんによるターゲットであったこと、小野君が今は原因不明の昏睡状態であること、そして招き猫を拾って届けた宗像君に書かせたメモが不鮮明だったこと、その招き猫に私が念じたことが綺麗に消えていたことを説明した。

 八神さんは遥が話し終えるまで腕組みをして、険しい顔で目を閉じていた。
「…………それで、お前は何をする気だ」
「まずは小野さんの目を覚ましてあげたいんだ。だからその薬を試させて」
 片方の瞼を持ち上げて遥をジロリと睨み、半ば呆れ気味にふぅと息を吐く。
「……わかった。持っていけ」
 小さなチャック付きの袋に薬を四錠ほど分けてくれた。
「最初は一錠だ。十分経っても効果がなければもう一錠、あとは十分ごとに試すんだ。手袋をして舌の裏に入れてやれ」
 そう言って医療用の手袋を一箱差し出した。
「八神さん、ありがとうございます」
「ありがとう。俺は何を納品したらいい?」
「……まずは目が覚めるか試してからだ。それまでに考えておく」
 薬の瓶を引き出しにしまうと、八神さんが着席して話を続けた。
「遥、お前は俺が『宗像氏は想叶者だろう』って言うのを最初から分かっていたな?」
「うん……」
 八神さんはずっと眉間に皺を寄せたままだ。
「お前の言ってることが本当なら、確かに想叶者だろうな。他に何か不審な点とかはあるか?」
 あの緊張しやすい性格というのはどうなのだろうか。
「彼は、自分のことを話す時に極度に緊張する癖があります。そこが挙動不審とも受け取れますが……」
「体のどこかに大きな傷なんかは?」
 !
「あるのか……」
「俊郎さん、どうなの?」
 個人情報でもあるし、話すのは躊躇われる内容ではあるが……
「……私はそれを見たわけではありませんが……彼の首にはケガをした痕があるそうです。彼は首を吊ったと間違われるのを恐れているようでした」
「なるほど、そうか。うん、なるほど……」
 独りごちて、八神さんがシャツのボタンを外すと、首にある痣があらわになった。
「この通り、俺にも傷跡はある。あとここにもな」
 さらに鎖骨の下あたりに何かが刺さった痕を指差した。
「いろんな想叶者がいるが、その多くは、命が尽きかけた時に幻星の昴を含む大きな想いの力が作用すると生まれ出る。もちろん本人の想いの強さも必要だがな」
 では、八神さんは……あの傷ですでに……ということなのだろうか。そして宗像君も?
「おそらく、宗像氏も死に際に何らかの想いの力が作用して生まれ出たもんだろう。だが、想叶者にだって器用不器用はあるし得意分野だってそれぞれ違う。それに、バレないように意識し過ぎて挙動がおかしくなる事だって珍しいことじゃない」
 では、遥は……? 遥の子供時代にそんな痛ましい過去が? 隣を見やると目が合った。
「俺は先日も話した通り、子供の頃に幻星の昴を拾っただけだよ。死にかけていたわけじゃないから安心して」
 そうか……
「人間が(あやかし)、妖精、悪魔や神なんて呼んでいる者の殆どは、そうやって生まれ出た想叶者だ。友好的なもの、良くないもの、神聖なものに分類して勝手に名を付けているが、あれはあくまで人間が自分たちの基準で決めたもんだ」
 ……確かに、想叶者側からすれば「悪魔です」「妖怪です」なんて人間視点の悪いイメージで名乗るのは不名誉なことだろう。
「遥が人間で、しかも健康な状態で生きたまま想叶者となったのは、本当に稀なんですよ」
「なんか俺が即身仏みたいな言い方……」 
「遥の詠みの力が強いのは、それが要因だと思っている。動植物だって何か物思う時もあるが、人間の想いの強さ、とりわけ幼い子供の想像力は常識に捕らわれない分、無限の可能性があるからな」
 八神さんの言葉に遥は肩をすくめて見せた。謙遜の意思表示だろうか?
 
「想叶者についてはこのくらいの解説で大丈夫だろう」
「で、招き猫についてなんだけど、やっぱり宗像さんが詠んで俊郎さんのものだと思って持って来たって考えるのが自然なんだけれど……」
「遥君、そうは言ってもウチの人事部は総務や庶務も担当している部署なので、落とし物を拾えばまず届けられる場所です」
「じゃあなんで詠んだんだろう」
 確かに……。落とし物を拾ったならそのまま窓口である人事部に届け出ればいいだけだ。
「やっぱり、縁切りの招き猫の噂を知ってたとか……」
 どうしてもそこに結びついてしまう。
「いや、今時あの縁切りの招き猫の都市伝説の噂を覚えてるのは、一部の錬金術師だけだろう。人間や想叶者の全員があの事件を知ってるわけじゃない」
 ネットには遥が以前言っていたように確かにログが残っていたが、今では忘れ去られた都市伝説ということか。
「だが……俊郎さんが『厄災は招かないでくれ』と念じていた点は、不思議に思ってるかもなぁ」
「え……」
「そもそも、招き猫っていうのは招福祈願をするもんだ。普通は縁切り祈願なんてしないだろう」
 背中を冷たいものが流れて行った。
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