第22話 遥の秘密……?

文字数 3,376文字

 翌日、朝一番で遥から連絡が来た。
『昨日はごめんなさい。今日はちゃんと行きます』
 ……元気になったようで良かった。
 祥子さんも、昨日話をしてから気にかけていて、二人で安堵した。
「いつも元気な子だと、心配になるわよね」
「そうですね。とりあえず無理はしないようにと伝えておきました」
 いつも元気なのだが、彼が元気がなくなる時は、良くない想いを詠んだ時だ。
 あの「声」は、今の私には単に聞こえていただけだが、遥には悪影響のあるもので間違いなさそうだ。あの招き猫を追うことは想像以上に危険なことなのだろうか。早急に手を引いたほうが良いのだろうか。
 いや、彼は一人でもあの招き猫を追うだろう。それならせめて当事者として役に立てることがあれば、力になろうと思った。

 久しぶりに朝から雨が降って梅雨らしい日だ。
 今日はいつもと同じ時間に家を出て、いつもと同じ電車に乗る。特にトラブルもなく、いつもの時間に新宿駅に到着したのだが……。
 気になって少し十四番線ホームのあの場所に留まった。
 もうすぐ八時二十分。
『……まだいきているの?』
 聞こえた。
 昨日よりもはっきり聞こえてきた「声」は、淡々と同じフレーズを繰り返すだけだった。あらかじめポケットから取り出しておいた満月の守りを握り締める。
『……まだいきているの?』
 一体、どこにいるんだ。
 辺りを見回しても人が多すぎる。
 また電車が発車すると聞こえなくなった。
 遥の昨日の様子から、今日のことは言わないほうがいいだろう。
 またこの「声」に当てられて、取り返しのつかないほど体調を崩されたら大変だ。

 今日はいよいよ月末。といっても、今日が締め日なので実際に忙しい月末処理が始まるのは明日から。
 取り立てて急ぎの仕事もなく、忘れかけていた匿名相談もその後は何もなく穏やかだ。きっと、あの相談者は問題が解決したのだろう。
 あの「声」の事は、なるべく考えないようにして、通常業務や会議をこなす。
 午後、出勤してきた遥は、明らかに憔悴した様子だった。本当にちゃんと寝ていたのだろうか。今日も無理せず休んでもらったほうが良かっただろうか。
「遥君、大丈夫ですか」
「うん。昨日はゆっくり寝たから、もう大丈夫」
 本当に?
「ねぇ、俊郎さん。今朝は、例の『声』って……聞こえた?」
「いいえ、今日は聞こえませんでしたね」
「そう。なら良かった」
 その割に表情、そして瞳の色も暗い。私の棒読みの台詞にはいつも笑いをこらえて唇を震わせるのに。
「遥君、大丈夫とのことなので一つ相談があるのです。明日の朝ですが、人事・総務部の一員として全体会議に参加してみませんか」
 明日は遥が朝から出勤が可能な日で、藤田君から「せっかくだし人事部の一員として会議を見学してもらうのはどうか」と打診があったのだ。会議資料だけを作るより、どんな話をしているのか知ってもらう意味もある。
「全体会議って社員だけなのに、バイトの俺が出てもいいの?」
「えぇ。むしろバイトなのに出てもらいたいというお願いです。早朝手当も出るので安心してください。……ただ八時に開始なのですが、大丈夫ですか」
「俺、近所だから大丈夫だよ」
 やっと少し笑ったが、やはり表情に元気がない。
「では、まずは人事部の会議資料を作るので、それを手伝ってください」
「はい」
 仕事が始まってからは各々のタスクを消化するだけだった。話すことは、仕事に関する質問と、それに対する回答のみでこの日は終わった。

* * * * *

 昨日の雨から一転、今日は晴れて蒸し暑い。さすが七月。
 全体会議は月初めに朝礼より早い時間に行われる。特に遠くから通勤している者には大変不評な時間設定で、今日も数名が眠そうな顔を見せている。
 例外で参加の遥は、近所なのでいつもとさほど変わらない様子で会議室の隅の方に座っている。幻想錬金術師としての内部調査の仕事は先月で終わっているし、今は本当に普通のアルバイトだが、このまま就職してくれないかな。
 営業部、企画部、デザイン部、経理担当者からの業務報告や連絡が続き、最後に人事部の報告と最後はお知らせとして、改めて七夕会のイベントについて発表だ。
「もう竹が届いているので皆さんもお察しのとおりですが、例年通り今年もやりますので、当日楽しめるよう仕事の調整をお願いします。あと、手伝える人はどうぞ奮ってご協力をお願いします」
 七夕の日は浴衣での出勤も可能だし、着てくるのが難しい場合は社内で着替えることも可能だ。レンタル用の浴衣も何着か用意してあり、こういうイベントには全力で取り組む姿勢は嫌いじゃない。むしろ好き。
「あの……質問、良いですか」
 恐る恐る挙手したのは遥だった。
「遥君、どうぞ」
 それまでの各部署の発表者の例にならって、発言するために起立した。
「あの、ちょっと気になったん……ですけど……この七夕イベントはどういう意図があって開催されてるんですか?」
 フフ、と笑って藤田君が回答する。
「この会社は、皆が『夢』を持って仕事してるんだよ。各々が長期的な夢と短期的な夢を五つほど決めるんだ。会社の仕事でも個人的なことでもなんでもいい。七夕イベントはその夢を叶えることを意識してもらうためもあるんだよ」
 それまで顔に書いてあった「恐縮」という文字が「嬉」に書き換わった。
「へぇ、そんなに素敵なことやってたんですね」
「そういえば、最近入った人には説明してなかったね。俊郎さん、あとで遥に——」
 田畑さんが言いかけた時に藤田君が口を挟む。
「そうだ、いきなりだけどさ。この『夢企画』の件、アルバイトも含めて全員対象にしないか? 経費だってそんなにかかるものじゃないでしょ?」
 確かにアルバイトだってこの企画に参加してもらうほうが、モチベーションも上がるのではないか。
「いいね!」
「そもそも、最近カードを更新してないんじゃないかな?」
「……言われてみれば」
 会議室が良い意味でザワザワする。
 財布に入れてある二つ折りのカードを取り出して確認する。
「もう三年前ですね。更新も兼ねて、全員作成するのはどうでしょう」
「よし、決まりだね! せっかく七夕は全員参加なのに土台になっている部分が全員参加してないのはおかしいもんな」
「じゃあ最新版のカードはあとで印刷して配布するね」
 田畑さんも興奮気味だ。
「では、アルバイトの皆さんには、朝礼で私から説明します」
「俊郎さん、ありがとう!」
 あれよあれよと忘れかけられていた夢企画のカードの更新の話がまとまった。
「遥君、納得してもらえたかな?」
「はい、ありがとうございます」
 と、にっこり。いつも通りの明るい笑顔になっている。
「では、総務関係のお知らせは以上です」
 思わぬ流れだったが、遥の質問がなかったら大事な七夕イベントも単なる作業になってしまうところだった。
「他に質問などなければ、全体会議を終了します。では今月も頑張りましょう」

「七夕イベントに隠された意外な真実……!」
 会議と朝礼を終えて人事部に戻るなり、遥が推理ドラマのようなことを言う。不穏なセリフのわりには上機嫌だ。
「遥君、良い質問を投げてくれてありがとう」
「ううん。なんかすごい素敵なことやってるんだなって思って嬉しくなっちゃった」
 まさに満面の笑顔。やっぱり笑っている方が似合う。
「発案者は藤田君なんです。彼は昔からあんな感じで、本当に夢を追いかけるタイプなんですよ」
 今日はこの後は特に会議の予定もないから、どんどん仕事を片づけていく。遥と手分けして社内文書や健康保険組合関係の手続き書類、各請求書のチェックなどだ。
 ひと段落したところで昼休み。遥は若手の社員たちに誘われて一緒に外に出かけて行った。区民センターの上にあるハンバーガー屋が空いているし眺めがよくて穴場だそうだ。
 弁当を食べ終わり、少しがらんとした社内を歩いて休憩スペースに行くと、竹には昨日よりも多く短冊が下がっていた。私も明日の土曜日は家族で短冊を書こう。
 まだ残っていた十万石饅頭を二つ頂いて戻るところで、一枚の短冊が目に留まった。
『遥が早く帰ってきますように』
 名前は書いていないが筆跡は少し年配者のようにも見えた。この会社で遥といえば、人事部のアルバイト・稲月遥だけだ。
 少し不穏な気持ちになりながら人事部へと戻った。
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