第25話 誰も見ていない

文字数 2,847文字

 人生ってこんなにあっけないんだ。
 即死だろうか。
 痛いのはいやだな……怖い、とても怖い。
 目の前が暗転した後、一瞬、鮮やかな青空と花畑が見えた。青空はすぐに真っ暗になって花畑はぼんやりとした光を放ち始める。とても神秘的だ。死ぬ時って本当にこういうものが見えるんだ。
 遥に無茶をするなとか言っておきながら、この様だ。
 祥子さんと翔太と仲良く暮らせるようにと、新しいカードにも書いたばかりなのにな。
 せめて二人を、もう一度抱きしめたかったな……
 そして再び暗闇に落ちていく……

 ——いてっ!
 背中から着地したのか、その衝撃で息ができない。周りがなんだか騒々しい。
 やっとの思いで呼吸をして目を開けると、どこかで見た……天井?
「お客様! 大丈夫ですか?」
 覗き込む駅員風の人の声が頭に響く。一体何が……。
「気分はいかがですか?」
「……あぁ、ちょっとフワフワしてますね。今は魂だけだからでしょうか」
「はい? ……大丈夫ですか?」
 なんとか上半身を起こせた。どうやら停車している電車の中のようだ。
「ここは……?」
「新宿駅です」
 死者の国にも電車があるのか。しかも旅立ちは新宿駅からなんて、すごい現実的だ。車内にはそれなりに人がいるが……みんな死者……?
「というか、私の体はどうなったんですか?」
 電車を降りると見慣れた風景があった。
「あのっ、動かない方が良いですよ!」
「普通の新宿駅と変わらないですね……」
「じきに救急車が来ますから」
 え? 救急車? どういうこと? ……何がどうなって——
 あたりを見回すと、ホームの中央でぺたんと座って俯いている女の子と、彼女に付き添う女性の駅員。
 あぁ……そうだ……
 急に頭の中の霞が晴れていく……。
「君、大丈夫ですか? ケガはありませんか」
 私の呼びかけに顔をあげた彼女は目から大粒の涙をあふれさせる。
「あ……あぁ……、お兄さん! ごめんなさい……ごめんなさいっ」
「いえ、無事で良かった」
 泣きじゃくる彼女の脇に置かれている鞄にはあの招き猫のストラップ。これが本物ならば、彼女が持ったままというのは危険だ。私なら満月の守りがあるから大丈夫だろう。
「シオリさんですよね? 先ほどは失礼しました。昨日の朝、このホームでお友達とケンカしているのを見てしまって、それで名前を……」
 しゃくりあげて泣く彼女は、私の言葉に小さく頷いたり、首を振った。
「あの……お願いがあるんですが、その招き猫を私にくれませんか? 仕事で必要としている人がいるもので」
 もし、何らかの思い出のあるものなら拒まれるだろうか。
「え……?」
 少し躊躇った後、鼻をすすりながら震える手でストラップを取り外す。
「ありがとうございます。これはどこで?」
「友達と……花園神社に行った時……知らない人がくれました」 
「もしかして、この女性ですか?」
 スマホのアルバムから昨日の似顔絵を表示してみせた。
「たぶん……この人だと思います」
「いつ頃ですか?」
「去年の五月の……お祭りの時です」
 震える声でもきちんと丁寧に受け答えしてもらえた。
 あ、そうだ。
「お礼、と言っていいのか分かりませんが、代わりにこれを差し上げますので、しばらくお守り代わりに肌身離さず持っていてください」
 遥から手渡されていた緑色の結晶を、彼女の震える手に乗せてぎゅっと握らせた。
「この招き猫より効果があると思いますよ。……それから『あの声』について教えて欲しいことがあるので、良かったらここまで連絡ください」
 名刺の裏に携帯の番号を書いて手渡したところでストレッチャーがきて、私は若松町の医療センターへ搬送されることになった。
 会話をしている間は「声」は聞こえなかったのだが、「あの声」という単語に表情で反応したので、やはりシオリさんには聞こえていたのだろう。

 レントゲンやMRIの検査を一通り受けているうちに到着していた祥子さんと翔太が診察室の外で待っていた。
「俊郎さん……!」
「祥子さん、心配かけてごめんね。翔太もごめんね」
「パパぁー!」
 車椅子から降りて歩み出ると、祥子さんは、私の言葉に首を振って駆け寄り抱きしめてくれた。翔太も検査着姿の私に違和感を感じたのか、半泣きになって私にしがみつく。
「念のための安静と入院だからって。ケガもしていないし心配いらないですよ」
 大丈夫、大丈夫ですよ。二人とも。
 抱きしめた二人はとてもとても温く、生きていることを実感した。

 警察の人たちにも色々と尋ねられ、ありのままを答えたところ、意識の混濁であると診断されてしまった。
 あの時、確かにホームから迫りくる電車に向かって放り出されていた。そして気づいた時は停車した電車の中。どうしても説明がつかないのだが……。電車内にいた乗客は「警笛の後、いきなり倒れたようだ」と証言していたそうで、おかしな倒れ方と思われて、脳の検査を受けた。
 遥も言っていたように、今時は周りにどんな人がいて何をしているのか、特に注意していないということか。
 警笛を鳴らした運転士は、今頃「幽霊か何かを見たのでは」と言われているかもしれない。

 祥子さんと入れ替わりで藤田君が来て、遥が現れたのは藤田君が帰って少しした頃の十八時頃。食事も終わり、ベッドを半分起こして、外を眺めていた時にバタバタと足音がして息を切らせて病室に飛び込んできた。
「俊郎さん!」
「やぁ、遥君。心配かけてすみません」
 検査が終わった後は医師や警察との話が立て続けだったので、遥にメッセージを送ったのがだいぶ遅くなってしまった。連絡が遅くなったことはさておき、無事な姿を見て安心して笑ってくれるだろうと思っていたら……
「バカ! 無鉄砲すぎだよ! 自分をもっと大事にしてよ!」
 病室に大声が響く。
「遥君、おちついて。病院ですから静かに」
「……った。本当に……無事で良かった……」
 かすれた声でそう言いながら、備え付けの椅子に座る。藤田君ですら笑いながら「無事でよかったなあ」と入ってきたというのに……。もっとも遥はあの縁切りの招き猫の情報を共有しているから仕方がないか。
「心配かけてすみません。でも大丈夫ですよ。それと遥君、疲れている時に申し訳ありませんが話があります」
 幸い、病室は私一人だけ。安静にはしていないといけないらしく、病室からは出られないのでそのまま小声で話すことにした。
「まずは、これを渡しておきます」
 ベッドわきのロッカーから私の荷物を取り出して、あの招き猫を手渡す。
 遥には、病院に来るときに幻想波を遮断する箱を持ってきてもらうようにお願いしていたので、予想はしていたのだろう。招き猫を受け取ると、落ち着いた様子で箱に納めた。
「改めて順を追って先ほどまでの話をします」
 私の時系列に沿った話を聞き取り、丁寧に詳しくノートに書く遥の顔が、深刻になっていく。
「俊郎さんこそ疲れてるのに説明ありがと。状況は解ったよ」
 まだ全部話し終えてないところでノートを閉じる。いつもより低く淡々とした声。
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