第68話 うねり

文字数 2,961文字

「宗像さんの出自については、人事部のお二人で共有してくださいと言付(ことづか)っています。八神、説明して」
 橘先生は右手を少しあげ、八神さんを促した。
「宗像氏は……悪夢を食べる想叶者だ」
 単刀直入。
「悪夢を……? じゃあ(ばく)ってこと?」
 興奮気味に少し大きな声をあげ、向かいに座る八神さんへ身を乗り出した。
 悪夢を食べるといえば、伝説上の生き物として有名な獏を挙げるのは自然なことだし、実在するとなれば多少はしゃいでしまう気持ちは分からなくもない。
 ……が、あの生い立ちを知れば遥も喜んではいられないだろう。
 当然、八神さんも橘先生も険しい表情だ。
「今時は夢を見るとSNSに書いて流す奴が多いから食料に困っていたそうだ。これまで人間の遺体から暗想属の幻想波を詠んで食ったこともあるらしい」
「え……?」
 八神さんのその言葉に、遥の顔が凍り付く。
「宗像夢人の名の通り、夢に関する想叶者だ。小野氏を眠らせて悪夢を誘発させ、それを結晶にして食べたそうだ」
 橘先生がファイルに目を落とし、捕捉の説明を始めた。
「満月の夜、宗像さんが帰り際にトイレに行った後、荷物を取りに戻った際に無人のはずの人事部へ歩いていく小野さんを目撃したそうです。不審に思って人事部へ行くと加賀美さんの机を物色していたので、『何をしているのか』と声をかけると、招き猫を落として慌てて席へと戻り、宗像さんはそれを拾って会社を出ました」
 その後を八神さんが続ける。
「不審に思って招き猫を詠んでみたら、小野氏から吉崎さんへの〝執着〟を感じ取ったそうだ。でもって、小野氏に彼女に接近する手伝いをするからと言って新宿門まで誘い出し、眠らせて悪夢を誘発させた……というわけだ」
 なるほど、途中で宗像君が来たから吉崎さんの個人情報のファイルには手つかずのままだったのか。
「それから遥がメモを詠んだ時に揺らいで見えたのは、あれは宗像氏が作り上げた幻夢(げんむ)の像だ。招き猫を拾った時間や状況がバレると小野氏を眠らせたことまでバレてしまうかもしれないと、自分で作ったシナリオに見合った映像を作り上げてしまったようだ」
 遥の詠みをも欺くことができるというのか……。
「遥、俺がお前に宗像氏の情報を伝えるのは、幻想錬金術師として、いや想叶者として把握しておくべきことだと判断したからだ」
 こういうことになるだろうとは予想はしていたが、はっきり警告とは……。
「それから……宗像さんは、およそ十年ほど前に病で亡くなった聡美(さとみ)さんという女性の想いから生まれ出たそうです」
「え、じゃあ宗像さんは本来は人間の女の人?」
 八神さんはその言葉に首を振って応えた後、私が宗像君から聞いたことと全く同じ「生い立ち」を遥に説明した。

 遥は……悲痛な面持ちだ。
「……宗像氏は、聡美さんの遺体から恋人の想い出も一緒に食べている。実質、一人分だけではない量の想いと思って良い……」
「そんな……」
「……奴は幻想錬金術で生まれ出たんだ」
 え?
「え……」
「……それだけ宗像氏は得体の知れない想叶者だと思っておけ。深入りはするんじゃないぞ。いいな」
 遥はじっと八神さんを見据えたままだ。
「遥、宗像氏のような事例は――」
「色々な想叶者がいる、ただそれだけのことです」
 橘先生が遮ったが……遥の瞳が少し暗くなる。
「……人を(あや)めてまで想いを食っていたわけじゃないらしいが、基盤になっている(いのち)が存在しない分、詠む力の限度がわからん。……が、お前よりは強大だということは肝に銘じておけ」
 以前、想叶者は命が尽きかけた時に想いの力で生まれ出る、と話していたが……。
「基盤になっている命がないとは? それに幻想錬金術でって、どういうことですか?」
「普通の想叶者達は、元々は動植物という生命体で、体はそのまま流用して生きていくことになる。そしてその生命力と想いの強さが、想叶者になった時の限度に影響を及ぼすんだ。だから普通の想叶者が膨大な幻想波を詠むと死んでしまう」
 ……想いを詠むのには本人の幻想波を消費する……。あの夜、宗像君は遥に「()()()幻星の昴を詠んだら死んでしまう」と言っていた。
「……その二人の命とは無関係に、二人の願いと想いと悪夢から生まれているから理論的には幻想錬金術で生まれた想叶者……ってことだね」
 なるほど、そういうことか。
「それと……手当ての時に宗像氏の体を調べたが、刑戮の楔以外の傷はどこにも見当たらなかったし、生まれ出た理由や原因は証言通りで間違いないだろう。……もう一度言うが、宗像氏には二人とも関わるんじゃない。いいな」
 横からンンっという咳払い。橘先生だ。
「八神、宗像さんは人間の戸籍を取得して今後は能力制限を付けてくれって言っているんだ」
「へ?」
「生まれ出るきっかけになった聡美さんたちの夢と想いを大切にして、二人のように夢を追いかけ、支える人間として生きたいそうだよ」
 ……〝夢人〟と名乗っているのは夢を追い、それを支えてきたあの二人の生き方への宗像君なりの敬意なのだろうか。
「……でもそうしたら宗像さんは自分で暗想属が採れなくなるんじゃ」
「そう。力を全て制限してしまうと彼は()()()結晶や薬を買わねばならなくなり、それでは他の暗想属を必要とする想叶者と同様、経済的に困窮したり犯罪に手を染める可能性が高くなる。……ということで、悪夢を食べることだけは『制限から外して欲しい』と上申書を提出するつもり」
 橘先生はファイルの中から、すでに作成された書類を取り出した。
「悪夢より、暗想属を詠むことを制限から外してもらうほうが、まだ手に入れられる機会は多いんじゃないのか?」
「いや、宗像さんに聞いたら、暗想属の結晶は本当に一時しのぎにしかならないらしい。それだったら悪夢を一回でも食べられるほうが良いそうだ」
「へぇ」
 そういえば、悪夢が一番腹持ちが良いと言っていた。
「宗像さんの悪夢を食べる行為については、人間への執着を含めて食べてくれるようですし、人間に有益であるなら裁判所も許可すると思います。……いや、許可させてみせます」
 わぁ、橘先生頼もしい。
「じゃあ、宗像さんの今後については――」
「遥は自分の心配だけしてろ」
「八神、お前が稲月君を大事に思う気持ちは分かるが、過度に宗像さんを警戒するのはお互いのためにもならないんじゃないかって思うんだけど?」
「むぅ……」
「そうですね。我々は人事部ですし、個人を尊重しなければならない立場です」
 私の回答に、橘先生はにっこり笑って遥と八神さんにこう告げた。
「想叶者にだって人権はあるから、そこは侵害してはダメ。……とは言え、稲月君は八神にとっても重要な立場だし、ある程度の適正な距離を保つようにすれば八神も安心するんじゃないかな」
「……俺、別に想叶者同士の仲間意識とかは無いから……。でも、宗像さんにはあの日の事はちゃんと謝って、それから他の社員さんやバイトの(みんな)と同じように雑談したり、ご飯食べに行ったりはしたい……」
 うんうん、と橘先生は頷き、その横で八神さんは少し納得のいかない顔をしていたが、橘先生が説得して最後には「分かった」と返事をした。
「あ、そうだ。宗像さんの刑戮の楔が発動した件について、稲月君と加賀美さんに詳しくお聞ききしたかったんですが、話してもらって良いですか?」
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