第54話 現場へ

文字数 1,762文字

 七熊商店を出たのは二十二時を過ぎていた。そんな遅い時間でも真夏の夜はとても暑く、すぐに汗が噴き出してくる。
 最近連日遅いし、祥子さんがまた心配してしまうから、急いで帰らねば――
「俺はちょっと新宿門に行ってくる」
「遥君、それは……」
「小野さんの荷物の手がかりを探すんだよ。財布とかないと困るでしょ」
「そうですが……」
「大丈夫、詠んだりはしないから。あの辺の植え込みにあればラッキーくらいにしか思ってないよ」
 どのみち私は駅まで向かうのには近くを通るし、一緒に行ってみることにした。

 新宿門の門扉から見える景色は、多少のビルの明かりと少し欠けた月で空が明るく見える程度で、ゲートの奥は暗い森だった。
「夜にここまで来たことはありませんが、結構暗いですね」
「ここは自販機すらないし新宿御苑に入る以外に目的がないような場所だから、やっぱり小野さんが来るような所じゃない」
「そうですね……。私も通勤ではここまで来ることはありませんでしたし、夜間ならば本当に何も用事がありません」
 二十三時十五分という遅い時間に会社を出て、そこから酒豪の小野君が泥酔してここに来るほどの酒を飲むのは無理な話だ。
「小野さんって一番お酒に強いんでしょ? どのくらい飲んでいられるの?」
 道路沿いの植え込みを例のランタンで照らしながら歩く。
「何度か鎌田君と三人で飲みに行きましたが、その時は朝まで飲んでいても顔が赤くなったなと思う程度ですね。足取りもしっかりしてましたし、そのまま始発で帰るくらいは酔わない人です」
「えっ、そんなに強いんだ……」
「さすがに電車に乗ったら寝るそうですが。……だから彼が酔って寝ていたというのは私には考えられないんです」
 その酒豪が営業向きな資質の一つだった。酒に誘われたら絶対に断らないからコミュニケーションも築きやすいのだろう。
「じゃあ、そんな小野さんを知ってるくらいだから俊郎さんも強い方?」
「強いというか……、小野君とサシで飲み続けられるのは私と鎌田君ぐらいですね」
「……そういうのをたぶん『強い』って言うんだよ」
「遥君は強いのか弱いのか、早く一緒に飲んでみたいですね」
「それは来年のお楽しみ」
 結局、手がかりは何も見つけられず、あとは警察に委ねるしかなさそうだった。
「俊郎さん、気を付けてね!」
「ありがとう。お疲れ様です」
 遥とは信号を渡ったところで別れ、私は帰路についた。

 人の想いが想叶者を生み出し、想叶者を支えるために幻想錬金術師がいて、想叶者は存在することで人に新たな想像を授ける……。それが私たち人間や生き物と、彼らとの関わりか……。
 八神さんが「俺たちは遥を失うわけにはいかない」と言っていた意味がようやくわかった気がする。
 私を幻想世界へと連れて行ってくれたのは、もしかすると遥は自分自身や想叶者たちの存在を知って欲しかったからだろうか。
 ……七夕の夜の事を翔太にはまだ話していないが、いずれきちんと何らかの形にしておこう。

* * * * *

 翌日、午前中にタスクの折り合いをつけて遥と共にタクシーに乗り込んだのは十一時四十分。
「俊郎さん、病院ってどこなの?」
「歌舞伎町の先です。繁華街の近くでちょっと驚きました」
 面会の受付を済ませ、病室に向かう前に軽い打ち合わせ。
「もしご家族の方がいたら、私が話をして引きつけますので、遥君はその隙に薬を飲ませてください」
「わかった」
 昏睡状態だし、家族の方も心配でずっといるだろうと思っていたのだが、病室には小野君が一人で寝ている状態だった。
 ……本当に普通に眠っているようだ。
 一応点滴が繋がっているが、水分や栄養の補給のためだろうか?
「確かに、気持ち良さそうに寝てる」
「鎌田君の言ってた通りですね」
 少々呆気にとられたものの、遥が素早く手袋をして小野君の口の中に薬を入れた。
「まずは一錠……十分で起きてくれればいいけど……」

 カーテンが開いて、入ってきたのは看護師だった。遥はまだ手袋をしたままの両手をサッと背後に隠した。
「あ、小野さんのお友達……ですか?」
「えぇ、同じ会社の者です。……すみません、お邪魔してます」
「いえ、大丈夫ですよ。心配ですものね」
「……昨日から変化なしですか?」
「んー……昨晩、寝言言ってましたよ。すごーく小さな声でしたけど」
 寝言……?
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