第20話 仮説

文字数 3,442文字

「それからもう一つ、今朝の電話の後に起きた事を共有します。落ち着いて聞いてください」
 駅で聞こえた耳鳴り、いや、頭に響いた女性の「声」のことと、あの満月の夜に同じ「声」を聴いていたことを併せて伝えた。
「その『声』の事、初耳なんだけど!」
 焦り気味に、デスクにバンっと両手をついて立ち上がる。
「私も、あの夜のことは今朝思い出したので……。常に響いていたわけではなく、あの満月の晩、突然聞こえ始めたという感じですね。ただ、当時は頭の中で何重も響いていて、ひどく不鮮明でした」
「でも、なんでそれが今になって……。満月の守りはその『声』には効かないってことなのか」
 遥がいつになく真剣な顔で呟き、そして静かに着席した。
「『まだ生きているの』……か。嫌なフレーズだなぁ」
 言いながら腕を組み、右手の人差し指で自身の腕をゆったりとしたリズムで叩く。
 あの「声」は、つい先日の満月の晩に突然聞こえ始めたと記憶しているのだが……。そしてビルの屋上で遥と話している間は聞こえていない。さらに満月の守りをもらってからは、その「声」は聞こえなくなった……。
 あっ。
「遥君、見当違いなことを言うかもしれません。もしかしたら、昨日話してくれた幻想波の話が、何か関係がありそうな気がするのですが」
「え……?」
「人形の影響であの『声』が頭に響いていたと仮定すると、あの人形を詠んだことのある遥君なら聞くことができるのでは……と」
「幻想波による『声』ってこと?」
「えぇ。あの女性か人形が発している『死へと誘う時に使う幻想波』だとしたらって思ったのですが」
 遥が金色の瞳を輝かせる。
「……俊郎さん、さっきからすごい冴えてるね!」
 やはり私は有能な助手かもしれない。
「考えられる可能性の一つだけど、あの人形そのものからは『声』らしきものは聞こえなかった。だけど、今朝の人身事故は、女が現れたタイミングからして、その『声』が聞こえた人の飛び込み自殺って考えるのは自然かも……」
 そう言って唇を噛む。
「問題は、あの女がどうやって招き猫を回収しているのか」
「さすがに遺体に近づいたり、みだりに触るなどはできないでしょうね」
「うーん……。俊郎さんは、この部屋に招き猫を置いたまんまだったよね? でも、その『声』が聞こえて彷徨い歩いてた……」
「えぇ。もう朧気ですが、遥君と出会うまでは断続的だったと思います」
「……だったら招き猫は、必ずしも持ち歩いてる必要はないってことか」
 回収するならば、回収しやすいところにあるのがベストなはず。
「そもそも招き猫は回収する必要がない、としたら……。吉崎さん親子に影響を与えていたものが、所有者が俊郎さんに移ってからは俊郎さんとすぐ背中合わせの北原さんに影響が出て——」
「もし、あのまま私が死んでいた場合……、藤田君のことだから『俊郎の遺品』として自分のデスクに置くでしょうね」
「そして招き猫は持ち主を変えて次々と死へと誘導する。死人が増えることを目的とするなら回収する必要は全くない。むしろ好都合ということに——」
 そこまで話したところでノックの音で中断された。続きはまた定時の後ということにして、施錠していた扉を開けた。
「ちーっす」
 鎌田君だった。
「今朝は災難でしたね」
「代々木で止まっちゃっててさー、あと一駅だったのに」
 鎌田君と小野君の例の件について、人事部で少しミーティングの予定だった。
 小野君については職場への復帰をし易くするために、罪状は伏せて「体調不良」という名目の十日間の謹慎期間になっている。
 反省文と吉崎さんへの謝罪文を、それぞれ「手書き」で提出してもらうという連絡を、鎌田君から小野君へ伝えてもらうことになった。
 心情的には、謹慎に加えて減給処分にしたいところなのだが、証拠も不十分だし法的な問題からかなり譲歩しての処分なので、本心を見抜くためにも手書きで書いてもらうというのが今回の裏事情。もちろん遥は快諾したのだが、こういう大人の汚い部分にその力を使わせる事がとても申し訳なかった。
「メールとかワードだと簡単にコピペも出来ちゃうからなぁ。手書きなら誤字ったらアウトで最初から書き直しだし、気合も入るんじゃない?」
 裏事情は話せないが、手書きに関しては鎌田君が理解ある反応で良かった。
「そういえば俊郎さん、どうやって小野君の悪事を暴いたの?」
「ええと……北原さんが吉崎さんからの聞き取りに協力してくれました」
 嘘は言ってない。
「ふーん。北原さんもあんなに酷い書き込みしてたのに協力してくれたんだ。俊郎さんの疑惑も晴れたし、ミラクルじゃん」
 鎌田君の背後でこのやり取りを聞いていた遥がこちらを見てにっこりと笑う。一番の立役者なのに明かせないのは何とも歯がゆい。
「本当の解決には、まだまだ皆さんの協力も必要なので、よろしくお願いします」
「はいよ。しばらくは小野君の担当の会社とのやり取りも頑張るから。あと、また何か気づいたら言って」
「えぇ」
 鎌田君は小野君を連れてきた人物なので、言葉の印象よりかなり重く受け止めているはずだ。気張りすぎて潰れないでほしい。
「あ、稲月君、仮払いのお金ちょーだい」
 振り返りながら遥に声をかけると、丸椅子のキャスターを利用して遥のデスクまで滑って行った。
「はい、いくらですか?」
「二万円。今月の領収書は明日全部出すね」
 遥がメモを書いて金庫を開けて、封筒に現金を入れて手渡す。
「おー。稲月君、すっかり手慣れたもんだね。頑張ってね」
「ありがとうございます」
「ねーねー、そのルックスで顧客の新規開拓してみない? 今度一緒に営業行こうよ」
「えー、何そのチャラい誘い方」
「いいじゃん、チャラいもん同士で営業行こうよ~」
「ダメダメ。俺、スーツ持ってないし、言葉遣い変だし、コミュ力ないからダメ」
 笑いながら胸の前で腕をバツ印に交差させる。
「言葉遣いなんて、俺と俊郎さんでいくらでも教えるからさー」
 遥ならバンドマンみたいな風体でも許されそうな気はするが、言葉遣いは一度きちんと教えるためにも営業部で研修も……いや、今は人事部にいてくれないと困るのだ。
「じゃ、考えといてね、よろしくね~」
 そう言いながら鞄を持って出て行った。
「行ってらっしゃい」
「では、遥君はもう上がってきてる領収書があるのでその入力作業をお願いします。もう今月も今日入れてあと三日ですからね。できるところから片づけて行きましょう」
「はーい、了解!」
 毎月、この業務だけでも大変だったから、遥の存在は本当にありがたい。

 定時を過ぎてから、遥が業務報告を上げて一度タイムカードを押しに出ていき、そのついでに冷たいお茶を持ってきてくれた。
「あぁ、遥君、どうもありがとう」
「俊郎さん、三時はちょっと仕事のキリが悪かったし、休憩しよ」
 そう言って紙袋を持って私のデスクの前の丸椅子に腰かけた。
「疲れてる時の甘い物は、本当にいいですね」
「この豆大福、新宿通りにある知り合いの店の店主がくれたんだ。学校の帰りにちょっと用事があって」
「頂いてしまって良かったんですか」
「うん、俺がここでバイトしてるのも知ってるし、前に甘い物好きな上司がいるって話したら用意してくれてた」
 ありがたいことだ……。
 遥も大福を一口かじり、唇に白い粉を付けたまま切り出す。
「——それで、さっきの招き猫の仮説」
「そうですね、回収する必要はなかったかもしれないということと、あとは普通に通勤で新宿駅を使っている可能性もあります」
「……俊郎さんはあの満月の夜にうちのビルから……その……実行しようとしたこと考えると、駅だけじゃないし、時間も朝だけじゃなくて深夜もあり得るよね」
 新宿駅を中心にと考えると範囲も広いし、とにかく人が多い。さらに時間や場所を絞ることは可能なのだろうか。
「とりあえず、俊郎さんが帰る時に俺も一緒に新宿駅行ってみるよ。何か手がかりあるかもしれないし」
「私はまだもう少しかかりそうなので、遥君にはまた後で連絡しましょうか」
「ううん、俺はここで仕事終わるの待ちながら勉強してるから大丈夫」
「そうですか、では」
 営業部が獲得してきた新規顧客との契約書に目を通す。電子機器メーカーのサイトの製作と運用か。最後のページにはゴム印と社判が押してあった。こういう物からでも想いを詠めるのだろうかと気になったが、真剣な顔でノートに何かを書いている遥に声をかけるのはやめておいた。
 こちらも急いで仕事を片づけてしまおう。
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