第23話 〝願い〟という想い

文字数 2,895文字

 気になってしまい、社員の扶養者の一覧を確認したが、遥という名前の者はいなかった。親戚だろうか、それとも犬か猫だろうか……。

 しばらくして、エレベーターホールから賑やかな声が聞こえて遥たちが戻ってきた。
「ただいま!」
「おかえり。暑かったですか」
「さすがにね。あれ、これは?」
「あぁ、さっきまだ残っていたのでもらってきました。休憩の時にでも食べましょう」
「ありがとう。俺も、こし餡派!」
 すっかり元気になって無邪気に笑う。
 十三時になり、今日のタスクが再開される。
 先ほどの短冊、真相を聞いてみたら「なんだそんなことだったんだ」というオチで終わるかもしれない。それにあまりプライバシーに踏み込むのも考え物だ。
 仕事に集中し始めてからは、しばらくの間は紙をめくる音と、マウスやキーボードの音だけが響いていた。それが破られたのはデザイン部のアシスタントの丸園さんのノックだった。
「おつかれさまでーす。新しい夢企画のカードをお持ちしましたので記入と、えーと……社内SNSへの登録もお願いします!」
「あ、丸園さん、ありがとう。もうできたんだ」
 丸園さんの方が遥より少し年上で大学三年生。彼女は田畑さんと同じ母校の出身で、四月からアルバイトに来ているのだが、将来はこのままデザイン部に就職する予定だ。
「ねぇねぇ、遥君。短冊に『遥が早く帰ってきますように』って書いてあったんだけど、あれって遥君のこと?」
「ゲフッ……ゲホッ」
「俊郎さん、大丈夫?」
 あまりに自然に丸園さんが尋ねてしまった。
「あぁ、あれね。うちのばあちゃんのなんだ」
 笑顔でそう答えると、丸園さんが「あら、認知症?」と続け、遥は「そんなところ」と軽く返事をした。
「はい、俊郎さんの分も!」
「ありがとう。丸園さんも自分の分ちゃんと書いてくださいね」
「はーい。では失礼します」
 笑顔が明るい彼女はデザイン部の癒しだが、天然なところがあるので時々びっくりする。
 なるほど、認知症のおばあちゃんの短冊か……。色々と大変なんだな。再び画面に目を戻したところで遥が席を立つ。
「俊郎さん」
 そう言いながら私の席の向かいにある丸椅子に腰かけて向かい合う。
「ん? どうしました」
「仕事終わってからにしようと思ったんだけど……」
 なんだろう。
「どうして七夕のイベントのこと、ちゃんと話してくれなかったの」
「ちゃんと……とは?」
 会議にも出ていたし、知っているはずでは。
「七夕の日は、俺も外出したいって言ったけど、あの時概要説明してくれなかったじゃん」
 あの時の話を思い返すと、話の途中で竹が届いたことによって、なぁなぁになって……確かに七夕当日に何があるという説明はしていなかった。
「それは申し訳なかったです。会議で初めて知ったという形になったのは私の説明不足ですね」
「当日の手伝い、俺もちゃんとやるからね? 七夕だからって一日ずっと出歩くわけじゃないから」
 そこまで言って、少し俯いた。
「それと、もう一つ話があって……こっちが本題。やっぱり、早い方が良いかなって」
 まさか急に辞めるとか言い出さないだろうか。それは困る。
「どんな話ですか。場合によっては施錠しますか」
 遥が黙って扉に施錠しに行って戻ってくる。
「夢企画のカード、古いのを回収して、俺にください。詠むのが目的じゃないから。お願いします!」
 拝むように両手を合わせる。なるほど、そういう用件か。
「早めに声をかけないとシュレッダーにかけてしまう人もいるかもしれませんね」
「そんな……」
「また人事部長という権限を使いますよ。メールとSNSで、古い方は人事部が回収するとお知らせを流します」
「俊郎さん、ありがとう!」
「過去の夢企画のカードの内容は、社内SNSで全体公開されているので、特に抵抗なく回収させてくれると思いますよ」
 お知らせには遥が回収窓口と書いておいたため、人事部に直接持って来る者の他、遥が休憩スペースに行く途中で手渡す者もいて、それなりに回収できたようだ。
 社員の人数は前に更新したときは十五人ほどだったので、今日アルバイトも含めて配布したカードの枚数よりかなり少ないが、それでも十枚ほどが遥の手元に集まった。
「遥君、物にこもった想いは時間が経過すると溶けだしてしまうんじゃないんですか」
 もう三年も経っているけど、それでも回収するに値する何かがあるのだろうか。
「メッセージや手紙じゃなくて、これは夢とは書いてあるけど『願い』だからね」
「と、いうと?」
 私も遥に三年前のカードを手渡す。
「ここに書いてあることは、決して消えない想いだよ」
 カードの束の一番上に私のカードを重ねながら微笑み、力強いトーンの声で言い放った。
「だから、俺が必ずその想いを循環させる」

* * * * *

 土日は久しぶりに家族と公園に出かけたり、約束通り祥子さんと映画を見たり、翔太に絵本を読み聞かせたり、もちろん家事も手伝いながらゆっくり過ごしてリフレッシュもできた。とはいえ満員電車に乗れば、あっという間に疲れはたまり始める。
 先週の金曜日に遥と残業しながら月末処理を開始して、吉崎さんが休職する以前とまでは行かないが、それでも一人でやるより早い。
 しかし、今日からは遥が大学の試験期間に突入しているため、出勤時刻はいつもより遅めになり、今日も残業は確定だ。
 またいつもの時刻の新宿駅。一応、同じ場所で待機してみた。
 あの朝、一緒にここで「声」を聞いて以来、遥はこの件については何も言わなくなったが……。実はあの「声」の発信元の招き猫を目ざとく見つけて、詠んで解決済みなのだろうか。体調を崩したことも、それが原因なのではないだろうか。……だが、あの翌日も私の耳には相変わらずあの「声」が響いた。
 御苑の門のところで手に入れた緑色の結晶から作ったものも、今のところは特に効果は無いようだが……。あの「声」は、いつかは聞こえなくなる時が来るのだろうか。
『……まだ、いきているの?』
 耳元で囁かれた肉声のように聞こえた。周りを見回しても、やはりあの女性は見当たらない。
 この「声」が意味するのは一体何なのだろう。私に対してなのだろうか。それとも……。

「うるさい! うるさいっ!」
 割と近い距離だろうか……女の子の叫び声が聞こえた。まさかとは思うけどあの「声」が聞こえている人か?
 見回すと、制服姿の女の子たちでトラブルのようで足を止める人もいた。
「私のことなんかほっといてよ!」
「シオリ、そんなこと言わないでよ。心配してるんだから」
 あの「声」に対して、うるさいと言っているわけではなさそうだ。
「うるさい! 心配なんかしなくていいから、ほっといて!」
 シオリと呼ばれた子が、同じ制服を着たかなり小柄な女の子を振り払って走り去っていく。置いて行かれた女の子は、振りほどかれた手をもう片方の手でぎゅっと握り、シオリさんが去っていった方を見つめていた。
 気づいた時にはあの「声」も聞こえなくなっていて、友達の女の子の方は、同じ姿勢のまま立ち尽くしていた。「明日には仲直りできるといいですね」そう心で呟いてその場を後にした。
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