第16話 幻想波

文字数 3,597文字

 竹のまわりで何やら楽し気な笑い声。
「なんだかんだで、遥って人気者になっちゃったねえ。目立つし性格も人懐こいし」
 いつの間にか、遥は藤田君と二人で談笑の輪の中心にいた。
「えぇ、それにすごい気が利くんです」
「遥のおかげで、俊郎さんも最近は少し早く帰れてるみたいで良かった」
「えぇ」
「……よし。やるか!」
 気合を入れて、竹の周りに集まっている皆のほうへと歩み寄った。
「じゃあ、手の空いてるお暇な人は、短冊作ったり飾りを作るよー」
 田畑さんがそうやって声をかけつつ、壁際のデザイン部のロッカーから「七夕」と書かれた箱を取り出す。
「では遥君、もう一つの台座を持ってきてください。外の応接室の前にもう一本立てましょう」
「はーい」
 飾りつけは他の者に任せ、私も遥もやりかけの仕事があるためそのまま人事部に戻った。

 七夕当日は、晴れようが雨が降ろうがお構いなしに社内で酒が振る舞われる。定時すぎに乾杯をし、会議室でオードブルやピザなどと共に飲食ができるようになっている。暑気払いを兼ねている七夕会は毎年恒例のイベントだ。
 そう毎年恒例。準備や係の割り振りも順調で、嘘のように平和だ。
「つい先週に比べたら、嘘みたいに平和だね」
「……遥君、本当は心が」
「詠めないってばー」
 お互い自分のデスクで作業を再開しながら呟く。
 遥にはことごとく考えていることを読まれてしまう。今朝の匿名の相談者と違って、私と遥との距離は近すぎませんか。
 今日は六月の二十七日で、仕事は給料日と月末月初の間の凪のような日だ。遥の仕事も早いため後回しで処理するものもなく、この数ヶ月に比べてかなり楽な月末を送っている。
「俊郎さん、今『夏季休暇のお知らせ』の下書きを送っておいたから、確認してください」
「あぁ、ありがとう。そうしたら少し休憩していて良いですよ。今は私の方から振れる仕事もないので」
「じゃあ、ちょっとスマホで調べものしてるね」
 遥がスマホで調べものをする時は、本業の幻想錬金術師の件だ。社内のネットワークからアクセスしないのは、ネットリテラシーが高くてとてもよろしい。
「お知らせ」のほうは……、日付も曜日も、有給休暇の申請日の締め切りの日付もあっている。正確で大変よろしい。
「遥君、『夏季休暇のお知らせ』の確認しました。メールとSNSに流してください」
「はーい。じゃあ」
 そう言ってマウスのクリック音が響くと、モニターに新着のお知らせが表示された。
 こうして夏の準備がまた一つ終わる。

 先日の恐ろしい事件からまだ一週間足らず。事件は完全に終わったわけではなく、遥は引き続き「縁切りの招き猫」の噂について追いかけている。会社に来ていても手の空いている時間には、あの情報を追うことを許可しているのだが……。
「ふぅ……」
 深いため息とともにデスクに突っ伏した。
「遥君、例の招き猫の件はその後なにか分かりましたか」
 むくり、と体を起こしてスマホを置く。
「あの招き猫は、何年も前のガチャガチャの景品らしいよ」
 右手であの独特のハンドルをひねる動作をしてみせる。
「それの内部を削って空洞にして、あの気持ち悪い人形を仕込んであった」
「そういう構造だったんですね」
「あと……一応、左門町(さもんちょう)にも行ってみたんだけど、あの女の目撃情報や接触した人の話は聞けなかった」
 四谷三丁目駅からほど近い左門町には、縁切りにご利益があるというお寺があるそうだ。そこに縁切り祈願に行った北原さんが、帰り道に謎の黒髪の女性に声をかけられて、招き猫を手渡されたのだという。
「そういえば、中身の人形の方を詠んで分かったことは?」
「中和剤が招き猫を通過して内側の人形にも届いてちゃってたみたいで、消えかけてたけど……『人形への執念』が感じられた」
 執念……。あんなものを作る執念があるなら、もっと健康的なものに費やして欲しい。
「あーあ。口が堅くて欲のない錬金術師に接触できればいいんだけどなぁ」
 遥が大きく伸びをして、デスクの上のアイスコーヒーに手を伸ばす。
「そこに至るまでの人脈は無いんですか」
「無いから困ってるんだ。俺、まだ弟子入りすらしてないし」
「弟子入りですか……。私はてっきり、大学の工学部で錬金術を専攻しているのかと思っていました」
「ゲホッ! ゲフッ……ゲホッ」
 思いっきりコーヒーをこぼしている。
「ゲホッ……俊郎さん、それ……ゲホッ、どうして……」
 えっ、図星?
「まさか、本当に大学で錬金術を?」
 本当に不意をつかれたせいなのか、私の言葉にハッとして口元を押さえた。
「……そのまさか。大学内でも秘密にされている学科だから本当に内緒でお願い……します」
「もちろん。誰にも言いませんよ」
 とりあえずタオルを手渡す。
 服や床にはこぼさずに済んだようだが、室内がコーヒーの香りでいっぱいだ。
「分かりにくいように『弟子入り』って言ったのになぁ。でもね、錬金術学は三年からで、今は結晶学と結晶エネルギー学くらい」
「そうなんですね。大学内でも秘密の存在ともなれば図書館なども……」
「うん。図書館に参考になりそうな本は一冊も置いて無かった。本当に教授とか先輩を頼るくらいしかないんだけど、その伝手が無くて」
「在校生なのに伝手がないというのは、どういう事なんですか」
「結晶学と結晶エネルギー学を履修して、ある程度の成績じゃないと錬金術は専攻できないし、今はまだ誰が教授や関係者なのかが解らない」
 前に、幻想錬金術師は素質でなれるが、錬金術師は勉強が難しいと話していたがそういう事か。
「その二つの講義を教えている人は?」
「あいにくと、音声だけの夜間のオンライン授業」
 徹底した秘密主義らしい。
「あと、俺は幻想錬金術師だし、それが知れるとちょっとめんどくさそうで」
 存在自体が少ないというし、結晶の価値から考えたら、そこが一番秘密にしておきたい部分なのだろう。
「本当なら、どこかの錬金術師のところに弟子入りするのが従来の学び方なんだけど、俺は自分が『幻想』って理由で大学にしたんだ」
 秘密主義が徹底されている教育機関なら安全ということか。
「あの人形の機構を見せれば、誰が作ったのか辿れるかもしれないのに……」
「今はあの人形は壊れているんですよね?」
「うん。でも、念のために幻想波(げんそうは)を遮断する箱に入れてあるよ」
「幻想波……?」
「簡単に言うと、電波とか放射能みたいな目に見えないエネルギー。詠む時に出て来るモヤとかもそれの一種にあたると思って。ただ、幻想波のタイプというか、波長・パターンは注意深く意識して詠まない限りは解らない。だから例えその辺を飛び交っていても気づけないんだけどね」
 そう言うものがあるのか……
「言葉が通じないのに動植物の話が分かる、っていう人の話聞いたことない? 彼らは無意識に相互で波長が合う幻想波を飛ばし合っているんだと思うよ」
 事件が難航しているのに、それを忘れたかのように微笑んだ。
 動植物の話が分かる人の話については、心を通わせた動物とその飼育員の話などがそうなのだろうか。でも、そういう考え方をすれば不思議と腑に落ちてしまう。
「人形は、こないだの土曜日に解体して、写真を撮りながら図も起こした。断言はできないけど、『誰かを寄せ付けないで欲しい』という想いが起動スイッチで、原動力は高純度の幻想結晶。起動すると死へと誘う幻想波を作り出す機構で、体のあちこちに配置してあるパーツが周囲の悪意を集めたり、持ち主のネガティブな想いを増幅する仕組みじゃないかなぁ」
 ノートをめくって指した図には、結晶とパーツ類を行き交う配線と思われる細い線がたくさん描かれていた。
「あんなに小さいところにそれだけのシステムが……」
「そう、あんなに小さいのにっていうところがポイント。あくまでも仮説だけど、中に仕込む結晶はかなりの高純度で、複雑な想いを凝縮してあるもの……」
「複雑な想い……まさかそれって『人の一生分の想い』とかですか」
 自分で言ってゾっとしてしまった。
「うーん。前にも言ったけど、それはほぼ不可能だと思うよ。錬金術師の技術で合成した結晶じゃないかな……」
 それについては、その能力を持ってる遥のいう事のほうが確かなのだろう。
「やはり、どんな幻想錬金術師でも、人の一生分の想いを詠むのは不可能なんですね」
「うん……」
 どちらも「錬金術師」という肩書ではあるが、錬金術師は科学寄りの職人に近く、技術職の一つ。その職人の系統によって手癖も変わるらしい。
 一方の幻想錬金術師は、遥のように想いを詠んで幻想結晶を作り出せる「素質」が無ければなれない上に、存在自体が少ない。
 想いを詠んで結晶を作るという「詠出」という作業を繰り返すほど才能が育っていくという。そういう意味では特に結晶に関する科目は、触れる機会の多い遥にとって周囲の人間より少しだけ有利らしい。
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