第48話 報せ

文字数 3,077文字

 満月の翌朝、出勤直後に席に座ってパソコンの電源を入れた時、あるはずのもの……あの招き猫が無いことに気が付いた。
「俊郎さん、おはよう! タイムカード――って何してるの?」
 床に落ちてないか探していたところへ、遥が現れたので状況を説明すると扉を後ろ手に閉めて施錠した。
「俊郎さん、他に無くなったものは?」
「あぁ、今から調べてみます」
 結果から言えば、印鑑や現金が入った金庫と、個人情報のファイルが入っている引き出しはどちらも施錠されていた。
 基本、個人情報を取り扱う作業の時は内側から施錠するが、帰宅時は金庫と引き出しにのみ施錠をして部屋そのものは施錠していない。
「俊郎さん、俺、扉に何か気配が残ってないか調べてみるから」
「遥君、それは警察の仕事ですから、君は何もしなくて大丈夫ですよ」
 まずは報告と相談のために出張先にいる藤田君へ電話を――
「俊郎さん、待って! 無くなったものが招き猫だけなら普通の事件と同じに考えないほうが良いかも。俺たちがあの招き猫と中身の人形のからくりを知ってることが外部に漏れてる可能性も……」
 ――確かに、あの小さな招き猫一つで騒ぐとなると、藤田君も怪しむだろうし警察も不思議がるだろう。……というか、相手にされないかもしれない?
「でも、もしまた体調が悪くなったら」
「この会社に初めて来た時にも会議室でやって見せたでしょ? 気配を詠む程度なら害はないから。……ただ、まだ残っていればだけど」
「わかりました、お願いします」
 一旦、部屋の外に出て遥がドアノブに視線を固定し気配を詠む。なにか分ったのか、立ち上がった遥は神妙な顔だ。
 すぐに部屋の中へ入り、いつものノートを取り出すと前に調べた気配の一覧を見ている。記号のようなものにイニシャルと一言ずつ特徴が書かれていた。
「あった……」
「誰ですか?」
 遥の指が示したのは……小野君だった。
「なるほど、彼はあの招き猫が吉崎さんが元の持ち主と知っていましたし、それで持ち去ったのかもしれませんね」
「念のため、招き猫の置いてあった場所も調べていい?」
「えぇ。もしも無理でなければ、金庫とこの引き出しを調べてもらっていいですか」
 私の席に座り、遥が各所を調べていく。
「ペン立ての辺りには小野さんの気配が残ってたけど、金庫と引き出しは特に何もなかった……」
 金庫や引き出しにも触れた形跡があったなら警察案件で何らかの解決方法があるかもしれないが、本当に招き猫だけとなると……。
 それに、一般人には説明も理解もできないような状況証拠以前のものだし、小野君を問い詰めるのは難しそうだ……。
 吉崎さんへの執着は既に一線を越えてしまっている気がするが、って――
「小野君はどうして吉崎さんへの執着がありながら、知りたがっていた彼女の個人情報を漁ろうとしなかったんでしょうね」
「そうだね、ちょっと変だな」
 無人のこの部屋で昨晩何が起きていたのか……。
 コンコンというノックの音。
「俊郎さーん、タイムカード出してー!」
 北原さんの声だ。
 あぁ、パソコンの電源を入れたらと思っていたのに招き猫ですっかり忘れていた……。
「俺も忘れてた。行ってきます」
「お願いします。新しいカードはこれです。箱ごとレコーダーの隣に出してきてあげてください。記名は各自やるので大丈夫です」
「わかった!」

 ついでに、と先月のタイムカードを回収してきた遥は、二日分のみ打刻されている宗像君のタイムカードを取り出した。
「念には念を入れておこうと思う。自分の名前に変な想いを込める人なんてそうそういないし、さすがに二日も経ってるから大丈夫」
 そして宗像君の気配を一覧のリストに書き込んだ。
「書いた時の想いはうっすら程度だけれど、仕事が決まった安堵感と今後への希望……って感じ」
「そうですか」
 特に体調に異常はない、というのは遥の表情から察することができた。

 朝礼ではデザイン部から改めて納期のスケジュールについて営業部・企画部ともにデザイン部にも確認の上で話を進めて欲しいと提案があった。
 それについては「誠に申し訳ない」と鎌田君と相模さん両名が代表で謝る形となった。それでも決して場が重苦しい雰囲気にならないのは、三人の信頼関係とそれぞれの朗らかなキャラクターのお陰だろうか。
 人事・総務からは遥と宗像君の歓迎会を行うことを伝えると、飲み会ということで湧き上がる面々。こういう時の皆の顔を見ると、テレビやSNSで取り上げられるような「職場の人と飲みに行きたくない」という者がいなくて喜ばしい限りだ。
 朝礼終了間際にフロアを見回すと小野君の姿がない。今日も客先直行か。
 小野君が招き猫を持ち去ったのは「吉崎さんが大事に持っていたものだったから自分の手元に置きたくなった」ということだろうか。憶測の域ではあるが今はそう考えるしかない。
 そして招き猫は今は無害な置物だが、中身がなくなっていることが何かのはずみであの謎の女性に知れることになったら……。

「俊郎さん、給料明細って先月通りにやれば大丈夫だよね? マニュアルあるからこっちは任せて!」
「ありがとう、よろしくお願いします」
 ひとまず、北原さんに内線をかけることにした。
『はい、北原です』
「加賀美です、ちょっと一つ聞きたいことがあるのでこっちに来てもらえますか」
『わかりました。すぐ行きます』
 受話器を置くとすぐにノックの音がして、北原さんが現れた。
「今日はどうしたんです?」
「わざわざ来てもらってすみません。また例の件なんですが……」
「例の? ……あぁ」
 小野君が吉崎さんにまだ執着しているということは伏せておいた方が良いだろう。
「実は、ここに置いてあった招き猫が今朝無くなっていたんです。探しているのですが――」
「あの招き猫って、まだ何かあるんですか?」
「いえ、もう中身は空っぽです。でも誰かが持ち出したとなると……色々心配になってしまいまして」
 北原さんは組んでいた腕をほどき、その手を口元に添えて小さな声でこう言った。
「じゃあ一番怪しいの、小野さんじゃないかな。本当に邪推だけれど」
「何か心当たりが?」
「だって、あの招き猫を菜々ちゃんが大事に可愛がってたの小野さん知ってるんだもの」
 遥も北原さんの背後で頷いている。
「では話が早いです……小野君の机周辺にあの招き猫が無いか探してもらっていいですか? 書類を探す振りとかしてもらいながら」
「わかりました。小野さんは今日は午後まで居ないので、探してみますね」
「ありがとうございます。ではよろしくお願いします」
 ドアに手をかけた北原さんが立ち止まって振り返った。
「あ。私、遥君の歓迎会の実行委員に立候補しますね!」
「えぇぇーー?!」
「そこ! 驚きすぎ!」
 遥はやっぱりまだ北原さんのことが苦手なのか……
「だって……」
「そんなに引かないでよ。もう許してあげるし、むしろアンタもあの件は綺麗に忘れて。逆に恥ずかしいじゃない!」
「あ……はい……」
 そしてまた赤い顔に……。ねぇ、本当に何を詠んだの??
「あの事件の話をするのに人事部に来るのにはちょうど良いかなって思っただけだから」
 あぁ、それは一理ある。
「では、北原さん。よろしくお願いします」
 任せて、と軽く力こぶを見せて出て行った。
「北原さん、吉崎さんのことが関係すると頼りになりそうだね……」
「えぇ、本当に……」

 その二十分ほど後、北原さんからの内線が入った。招き猫が見つかったのだろうか。
『俊郎さん、あの……今、鎌田さんもいないので俊郎さんに繋いでいいですか? 病院から電話なんです』
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