第56話 遭遇

文字数 2,708文字

 十四時頃、小野君本人から電話があった。
 体は特に問題ないということから、すぐ退院手続きをしていると、警察から鞄が届いていると連絡があり、今から引き取りにいくという。
 そして小野君は警察に行った後、真っ先に人事部にやってきた。
「俊郎、よくわからないけどお見舞いありがとう」
 一年ぶりくらいに見た爽やかな笑顔だった。
「いえ、本当に元気になって何よりです」
「俺、全く何もわかんないんだけど……何だったんだろうなあ」
 先日「吉崎さんに直接謝りたい」と言いに来た時とは随分と雰囲気が変わっていた。昨年、仕事が上手くいかないと相談に来た時とも違う。
 本当に憑き物が落ちたとはこういう事なのかという程だ。
 あ、そうだ。
「小野君、この招き猫どう思いますか?」
 手渡すとつまんで色々な角度から眺めてから――
「ずいぶん塗装とか剥げてるけど、これがどうしたんだ?」
 持ち出していたことも忘れているようだ。
「あ、いえ。小野君のじゃなければ大丈夫です」
「それじゃ、鎌田さんと打ち合わせしてくるから。またな」
 招き猫にも興味すら持つこともなく、私の手に返すと人事部を出て行った。

「俊郎さん、貸して。これで小野さんの事だけでもスッキリするかもしれない」
 遥が招き猫を詠むが、何も出てこない。
「うん、やっぱり小野さんから以前のような吉崎さんへの執着は無くなってるかも……」
「そうですか……。それは良いことですが、本当に何があったんでしょうね」
「結局、招き猫が戻ってきただけで、謎だけが増えた気がする」
「そうですね……」
 あの満月の晩、一体何が起きていたというのだろう。
 満月……そういえば。
「遥君、宗像君はあの日『満月の日は良いことが起きる』と話していました。何か関係がありそうですが……」
「うーん……、満月の夜というのは色々な人が月を見上げるし、それを歌や物語にする人も多いでしょ? だから想叶者じゃなくても、色んな人達がそう思ってるから……」
「そうですか……」
 私も満月の晩に遥に助けてもらったのだ。誰にとっても特別な日になりうるということか。

* * * * *

 翌日の土曜日は翔太がカブトムシを探したいというので、今度は早朝に行ってみることにした。祥子さんは虫は苦手なので、留守番という名の「ゆっくりできる一人の時間」で、日頃の疲れを癒してもらっている。
「パパー、はるかくんは?」
「今日は遥君は後から来るんだって。お昼を一緒に食べるよ」
「わぁい!」
 早朝開苑を教えてくれたのは遥だったが、八神さんの依頼で明け方~早朝に結晶を採りに行くため、十時頃から合流予定になっている。
 前回、遥に色々教えてもらったし、今回は下調べもしてきたし、私と翔太と二人きりでも多少は遊べそうだ。ちゃんと虫よけスプレーも買って準備は万全。

 先週来た時より時間も早いから電車も空いているし、新宿門までの道にもほとんど人がいない。入場ゲート付近にはウォーキング目的と思われるスポーツウェアに身を包んだ人が何人かいた程度だ。
 蝉の声が響き渡り、それ以外は鳥の声。普段はすぐそこで仕事をしているとは思えないほどだった。

 前回と逆回りのルートで、ネットで調べた情報も頼りにして歩いていると、木の幹にクワガタを見つけた。
「翔太、あそこにクワガタがいる」
「クワガタ? どこ?」
 肩車をしてなるべく近くで見せてやると翔太は大喜びだ。
 私も野生のクワガタを見るのは初めてで、童心に帰って翔太と二人で生き物探し。森の中をゆっくり注意深く歩く。
 藪に挟まれた坂の小道を上ると先日訪れた休憩所。その前にある小さな池からクルクルとかコロコロとか聞こえて来た。
 ……何の音だろう? 注意深く見てみると――
「翔太、カエルが」
 翔太が「しー」と人差し指を立てて「静かに」の号令。
「……パパ、カエルさんがうたってる」
 私が教えるより先に、小さな小さな声で囁いた。
 八神さんの言う通り、幼い子供の心は無限の可能性を持っているんだな。
 そっと池に近づいて、二人でしゃがんでケロケロとかコロコロという彼らの歌を聴いていたら、背後の藪から足音が近づいて来て――
「あっ、かえるさんが」
 逃げ出してしまった……
「かえるさん、いなくなっちゃった……」
「あっ、ご、ごごごめんなさい。ひ、ひひ人がいると思わなくて」
 む? この声……それにこの話し方は……
 新宿門で見かけた人達と似たようなスポーツウェア、そして……首にはタオルを巻いている。
「……宗像君じゃないですか」
 一体なんでこんな所に……。
「えっ……? え、え、えと……?」
「あぁ……人事部の加賀美です」
「あっ! おおおおはようございます。す、すみません……! ふ、雰囲気が違っててすぐわかりませんでした」
 しまった……。やり過ごせば良かった……
「パパ、このおにいちゃん、だれ?」
「あぁ、夢人君っていって同じ会社の人だよ」
「かがみしょうたです。よろしくね!」
「え? あぁぁ、よ……よろしく」

 休憩所のベンチまで行くと、宗像君は深呼吸したり、胸をトントンと叩いて自分を落ち着けているようだった。
「宗像君は何をしていたんですか」
「ま……ままま前から週末の早朝は、中央公園とか新宿御苑で……ラ、ララランニングとかウォーキングしてるんです。ひ、日頃デスクワークが長めだからどうしても運動不足で」
 運動不足については私も同じくだ……。忙しいと体力も仕事につぎ込みがちだし。
「入社早々に忙しい状況で、申し訳ないです」
「……いえ、引継ぎしながら一緒に仕事させてもらえるので、分からないところもすぐ処理できてありがたいです」
「そうですか。田畑さんからも宗像君が即戦力でありがたいと聞いてますよ」
「ひゃっ、そんな……なななな、なんかもったいない言葉……」
 照れてるのだろうか、顔を赤らめて俯いてしまった。
「ででででも、か、歓迎してもらえているのは伝わるので……ととととてもうれしいです。……ぼ、ぼぼ僕にも居場所ができたいみたいで」
 こういう所をみると、普通の若者と何ら変わりはないのだが……。いや、普通の若者にしか見えない。
「と、俊郎さんはここで何を?」
「この通り小さい息子がいるので、一緒に昆虫探しをしていたところです」
「へぇ……仲良しで良いですね」
 少し寂しげな笑顔。
 ……ご両親はどうしているのだろうか。でも、これは彼が想叶者であるならば、とても残酷な質問になるかもしれない……。
「ゆめとくんとも、なかよくなるよ!」
 翔太が宗像君の手を握って引っ張り出した。
「翔太君?」
「こら、翔太」
「ゆめとくん、キラキラ、みよう」
「キラキラ?」
 急に真顔になった宗像君に不安を覚えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み