第18話 人身事故
文字数 1,732文字
「……あなたは、誰ですか?」
辺りを見回してみたものの姿は見当たらない。
あの「声」はすぐに聞こえなくなったが、気のせいなのだろうか……。
再度遥に連絡をしようか迷ったが、確実に学校をサボることになるだろうからと思いとどまった。朝から変な汗をかきながら職場に向かう。
パソコンを立ち上げると、社内連絡や今日のタスクと会議のリマインドメールの通知が届く。そして……匿名の相談窓口のフォルダに一件。
『件名:部下と距離が縮まりません』
またきた……。
「俊郎、見たか?」
そう言いながら人事部に藤田君が乱入してきた。
「今、見ているところです」
送信時刻は深夜一時。
『気のせいじゃなくて部下が素っ気ないです。事情があって食事やお酒には誘えないので、話す機会がありません。どうしても頼られている気がしません』
読んでいるうちに、最新のメールが一通届いた。
「鎌田君から、電車遅延による遅刻の連絡です」
「ありゃ、それは災難だな」
新宿駅で人身事故って……まさか。
いや、そんなわけがあるはずもないと言いたいが、今朝聞こえた「声」といい、あの事件を体験している以上、完全に否定ができない。あの時見かけた女性が、もし遺体から招き猫を回収しに向かうところだったとしたら。
「俊郎どうした?」
「あぁ、なんでもありません。鎌田君は無事だろうかって……」
「何言ってんだよ、鎌田君なら今こうやってメールをくれてるじゃん」
そうなのだが、胸騒ぎがする。それに遥も学校が西新宿だし、ニュースを知ったら帰りに駅に寄りそうだ。いや、絶対に寄り道するだろう。
結局、匿名の相談者には緊急性がないこととして、私個人からの返事となった。さりげなくでダメなら、はっきり言わないとダメなのではないか、という結論からの回答文。
『思い切って「頼って欲しい」と切り出してみてはいかがでしょうか』
相談者には申し訳ないが、今朝のことで頭がいっぱいだった。
でも……、見かけた人物は単にあの女性に似ているだけで、新宿駅での人身事故だって偶然かもしれない。そう思うことにした時に、鞄に入れっぱなしだったスマホが震えた。取り出してみれば遥からだ。
『俊郎さん、今大丈夫?』
「大丈夫です。どうしました?」
『新宿駅で人身事故って聞いて、一度新宿駅に行って——』
「ダメです。駅には近づかないでください。昨日、慎重に行動すると話したばかりですよ」
『大丈夫だよ。様子見に行くだけだし』
「勉強に集中して、終わったらすぐ出勤してください。遅刻は認めません」
『……わかった』
今朝のあの「声」の話は、今は言わないほうが良い。言えば絶対に学校をサボるはずだ。相手が何者かも分からないのに不用意に行くのは危険だし、無茶だけはもうしないでもらいたい。
九時になり、朝礼のためにフロア中央に向かう。
各部署からの連絡事項などを確認してから、今日が誕生日の藤田君へプレゼントの贈呈を行った。
従業員の誕生日プレゼントは福利厚生の一つとして行われていて、それは社長も例外ではなく、社内の誕生日企画班と協議して決めたプレゼントは、先日の土曜日の会議の帰りに田畑さんと新宿の伊勢丹まで買いに行ったものだった。
誕生日のプレゼントというのは、やはりいつになっても贈られる側は嬉しそうだな、とデレている藤田君を見て思う。
朝礼の後は一人黙々とタスクを消化する。
少しきつく言いすぎただろうか……いや、何かあってからでは遅い。
デスクの上の小さな招き猫は、平和な顔をして鎮座している。ポケットから、遥にもらった満月を模したようなお守りをとり出した。
『相反する想いは互いに打ち消し合う』
死へと誘われたあの時の想いは、これで打ち消されていった。これを握っていると、今のこのどうしようもない不安な気持ちもいくらか紛れる気がする……。
遥が来れば、例の件で仕事が少し中断するだろうと思い、月末処理のごとく気合を入れて私の方で進めておくべきところまで全て終わらせた。
時計をみれば昼休みはとうに過ぎていて、時刻は十三時半だった。もうそろそろ遥も大学を出るころだろう。
遅い昼食の準備のために休憩スペースに行き、給茶機のボタンを押す。
……念のために遥にメッセージを送ろう。
辺りを見回してみたものの姿は見当たらない。
あの「声」はすぐに聞こえなくなったが、気のせいなのだろうか……。
再度遥に連絡をしようか迷ったが、確実に学校をサボることになるだろうからと思いとどまった。朝から変な汗をかきながら職場に向かう。
パソコンを立ち上げると、社内連絡や今日のタスクと会議のリマインドメールの通知が届く。そして……匿名の相談窓口のフォルダに一件。
『件名:部下と距離が縮まりません』
またきた……。
「俊郎、見たか?」
そう言いながら人事部に藤田君が乱入してきた。
「今、見ているところです」
送信時刻は深夜一時。
『気のせいじゃなくて部下が素っ気ないです。事情があって食事やお酒には誘えないので、話す機会がありません。どうしても頼られている気がしません』
読んでいるうちに、最新のメールが一通届いた。
「鎌田君から、電車遅延による遅刻の連絡です」
「ありゃ、それは災難だな」
新宿駅で人身事故って……まさか。
いや、そんなわけがあるはずもないと言いたいが、今朝聞こえた「声」といい、あの事件を体験している以上、完全に否定ができない。あの時見かけた女性が、もし遺体から招き猫を回収しに向かうところだったとしたら。
「俊郎どうした?」
「あぁ、なんでもありません。鎌田君は無事だろうかって……」
「何言ってんだよ、鎌田君なら今こうやってメールをくれてるじゃん」
そうなのだが、胸騒ぎがする。それに遥も学校が西新宿だし、ニュースを知ったら帰りに駅に寄りそうだ。いや、絶対に寄り道するだろう。
結局、匿名の相談者には緊急性がないこととして、私個人からの返事となった。さりげなくでダメなら、はっきり言わないとダメなのではないか、という結論からの回答文。
『思い切って「頼って欲しい」と切り出してみてはいかがでしょうか』
相談者には申し訳ないが、今朝のことで頭がいっぱいだった。
でも……、見かけた人物は単にあの女性に似ているだけで、新宿駅での人身事故だって偶然かもしれない。そう思うことにした時に、鞄に入れっぱなしだったスマホが震えた。取り出してみれば遥からだ。
『俊郎さん、今大丈夫?』
「大丈夫です。どうしました?」
『新宿駅で人身事故って聞いて、一度新宿駅に行って——』
「ダメです。駅には近づかないでください。昨日、慎重に行動すると話したばかりですよ」
『大丈夫だよ。様子見に行くだけだし』
「勉強に集中して、終わったらすぐ出勤してください。遅刻は認めません」
『……わかった』
今朝のあの「声」の話は、今は言わないほうが良い。言えば絶対に学校をサボるはずだ。相手が何者かも分からないのに不用意に行くのは危険だし、無茶だけはもうしないでもらいたい。
九時になり、朝礼のためにフロア中央に向かう。
各部署からの連絡事項などを確認してから、今日が誕生日の藤田君へプレゼントの贈呈を行った。
従業員の誕生日プレゼントは福利厚生の一つとして行われていて、それは社長も例外ではなく、社内の誕生日企画班と協議して決めたプレゼントは、先日の土曜日の会議の帰りに田畑さんと新宿の伊勢丹まで買いに行ったものだった。
誕生日のプレゼントというのは、やはりいつになっても贈られる側は嬉しそうだな、とデレている藤田君を見て思う。
朝礼の後は一人黙々とタスクを消化する。
少しきつく言いすぎただろうか……いや、何かあってからでは遅い。
デスクの上の小さな招き猫は、平和な顔をして鎮座している。ポケットから、遥にもらった満月を模したようなお守りをとり出した。
『相反する想いは互いに打ち消し合う』
死へと誘われたあの時の想いは、これで打ち消されていった。これを握っていると、今のこのどうしようもない不安な気持ちもいくらか紛れる気がする……。
遥が来れば、例の件で仕事が少し中断するだろうと思い、月末処理のごとく気合を入れて私の方で進めておくべきところまで全て終わらせた。
時計をみれば昼休みはとうに過ぎていて、時刻は十三時半だった。もうそろそろ遥も大学を出るころだろう。
遅い昼食の準備のために休憩スペースに行き、給茶機のボタンを押す。
……念のために遥にメッセージを送ろう。