第46話 満月への想い

文字数 1,717文字

 ファイルを片付けたところで、ノックの音がして宗像さんが入ってきた。
「あ、あああの、いいい今、大丈夫ですか」
「えぇ、大丈夫です。どうしました?」
 表情が硬すぎて緊張しているのがわかる。言いにくいことだろうか……。
「た、田畑さんに、ぼぼ僕を採用した理由を教えてもらったんです。本当にあの……お、落ちたと思ってたので。そ、そしたら俊郎さんが一番推してくださったと聞いて……お礼を言いたくて」
 なんと律儀で礼儀正しい……。
「……こちらが望むスキルをお持ちでしたし、自己PRにも熱意ある文章を書かれていたので当然の結果と思ってください」
 事故でしばらく仕事もできなかっただろうし、彼は一人暮らしのようだから仕事が決まらなければ死活問題だったのだろう。
「こ、ここで働きたかったので……ほ、本当にありがとうございました! では!」
 お辞儀のあと、私の背後の壁にかかっているカレンダーを見ている。
「あぁ、明日は満月ですね」
「……よく気づきましたね」
「あ、朝は、緊張しすぎて何も見えてなかったですけど……」
「宗像さん、天文関係は詳しいんですか?」
「く、くく詳しいというか、単に満月が好きなので……チェックしてるんです」
 そう言って見せてくれた腕時計は紺色の文字盤に月の満ち欠けの状態が出るものだった。
「こんな時計があるんですね」
「そうなんです! ま、満月の夜はいい事が起こるので……わ、忘れないようにって」
 満月の夜に良いことか……。それはわかる気がする。
「では明日も良い事があると良いですね」
「は、はいっ! ……あと、それと」
「なんですか?」
「あの、その……『さんづけ』じゃないほうが……ありがたい……です……」
 慣れてきたら他の男性社員と同じように君付けで呼ぼうとは思っていたのだが、良い機会だ。
「分かりました。では宗像君と呼ばせてもらいます」
「ありがとうございます!」
 最後に会釈をして、戻って行った。
 話してみれば気さくな人だった。やはり時間とともに馴染んでいけるだろう。それに、会話の内容的には遥とは気が合いそうな気配がする。
 
「ただいま」
 遥がいくつか紙袋を下げて帰ってきた。
「……ねぇ、これ完全に俊郎さんの私用のお使いじゃん!」
 出て行った時に比べてかなり元気な顔になっている。〝気分転換〟の効果はあったようだ。
「遥君と美味しいおやつを食べようと思いまして。……ダメでしたか?」
 肩をすくめて少し困った顔で微笑む。
「……ダメなわけないでしょ」
「暑かったでしょう。今アイスコーヒーをもらって来るので休んでてください」
「まずは仕事でしょ! 俺冷蔵庫に入れてくるついでに自分でもらってくるよ」
 
 夕方、仕事のキリの良いところで、遥に買って来てもらったマカロンやケーキを食べながら子供の頃の新宿御苑での思い出話を聞いた。銀河さん兄妹とともに泥だらけになって遊んだことや真冬に池に落ちたハプニングなど、様々なことがあったそうだ。
 子供の頃の体験は豊富な方が良いと思うし、なによりまた遥に一緒に遊んでもらえたら翔太も喜ぶだろう。
「明日は満月か……」
 ゴミを片付けるために席を立った遥が私の背後のカレンダーを見ている。
「そういえばさっき宗像君が来て、それを見て満月が好きだと話してましたよ」
「へぇー! いいね!」
 やはり、遥は自然現象への憧れや感動や歓びの想いを詠んでいるのが向いている。
 あんな風に倒れるところなど、もう二度と見たくはない。
 ……招き猫はまだ他にもいて、まだどこかで誰かを死へと誘っているのかもしれないが、それでも危険なことに身を晒すよりは……。
 デスクの上の招き猫を手に取って握りしめた。頼むから、もう厄災は招かないで欲しい。
「俊郎さん、どうしたの招き猫(そいつ)なんか……」
「いえ、もう二度と厄災はごめんだなと」
「……そうだね。他にはもう存在しないことを願うしかないな」
 縁切りの招き猫の真相を追うのはこれで終わりだ。そして、私は小野君の問題を片付けなくてはならない。
「あ、俊郎さん明日の夜、屋上寄っていく? 月虹は見えないと思うけど」
 私が助けてもらえたのは満月の夜で遥があの場所にいたからだ……。
「そうですね、寄らせてもらいましょう」
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