第17話 ……まだ……?

文字数 3,731文字

「もしも幻想波でGPSのように位置を特定できる機構だと危ないかな、って思って幻想波を遮断してるんだ」
 GPS……そんなものが仕込まれていたら……あんなに恐ろしいものを作り出す錬金術師だし、もし目をつけられていたら……。
「幻想波が遮断されたことで、相手は何らかのトラブルだと気づいている可能性もありますね」
 私の不穏な言葉に、遥が何故か嬉しそうに微笑む。
「俊郎さんって、一般の人なのに幻想錬金術師への理解が早くて助かる」
 そういうことか。
 ……理解せざるを得なかったのだ。あの時「どうせ誰も信じない」と言っていたくらいだから、大抵の人は理解しようとすらしないのかもしれない。
「でも、この部屋にあった事まで知られていたなら何らかの接触があったかもですね」
「相手からは何も接触がないとなると、あまり正確な位置情報までは把握できていないのかな」
「そうとも考えられますが、断言してしまうのはとても危険なので、今後、慎重に行動しましょう」
「……そうだね。何か自衛できる手段も欲しいし、慎重に行こう」
 それが私と遥で出した答えだった。

「あ、俊郎さん。七夕飾りの手伝いに行っても良い? 人形の方はこれ以上の情報が見つからないや」
「もちろんです、行ってきてください」
 スマホをポケットにしまうと、勢いよく立ち上がって人事部から出て行ってしまった。本当に七夕が好きなんだなぁ。当日は本業の方に行くと言っていたくらいだし、色々と彼の事情もあるのだろう。
 入れ違いに入ってきたのは藤田君だ。
「なんだなんだ? えらいはしゃぎ様だな」
「ああいうところは我が家の四歳児と変わらないですね」
 私の発言に藤田くんが心底面白そうに笑う。
「そうか、翔太君もう四歳か」
「早いものです」
「あ、これ持ってきた」
 藤田君が差し出したのは田畑兄さんからのお土産の十万石饅頭。
「ありがとう」
 田畑さん自身も埼玉の実家に帰った時には必ず買ってきてくれる。こし餡で大好物なのだ。
「今朝の相談者からは、その後は何も来てないみたいだね」
 私のデスクの前にある丸椅子を引き寄せて腰かける。
「そうですね。あの回答が正しかったかは分かりませんが、様子を見て頂く他ないですね」
「匿名、というのも逆にやりづらいもんだなぁ」
「相談者のハードルは下がりますが、その分調査がやりにくいですね」
 人事の仕事は、単に新規雇用や退職者の手続きだけではない。一緒に働く人が増えれば増えるほど悩みは増えていくものだと痛感する。
「あぁそうだ、藤田君に話がありました」
 言わなきゃ、と思っていたがなかなか二人きりでゆっくり話す時間もなく、遥も席を外していてちょうど良いタイミングだ。
「お、何だ?」
「従業員のプライバシーの詮索はあまりしないであげてください。新人の紹介の時に悪ノリで質問するのは特に」
 遥の紹介の時に遠慮なく色々と質問していたため、場合によっては新人本人も、他の社員もドン引きしてしまうだろう。
「あ……そうだな。社長がそれじゃダメだよな。面目ない」
 頭を下げるが、もう少し根本部分について説明しようと思い先を続けた。
「話のきっかけを作るためでしょうけれど、本人が触れて欲しくないこともあるでしょうし。特に遥君の瞳については、ご両親も日本人だそうですから、もしかしたら込み入った事情があるのかと思っています」
「込み入った事情?」
「……例えば、ご両親が離婚して再婚している場合など、触れて欲しくないプライバシーもあるだろうと思って」
 そこまで話してようやく藤田君が「あー」と気まずそうな顔になる。
「そうだな、俺の配慮不足だ。今度から悪ノリはしないよう気を付ける。ありがとう」
 そして先ほどより深く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
 藤田君は、腹を割って話をしても関係が悪化することはなく、むしろ良好になる。本当に付き合い易いのだが……
「俊郎のほうは、俺に敬語やめろって言ってもやめてくれないんだよな~」
「……言うと思いました」
 ニヤニヤと私に笑いかける。言葉遣いについてはどうしても無理なので勘弁して欲しい。
「勘弁して欲しそうだから、ここらで退散しよっと」
 そう言っていそいそと人事部を出て行った。遥にも思っていることを読まれることが多いし、もう少し表情筋を硬く強化するべきだろうか。……頑張ってみよう。
 そんなことを考えながら、田畑兄さんからのお土産の十万石饅頭を頂く。
 皮もあんこも最高だ。
 はぁ……うまい。うますぎる。
 デスクの上のスマホが震えた。通知を見ると遥からの連絡だがなんだろう。
『遥が語りかけます』
『うまい、うますぎる!』
『俊郎さん、お茶いる?』
 …………。
 本当は心が詠めるんじゃないの? と返信しようかという時に紙カップに入ったお茶を持って帰ってきた。
「ただいまー。返事なかったけどもらってきちゃった。はいこれ」
 表情には出さないぞ。絶対。
「ありがとう。手伝いはもう終わったんですか」
 遥が噴き出すのをこらえて頷く。
 棒読みの台詞についてはもういっそ笑ってくれませんか?
「俺が行った時にはもうほとんど終わってたよ。ほかの人も息抜きがてらやってたからね」
 ということは、短冊を書く準備ももうできたという事か。
「じゃあ、あとで短冊をもらって帰りましょう」
「え? 家に持って帰っちゃうの?」
「家族の分の願い事も下げていいので、遥君も持って帰ってご家族と一緒に書いて持ってくると良いですよ」
 ほんの少しだけ間があったような気がしたが、いつもの笑顔で喜ぶ遥がいた。

 十九時を回る頃、頼んでいた仕事もひと段落し、遥からの業務報告があがってきた。
「じゃあ、お先に失礼します」
「お疲れ様。勉強と本業も頑張ってください」
 午後や夕方からの出勤であっても、短時間であっても、溜まっていく雑用や、庶務の仕事を横から片づけてくれるアシスタントの存在は心強い。
 最終的に自分のタスクの確認を終えてパソコンの電源を落とす。
 デザイン部と企画部の間にある休憩スペースに行くと、竹は色紙で奇麗に飾られていた。近くに設置されたお菓子の空き缶に入っている白紙の短冊を三枚ほど鞄に納める。
 いつもなら私が最後に帰っていたのだが、少し早く帰れるのが嬉しい。
「帰りますよ」と祥子さんにメッセージを送り外に出る。

 小雨が降っていて、梅雨らしいジメっとした空気の中、遥の住むビルの前を通過して、新宿御苑沿いの通りを歩いて新宿駅南口へと向かう。御苑の木々が途切れたところで見えてきた細長いタワーのてっぺんは、霧の中でぼんやりと光っている。
 少し前までは0時過ぎに新宿駅を出ることも多く、そんな時間でも駅へ向かう人、駅から出てくる人がいた。
 改めて考えるまでもなく新宿は大都市で、人の流れはどんな時間も絶えない。これだけの人が行き交う中に、あの〝縁切りの招き猫〟の製作者がいるのかもしれない。むしろこれだけ人が多いなら紛れやすいだろう。遥はあの招き猫そのものが手掛かりだと言っていたが、捜索することは可能なのだろうか。
 電車に乗ってスマホを確認すると、祥子さんから「お疲れ様でした。気を付けて帰ってね」と労りの言葉が届いていた。山手線の車窓に映ったのは、緩んだ顔の私だった。

* * * * *

 翌日は少し蒸し暑い朝で、夏も間近だと思わせた。
 新宿駅で山手線を降り、人の波に乗って南口の改札を目指す。流れに身を任せてエスカレーターに乗り、左側の階段の向こうの壁には夏休みに向けた旅行の宣伝ポスター。今年は家族でどこに——
 ……あれは?
 階段を降りてくる女性。遥が不気味な人形を詠んだ時に現れた長い髪の女性に似ている気がした。それも北原さんの証言と同じ黒髪。
 すぐに人の波に飲まれて見えなくなった。エスカレーターを上がり切って急いで階段を下りて追いかけたが、これだけの人がいては見失って当然だ。
 自販機を背にしてどうにか人ごみを避け、時間を確認すると八時十八分。まだ家にいるだろうと思い、電話した。
『あ。俊郎さん、おはよ。何かあった?』
「おはようございます。遥君、今大丈夫ですか?」
『うん、大丈夫。どうしたの?』
「見間違いかもしれないんですが、たった今、新宿駅であの女性を見かけて」
『え?』
「似ているだけだったかもしれません。でも一応情報を共有しておきます」
『ん、今から行くよ』
 そうだ、遥ならこういう反応になって当然だ。
「いえ、ラッシュの時間ですでに見失っていますし、今から来てもすぐ学校に向かう時間です」
『……じゃあ、今日も午後に行くので、あとで詳しく教えて』
 通話を終え、スマホを鞄にしまって歩き出そうとした時、耳鳴りがした。
『……まだ……いき……い……の?』
 いや、耳鳴りじゃない、頭に直接響く何か……徐々に鮮明に……。これは……
『……まだ……いきて……いるの?』
 淡々とした独り言のようなフレーズ。
 私は……、この「声」を聴いたことがある……。
 いつだ……夢の中? いや……ちがう。
 どこで……いつ……いつだろう……。
 ……そうだ、あの死に場所を求めて彷徨っていた夜だ。
『……まだ……いきて……いるの?』
 直感的にあの女性を連想した。
「……あなたは、誰ですか?」
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