第40話 思惑

文字数 2,375文字

 八神さんが遥を車に押し込んだ時に「後で名刺の住所に来て欲しい」と耳打ちされていた。私も中断された話が気になるし、聞くべきだと思う。
 八神さんは二丁目の雑居ビルの三階に「七熊(ななくま)商店」という店舗を構えていた。ここが遥が学校帰りに立ち寄る店なのだろうか。
「こんばんは。すみません、遅い時間になってしまって」
 ドアを開けるとひんやりとした空気が溢れて来て、急ぎ足で歩いて来た身にはとても気持ちがよかった。
 理科の準備室のような古びた戸棚にぐるりと囲まれていて、入ってすぐのカウンターの内側に小さな応接テーブルがあり、八神さんはそこで帳簿のチェックをしているところだった。
「あぁ、どうもわざわざ。遥から『納品に行く』と連絡があったんですが、今日は来るなと言っておきました」
 病院では声を相当抑えていたらしく、大きな声が響き渡る。帳簿を閉じてテーブルの脇に寄せると、八神さんが向かいの椅子に座るよう促した。
「今日は本当にありがとうございました」
 予め三万円をしたためておいた封筒を差し出すと、大きな手がそれを押し戻す。
「これは遥が自腹切るから大丈夫だ。あいつはいつも金額相当の幻想結晶で支払うことになってるんだ。俊郎さんは気にせんでください。俺は話の続きができればよかったんで」
 そう言いながら、一旦席を立ち、冷蔵庫からよく冷えた麦茶のペットボトルを持ち出してきた。
「あぁ、すみません。お構いなく。頻繁に差し入れも頂いてますし本当に――」
「頻繁に? 差し入れ?」
 キョトンとした後、豪快に笑った。いかにも愉快と言った風に。

「えーと、どこまで話したっけな……」
「遥君が雪の上で結晶を作ったっていう辺りですね」
「おぉ、そうだそこだ。まぁ、それで俺が遥の才能を見つけて、どうにか幻想錬金術師にしたんですよ」
「遥君が、自分で望んで幻想錬金術師になったわけではないんですか?」
「先にするべき話があるんだ。病院で遥が目を覚ました時に言ったこと……覚えてますかね」
 えーと、確か……
「『俺が八神さんを詠んだ』と……」
「そう、雪の中で俺と目が合った時、遥が俺を詠んだ。そして俺は遥を怒鳴りつけた。殺されたいのか、と」
 ずいぶんと穏やかではない話しだ……。
 ——って、あれ?
「……生きている者は詠めないはずだったかと……」
「あぁ。普通に生きている者は詠もうと思っても詠めるものじゃない。だが、俺のような想叶者のことは詠むことができる」
 どういうことだ……?
「病院でも言いましたが俺は遥とはタイプの異なる想叶者だ。だから詠出の力を持つ者には詠めるんだ。この心の内にある想いが」
 大きな握りこぶしを胸にあて、ドンと叩く。
「すみません、どういう……」
「人間の間では妖怪だとか妖精だとか神だとか呼ばれる類の者だ。まぁ俺はこうして人間として暮らしてますがな!」
 そう言ってガハハハハと豪快に笑っているが……。今、何て言った……。妖怪? え? え? 神って何……?
「まあ、今のだけは冗談だと思ってくれても構わんです。ただ、詠まれた方はその分の幻想波を持っていかれるんで、例外なく激しい不快感や疲労などを伴う。だから反撃や報復する者、争いを続ける者も多い。遥をあのまま野放しにしていたら、いつか粗暴な想叶者によって食い殺されていただろう」
 食い殺されるって……
「えーと……その、つまり詠むことによって敵を作ることがある、ということですか」
「そういうことです。力の使い方を間違えばそれなりに危険が及ぶ。幻想結晶を作り出せる者なら強欲な奴らにとっ掴まって悪用されることもある。世の中に出回っている幻想結晶には汚い商品も混ざっているのも事実だ」
 私が思っていた以上にこの業界の闇は深そうだ。遥が錬金術師に接触することに慎重なのも頷ける。
「では、八神さんと出会えたのは遥君にとって、とても良いことだったんですね」
「あいつはどう思ってるか分らんけどな! 悪戯(いたずら)盛りのチビを捕まえて厳しいことばかり言ってきたし、いまだに報告義務を設けている。あいつのピアスは俺がつけた枷みたいなもんさ」
 錬金術の技で相手を服従させる装飾品があり、遥のピアスは誤った力の使い方をしないようになっていて、幻想錬金術を行った時には必ず八神さんに報告するという効力もあるそうだ。
 もちろん本人の同意なしでそれらを使用するのは違法であり、厳しい罰則もあるという。
 ――ということは……そのピアスを作った錬金術師は、八神さんが幻想錬金術師と接点があることを知っているということではないのか?
「八神さん。一つ教えて欲しいことがあるのですが」
「おう、なんですか」
「実は、本当は今夜ここに遥君と一緒に来る予定だったんです。信頼できる錬金術師を紹介してもらおうということで遥君の腹が決まったようでして」
「あぁ、帰りの車の中で遥から聞いたよ。だが俺はまず俊郎さんと二人で話がしたかったんです。……今日の話を聞いても俊郎さんは遥と共にあの事件を追いますか?」
 落ち着いた声で逆に問われる。
 初めて見たあの光景や、七夕の夜の出来事を考えても、幻想錬金術師の本来の仕事だけをしてもらっていたほうが遥にとって一番良いのは明らかだ。
「……そうですね、私や社内の人間、そしてシオリさんも死なずに済みました。しかし……知らない人間まであの危険な招き猫から救おうというのはあまりに無謀すぎるとは思います」
 ふっと笑ってから八神さんはこう続けた。
「俊郎さんなら、解ってくれると思っていました。信用できる錬金術師はいないわけじゃない。むしろ頼らせたいくらいの人物はいるんだが、そいつの手を借りれば真相に近づくことはできるかもしれん。だが、そこに一体どれだけのリスクがあるか。人間の想叶者、いや幻想錬金術師は貴重な存在だ。……俺たちは、遥を失うわけにはいかないんです」
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