第56話

文字数 1,400文字

綾子は鞄を紙袋に戻すと、紙袋ごと、部屋の隅に投げつけた。
「こうやって、高いもの持つのはいいんだけど、やっぱり、人から羨ましがられた方に価値があるわ。みんなから人気者になるチャンスがあったのに、裏方回ったら、生活は潤うけど、でも、脚光を浴びることは無いわね。みんなから「いいね!」って騒がれると、なんか、ウキウキするんだろうね。評価がどうのこうの、言っていたけど、確かに、お金より評価があったほうが、楽しく生きられる気がする。あんたも私も、その評価からずっと離れているところにいて、ようやく、それを手にすることができそうだったのに、取り上げられちゃったね。ひめにゃんって、すごい人気だけど、ほんとはあんたで、あんたの親である私だって「ひめにゃんママ」なんて、脚光を浴びることができたかもしれないのにね。私だって、一度でもいいから、みんなに「いいね!」って言われたいわよ。」
綾子は日銭のために身を切っていたことを思い出す。肉体的な奉仕、よく見られようとする努力、そんなものが一万円ぐらいの価値しかなかった。それに、終わった後に「よかったよ。」なんて評価はほとんどなかった。ほとんどが気まずい沈黙や、わざとらしい笑顔、世間話で萎んでいった。お金のためにしていたのに、気持ちはずっと評価を求めていた。それを改めて喉元に突きつけられた。私だって一人前以上の人間で、それなりに褒めてもらえるはず。なのに、落ち葉のように放っておかれ、そのまま朽ちていく。そこに脚光を浴びるきっかけが見えてきたのに、それはガラスケースの向こう側。見れるだけで、手が届かない。綾子は知らなくてもいい絶望を感じていた。元々は何も無かったことを忘れてしまった。
「・・そりゃあ、僕だって、本当はひめにゃんなんだから、もっと、みんなに褒めてもらいたいよ。寧さんがひめにゃんになって、褒められているのは、嬉しいんだけど、そのいいねだけが、僕の元に溜まっていくのは事実だけど、でも、いつまで経っても実感がないんだ。今だって普通に学校に行って、それで一日が過ぎている。スマホの中だけで「いいね」が増えてひめにゃんが褒められている、好かれているんだけど、それが、どうしても、僕の中の出来事にならないんだ。だって、僕の生活は、全く変わってないんだ。作った動画がたくさん見られて、評価されて、それで満足するかと思ったけど、それじゃあ、全然満足できない。もっと、取り上げられたいし、もっと、いいねが欲しい。みんなに僕のことを知ってもらいたい。いや、でも、僕に注目が集まると、困る。恥ずかしい。でも、一目置かれた特別な存在になりたい。みんなが僕のことを知ってて、尊敬して、でも、必要以上に注目しないで、大事にされたい。そう、みんなに大事にされたい!僕は、大事にされたことがなかった。だから、みんなに優しく大事にされたい。」
賢治は堪えきれないように泣き出した。綾子は、ひどく惨めに感じた。私は賢治を大事にしてなかった?こんなに孤独にしてしまった?暗い部屋の中、賢治の鳴き声だけが感じられ、涙で湿度が上がる。放っておかれた感情が、朽ちて破れた、負け犬の小屋。綾子は世間から否定された屈辱を感じていた。賢治は大事な私の子供。でも、私だって大事にされたい。世間から、認められ、大事に扱われたい。評価されたい。こんな惨めなところから抜け出してスポットライトを浴びたい。
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